インドネシア全34州の旅 #27 ジョグジャカルタ 
映画ロケ地巡りとワイサック

文・写真…鍋山俊雄

 

 インドネシアでバリ島の次に、観光地として有名なのは、ジョグジャカルタだろう。世界遺産の仏教遺跡ボロブドゥールやヒンドゥー遺跡プランバナンが海外からの観光客を引き付けている。

 ジョグジャカルタ特別州は、ジョグジャカルタ市と周辺の県で構成されている。インドネシアの中で唯一、現在でも、スルタン(国王)が州知事を務め、王国制度が存続している所でもある。王国は1755年に創立され、現在はハメンクブウォノ10世がスルタン位を継承している。王宮関係の施設もあって見学を楽しめるところは、さながら京都のようで、実際に、京都市とは姉妹都市提携をしている。

 また、昨今では、さまざまな新しい観光スポットも増えてきている。

 2002年に、高校生の友情と恋愛を描いた映画「Ada Apa Dengan Cinta? (AADC=「チンタに何があったのか?」。日本では「ビューティフル・ディズ」という邦題で上映されている)が封切られて、一世を風靡した。私は当時、インドネシア駐在3年を過ぎたころで、字幕もないインドネシア語の映画はまだハードルが高かったのだが、映画を見た後もVCDで繰り返し見てセリフの意味を調べたのを覚えている。今回、2度目となった赴任中の2016年に、「AADC14年後の続編」として「Ada Apa Dengan Cinta? 2(略称「AADC2」)」が封切られた。14年後の主人公を取り巻くストーリーと、ハッビーエンドに終わる内容を楽しむべく、こちらも繰り返し見に行った。

 印象に残ったのが、主人公らが再会したジョグジャカルタで、彼らが訪れた数々のスポットが、定番の観光地としてはあまり知られていないユニークな場所であったことだ。映画公開後、AADC映画ファンの「ロケ地巡礼」がその後流行っていた。そのいくつかをご紹介する。

Keraton Ratu Bokoの広場

 まずは「Keraton Ratu Boko」。ここは、プランバナンを遠くに望む、丘の上にある。8世紀ごろのマタラム王国に関連があると考えられているが、どのような場所なのか、はっきりとは解明できていない。ちょっとした階段を登り切って石造りの正門をくぐると、広大な土地に、石畳みの広場や石造りの小さいピラミッド風の建物が点在している。正門にかかる夕日が有名で、夕日待ちの人々が、思い思いの場所で写真を撮っている。

正門にかかる夕日

プランバナンが見える

 次に、「Gereja Ayam」と呼ばれる教会。ボロブドゥール遺跡からさらに西の山の中に3キロぐらい入った所だ。比較的新しい建物で、インドネシア人のクリスチャンがお祈り用の場所として建て始めたものらしい。

教会の内部

 AADC2では、ここで、主人公2人が夜通し語り合い、鳥の頭のてっぺんで、日の出の景色を眺めるシーンがある。確かに、ここから眺める風景は素晴らしい。ロケ地になったお陰で、すっかり有名になり、定番の観光地となっているようだ。教会の後ろにはカフェもある。

頭部からの眺め

 次に、ジョグジャのインスタスポットとして、行列が出来ている所を紹介しよう。

 山の斜面にある森林公園「Pinus Pengger」だ。ジョグジャのマリオボロ通りから東南に1時間半ぐらい車で行った所にある。樹木を元にした、人が乗れる規模のオブジェが点在していて、景色と写真撮影を楽しむ場所になっている。

 特に、斜面に張り出した手のひらのオブジェが人気だ。ここでは、番号が書かれた整理券を受け取ると、順番に番号が呼ばれて、そのオブジェで写真を撮れる。1人で行っても、周りの人にカメラを渡して撮ってもらうことができるので、問題ない。

 昼間の眺めも良いが、暗くなると、手のひらがライトアップされ、空中に浮かんだように見える。夜景をバックに撮影する写真をお目当てとして、夜になっても行列は続いていた。

 世界的に有名なジョグジャカルタのボロブドゥール遺跡で、毎年5月ごろの満月の時に、仏陀の生誕・成道・涅槃を祝って行われている仏教大祭がワイサックと呼ばれる。この大祭では、夜の祈りの儀式で、多くのランタン(提灯)を夜空に放つのが有名だ。

 ワイサックには一度参加してみたいと思っていたところ、「ジョグジャに当日、現地集合」というバスツアーを見つけたので、参加してみた。朝7時半に、「Yogyakarta Tugu」駅の近辺に集合する。そこから1時間余り、バスに乗って、まずはMendut寺院に向かう。そこにはすでに、海外からの参加者も含め、数十人の僧侶が集まっており、式典が行われていた。僧侶のほかにも、国内の仏教徒が多く参加しており、僧侶とともに祈りを捧げている。この儀式は昼過ぎまで行われる。

 その後は、そこからボロブドゥール遺跡まで、儀式の参加者および観光客の参列者が大行列になり、行進が行われる。暑さの中、約4キロ。のんびり歩いて1時間少々だろうか。

 ボロブドゥール遺跡の周辺には、大きなテントが張られ、各仏教の宗派ごとにディスカッションや説法が行われているようだ。ツアーの観光客は、夜8時ごろ開始のランタンの儀式まで、自由時間となる。

 ワイサックが断食期間と重なった2019年は、観光客は比較的少なかったが、それでも、ランタンを飛ばす儀式の時は一度では参加者を収容できないため、午後8時と午後11時ごろの2回に分けて行われる。

ボロブドゥール寺院から見た、夜のランタン打ち上げ場所

 うっすらとライトアップされたボロブドゥール寺院を背景に、厳かに祈りの儀式が行われる。その間に、すでに準備されたろうそく台に沿って、参加者は着座して、儀式に参加する。そして最後に、クライマックスとなるランタンの打ち上げ。

 6人で1組になってランタンを広げて、ろうそくに火を灯して、熱気が十分にランタン内部に行き渡るのを、ランタンを支えながら待つ。司会者の合図とともに、熱気がたまって膨れたランタンを空に向かって放つと、思いのほか上昇のスピードは早く、瞬く間に、夜空に、明るいオレンジの灯が散らばっていく。参加者全員が夜空を見ながら歓声を上げている。

 ボロブドゥール寺院の脇の特設ステージで午前4時ごろまで、別の儀式が夜通しで行われるが、私の参加したツアーは、このランタン上げで終了。朝の集合場所もジョグジャ駅に、午後11時過ぎに帰り着き、解散となった。

 ジョグジャカルタは最近、既存の軍・民間共用のアジスチプト空港のほかに、新しい国際空港が西側の海沿いに開港された。現空港は収容能力からも限界のようだったが、マリオボロ通りなどの中心地から車で1時間以内で行ける、便利な立地であった。新空港は、既存の観光資源からは遠方になってしまったが、この新空港開港で、新たな見所へのアクセスが改善されることになるのだろうか。バリと並ぶ国際観光名所としてのジョグジャカルタがどうなっていくのか、今後の発展も楽しみである。

 

 

鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシア在住期間は計13年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。

 

 

インドネシア全34州の旅
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市
#9 バンカ・ブリトゥン州 アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島
#10 リアウ諸島州 最北端の島の1つ。石群が織りなす造形

#11 西スラウェシ州 トラベラーの中でも「まだ行ってない」率が高い

#12 パプア州 ①国境編(ジャヤプラ、メラウケ) 国境の看板の向こうは熱帯雨林

#13 パプア州 ②山編(ワメナ) 伝統の残り香のあるうちに

#14 パプア州 ③海編(ティミカ・パンタイ) 船で新しい土地へ

#15 パプア州 ④戦争編(ビアク) 息をのむ美しさの海、戦争の名残り

#16 西パプア州 ラジャアンパットを一人で弾丸旅行する方法

#17 リアウ州 仏教遺跡と王宮

#18 ジャンビ州 東南アジア地域で最大級の広さを持つ寺院遺跡群

#19 南スマトラ州 アンペラ橋の周りの見所を巡る

#20 ランプン州 草原の象、蝶の公園

#21 バリ州(ヌサペニダ島)  断崖絶壁と白砂ビーチめぐり

#22 ジャカルタ特別州  オランダ時代の「忙しい」島から見る高層ビルの街

#23 西ジャワ州 緑の中にたたずむ伝統村

#24 中部ジャワ州 週末のスマラン、鉄道の旅
#25 東ジャワ州① 絶景ブロモ山とマランの「ブルーシティー」
#26 東ジャワ州②マドゥラ島  全速力で駆け抜ける牛の勇姿、人工の石灰岩の造形 

インドネシア映画倶楽部 第8回 「人間の大地(BUMI MANUSIA)」

文・横山裕一

 

 ついにインドネシアを代表する作家、プラムディア・アナンタ・トゥールの名作が映画化・公開された。原作は1980から90年代、当時のスハルト政府により発禁処分されていた不遇の作品だ。植民地時代の支配する者とされる者、そこに生じる不条理から、自分とは、自分たちの民族とは、そして人間とは何かを問い、自己に目覚めていく過程を描く。ハヌン監督自らが認めるように原作にとても忠実だが、強いメッセージが込められた、美しい映像の中で繰り広げられる一大時代絵巻のような作品だ。

 舞台は20世紀初頭。現在でいうインドネシアの地はオランダの植民地支配が約300年続いていた時代である(オランダ政府の直接支配は1800年から)。主人公はプリブミ(土着民族)で県知事を父に持ち、オランダ人学校に通うミンケ。彼が友人に連いていったある家で、同年代の少女アンネリースに出会うところから物語は始まる。彼女の父親はオランダ人、母親はプリブミ。アンネリースは当時よくあった、オランダ人の現地妻の子供だった。

 自己紹介するミンケ。アンネリースが尋ねる「苗字はないの?」
「プリブミだから(ジャワでは殆どが苗字を持たない)。」答えるミンケ。
「そう、でも私のママもプリブミよ。」そう屈託なく微笑むアンネリース。

 プリブミと言ってもバカにしないどころか、かえって親しみを持ってくれる聡明なアンネリースに心惹かれるミンケ。やがて二人は愛し合うようになる。さらにミンケは母親のニャイ(当時の現地妻の呼称)が被支配層のプリブミながら、夫の経営する大農場を女手ひとつで手際よく取り仕切っている様子を見て驚くとともに尊敬の念を抱く。近代プリブミ女性のあるべき姿を思い描く。

 しかし、当時の植民地社会を反映して、それぞれに差別・偏見をうけていたのも事実だ。同じプリブミでありながら、支配者であるオランダ人の現地妻になった事でニャイはプリブミからも蔑まされた。その子供であるアンネリースはオランダ人としては認められず「インド」と呼ばれ、オランダ人、プリブミ双方から疎まれる。

 そんな事は意に介さないかのように強く振る舞う母娘に、ミンケは強い共感を受け、同時に自らも近代プリブミとして生きようとする勇気を抱いていく。当のミンケも地方政府の役職者の息子のためプリブミとしてはまれなオランダ人学校に通うエリートだったが、学校のオランダ人、「インド」の学友から「プリブミ」と馬鹿にされていた。さらには「インド」の女性とつきあったために、プリブミの父親から折檻も受けていた。

 ニャイに温かく見守られながら、ついにミンケとアンネリースは結婚する。しかし、オランダ人のアンネリースの父親が娼館で毒殺されたのをきっかけに事態は急変する。殺害の関与を疑われるニャイとミンケ。さらには最愛のアンネリースとも引き離されそうに。植民地時代の「被支配」という強大な渦に翻弄されながらも抗おうとミンケの闘いが始まる。オランダ人に圧倒的に有利な法律がミンケに追い討ちをかける…

 本作品の監督、ハヌン・ブラマンティオ氏(43歳)は数多くのヒット作も出した実力派監督で、近年では「スカルノ」(2013年公開)や「カルティニ」(2017年公開)、「スルタン・アグン」(2018年公開)など歴史映画も多く手がけている。最新作「人間の大地」についてハヌン監督は、「自らの映画キャリアで頂点に達したものだ」とまでコメントしている。その背景には同監督の長年の強い思い入れが背景にあるようだ。

 冒頭に書いたように原作本は1981年から約20年間、発禁処分を受けている。作者のプラムディアは1950-60年代には汚職批判や中華系インドネシア人に対する虐待をテーマとした作品などを手がけていた。1965年、共産党系将校によるクーデター未遂事件とされる930事件が起きると、スハルト政府はプラムディアをコミュニストとみなし、事件に関与したとして投獄する。政治犯として14年間獄中生活を余儀なくされたプラムディアだが、その間も執筆を続け、その中の一冊が「人間の大地」である。(プラムディアは79年に「930事件に関与はなかった」として釈放されたが、92年までジャカルタで軟禁状態だった)

 ハヌン監督は17歳だった94年、発禁処分の同書を人目を忍んで読んでいたという。「見つかったら逮捕されるんじゃないかとビクビクしながら読んだ」とのことだが、同時に「このテーマは誰もが知るべき事だ」と強く感じたという。後に映画人となった同監督はプラムディアと出会う。プラムディアは「人間の大地」の映画化を強く希望していたという。ハヌン監督にとっては少年時代、そして青年時代からの「思い」をようやく「映像化」できた感慨深さから、「プラムディアの夢が実現した」と6月の試写会で涙ながらに告白している。

 プラムディアの晩年(2006年死去)、交友があったというミュージシャンから聞いたエピソードだが、プラムディアは亡くなる間際になっても「若者は自分が正しいと信じた事に対しては、どんな大きな相手にだって戦い続けるべきだ」と話していたという。無実の罪で投獄され、獄中でも執筆を続けたプラムディアの強い信念が、魂が、ハヌン監督を通じて今回映画化させたのではないかとまで思えてくる。

 本稿第4回で触れたように、主人公ミンケを演じたのは映画「ディラン1990」シリーズでディラン役を演じたイクバル・ラマダン。ここでも好演している。彼の小柄で華奢な体格が一見、オランダ人やオランダ人の血を引く「インド」の大柄な面々の中で、体力的にも劣って見えてしまう当時のプリブミのイメージと重なる。しかし、彼ならではの強い眼差しは健在で、ミンケの「意思の強さ」がしっかりと表現され、彼を自身を大きく見せている。

 アンネリースの父親殺害の疑いをかけられた裁判で、圧倒的に不利になった時、一点を見据えてミンケは叫ぶ。
「俺たちにはまだペンがある!」
 その後、新聞への投稿を続けて、民意を高めミンケたちは無罪を勝ち取る…
 この叫ぶシーンの強い眼光はまさに彼ならではのものだ。制作当時、ミンケの配役で困っていたハヌン監督も友人の勧めで「ディラン」を観て「(若手の中で)演じるスピリットを持つ俳優は彼しかいない」とイクバルに即決したという。

 この他、歴史学者に監修もさせた、植民地時代のセット風景もみどころだ。ハヌン監督も「原作の80%は映像化した」と胸を張る。広大な美しい農園、瀟洒なオランダ様式の混ざった住宅、ヘロインの煙が怪しげに漂う中華様式の娼館など。原作を読んだ時、頭に描いていた風景が蘇ったかのように、スクリーン一杯に植民地時代の世界の雰囲気を感じる事ができる(勿論原作を読んでいない人も同様に楽しめる)。

 インドネシア映画としては異例の3時間という上映時間だが、特に後半はたたみ掛けるように物語が展開するため長さは感じない。そして、時代の不条理に圧倒されるラストは涙なくしては観られない。原作小説「人間の大地」は4部作だが、個人的には少なくとも2作目、「すべて民族の子」は続編として是非観てみたい。

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=2BYJaVz_wpM

 

インドネシア映画倶楽部 第1回 「マルリナ〜ある殺人者の四幕〜」(MARLINA SI PEMBUNUH DALAM EMPAT BABAK)

インドネシア映画倶楽部 第2回 「アホックと呼ばれる男」(A MAN CALLED AHOK)

インドネシア映画倶楽部 第3回「トゥンコラック(ドクロ)」(TENGKORAK)

インドネシア映画倶楽部 第4回「ディラン1991」 (DILAN 1991)

インドネシア映画倶楽部 第5回 「我が素晴らしき肉体の記憶 (KUCUMBU TUBUH INDAHKU)」

インドネシア映画倶楽部 第6回 「メイの27ステップ (27 STEPS OF MAY)」

インドネシア映画倶楽部 第7回 「アンブ〜母(Ambuh)」

インドネシア全34州の旅 #26  東ジャワ州②マドゥラ島 
全速力で駆け抜ける牛の勇姿、人工の石灰岩の造形

文・写真…鍋山俊雄

 

 ジャカルタからバリに向かう飛行機で左側の窓際席に座っていると、ジャカルタから1時間ほど過ぎたあたりで、眼下に大きな島が広がる。ジャワ島に隣接し、2009年にスラマドゥ(スラバヤーマドゥラ)橋が完成してからは車で往来できるようになったが、ジャワとは民族も文化も違う、マドゥラ島である。人口は400万人足らず。マドゥラ語を話すマドゥラ人が大半を占める。

スラマドゥ橋

スラマドゥ橋からスラバヤを望む

 マドゥラ人は過去に、政府の移民政策により、各地に移住している。マドゥラ人は気性が激しいとされており、中でも、1930年代からカリマンタン島に移住したマドゥラ人と地元のダヤック人との間での住民紛争では何度かの死者を出す衝突を繰り返し、2001年には500人以上の犠牲者を出す大規模の抗争のあったことが知られている。

 マドゥラ島は石灰岩層も多く、土壌が肥沃でないことから、農作向きではない。タバコや丁子の生産のほか、牛、塩などが主要産業だ。飛行機の窓からマドゥラ島を見ると、大きな山がなくてわりと平坦だが、東西に長く広がっており、東の方の海岸沿いには白く光る塩田が見える。

マドゥラ島の上空から塩田を眺める

 この島は、バリ島の東西の幅よりもわずかに大きい。週末の弾丸旅行で島内を回るには、ちょっと無理がある。そこで、これまで2度にわたって、西部のバンカライ、そして東部のスメナップから入って中部のパメカサンを訪れた。

 初めてのマドゥラ島訪問では、ジャカルタから午後9時半発のスラバヤ行き深夜特急「Argo Anggrek」号に乗った。飛行機で飛べばスラバヤまですぐだが、一度、ジャカルタースラバヤを列車で行ってみたかったのだ。冷房がよく効いた車内で、リクライニングは飛行機のエコノミークラス程度にしかできない。翌朝6時ごろ、スラバヤのTuri駅に到着した。そこから、あらかじめ手配しておいたレンタカーで、マドゥラ島へ向かった。

毛布付きのエグゼクティブ

 今回の目的地は、以前にじゃかるた新聞で紹介記事を読んだ、西部のバンカラン(Bangkalan)にある「Bukit Kapur Arosbaya(Arosbaya Limestone Hill)」という場所だ。石灰岩を建材として切り出す露天掘りの石切場で、最近、インスタ・スポットとして知られつつある。

 長さ5.4キロのスラマドゥ橋を渡り、そこから1時間半余り、車を走らせる。いくつもの村を通り抜け、ようやく、そこへ到着した。場所の表示はあるものの、飲み物を売る屋台が入口近辺にあるほかは、観光地としての施設はない。 

 入口から、きれいに縞模様がついた石灰岩の切り立った崖が目の前に広がる。インドネシアのほかの地域で、このような岩場や山肌が観光地になる場合は、長い年月をかけて形作られた地層だったり、岩の自然の造形だったりするが、ここは、趣が異なる。建材を切り出す積年の作業によって独特の文様が人工的に作られ、あたかも彫刻作品のようにそびえ立つ。そしてそれは常に、切り出しの進捗によって形を変えていくのである。

 中を歩き回ってみると、所々で切り出しが手作業で行われており、作業音が聞こえる。崖の表面も、中の空洞部分も、石の切り出しによって削られた規則正しい模様がついており、階段も所々にある。静けさの中で異世界の雰囲気だ。暑い日だったが、洞窟の中に入れば暑さは和らぐ。しばらく異形の世界の散策を楽しんだ。

 スラバヤに向かう途中で、別の石灰岩の切り出し場所にも立ち寄った。そこはさらに大規模な露天掘りサイトで、白色の石灰岩が規則正しく切り出されている。露天掘りで切り出した跡地に、かなり大きな市民プールが出来ている。石灰岩の壁に囲まれた風変わりな風景の中で、人々が水遊びを楽しんでいる。

 マドゥラ島は、ジャワ島のソロ、ジョグジャカルタ、プカロンガン、チレボンなどの産地と並び、手描きバティックの産地でも知られている。手ごろなバティックを数枚買って、スラバヤ経由で、同日夜にはジャカルタに帰った。

 マドゥラ島の有名な行事に「Karapan Sapi(牛車レース)」がある。二頭立ての牛に人間(通常は体重の軽い子供)が乗る騎乗台を繋げ、100メートル余りの距離を走らせてスピードを競うものだ。元々は、畑を耕すために二頭立てで使う牛を鍛えるうちに、競争させるようになったのが発祥らしい。

 毎年8月ごろから10月にかけて、マドゥラ島の各地でレースが行われ、10月にマドゥラ中部のパメカサン(Pamekasan)で決勝が開催される(注:2019年は初めてバンカライで開催されることが決まった)。

 決勝の行われる前日の土曜日、マドゥラ島東部のスメナップ(Sumenap)に、スラバヤからウィングス・エアで入った。決勝の行われるパメカサンは、スメナップから車で約1時間の距離だ。

 スメナップには13世紀ごろから王国があり、王宮が博物館となっている「Sumenap Palace Museum」がある。そこと、黄色を基調とした大モスクを見学した後に、車でパメカサンに向かった。

スメナップの大モスク

 塩田で取れた塩が野積みになっている地域(上写真)を通り抜け、パメカサンに到着した。いつものように一人旅で、ガイドもいないため、ホテルの従業員に翌日の決勝のスケジュールや何時ごろに行った方が良いかを確認した。翌朝は早めに、午前6時半ごろにパメカサンの競技場に到着した。

 実際にレースが始まるのは午前9時。あらかじめ、昨年の決勝の様子をYou Tubeでチェックし、競技場のどの辺で見ると良いかをイメージしておいた。しかし、相当の見物客が集まるようだったので、まずは早めに行って会場内を歩き回ってみた。

昔懐かし? カラーひよこ売り

 午前9時に始まり、1組のレースが終わってから次のレースが始まるまで、相当の時間があるらしい。同日夕のスラバヤ発の便でジャカルタに帰るので、レースを最後まで見るつもりは元からない。混んでいるとスラバヤまで4時間ぐらいかかるかもと言われ、正午までにパメカサンを出発するつもりだった。

決勝の組み合わせ

 まずは各参加チームが順番に整列して会場のフィールド内を練り歩く。前方に集中すべく外側の目に眼帯を付けた牛を先頭に、チームメンバーがお揃いのチームウェアで、楽器を奏でながら誇らしげに行進する。

 その後、順番に練習ランを行う。競技場の両側の壁に沿って、2組のチームが走る。練習走行中は自由にフィールドに入って撮影を行うことができ、本番さながらに砂埃を上げて走る牛たちを、いろいろな角度で撮影することができた。

 ゴールラインを越えた牛は、チームメンバーが寄ってたかって牛を減速させた後、体の汗を拭き取り、マッサージをしている。あたかもボクシングのセコンドのようだ。この日のために、生卵や蜂蜜など、特別なメニューで体力を蓄えているらしい。

 ひととおり練習ランが終わったところで、ようやく開会式が始まる。学生と思しき若い男女の団体舞踊などもあり、なかなか華やかだ。

 その後は決勝レースが始まる。辺りは鈴なりの見物客で、競技場の壁の上も、周囲の木の上にも人が群がっている。

 さすがに決勝中はフィールドに入ることができず、しばらくスタート地点の脇で見ていたのだが、スタートと同時に、興奮したチームメンバーやら見物客やらが牛の後を追うため、レースの様子がよく見えない。かと言って、ゴールの地点も人が鈴なりである。

 会場内では何度もインドネシア人から「スリに注意しなさい」と警告されたので、ポケットには何も入れず、リュックを前掛けにして、競技場内の人混みをかきわけて何レースか見て、競技場を後にした。

 決勝の本レースはあまり見られなかったが、その前の練習で全速力で駆け抜ける牛の勇姿を迫力満点で十分に堪能することができた週末旅行だった。

 

 

鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシア在住期間は計13年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。

 

 

インドネシア全34州の旅
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市
#9 バンカ・ブリトゥン州 アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島
#10 リアウ諸島州 最北端の島の1つ。石群が織りなす造形

#11 西スラウェシ州 トラベラーの中でも「まだ行ってない」率が高い

#12 パプア州 ①国境編(ジャヤプラ、メラウケ) 国境の看板の向こうは熱帯雨林

#13 パプア州 ②山編(ワメナ) 伝統の残り香のあるうちに

#14 パプア州 ③海編(ティミカ・パンタイ) 船で新しい土地へ

#15 パプア州 ④戦争編(ビアク) 息をのむ美しさの海、戦争の名残り

#16 西パプア州 ラジャアンパットを一人で弾丸旅行する方法

#17 リアウ州 仏教遺跡と王宮

#18 ジャンビ州 東南アジア地域で最大級の広さを持つ寺院遺跡群

#19 南スマトラ州 アンペラ橋の周りの見所を巡る

#20 ランプン州 草原の象、蝶の公園

#21 バリ州(ヌサペニダ島)  断崖絶壁と白砂ビーチめぐり

#22 ジャカルタ特別州  オランダ時代の「忙しい」島から見る高層ビルの街

#23  西ジャワ州 緑の中にたたずむ伝統村

#24  中部ジャワ州 週末のスマラン、鉄道の旅
#25 東ジャワ州① 絶景ブロモ山とマランの「ブルーシティー」