インドネシア映画倶楽部 第16回 「ただの人として(HANYA MANUSIA)」 
警察プロデュースの刑事アクション

文・横山裕一

 

 映画が始まる。スクリーンに冒頭からインパクトあるカットが続く。怪しげな男が口笛を吹く口元のアップ、ギラつきながらも澱んだ瞳のアップ。一方で猿ぐつわをされうめき声を上げる少女の口元、縛られた手、怯えた目のアップ。これらのカットがフラッシュバックで積み重ねられる。

 同時にプロデューサーの名前がクレジットされる。連名で4人だが、うち3人は国家警察高官の肩書きがついていた。監修にも警察高官の肩書きが………やがてスクリーン中央に「提供:インドネシア国家警察広報局」と大きくクレジット。そう、この作品は国家警察自らが製作した警察映画だ。

 まさに警察アピールの作品かと気がそがれるが、前述のように冒頭から迫力あるシーンで観る者を惹き付け、ストーリーも他の刑事ドラマ同様、最後まで気を抜かせない。

 物語は主人公の女性捜査官アニサがジャカルタ首都警察本部北ジャカルタ署に転属するところから始まる。同署管内ではまさに十代少女の連続誘拐事件が起きていた。背後には人身売買のシンジケートが絡んでいた。

 誘拐された少女らは売春を強要され、あげくは海外へ人身売買される。一方、職場では新参者として同僚に疎外されながらも捜査に打ち込むアニサ。シンジケートの核心を突こうとする中、逆にアニサの最愛の妹が誘拐されてしまう………。

 作品に関する記者会見で、警察広報官は「多発する人身売買事件に対して、市民に警鐘を鳴らすため」と映画製作の目的を明らかにしている。またタイトル「ただの人として(HANYA MANUSIA)」の意味については「警察官もプロフェッショナルであると同時に、一般市民と同じく心を持った人間であることを理解してもらいたい」とのことのようだ。

 物語で、妹を誘拐されたアニサは心を大きく揺さぶられる。警察官であると同時に被害者の家族にもなってしまう。休養を促す上司。心の葛藤を抱えながらも冷静に捜査に打ち込もうとするアニサ。こうしたシーンを通して警察官も心を持った人間であると表そうとしたのかもしれない。

 「警察提供映画か」という気持ちを忘れさせてしまうのは、当然ながら映画製作のプロスタッフ陣(トゥパン・コバイン/TEPAN KOBAIN監督)と、主役を演じた中堅実力派女優、プリシア・ナスティオンの魅力ある演技によるところが大きいだろう。彼女はリリ・リザ監督の「ジャングル学校(SEKOLA RIMBA)」でも主役で好演している。

 前述のように、プリシアは職場でも同僚に馴染めず疎まれる役柄だ。しかし、そんな環境にめげず、男の同僚相手に肩で風切るように、データを基に自らの勘も働かせながら捜査を進める。日本でテレビドラマにもなった「ストロベリーナイト」を代表作とした、作家・誉田哲也作品の「姫川玲子シリーズ」の主人公をも彷彿とさせる。

 今回の事件でとりあげられた人身売買は、インドネシアでは依然深刻な問題である。貧困が原因による幼児売買、違法の臓器摘出売買、誘拐による売春強要、海外への人身売買。

 社会省の統計によると、人身売買による被害者は2016年から2019年6月までのわずか3年半で、4906人にものぼっている。この数字は事件発覚によるものであるため、実際には相当数に膨れ上がる可能性もある。

 警察当局によると、海外への人身売買先の多くは、サウジアラビアやスーダンなどの中東で、無報酬の家政婦となる場合が多いという。映画の物語だけでなく、実際の捜査でも犯罪撲滅に向けて検挙率を高めてもらいたいと願わずにはいられない。

 警察広報官によると「引き続き映画を通して(事件防止の啓発や警察への理解向上を)プロモーションしていきたい」としており、「警察提供映画」第2弾の可能性を示唆しているとも受け取れる。次回作があるとしたら、一部で依然汚職もあるとされる警察内部の自浄をテーマにした作品にしたら、一般市民の信頼回復や組織内の引き締めに効果がより上がるような気もする。

 公権力主導による鑑賞作品の制作は、かつての第二次世界大戦中の日本などのように、住民の思想操作、言論統制にもつながりかねず危険を伴うものでもある。しかし今作品は単純に勧善懲悪のものであり、そこまで考える必要はなさそうである。純粋な刑事アクションドラマとしては面白い作品である。

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=HoEwMw2IAYQ

 

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インドネシア映画倶楽部 第15回 「スシ・スサンティ ラブ・オール(SUSI SUSANTI LOVE ALL)」 
国民的英雄の栄光と苦悩

文・横山裕一

 

 インドネシア初のオリンピック金メダリスト、バドミントンのスシ・スサンティ選手の現役時代を、周囲からの愛と時代の苦悩を交えて描いた作品。国民的英雄である彼女は、2018年インドネシアで開催されたアジア大会でも聖火を灯す役割を果たしている。

 スシ・スサンティ(48歳)は、92年のバルセロナ五輪で女子シングルスで金メダル、96年アトランタ五輪で銅メダルを獲得している。夫は同じくバルセロナ五輪での男子シングルス金メダリスト。当時インドネシア金メダリスト1号、2号のこのカップルは「金メダル夫婦」と呼ばれた。妊娠に伴い98年現役を引退。その後はバドミントンのオリジナルブランドのアパレル事業などをしている。

 物語は彼女の出身地、西ジャワ州タシクマラヤから。独立記念日のバドミントン大会で、チャンピオンになった少年と言い合いになったあげく試合する事になり、勝利する。それがきっかけでナショナルチームの合宿に招集され、バドミントン選手生活が始まる。

 自ら選手だった事もあり、娘に愛情深く期待を寄せる父親。厳しくもスシの才能を認めるコーチ。スシが中華系インドネシア人という少数派である事を考慮して奔走する協会のメンバー。ライバルであり良い仲間でもあるチームのメンバーたち。愛情に囲まれながら強敵に、社会的困難にスシは立ち向かう。

 副題の「ラブ・オール」とはまさにこの映画に貫かれたテーマだろう。物語の中で、スシに父親が言って聞かせる場面がある。

 「ラブ・オールとは、試合前の状態、0対0なんだ。優劣はない。コーチも仲間も観客も皆愛さないといけない。敵に対してもだ。全てを愛して初めて闘う勇気が沸いてくるんだ」

 これだけでなく、物語を通して父親の娘に対する愛情がとてもきめ細やかに描かれていて、作品の見どころのひとつにもなっている。

 努力の末にスシは順調な選手生活を送るが、自分の努力だけでは何ともしがたい社会的困難に直面する。当時のインドネシア政府による中華系インドネシア人に対する差別政策である。

 その象徴が中華系住民にのみ課せられた「インドネシア共和国国籍証明書(SBKRI)」の取得である。これがないと国民証明書(KTP)はじめ、パスポートの発行、参政権など国民の権利を得る事ができない。しかし証明書の取得は困難がつきまとったという。映画でも再三触れられるため、歴史を含め詳述する。

 インドネシアの独立宣言後、インドネシア在住者、出生者は、中華系だろうと基本的にインドネシア国籍が認められていた。しかし、1955年、毛沢東による「中国の血を引く者は中国国籍であるべき」との指摘で、中国-インドネシア間で、中華系住民に二重国籍を認める協約が結ばれる。

 ところが1958年にインドネシアでは、中華系住民に対し(インド系住民も含む)、62年までにインドネシアか中国か単一国籍を選ぶ法律が施行される。スハルト政権時代に入ると、二重国籍法が解消され、78年には中華系住民に対し先述の国籍証明書(SBKRI)の取得が義務づけられた。

 これは中華系住民に対する差別政策であるとして批判されたが施行は続き、中華系住民にとって煩雑な住民手続きが一層困難を伴った。96年、大統領令でようやく廃止されるが、通知が徹底しなかったため依然義務化の状態が続き、ハビビ大統領になって再度廃止を通知したものの、未だに一部地方では残っているという。

 「インドネシアに生まれ、インドネシアを愛しているのに、どうして!」
 スシ・スサンティも怒りを込めて訴えている。

 中華系住民への不平等政策は、スカルノ初代大統領時代以降、続いている。1959年にはインドネシア単一国籍を持たぬ中華系住民は都市部以外での商業活動が禁止された。さらには中華名をインドネシア名に切り替える事が義務づけられ、国民証明書(KTP)表記など公式にはインドネシア名を使用せざるをえなくなった。スシ・スサンティも本来の中華名は王 蓮香(Ong Lien Hiang)である。

 さらに、経済危機に伴うインドネシア各地で起きた98年の大暴動では、中華系住民の商店や住宅が標的となり、死者は千人以上といわれている。スシの実家も実際に襲われ、映画でも父親がかろうじて逃げ出した様子が描かれている。

 大暴動当時、スシらはバドミントンの国際大会のため香港にいた。母国では自分も含めた中華系住民が被害者なのに、香港では「中華人を殺したインドネシア人」として批判され、移動バスに物が投げつけられた。なんともやるせない運命である。

 時代に、政治に翻弄されてきた中華系インドネシア人の現実を同作品は克明に浮き彫りにしている。少数派差別に対する批判も、サブタイトル「ラブ・オール」に込められているのかもしれない。

 勿論のことながらこの作品はスポーツ映画であり、ソウル五輪でインドネシア最高の、初の銀メダルを獲得したアーチェリー女子の3選手を描いた映画「3スリカンディ(3 SRIKANDI/2016年公開)」同様、今作品でもスポーツの醍醐味は存分に味わえる。

 特訓では、いかにライン内ギリギリにシャトルを落とすことができるか、試合中はいかに不利な流れを、自分有利に変える事ができたか。スポーツならではの白熱したシーンは多い。登場人物も生き生きと描かれている。

 インドネシアの国民的英雄がいかにして誕生したのか、時代背景も含めてとてもわかりやすく観ることができる。是非ご覧いただきたい。(英語字幕あり)

 

予告編

 

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インドネシア映画倶楽部 第14回 「僕にイスラムを教えて(AJARI AKU ISLAM)」
宗教を越えた愛と現実

文・横山裕一

 

 愛し合った若い男女は宗教の違い、民族の違いを乗り越えられるのか。この作品はイスラム教徒が大半を占めるインドネシアならではのテーマであるとともに、イスラム教が台頭する世界各国、国際化の進む日本をも含めて身近となりうるテーマである。

 中華系インドネシア人の青年ケニーは、街頭で出会ったフィディアに一目惚れする。しかしケニーがアタックするもフィディアに煙たがられてしまう。
 「あなたがイスラム教徒じゃないと恋愛対象にはならない」
 他宗教者との婚姻を禁ずるイスラム教。宗教の違いが大きく立ちはだかる。

 ケニーはイスラム教の書物やコーランを読み始める。仏教徒ながら、子供の頃からイスラム教の礼拝の時間を告げるアザーンに何故か安らぎを覚えていた彼に拘りはなかった。全てはフィディアへの恋しさ故だ。改宗の決意を知って、フィディアも少しづつケニーに惹かれ始める。

 しかし現実は厳しく、物語は複雑に展開する。フィディアの父親は異教徒の男性友人であるケニーに対し頑な対応をとった。幼なじみでフィディアに好意を持つ青年も留学先から帰ってきた。ケニーの父親もケニーの部屋にコーランがあるのを見つけて、祖先を侮辱するなと激怒する。さらには、かねてよりケニーに結婚を申し込んだ、同じ中華系の女性もヨーロッパから戻ってきた。

 ケニーは宗教の違い、複雑な人間関係を乗り越え、周囲の理解を得て、フィディアと結婚できるのか。しかし期待を裏切って、予想外のやるせない結末を迎えることになる……。

 インドネシア映画のカテゴリーは大きく分けると、ドラマ、コメディ、ホラー、また独立前後以降の歴史を見つめ直すものがあり、この他にイスラム教の教義、習慣を強く反映させたものがある。

 今作品は若い二人の恋愛を通じて、教義だけでなく「イスラム教徒はこうあるべき」といった事も伝えている。そして出自は異なっても壁を乗り越えられる可能性をも問う作品になっている。とはいえ、特に説教じみた内容はなく、気楽にイスラム教を交えた恋愛ストーリーを楽しむことができる。

 例えば、ケニーがフィディアを自宅へ送る際、並んで歩こうとするとフィディアが意味深に見つめる。「イスラムでは女性は男性の後ろを歩くものなのよ」。
 日本の古い風習にも共通していて、苦笑いをしてしまう場面でもある。

 舞台は北スマトラ州の州都メダン。キリスト教徒のバタック族が多い一方、古くからムラユ族によるイスラム教国のデリー王国が栄えた(1932年〜1858年)地域でもある。さらにジャワからの多くの移民もあり、イスラム教徒が最も多いが他地域よりはその割合は均衡している。(イスラム教59.7%、プロテスタント21.2%、仏教9.9%、カトリック7.1%など /2015年中央統計局)

 メダンは古くから交易でも栄えただけに中華系インドネシア人も多く、多民族、宗教が拮抗する意味で、この作品の舞台、テーマ設定には最適とみられる。現に長い民族交流の歴史を経て、中華系のイスラム教徒も多くいる。

 プロデューサーのジェイムス・リヤント氏によると、この作品の原案は彼の実体験に基づいたものだという。さらには恋人となった主役を演じた二人の俳優、ロジャー・ダヌアルタとチカ(チュット・メイリスカ)の実生活にインスピレーションを得たとも話している。

 中華系インドネシア人の俳優、ロジャーは2014年、交通事故の際に麻薬使用が発覚し、1年のリハビリを兼ねた禁固刑を受けている。そのためかは不明だが後にイスラム教に改宗した経験を持つ。

 さらに撮影後の2019年8月、ロジャーはチカと結婚。今ではチカよりもイスラム教に熱心で、イスラムの集会に参加しては、そこで覚えた事をチカに教えているとのこと。まさに映画作品そのものの夫婦生活でユニークだ。

 実際に現実社会の中でも、結婚を機にイスラム教に改宗する人は多い。インドネシアでは数の論理も働いて、圧倒的多数のイスラム教徒側からの視点になりがちだが、愛情がきっかけだろうと改宗すれば受け入れるという寛容性もあるということかもしれない。

 ただ現実には、殆どの宗教が他宗教者との婚姻は基本的に認めていないようだ。もしこの作品が逆のパターンだったら、インドネシアで成り立つのかどうか興味はある。

 若い女性にとっては大いに関心のあるテーマなのだろう、映画公開初日の夕方からの上映では、ほぼ満席、殆どがヒジャブをした女性たちだった。勿論、主役が人気で、話題の二人ということもあるが。

 もうひとつの見どころは、インドネシア第3の都市メダンの雰囲気がよくわかり、インドネシアの多様性を味わえる事だ。

 中華系インドネシア人によるルコ(1階が店舗、2階が住居や事務所)街と迷路のような路地裏。歴史を反映したオランダ時代の建物、その向こう側に聳える近代的な高層ビル、スマトラ島北部独特のサイドカーのバイクタクシーなど。

 多民族の伝統と歴史、近代化が混在した、現在のメダンの街の様子や風俗、生活感も十分楽しめ、メダンへ行ったことのない方でも、ジャカルタとはひと味違う、現地の「風」を感じられる作品だ。

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=dgVIGZVxkYM

 

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