【インドネシア丸かじり】大統領府で昼食を

 豪華なシャンデリアが吊り下げられた白亜の建物、正面に輝くガルーダの国章。「イスタナ」(宮殿)と呼ばれる大統領官邸だ。その裏手に大統領府官房(通称SekNeg=Sekretariat Negara)が立つ。

 約束の時間の正午、ここのゲートを入った。入ってすぐに検問所があり、大統領警備隊に名前と行き先を聞かれた。面会相手の名前を告げると、詰め所のインターフォンで会話をしてから通された。敷地には建物がいくつも点在しており、意外な広さだ。人気は少ないが、多くのカメラで監視していると聞いた。目指す建物の前にはランの花の鉢が並べられていた。

 建物の中に入ると、左手の壁には歴代官房長官の写真がずらっとかけられ、ロビーは吹き抜け。右手に、2階へ上がる階段があった。階段の上の壁にも金色のガルーダの紋章がある。2階は、オフィスも廊下の壁も絵画だらけだ。絵画は壁に掛けられ、床に置かれ、まだ梱包されたままの物もある。この執務室を使う高官の趣味なのかと思ったら、ジョコウィ支援者にお礼として絵をあげるのだそう。

 4月17日投開票の大統領選に臨むジョコウィの選挙戦スタイルと同じ、ライダーズジャケットを着て現れた高官は、非常に気さくな人だった。大統領選の戦略や票読みを詳細に教えてくれた後、「一緒にお昼を食べましょう」と言う。

 執務室の隣にスタッフの大部屋があり、壁に掛けられたTV Oneとメトロ・テレビの2つのテレビ・モニターの下に、この日の昼食が並んでいた。炊飯器のジャーの中に、温かいごはん。おかずは、アヤム・ゴレン、卵焼き、テンペ・ゴレン、スープはサユール・アッサム、トッピングにクルプック。「普通の食事ですよ(sederhana saja)」と高官。

 高官自身は、つけっぱなしのテレビのニュースに目を注いだまま、「日本人?!」と驚くほどの秒速で食べ終わり、まだ食べ終わらない私に「少しだけ試してみて」とサユール・アッサムをよそってくれたり、クルプックを「こうやって食べるとおいしい」と教えてくれたり、至れり尽くせりの饗応ぶりだ。

 白くて大きいクルプックは「ケチャップ・マニスをかけるとおいしい」と言うので、たらたらと回しかけて、パリパリ食べる。サユール・アッサムはかなり辛い味付けにしてあって、普段は気になる甘さが気にならなくて、おいしかった。

 外出しなくて済むように、ここで、昼食と夕食が出されるのだそう。「ジョコウィ大統領は何を食べているんですか?」と聞くと「同じような食事ですよ」との答え。「ソトとか、ね。あと、大統領はドリアンが好きで、メダンに行くと必ず食べています」。

 ここにも、タッパーに入ったドリアンがあった。自宅から持って来るスタッフがいるそうで、「ドリアンは毎日あります。皆、もう食べ飽きていますから、食べてみてください。食後のコーヒーとドリアンは最高!」と言う。

 ドリアンは黄色と白色の2種類があった。手づかみでかぶりつく。黄色は甘みが強く、「私ランキング」で最高レベルのおいしさ。白い方も甘みはあっさりしているが、また違っておいしい。食べ終わった手を、出されたティッシュで拭いていると、高官がさっとアロマオイルを差し出して、指に塗ってくれた。「ドリアンはおいしいけど、においが、ね」。

 至れり尽くせり、しかし、飾らない、ごく普通の昼食。ジャカルタの街のその辺の食堂(カンティーン)に適当に入って食べても、同じ内容、同じ味だろう。それぐらい、「ザ・インドネシア」な、ごく当たり前の味と内容だ。食後のドリアンと、国章付きのコーヒーカップのみがカンティーンにはないスペシャルだ(しかし、中味のコーヒーは沈殿式のごく普通の物)。

 4年半前の2014年、「庶民派」の鳴り物入りで大統領官邸入りしたジョコウィ大統領だが、その後、ジョコウィの庶民派のイメージは急速に薄れてしまった。前回選挙の再現を狙った「庶民に近い」、「庶民のただ中に立つ」ことを強調したキャンペーン中のジョコウィの姿も作り事めいて見える。強権的な手法を「スハルト時代のようだ」と批判する人までいる。

 しかし、大統領府のランチは、今でも確かに、「庶民派」だった。もしジョコウィが再選されても、大統領府の食卓は変わらないままだろうか。

インドネシア映画倶楽部 第4回「ディラン1991」 (Dilan 1991)

文・横山裕一

 

 2月28日、国内映画では過去最大規模の全国791スクリーンで鳴り物入りの人気映画の続編が公開された。「ディラン1991」だ。前作の「ディラン1990」(2018年公開)は観客動員数632万人と、同年の1位に輝いただけでなく、正式な統計が始まった2007年以降では2番目に多い観客数を記録した大ヒット映画だ(1位はコメディ映画「ワルコップDKIリターンズ・パート1」観客動員数686万人、2016年公開)。そして新作「ディラン1991」は公開わずか3日間で前作の3分の1に相当する200万人の観客動員数を数えた。

 何故これほどまでにブームを呼んだのか、まずは人気の発端となった前作「ディラン1990」を紹介したい。「ディラン」とは主人公である女子高生ミレアの恋人となる同級生の名前。時は1990年、ミレアは父親の転勤でジャカルタから西ジャワ州の州都バンドゥンに引っ越す。新しい高校への登校中、大木が連なる綺麗な並木道でバイクに乗った少年が声をかける。彼こそがディラン、二人の最初の出会いだ。
「おはよう、ミレアかい?」
「そうだけど」
「(バイクに)乗ってく?」
「いえ」
「でも、いずれ君は後ろに乗りたくなるよ、きっと」

 これをきっかけにディランのラブ攻勢が始まる。友人を通じての手紙、彼女の下校を待ち乗り合いバスに同乗して「君は綺麗だね、でも僕は君にまだ恋していない。今後はわからないけどね」。その翌日の彼からの手紙で「きのうの夕方以来、僕は君を愛してしまった」。ミレアの家にも夜電話をかける。そして
「ミレア、『おやすみディラン』と言って寝ると、ぐっすり寝られるよ」。

 突然のことにミレアは戸惑い、いぶかるが、何故か嫌な気になれない。ディランは暴走族のリーダーだが見た目は端正な面立ちの少年。会話も文字面だけだとキザだが、どこかユーモアがあり、何より彼のミレアを見つめる眼差しがまっすぐで、常にいたわりを感じるからだった。ジャカルタにいた恋人ともある誤解をきっかけに別れたミレアは、だんだんとディランに惹かれていく。そしてついには、二人はお互いの愛を確認する。そのシーンもディランならではの、キザでユーモア溢れた魅力あるものだった。

 高校の学生食堂のテラスで、喧嘩で得た顔の傷をミレアに手当てしてもらうディラン。ミレアにノートを借り、インドネシア独立宣言に似せた宣言文を書いて読み上げる。
「宣言する!本日、1990年12月22日、バンドゥンにおいて、ディランとミレアは万感を込めて、正式に恋人となった。この愛は永遠に続く!」
…雨の中、バイクに乗った、幸せ一杯の二人の表情で幕は閉じる。

 第1作の大ヒットの要因は、恋する二人の不安、喜び、思いやりといった感情の移り変わりが無理なくとても瑞々しく描かれていることだが、何よりもディランの魅力に尽きるだろう。まずとにかく格好良い。劇中でもジーンズのジャケットを着て、単車(ホンダCB100)に乗る姿が似合う。彼のひたむきで誠実な発言と行動、前述のようにまっすぐで澄んだ瞳。キザな言葉を吐いてもキザに聞こえない。大抵の若い女性だったら、彼の眼差し、魅力には引き込まれてしまうのではと思うほどである。事実インドネシアの多くの若い女性たちは「シビレるぅ」と叫んだ。

 ディランを好演したのは、俳優で人気ボーカルグループメンバーのイクバル・ラマダン(19歳)。10歳の時、舞台ミュージカル「虹の戦士たち(Laskar Pelangi)」で認められてから映画にも数多く出演する。「ディラン1990」でミレア演じるファネサ・プレシラとともにインドネシア映画祭の男女新人俳優賞を受賞。余談だが彼は、小説家プラムディア・アナンタ・トゥールの名作「人間の大地(BUMI MANUSIA)」の映画化に際し主役のミンケ役に抜擢されている。今後のさらなる活躍が楽しみである(近日公開予定)。

 さわやかな学園恋愛物語となると、大人にとっては観ていて若干恥ずかしく、こそばゆくなってしまうが、舞台は1990年。携帯電話はまだない時代で、ダイアル式の家庭電話、夜の公園脇の公衆電話、手紙と大人にとってはノスタルジック溢れる恋愛アイテムが次々と登場し、ついつい物語に引き込まれる。劇中では二人の両親も魅力的に描かれている。インドネシアでは一般的に、男女が恋人としてつきあい始めるとまず双方の両親に紹介する習慣がある。時には親に恋愛の相談もするなど親子関係はオープンなところがあったりする。映画ではこうした部分も自然に描かれていて、若者だけでなく、巾広い支持を得た要因のひとつとなったのかもしれない。

 ディランの魅力をさらに高めたのは彼の発する「言葉」に加え、恋愛ツールの重要なひとつとして登場する「詩」がある。ディランも自作の詩をいくつもミレアに贈って気持ちを伝えている。日本では今や古くさく感じてしまうかもしれないが、インドネシアでは2002年の大ヒット映画「チンタに何があったのか?」でも主人公の女性の心を掴むのに詩が多用されたように現代でも依然有効なのだ。ソーシャルメディアでもよく格言や詩を通じて自分の気持ちを表現する人が多いのも同様かもしれない。文学的な気質を持った人たちだと思う。

 第1作の公開終了後もブームは続いた。原作は同名のベストセラー小説で、作者が「事実を元に書いた」と発言したため、ソーシャルメディア上で実在のディラン、ミレア探しが始まり、同名アカウントの人の写真が取り沙汰されたりした。また「ディランの謎」と題し、なぜディランは最初からミレアを知っていたのか、どうやって自宅の住所や電話番号を知ったのかなど、やはりソーシャルネット上を賑わした。さらには二人が恋人宣言した12月22日は「ディランの日」として話題になった。

 前置きが非常に長くなったが、このように興奮冷めやらぬ中で迎えた続編「ディラン1991」の公開。前作を受けて、二人の幸せ一杯のシーンから始まる。
バイクに乗った二人。
「ディランは将来何になりたい?私はパイロット」
「僕はミレアの夫になりたい」
「えっ?」
「僕と結婚したい?」
「したいぃぃぃぃぃぃ!!」
バイクで風を切りながら叫ぶミレア。
 
 続編でも二人がワクワク、ドキドキしながら愛を育む姿を気持ちよく観たいと思う観客が多かったと思うが、いい意味で裏切られる。「恋心」は相手の気持ちを察しながら育む過程では、期待感が高まり、その恋が成就した際、大きな喜びとなる。しかし、恋が「愛」に変わった時、愛が深まるにつれて相手のことをより強く思うが故に問題が起こりがちである。「ディラン1990」が「恋愛成就編」であるならば、「ディラン1991」は恋人となった二人の「愛の試練編」である。

 問題が起きたのは、ある日ディランが何者かから突然殴られたことから始まる。どうやら対抗する暴走族グループの仕業だったようだ。暴走族であるが故に大切な恋人がいついかなる時も危険にさらされていることに大きな脅威、不安を感じるミレア。ディランが仲間と仕返しをしようと集まったところに、ミレアが現れ、抗争を止めようと必死に訴える。
「暴走族をやめるか、私と別れるか…」
「別れる?本気か?」
ミレアに同行してきた遠い親戚の若者が、ディランに勘違いの嫉妬心を芽生えさせ問題は複雑化、急展開していく。心にも無い「別れる」という言葉を出してしまったことに、またディランに嫉妬の勘違いをさせて抗争に向かう引き金にしてしまったことに強く後悔するミレア。疎遠となる二人。二人の愛は危機に瀕していく…

 前作が「恋愛青春映画」として、前述のように「気持ちのいい時期」を描いていただけに、前作と同じ気持ちを味わいたい人にとっては、続編は若干物足りなく感じるかもしれない。しかし、全編にわたって二人がお互いのことを思いやる姿、気持ちの揺れといった姿は前作同様細やかに表現され、テーマの一貫性は変わらず、観る者を惹き込んでいく。

 二人の行方はどうなるのか、物話は突然7年後に移り完結しないまま続編は終了する。そう、実はこの映画は原作の小説同様3部作なのである。完結編のタイトルは「ミレア」。恐らく1年後公開されるとみられる。大人になった二人が再び、すがすがしく恋愛する姿をみせてくれることになるのか、新たな楽しみが来年すでに用意されたことになる。そのためにも、できればDVDなどで前作を観た上で、今回の続編を楽しんでもらえば幸いである。前作を探すのは面倒かもしれないが、「損」は無いと思う。特に女性にとっては、ディランのあの瞳でこんな台詞を話しかけられるのだから。
「僕のことを恋しく思っちゃいけない、つらくなるだけだ。耐えられないだろう?そんな想いをするのは僕だけで十分だ」。

 蛇足をながら、前作には物語の舞台であるバンドゥンの名物市長リドワン・カミル氏が、そして今作には西ジャワ州知事に転進した同氏が高校の先生として「ちょい役」で出演している。経緯は不明だが、このためかバンドゥンの街の良さが非常に良く描かれた作品にもなっている。普段は渋滞の激しいアジア・アフリカ通りをディランがバイクに乗って疾走するシーンは市長(現知事)の一言で撮影用に交通規制が可能になったのかもしれない、などと考えると楽しくもなる。バンドゥンならではの街の美しさ、いい雰囲気を味わえるのも「ディラン」2作の魅力のひとつである。

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=nwhB2Hb7g5c

インドネシア映画倶楽部 第1回 「マルリナ〜ある殺人者の四幕〜」(MARLINA SI PEMBUNUH DALAM EMPAT BABAK)

インドネシア映画倶楽部 第2回 「アホックと呼ばれる男」(A MAN CALLED AHOK)

インドネシア映画倶楽部 第3回「トゥンコラック(ドクロ)」(TENGKORAK)

インドネシア全34州の旅 #24  中部ジャワ州 
週末のスマラン、鉄道の旅

文・写真…鍋山俊雄

 

 ジャワ島は両端にジャカルタ、スラバヤの大都市を抱えるが、その間の中部ジャワは古き良き古都の趣を残した街が点在しており、日本で言えば奈良・京都のようなものか。中でも有名なのはボロブドゥール遺跡等があるジョグジャカルタだが、ここはジョグジャカルタ特別州として独立しているので、これは別の回に譲ることにする。

 中部ジャワの州都はスマラン(Semarang)。州北部に位置し、オランダ占領時代と、それ以前の古マタラム王国の香りを感じられる遺跡が点在している。

 ジャカルタからは、直行便で飛べば1時間少々、ガンビル駅から特急列車で行けば約6時間の距離である。週末を使って、土曜の早朝にジャカルタを特急列車で発ち、日曜の夕方に飛行機でさっと帰って来る、という弾丸ツアーを組んでみた。

特急列車

 午前7時にジャカルタのガンビル駅から、特急「アルゴ・ムリア号」で出発。スマランまでの約6時間、車窓はジャワ島ではおなじみの田園風景が延々と続く。約3時間後にチレボンを通過し、午後1時ごろにスマラン・タワン駅に到着する。

スマラン駅舎

 実は中部ジャワ州は、インドネシア鉄道史で言うと、オランダ占領時代の1867年にスマラン—タングン(Tanggung)間に初めての鉄道路線が敷設された所で、いろいろ鉄道にまつわる見所が多い。

最初の鉄道は中部ジャワだった

ラワン・セウに展示してある蒸気機関車

 まず、スマランのアイコンとして有名なのが、ラワン・セウ(Lawang Sewu)という蘭領東インド・スタイルの建物だ。1907年、当時の蘭領東インド鉄道会社の本社ビルとして建築された。「Lawang Sewu」とはジャワ語で「千の扉」という意味だそうで、数多くの部屋と扉を持つことから、そう呼ばれている。街の中心部であるロータリーの一角にあり、写真映えする印象的なデザインの外観で、多くの窓が目立つ。正面広場には当時の蒸気機関車が展示されている。

千の扉

ラワン・セウの内部

 歴史を感じさせる重厚な外見を眺めつつ中に入ると、天井が高く、立派なステンドグラス等もあるのだが、なんとなく雰囲気が一変する気がするのだ。そう、ここは幽霊屋敷としても有名で、第二次大戦中の日本の占領時代には日本軍に接収され、刑務所として、また、地下では処刑場として使用されていたとのことだ。そのほか、昔、ここで自殺したオランダ人女性の幽霊が出るとかいう都市伝説もあるようで、実際に、このラワン・セウを舞台にしたホラー映画(『Lawang Sewu: Dendam Kuntilanak』、2007年)も撮影されている。夜間の肝試しツアー的な催しもあるらしい。

 現在は、多くの部屋の一部を使って、インドネシアの鉄道の歴史に関する説明や、当時の事務用品等が展示されている。

 私の旅行の定番である大モスク見学、ここスマランでは「中部ジャワ大モスク(Mesjid Agung Jawa Tengah)」の名前の通り、かなり立派だ。中庭には、サウジアラビアの大モスクにあるような、6つの大きな傘がある。金曜日の礼拝時やイドゥル・フィトリの時などに開くらしい。私はインドネシア全土で、かなりの数の大モスクへ行ったが、このような立派な傘を持つモスクには、あまりお目にかかったことがない(2004年の津波でも倒壊せずに有名になったアチェ州のモスクが、最近のリノベーション後に、このような傘を備えたのを新聞で見た)。モスク前の広場の入口は、アーチ型の壁で囲まれて、豪華な印象だ。

 街北部の旧市街地区を歩くと、18世紀半ばに建築されたプロテスタントの教会と周辺の白壁の建物に囲まれて、公園やレストラン街となっている。夕刻から夜にかけての散策にはぴったりの場所である。

スマランの旧市街

 この街には華人が多く、中国寺院もいくつかある。中でも「三保洞(Sam Poo Kong)」という中国寺院は、15世紀初頭に来訪した鄭和(Zheng He)にいわれがある。鄭和は中国明時代の武将(なんとムスリム)で、東南アジア、インド、果てはアフリカまで、明の大船団を率いて7度の大航海を指揮した、中国版コロンブスのような人物。この鄭和がスマラン来訪時に、お祈りのために見つけた洞窟とそこに建立した小さな寺が発祥とされている。現在、この中国寺院内には、鄭和の銅像が建てられている。ちなみにジャワ島にもスマトラ島にも、「Zheng HO」の名を冠したモスクがいくつかある。マレーシアのいにしえの商業都市マラッカにも、鄭和の記念博物館がある。

三保洞と鄭和像

 このようにスマランは、古くはヒンドゥー王朝であった古マタラム王国の一部であり、海に面していて港が発達したことから商業が栄え、さまざまな人の往来があった。多彩な宗教建築から占領時代の建物まで織り交ぜになり、街を彩っている。

 スマランに1泊し、翌朝はレンタカーで一路、南に下る。目指したのはスマランから高速で約1時間半のアンバラワ(Ambarawa)にある鉄道博物館だ。ここは恐らくインドネシアで最大かつ唯一(?)の鉄道博物館で、インドネシア各地で活躍した蒸気機関車20両余りがある。大半が静態保存であるが、私が訪れた時には、まだ3両の動態保存の車両があった。整備場の中で生気みなぎる漆黒の車体を見ることができる。

ターンテーブル

 もう一つのお目当ては、この博物館の中にある駅から往復約1時間のトゥンタン(Tuntang)駅までの観光列車の運行だ。もしかしたら動態保存の蒸気機関車が走るのかと期待していたのだが、実際は、蒸気機関車風のディーゼル機関車が客車を牽引して運行する。乗車運賃は5万ルピアで、3両の客車が連結されている。

観光列車の出発駅

観光列車が出発

観光列車の車窓

 博物館の係員によると、動態保存の蒸気機関車を動かす場合、チャーター車両として客車1両牽引で1000万ルピア、2両で1250万、3両で1500万ルピア。1人5万ルピアの一般運行では、1つの客車に乗客が30人でも1両150万ルピアにしかならず、蒸気機関車を走らせたらコスト割れだと言っていた。時々、鉄道愛好家がグループでチャーターして走らせるらしい。

 見学に来た多くの家族連れを乗せて、観光列車はのんびり走り、車窓には中部ジャワの田園風景が広がる。人気の観光列車ツアーだ。運行は1日2回で、午前9時から並んでチケットを購入する。そのため、午前7時にスマランを出て、車を飛ばしてアンバラワまで来たのだ。

ここで並んで切符を買います

 ここでは、さまざまな時代の蒸気機関車を眺められるほか、インドネシアの鉄道発展に関する説明展示もあり、鉄道好きのみならず、楽しめる。

 この後はスマランへ戻り、夕方の飛行機でジャカルタに帰るのだが、スマランへの道すがら、チャンディ・グドン・ソンゴ(Candi Gedong Songo)という山の上のヒンドゥー寺院群に寄り道ができる。この一帯は8〜9世紀に建造されたと推測され、中部ジャワのディエン高原にある物と類似の寺院群なのだそうだ。

山の中に点在するチャンディ

 2時間ほどで山間の寺院を順番に見学するルートがあるのだが、時間に限りがあるので、最初のいくつかの寺院だけを見学した。また、この高台からは、富士山によく似た形のシンドロ(Sindoro)山とスンビン(Sumbing)山が並ぶ風景を楽しむことができる。

 この旅は1泊2日ながら見所満載で、鉄道の旅も楽しめるという、個人的にもお気に入りの弾丸ツアーの1つである。また、スマランの名物は具材たっぷりの春巻き(lumpia)。スマランで一泊する際の楽しみの1つである。
 

 

 

鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシア在住期間は計12年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。

 

 

インドネシア全34州の旅
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市
#9 バンカ・ブリトゥン州 アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島
#10 リアウ諸島州 最北端の島の1つ。石群が織りなす造形

#11 西スラウェシ州 トラベラーの中でも「まだ行ってない」率が高い

#12 パプア州 ①国境編(ジャヤプラ、メラウケ) 国境の看板の向こうは熱帯雨林

#13 パプア州 ②山編(ワメナ) 伝統の残り香のあるうちに

#14 パプア州 ③海編(ティミカ・パンタイ) 船で新しい土地へ

#15 パプア州 ④戦争編(ビアク) 息をのむ美しさの海、戦争の名残り

#16 西パプア州 ラジャアンパットを一人で弾丸旅行する方法

#17 リアウ州 仏教遺跡と王宮

#18 ジャンビ州 東南アジア地域で最大級の広さを持つ寺院遺跡群

#19 南スマトラ州 アンペラ橋の周りの見所を巡る

#20 ランプン州 草原の象、蝶の公園

#21 バリ州(ヌサペニダ島)  断崖絶壁と白砂ビーチめぐり

#22 ジャカルタ特別州  オランダ時代の「忙しい」島から見る高層ビルの街

#23  西ジャワ州 緑の中にたたずむ伝統村