「月の砂漠〜a」

ツトム・ミズタ
2018年、30×30センチ
リト&コラージュ、いずみ(中性紙)

価格 : 8,000円(シートのみ、送料別)

インドネシア全34州の旅 #23  西ジャワ州  
緑の中にたたずむ伝統村

文・写真…鍋山俊雄

 

 ジャワ島の中部から東部はジャワ語圏だが、西部はスンダ語を話すスンダ人が中心であり、ジャカルタから少し足を伸ばせば、独特の伝統や生活様式を今でも守っている村を見ることができる。

 ジャカルタの西隣であるバンテン州の山中に住むバドゥイ(Baduy)が有名だが、ジャカルタから、それとは逆方向の東へと向かい、バンドンを越えた所、ガルット(Garut)とタシクマラヤ(Tasikmalaya)の間に小さな村がある。この「カンプン・ナガ(Kampung Naga)」も、先祖伝来の生活様式を守る村として知られる。

 バンドンからは相応の距離がある。バスを乗り継げば村まで行けるようだが、週末2日の弾丸旅行をするには、どうも時間が足りない。いろいろ調べたところ、ジャカルタのハリム空港からタシクマラヤまで、ウイングス航空が1日1往復、飛んでいることがわかった。それを使えば、土曜の昼過ぎにタシクマラヤに入り、そこで車をチャーターすれば、カンプン・ナガまでは1時間余りで行ける。午後3時ごろに到着すれば、夕方までの2時間半程度、村を見学することができる。

タシクマラヤに到着

タシクマラヤ空港

 村は、タシクマラヤからガルットへ向かう幹線道路の脇にあり、バスも停車できる大きな駐車場に、いくつかのお土産物屋が並んでいる。入村料などはないが、村の人がガイドをすべく、駐車場で声をかけてくる。ここは遺跡ではなく、実際に人が住んでいる集落なので、説明展示ではないし、どっちみち村に行っても、人に話を聞かないと村のことはわからない。ガイドの1人に声をかけて、案内してもらうことにした。

カンプン・ナガ入口の石碑

 村へは、ここから坂を下り、歩いて15分程度の道のりだ。昔はただの山道だったが、今では、ちゃんと階段が付いている。階段をのんびり降りながら、村の全景が収まる撮影ポイントを探す。

この階段を降りて行きます

 カンプン・ナガは思ったよりも狭く、同じ様式の家が同じ方向を向いて寄り集まっており、その周りを水田と川が取り囲んでいる。日常見かけるジャワの雑然としたカンプンの眺めとは違って、同一の家が自然の緑の中に整然と並ぶ風景は美しい。

 ガイド氏の説明によれば、この地区は、約1.5ヘクタールの広さ。112軒の家があり、およそ300人の村民が住んでいる。居住地は竹の壁で区切られており、その外には家を建てられない。

境界を示す竹垣

竹垣に囲まれた家

 この村では、先祖代々の伝統や独自の規範を守って生活しており、外部からの文明を自ら制限している。電気、ガス、水道もなく、昔ながらの道具のみで生活している村なのである。

 家は、昼間の時間を通じて日の光が均等に当たるように、屋根の向きがすべて東西に平行になるように建てられている。そうすることで、屋根の材料も長持ちするそうである。

 村の中にあるガイド氏の家にも案内してもらって、湯冷ましで入れたお茶を飲みながら、いろいろ話を聞いた。

 家の中は基本的に3部屋で、居間、寝室、台所のみ。トイレと浴室は共同で、各家にはない。電気がないため、部屋の照明はランプ、煮炊きは薪を使って、かまどで行う。途中に小さな売店があり、ペットボトル入りの水を売っていたが、それは訪問者向けで、住民は共同の井戸の湧き水を沸かして使っている。

かまどのある台所

 壁は石灰で白く塗ってあるのだが、竹を編んだ折り重ね構造のため、蚊も入らず、家の中は涼しい。昼間は竹の壁から光が入り、中から、外にいる周囲の人が見えるとのこと。夜は逆に、ランプの光が壁から透けて、家の外から、中の様子がほんのり見えるそうだ。

ランプ

竹を編んだ壁

 来る途中に、ごく少ないが、テレビの簡易アンテナのような物を見た。テレビはごく限られた人が保有している。電気がないので、バッテリーを使うらしい。

 各家の軒先では、女性たちが、昼間の副業として竹細工を作っている。村に学校はなく、子供たちは、村に入る時に降りた階段を、毎日、上り下りして、村の外部にある学校に通う。

 結婚は、「イスラム教徒が相手」という以外に、制限はないそうだ。家の数が限られているので、この村出身者の多くが、村の外にも、たくさん家を建てて住んでいる。居住地以外であれば、現代の機械を自由に使っても良いとのことだ。年に6回ほど、イスラムの慣習に則った村の伝統行事があり、多くの村出身者が集まる。

 この村の歴史はとても古いのだが、1956年に、イスラム国家独立を目指す団体の攻撃を受けて、村が全焼した。その時に、保存してあった先祖代々の文書、村の歴史、記録など、すべて焼失してしまったそうだ。天然素材の家で、狭い場所に軒先を連ねて建っているので、ひとたび火事が起こると、あっという間に燃え広がってしまう。今の集落は、その火事の後、再建されたものだ。

 家から出て、村の中で一際、大きな建物の前に来た。カンプン・ナガのモスクである。モスクには、木の幹をくり抜いた鐘のような物があり、村人を集める時には、これを叩いて招集する。

村のモスク

 村は小さいので、中をぐるっと見るだけなら、30分ぐらいで一回りできてしまう。ガイド氏と話しながら、元来た道を戻り、駐車場に向かう。山肌を登る階段の近くには、バレーボール・コートがあった。ここは村の居住区域内ではないから、このような物も作れるのだろう。

今でも使われている脱穀の道具

左前は稲を脱穀する場所

共同の炊事・洗濯場

 基本的に、文明の機器を導入するか否かは、村の長老会議で決めるそうだ。電気も水道もない村なのに、面白いことに、近年、この手続きを経て使用が許可されたのは、なんと、スマホ。理由は、学校に行っている子供たちや、外で働く人たちとの連絡に必要だから、ということらしい。ただし、村の中には電気が通ってないので、村の外の家に預けて充電をする。

 ガイド氏の知る限り、カンプン・ナガのような伝統的な生活を続けている村は、ジャワ西部ではバンテン州のバドゥイ以外に、小さな伝統家屋が残っている地域が少し。そのほかは、ほとんど知らないとのことだ。

 バドゥイの住民とはスンダ語が通じるので、村同士で交流がある。ガイド氏もバドゥィの村に行ったことがあり、外バドゥイの人がカンプン・ナガに来たこともあるそうだ(内バドゥィの人たちは、車に乗ることが禁じられてるので、さすがにここまでは歩いて来られないだろう、と言っていた)。

家が密集している所

 駐車場でガイド氏と別れ、車でタシクマラヤまで戻り、そこで1泊して、日曜昼のウイングス航空でジャカルタに帰った。

 私は、バドゥイの村には行ったことがないのだが、かなり山奥にあり、周辺と隔絶されていると聞く。一方で、幹線道路からさほど遠くなく、周辺の村外の家にスマホの充電を頼むけれど、頑ななまでに、村の中では伝統様式を守るこの村。緑の中にたたずむ美しい風景が今後も維持されていくのか興味深いところだ。

 

 

鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシア在住期間は計12年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。

 

 

インドネシア全34州の旅
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市
#9 バンカ・ブリトゥン州 アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島
#10 リアウ諸島州 最北端の島の1つ。石群が織りなす造形

#11 西スラウェシ州 トラベラーの中でも「まだ行ってない」率が高い

#12 パプア州 ①国境編(ジャヤプラ、メラウケ) 国境の看板の向こうは熱帯雨林

#13 パプア州 ②山編(ワメナ) 伝統の残り香のあるうちに

#14 パプア州 ③海編(ティミカ・パンタイ) 船で新しい土地へ

#15 パプア州 ④戦争編(ビアク) 息をのむ美しさの海、戦争の名残り

#16 西パプア州 ラジャアンパットを一人で弾丸旅行する方法

#17 リアウ州 仏教遺跡と王宮

#18 ジャンビ州 東南アジア地域で最大級の広さを持つ寺院遺跡群

#19 南スマトラ州 アンペラ橋の周りの見所を巡る

#20 ランプン州 草原の象、蝶の公園

#21 バリ州(ヌサペニダ島)  断崖絶壁と白砂ビーチめぐり

#22  ジャカルタ特別州  オランダ時代の「忙しい」島から見る高層ビルの街

インドネシア映画倶楽部 第2回 「アホックと呼ばれる男」(A MAN CALLED AHOK)

文・横山裕一

 

 2017年ジャカルタ特別州知事選挙に敗れ、選挙期間中の発言から宗教冒とく罪で2年の禁錮刑を受け、先日、1月24日に出所したばかりのアホック(本名:バスキ・チャハヤ・プルナマ=BTP)元州知事の少年期から青年期までを描いた作品。時の人でもあるためか、インドネシア映画作品としては珍しく約1カ月上映のロングランとなった。

 物語では、私財を投げ打ってでも周辺住民を助け、不正を許さない彼の父親が強く印象に残る。父親の姿を常に見つめ続けたアホック少年。アホックの人格形成にいかに大きく影響したかが作品を通してよくわかる(報道によると脚本に関わったアホックの妹が完成後、一部事実と異なるとして批判しているとのことだが)。

 鉱物業を営む父親は家族を養うには十分な財を成した実業家。しかし周辺住民は貧しく、絶え間なく彼に援助を求める。深夜皆が寝静まった頃、ある夫婦が彼の家を訪れる。妻に起こされ居間で急な客人の対応をする。用件は借金の依頼だ。彼は嫌な顔ひとつ見せずそれに応える。そんなある日、怪しげな男が父親を訪れる。汚職の誘いであった。敢然と拒絶する父親、その姿を物陰から目に焼き付けている少年時代のアホック。結果これが元で父親の事業は傾き始めるが、彼は毅然とした態度を貫く……父親から学んだ、家族や人々のために生きる誠実さ。ついにはアホックは社会の公平、公正のため政治家を目指す。

 ちなみになぜアホックと呼ばれているかというと、彼の中国名「鍾萬學(客家語読みでTjung Ban Hok)のバン・ホック(Ban Hok)」から来ているとのこと。「萬を学ぶ〜あらゆることを学ぶ」との願いを込めて父親が命名した。アホックはその名の通り命名者たる父親から多くを学んだのだろう。

 アホックは中華系インドネシア人のキリスト教徒で、しかもジャワ島以外の出身者(ブリトゥン島出身)。インドネシアでは民族、宗教的にも圧倒的に少数派の政治家である。こうした背景や立場をものともせず、州知事時代に不正なことに対する断固たる態度、歯に衣着せぬ発言、また政策実行力で多くのムスリム有権者からも評価、支持を受けてきた。しかし同時に強硬な態度が故に敵も多く、先の州知事選では相手陣営から、インドネシア人にとって最もセンシティブな宗教論争に持ち込まれ落選となる。まさに多様性の中の統一、民族や宗教の寛容性を国是とする現代民主主義のインドネシアで代表的な存在にもなり得る人物だったかもしれないが、現実的には否定された形となる。国是の理想と国民感情にはまだ埋めきれない溝があるのも事実のようである。

 一方でアホックのような政治家を待望する声も依然巷では大きい。そんな中で上映された今回の作品。アホックの2年間の禁錮刑終了まであとわずかとなったタイミングでの上映。穿った見方ではそれを見据えてのイメージアップとも受け取られかねない。かつてジョコ現大統領の映画(「ジョコウィ」)も彼のジャカルタ特別州知事時代に上映された。意図的か結果的かは定かではないが、彼が大統領候補になる前年だった。

 現代インドネシアでは政治のメディア利用が多い。民放テレビ局のオーナーの多くが政治と結びついている。またどの書店でも自国の歴史的英雄の伝記と共に多くのスペースを占めるのが現在の政治家や国民に影響を与える宗教家などの自叙伝本(自筆、他筆あり)。それだけ需要、国民の関心がある裏打ちでもあるのだが。

 今回の映画は、魅力ある父親とその影響を受けた少年の物語としては面白いが、どうしても現在進行形の実在人物だけにすっきりと素直に受け入れられないところがあり残念だ。余談だがアホック演じる俳優は、インドネシアの民放番組「インドネシアン・アイドル」(スター発掘番組)の司会で有名なダニエル・マナンタ。ハスキーな声がアホック本人そっくりで、冒頭の彼の語りによるナレーションは無意識に本人のものと思ってしまうほど。また少年時代のアホック役の少年もいかにもアホックが子供の頃はこんな感じだったろうと思わせる澄んだ良い瞳をしていて、キャスティングをみるだけでも面白い。エンディングで本人の少年期の写真が出てくるが確かに良く似ている。

 さらに余談となるが1月24日に刑期を満了したアホックは、政界への復帰が噂されているだけでなく、31歳年下のイスラム教徒の女性と再婚する予定で話題を呼んでいる。この女性は結婚のためイスラムからキリスト教へ改宗するとのこと。寛容の国インドネシアならではの事象ではあるが、彼本人も巻き込まれたように、近年、宗教問題は政治利用されることが多い。今後再度、政争のネタにされないといいのだが。

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=KxkLF0SPpGo

インドネシア映画倶楽部 第1回 「マルリナ〜ある殺人者の四幕〜」(MARLINA SI PEMBUNUH DALAM EMPAT BABAK)」