インドネシア全34州の旅 #26  東ジャワ州②マドゥラ島 
全速力で駆け抜ける牛の勇姿、人工の石灰岩の造形

文・写真…鍋山俊雄

 

 ジャカルタからバリに向かう飛行機で左側の窓際席に座っていると、ジャカルタから1時間ほど過ぎたあたりで、眼下に大きな島が広がる。ジャワ島に隣接し、2009年にスラマドゥ(スラバヤーマドゥラ)橋が完成してからは車で往来できるようになったが、ジャワとは民族も文化も違う、マドゥラ島である。人口は400万人足らず。マドゥラ語を話すマドゥラ人が大半を占める。

スラマドゥ橋

スラマドゥ橋からスラバヤを望む

 マドゥラ人は過去に、政府の移民政策により、各地に移住している。マドゥラ人は気性が激しいとされており、中でも、1930年代からカリマンタン島に移住したマドゥラ人と地元のダヤック人との間での住民紛争では何度かの死者を出す衝突を繰り返し、2001年には500人以上の犠牲者を出す大規模の抗争のあったことが知られている。

 マドゥラ島は石灰岩層も多く、土壌が肥沃でないことから、農作向きではない。タバコや丁子の生産のほか、牛、塩などが主要産業だ。飛行機の窓からマドゥラ島を見ると、大きな山がなくてわりと平坦だが、東西に長く広がっており、東の方の海岸沿いには白く光る塩田が見える。

マドゥラ島の上空から塩田を眺める

 この島は、バリ島の東西の幅よりもわずかに大きい。週末の弾丸旅行で島内を回るには、ちょっと無理がある。そこで、これまで2度にわたって、西部のバンカライ、そして東部のスメナップから入って中部のパメカサンを訪れた。

 初めてのマドゥラ島訪問では、ジャカルタから午後9時半発のスラバヤ行き深夜特急「Argo Anggrek」号に乗った。飛行機で飛べばスラバヤまですぐだが、一度、ジャカルタースラバヤを列車で行ってみたかったのだ。冷房がよく効いた車内で、リクライニングは飛行機のエコノミークラス程度にしかできない。翌朝6時ごろ、スラバヤのTuri駅に到着した。そこから、あらかじめ手配しておいたレンタカーで、マドゥラ島へ向かった。

毛布付きのエグゼクティブ

 今回の目的地は、以前にじゃかるた新聞で紹介記事を読んだ、西部のバンカラン(Bangkalan)にある「Bukit Kapur Arosbaya(Arosbaya Limestone Hill)」という場所だ。石灰岩を建材として切り出す露天掘りの石切場で、最近、インスタ・スポットとして知られつつある。

 長さ5.4キロのスラマドゥ橋を渡り、そこから1時間半余り、車を走らせる。いくつもの村を通り抜け、ようやく、そこへ到着した。場所の表示はあるものの、飲み物を売る屋台が入口近辺にあるほかは、観光地としての施設はない。 

 入口から、きれいに縞模様がついた石灰岩の切り立った崖が目の前に広がる。インドネシアのほかの地域で、このような岩場や山肌が観光地になる場合は、長い年月をかけて形作られた地層だったり、岩の自然の造形だったりするが、ここは、趣が異なる。建材を切り出す積年の作業によって独特の文様が人工的に作られ、あたかも彫刻作品のようにそびえ立つ。そしてそれは常に、切り出しの進捗によって形を変えていくのである。

 中を歩き回ってみると、所々で切り出しが手作業で行われており、作業音が聞こえる。崖の表面も、中の空洞部分も、石の切り出しによって削られた規則正しい模様がついており、階段も所々にある。静けさの中で異世界の雰囲気だ。暑い日だったが、洞窟の中に入れば暑さは和らぐ。しばらく異形の世界の散策を楽しんだ。

 スラバヤに向かう途中で、別の石灰岩の切り出し場所にも立ち寄った。そこはさらに大規模な露天掘りサイトで、白色の石灰岩が規則正しく切り出されている。露天掘りで切り出した跡地に、かなり大きな市民プールが出来ている。石灰岩の壁に囲まれた風変わりな風景の中で、人々が水遊びを楽しんでいる。

 マドゥラ島は、ジャワ島のソロ、ジョグジャカルタ、プカロンガン、チレボンなどの産地と並び、手描きバティックの産地でも知られている。手ごろなバティックを数枚買って、スラバヤ経由で、同日夜にはジャカルタに帰った。

 マドゥラ島の有名な行事に「Karapan Sapi(牛車レース)」がある。二頭立ての牛に人間(通常は体重の軽い子供)が乗る騎乗台を繋げ、100メートル余りの距離を走らせてスピードを競うものだ。元々は、畑を耕すために二頭立てで使う牛を鍛えるうちに、競争させるようになったのが発祥らしい。

 毎年8月ごろから10月にかけて、マドゥラ島の各地でレースが行われ、10月にマドゥラ中部のパメカサン(Pamekasan)で決勝が開催される(注:2019年は初めてバンカライで開催されることが決まった)。

 決勝の行われる前日の土曜日、マドゥラ島東部のスメナップ(Sumenap)に、スラバヤからウィングス・エアで入った。決勝の行われるパメカサンは、スメナップから車で約1時間の距離だ。

 スメナップには13世紀ごろから王国があり、王宮が博物館となっている「Sumenap Palace Museum」がある。そこと、黄色を基調とした大モスクを見学した後に、車でパメカサンに向かった。

スメナップの大モスク

 塩田で取れた塩が野積みになっている地域(上写真)を通り抜け、パメカサンに到着した。いつものように一人旅で、ガイドもいないため、ホテルの従業員に翌日の決勝のスケジュールや何時ごろに行った方が良いかを確認した。翌朝は早めに、午前6時半ごろにパメカサンの競技場に到着した。

 実際にレースが始まるのは午前9時。あらかじめ、昨年の決勝の様子をYou Tubeでチェックし、競技場のどの辺で見ると良いかをイメージしておいた。しかし、相当の見物客が集まるようだったので、まずは早めに行って会場内を歩き回ってみた。

昔懐かし? カラーひよこ売り

 午前9時に始まり、1組のレースが終わってから次のレースが始まるまで、相当の時間があるらしい。同日夕のスラバヤ発の便でジャカルタに帰るので、レースを最後まで見るつもりは元からない。混んでいるとスラバヤまで4時間ぐらいかかるかもと言われ、正午までにパメカサンを出発するつもりだった。

決勝の組み合わせ

 まずは各参加チームが順番に整列して会場のフィールド内を練り歩く。前方に集中すべく外側の目に眼帯を付けた牛を先頭に、チームメンバーがお揃いのチームウェアで、楽器を奏でながら誇らしげに行進する。

 その後、順番に練習ランを行う。競技場の両側の壁に沿って、2組のチームが走る。練習走行中は自由にフィールドに入って撮影を行うことができ、本番さながらに砂埃を上げて走る牛たちを、いろいろな角度で撮影することができた。

 ゴールラインを越えた牛は、チームメンバーが寄ってたかって牛を減速させた後、体の汗を拭き取り、マッサージをしている。あたかもボクシングのセコンドのようだ。この日のために、生卵や蜂蜜など、特別なメニューで体力を蓄えているらしい。

 ひととおり練習ランが終わったところで、ようやく開会式が始まる。学生と思しき若い男女の団体舞踊などもあり、なかなか華やかだ。

 その後は決勝レースが始まる。辺りは鈴なりの見物客で、競技場の壁の上も、周囲の木の上にも人が群がっている。

 さすがに決勝中はフィールドに入ることができず、しばらくスタート地点の脇で見ていたのだが、スタートと同時に、興奮したチームメンバーやら見物客やらが牛の後を追うため、レースの様子がよく見えない。かと言って、ゴールの地点も人が鈴なりである。

 会場内では何度もインドネシア人から「スリに注意しなさい」と警告されたので、ポケットには何も入れず、リュックを前掛けにして、競技場内の人混みをかきわけて何レースか見て、競技場を後にした。

 決勝の本レースはあまり見られなかったが、その前の練習で全速力で駆け抜ける牛の勇姿を迫力満点で十分に堪能することができた週末旅行だった。

 

 

鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシア在住期間は計13年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。

 

 

インドネシア全34州の旅
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市
#9 バンカ・ブリトゥン州 アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島
#10 リアウ諸島州 最北端の島の1つ。石群が織りなす造形

#11 西スラウェシ州 トラベラーの中でも「まだ行ってない」率が高い

#12 パプア州 ①国境編(ジャヤプラ、メラウケ) 国境の看板の向こうは熱帯雨林

#13 パプア州 ②山編(ワメナ) 伝統の残り香のあるうちに

#14 パプア州 ③海編(ティミカ・パンタイ) 船で新しい土地へ

#15 パプア州 ④戦争編(ビアク) 息をのむ美しさの海、戦争の名残り

#16 西パプア州 ラジャアンパットを一人で弾丸旅行する方法

#17 リアウ州 仏教遺跡と王宮

#18 ジャンビ州 東南アジア地域で最大級の広さを持つ寺院遺跡群

#19 南スマトラ州 アンペラ橋の周りの見所を巡る

#20 ランプン州 草原の象、蝶の公園

#21 バリ州(ヌサペニダ島)  断崖絶壁と白砂ビーチめぐり

#22 ジャカルタ特別州  オランダ時代の「忙しい」島から見る高層ビルの街

#23  西ジャワ州 緑の中にたたずむ伝統村

#24  中部ジャワ州 週末のスマラン、鉄道の旅
#25 東ジャワ州① 絶景ブロモ山とマランの「ブルーシティー」

インドネシア全34州の旅 #25  東ジャワ州① 
絶景ブロモ山とマランの「ブルーシティー」

文・写真…鍋山俊雄

 

 インドネシアに住んでいると意外にあちこちで火山が噴火しており、日本と同じ火山国だと改めて感じる。一方で、美しい山も多い。私はあまり登山はしないが、登山好きの方には興味深い山々が多いそうだ。その中で、朝焼けの風景が「まるで月面のように美しい」と有名なのがブロモ山である。ブロモ山のあるのが東ジャワ州。東ジャワ州について2回に分けて書くことにする。

 ブロモ山は標高2300メートル余りだ。バトー山など複数の山に囲まれたカルデラの中にあり、周辺の崖上から眺める、ブロモ山を含めたカルデラ地域の絶景が有名だ。

 ブロモ山に行くツアーは数多いのだが、週末ツアーであれば、金曜日の夜にジャカルタを発ち、1時間半余りでスラバヤへ到着する。そこから約3時間かけて車で移動し、夜中の1時近くに、ブロモ山周辺地域のホテルに着く。約2時間後の午前3時半にはホテルをジープで出発し、1時間ほどで、カルデラ外輪山のプナンジャカン山頂の展望台に着く。

 展望台までの道路はあるが、日の出の時は駐車場に車が入りきらず、道の横に連なって駐車している。標高が2700メートルもあり、かつ早朝なので、気温は一桁台で、相当に冷え込む。

 早朝にもかかわらず、展望台は大混雑。少なくとも1000人ぐらいの観光客が、思い思いに日の出までの時間を過ごしている。午前5時過ぎから東の空が明るくなっていく。ブロモ山、バドック山、スメル山などに光が当たり始めると思わず息をのむ。手前の円錐形をしたバトック山の山肌に刻まれた稜線が織りなす陰影、左奥の活火山のブロモ山から立ち上る白煙が、月面のようだと言われる所以である。この風景は個人的に、「インドネシアにいる間に見るべきスポット」リストの中には確実に入ると思う。

 絶景を堪能した後は、車でカルデラの中に移動し、幻想的な砂漠の風景の中、ブロモ山の麓へ馬に乗って向かう。

 白煙が見えるブロモ山は登山用の階段が整備されており、便利だが、秘境感がまるでない所が少し残念だ。山頂も、火口へ落下しないように柵が整備されている。山頂から振り返ると、カルデラ内を一望することができる。

 時々、火山活動が活発化して立ち入り禁止になることから、文字通り「行ける時に行っておく」べき場所だ。私がまた行くとしたら、押し合いへし合いして見る日の出の時間帯を避けて、昼間のもう少し空いているであろう時間にのんびりと見てみたいものだ。

 この時は週末の2泊3日ツアーで、ブロモ山を見た後はマランに宿泊し、翌日、ブリタルにあるスカルノ初代大統領の墓を見学した。

 ブリタルはスカルノの生家がある故郷だ。スカルノが亡くなった当時、「軍は首都に近いところに墓を作ると、人々が墓参に駆けつけ、スカルノ人気が沸騰するのではないかと恐れたようで、スカルノの生まれ故郷のブリタルに葬ることを提案したのだった」とスカルノ大統領の第三夫人であるラトナサリ・デヴィ・スカルノ氏の著作「デヴィ・スカルノ回想記」には記してある。

 当初はスカルノの両親の墓の隣にあった、ごく普通の墓地だったそうだが、その後、さすがにそれは初代大統領の墓としてはどうかということで、今の場所に移されたそうだ。今では、立派な廟のほか、「ブン・カルノ博物館」として、スカルノのさまざまな写真や1945年8月17日にスカルノによって読み上げられたインドネシア独立宣言(Proklamasi Kemerdekaan Indonesia)の原稿などが展示してある。

スカルノの墓

墓に併設されたブンカルノ博物館にある独立宣言の原稿

墓の出口からスカルノ・グッズの土産物屋が並ぶ

 このブリタルから約5時間かけてスラバヤの空港まで行き、ジャカルタへ帰った。

 ジャワ西部では、ジャカルタに対する高原の避暑地としてバンドンがある。マランは、東の都市スラバヤに駐留していたオランダ人が避暑に来ていた場所だそうだ。マランは雰囲気が気に入って、後日、もう一度、日帰り弾丸旅行で行った所である。 

 玄関口となる鉄道の駅の前には大通りがあり、池を囲む「Alun-Alun Tugu Malang」というサークルを中心にして放射状に道路が広がり、オランダ占領時代の建築が残っている、趣のある所だ。

 ジャカルタからの早朝便でマラン入りした後、まずは地元住民で賑わう、小1時間の市内観光バスツアーに参加した。

 その後、最近、観光スポットとして注目を集めつつある、建物にカラフルなペインティングを施した村「Kampung Warna-warni Jodipan」に行くことにした。ペインティングを施した地域は2つの村(Jodipan、Tridi)にまたがってブランタス(Brantas)河川敷にあり、「インスタ映え」する場所として有名になっている。

 Alun-Alunから、徒歩でおよそ15分ぐらいの距離にある。道をしばらく行って、高台を通っているガトット・スブロト通りの左側を眺めると、眼下に、カラフルに塗装された家が立ち並ぶ。一方、道の右側には、最近完成した、すべて青色で統一された「Kampung Biru」が広がっている。

 まずは「Kampung Jodipan」に入ってみた。入口で入村料3000ルピア(20円程度)を払い、カラフルに塗られて軒先を連ねる家の間を抜け、下へと降りて行くと、ブランタス川に出る。その川は、橋の部分がガラスで透けて見える「ガラスの橋(Jembatan Kaca)」で渡ることができる。 

 周りの壁も、階段も、すべてがカラフルに塗装されている。訪れたのが週末ということもあり、観光客がさまざまな所で写真を撮っていた。週末には1000人単位で観光客が見学にくるそうだ。

モスクの緑も周囲に溶け込みます

 元々は川沿いの普通の村だったそう。2016年ごろ、地元の大学生が中心となり、社会活動として、地域美化として家屋をカラフルにペインティングするという提案をし、村民だけでなく地域の壁画家も参加し、数カ月かけてペンキ3トンを使ってペインティング作業を進めたそうだ。これは住民の意識を変えたのみならず、観光スポットとして新たな村の収入源となった点も注目されており、後に、バスキ公共事業・国民住宅相や在イ豪州大使らが視察に訪れている。


 
 村が一望できる場所には数々の写真撮影用のスポットが設置されており、インスタ好きの若者が、思い思いのポーズで写真を撮り合っている。

フォトスポットがたくさんある

 道路の反対側の「Kampung Biru」は比較的新しい場所で、家の軒先や、重なり合う家から奥に向かって青い屋根が連なる風景は、暑さをひととき忘れさせ、インドのブルーシティー(?)のようだ。

 まだ工事中の所もあり、撮影スポットがまだあまりないことから、お隣に比べて観光客で賑わっている感はなかったが、賑わうようになるのも時間の問題だろう。私としては、カラフルな村より青一色の村の方が住んでいて落ち着くような気もするが、住民はどのように感じているのだろうか。

 昼は、アンティーク品が飾られて博物館のようなレストラン「Inggil Museum Resto」で食事をし、マランからスラバヤまで2時間かけて列車の旅を楽しみ、スラバヤからジャカルタへの夕方の便で帰った。

Inggil Museum Resto

 ブロモ山は、日の出狙いであれば泊りがけになるが、マランだけであれば、空と列車の旅を組み合わせて、週末にちょっとした息抜きで行くことができる場所だ。

 

 

鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシア在住期間は計13年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。

 

 

インドネシア全34州の旅
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市
#9 バンカ・ブリトゥン州 アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島
#10 リアウ諸島州 最北端の島の1つ。石群が織りなす造形

#11 西スラウェシ州 トラベラーの中でも「まだ行ってない」率が高い

#12 パプア州 ①国境編(ジャヤプラ、メラウケ) 国境の看板の向こうは熱帯雨林

#13 パプア州 ②山編(ワメナ) 伝統の残り香のあるうちに

#14 パプア州 ③海編(ティミカ・パンタイ) 船で新しい土地へ

#15 パプア州 ④戦争編(ビアク) 息をのむ美しさの海、戦争の名残り

#16 西パプア州 ラジャアンパットを一人で弾丸旅行する方法

#17 リアウ州 仏教遺跡と王宮

#18 ジャンビ州 東南アジア地域で最大級の広さを持つ寺院遺跡群

#19 南スマトラ州 アンペラ橋の周りの見所を巡る

#20 ランプン州 草原の象、蝶の公園

#21 バリ州(ヌサペニダ島)  断崖絶壁と白砂ビーチめぐり

#22 ジャカルタ特別州  オランダ時代の「忙しい」島から見る高層ビルの街

#23  西ジャワ州 緑の中にたたずむ伝統村

#24  中部ジャワ州 週末のスマラン、鉄道の旅

インドネシア映画倶楽部 第7回 「アンブ〜母 (AMBU)」 
少数民族バドゥイ族の母娘の愛

文・横山裕一

 

 「我々が忘れてはいけない事がある。誰から生まれて来たかを…」
 この映画は独自の風習を持ち続ける少数民族バドゥイ族の村を舞台に、母と娘の確執、絆の深さを描いたインドネシアならではの作品である。タイトル「アンブ(AMBU)」とはバドゥイ族が使用するスンダ語で「母親」を意味する。

 金と女にだらしなく暴力を振るう夫と別れ、料理のケータリング業を営んでいたファトマはある日、自営業を辞め、自宅を売却、一人娘の高校生ノナを連れて故郷、外バドゥイ族の村を目指した。突然の事にふて腐れながらついてくるノナ。クラブ通いでわがままな現代っ子の娘に対し、ファトマは従来からどう接すれば良いか扱いかねてもいた。ファトマの帰郷は16年前、村の戒律を破って故郷を捨て、ジャカルタの若者と駆け落ちして以来。たった一人残した母親に会うためだった…。

 バドゥイ族の村はジャカルタの西、バンテン州の街、ランカスビトゥンからさらに40キロ山間に入った所にある。自然崇拝、祖先信仰を続ける少数民族で、自然との共生を守るため頑に現代文明を拒絶した生活習慣を守リ続けている。人口は約1万2000人、内バドゥイと外バドゥイに別れていて、内バドゥイは約1200人。

 内バドゥイは外界の者とはほとんど接する事がなく、白い布の民族衣装を着ているため白バドゥイとも呼ばれている。内バドゥイを取り囲むように外バドゥイの集落が山間に点在し、外バドゥイの人々は濃紺の民族衣装を身に付けていることから黒バドゥイと呼ばれる事もある。外バドゥイは一部で電化製品やプラスティック製品、コップなども使用している。いわば戒律の最も厳しい白バドゥイと外界との緩衝地帯的な存在で、一部観光客なども受け入れているが、基本的に伝統的な生活習慣のもと暮らしている。 

 20年前、筆者も取材で外バドゥイを訪れたことがある。バドゥイの地から最も近い「外界」の村から徒歩で上り下りの細い山道を1時間余り、ようやく外バゥイの村の入口に到着する。村は石畳の細い道で各家が結ばれ、老若男女とも濃紺の民族衣装に頭には濃紺の布を巻き、裸足で過ごしている。おそらく外界からの来客用の家なのだろう、我々が寝食用に用意された伝統家屋には電気ランプがひとつあったが、夕食が終わると消灯。まだ夜8時だが寝付くまでは真っ暗な中で過ごさざるを得なかった。街灯もないため月明かりにぼんやりと浮かぶ家々。満天の星空のもと静寂な村は、まさに外界から閉ざされた神聖さと、自然とともに生きるバドゥイの人々の強い意志が感じられた。

 16年ぶりの母娘の再会はつらいものだった。戒律を破り外界の者と共に故郷を捨てた娘に対し、母親ミスナは厳しい表情を崩さない。ファトマが娘ノナを紹介する。
「ほら、16年前に産まれた時に写真を送ったでしょう、その娘よ」
母親が表情を変えずに応える。
「その後16年間何の音沙汰もなかったという事は、お前は16年前から私の子供ではなくなったということだ」

 母親の家で寝泊まりする事は許されたが、ファトマと母親の溝は埋まらない。一方でファトマの娘ノナも突然のバドゥイの生活に馴染めず、母親ファトマに不満を募らせる。携帯電話の電波も圏外、ランプの灯し方もわからない、音楽を聞くには、充電のため村の端までいかなければならない。ジャカルタでの便利な生活が恋しい。

 娘ファトマに対し頑な態度を変えない母親ミスナだったが、日が経つうちにふとファトマの様子がおかしい事に気づく。ファトマがバドゥイに戻ってきた訳は、別れた後も度々金をせびりにきては暴力を振るう元夫から逃れるためだけでなく、実はガンを患い、余命幾ばくもないことを医者から宣告されていたからだった。床に伏せがちになるファトマ。ある時、病のためもうろうと母親の部屋に間違えて入ると、そこには16年前に送った、産まれたばかりのノナを抱いたファトマの写真が大事そうに飾られていた。母親ミスナの本当の気持ちを察するファトマ。彼女たちの心のわだかまりは振り払われるのか…。

 母と娘の確執をテーマにした物語の舞台を少数民族バドゥイ族の村にした理由について、ファリッド・デルマワン監督は「三人の女性のキャラクターや感情を際立たせ、イメージしやすくするためには、自然の中での美しくも素朴な生活環境であるバドゥイの村が最適だった」と述べている。厳しい戒律と純朴に生きる人々。余計な雑音もなく、どことなく凛と張りつめた雰囲気漂う環境の中で、終盤に向けて三人の女性、ミスナ、フォトマ、ノナが紡ぎだす感情の機微、高まりは見応えありだ。

 長編映画でバドゥイ族の村を撮影したのは本作が初めてだという。撮影期間は32日間。当初、族長との交渉の末撮影の許可は出たが、カメラ以外の電化製品の使用は一切禁じられたという。このためライトも使えず撮影は日中に限られ、夜のシーンは後日セットで撮影。またカメラのバッテリーを充電するため、スタッフは毎日日没後に片道1時間以上かけて「外」の村まで往復していたとのこと。

 また本作「アンブ」は、インドネシア人ならば誰でも知っている大人気女優、ラウディア・シンティア・ベラ(31歳)がマレーシア人と結婚後1年半ぶりに主演で復帰したことでも話題となっている。そのためか公開初日、ジャカルタのある映画館では平日にも関わらず、初回段階で夕方の三回目上映分まで、前列を除いて予約で満席となるほどの人気ぶりだった。余談ながら筆者の観賞後、偶然にもノナ役を演じた女優ルテシャに会った。劇中ではわがままな役だったが、本人はとても可憐な笑顔の素敵な女性だった。

 因みに外バドゥイ族の人たちは、村で織った布やハチミツなどを売り歩く姿をジャカルタでも時々見かけることができる。濃紺の民族衣装に濃紺の布を頭に巻き、靴は履かずに裸足。「現代文明」の乗り物には乗らず、バドゥイの村からはるばる徒歩で来ているとのこと。バドゥイの村を訪問すると返礼として訪ねる風習もあり、20年前の筆者の取材後に事務所までバドゥイの人が訪ねて来てくれたこともある。その際買った厚手ながらも肌触りの良い布でできたサルン(腰巻き)はいまだに愛用している。

 外界拒絶という厳しい規律を持ちながらも純朴で温かい人々の住むバドゥイ。今後街角で見かけた時には、そういったイメージにあわせて映画「アンブ」に登場した三人の女性の顔が思い出されそうである。

 

予告編

https://www.21cineplex.com/video/trailer-hd/ambu,5163.htm

 

インドネシア映画倶楽部 第1回 「マルリナ〜ある殺人者の四幕〜」(MARLINA SI PEMBUNUH DALAM EMPAT BABAK)

インドネシア映画倶楽部 第2回 「アホックと呼ばれる男」(A MAN CALLED AHOK)

インドネシア映画倶楽部 第3回「トゥンコラック(ドクロ)」(TENGKORAK)

インドネシア映画倶楽部 第4回「ディラン1991」 (DILAN 1991)

インドネシア映画倶楽部 第5回 「我が素晴らしき肉体の記憶 (KUCUMBU TUBUH INDAHKU)」

インドネシア映画倶楽部 第6回 「メイの27ステップ (27 STEPS OF MAY)」