インドネシア映画倶楽部 第19回「草根の唄(NYANYIAN AKAR RUMPUT)」 
20年にわたる真実追求の声

文・横山裕一

 

 いまや当然の権利であるかのような「言論の自由」。しかし、わずか20年前までのスハルト独裁政権の下では、政治批判しようとする者は当時の権力に抑えつけられ、多数の悲劇が起きた。

 本作品は「ある若者」が20年前に起きた人権侵害の未解決事件「民主活動家13人行方不明事件」の解明を求め、言論の自由の大切さを訴えるドキュメンタリー映画である。2018年のインドネシア映画祭で長編ドキュメンタリー賞を受賞したほか、ポルトガル、釜山、ニューデリーなど数多くの映画祭で受賞、ノミネートした作品だ。

 スハルト政権末期の90年台後半、インドネシアでも民主化を求める声が高まった。学生や労働者、芸術家から多くの民主活動家が生まれ、デモや集会で民衆に訴えかけ始めたが、1997年からスハルト政権が倒れる98年5月にかけて、13人の民主活動家が次々と行方不明となり、いまだ安否さえ分かっていない。

 その一人が中部ジャワ州ソロ出身の詩人、ウィジ・トゥクルだ。彼は自作の詩を通じて政権批判、民主化を訴え続けたが、98年5月初旬、行方が分からなくなっている。その息子、ファジャル・メラこそが、前述した「ある若者」であり、今作品の主人公だ。

 ファジャルはインディーズ・ロックバンドのボーカリストで、バンド名は彼の名前からとった「メラ・ブルチュリタ(メラが語る)」。父親が残した詩に彼オリジナルの曲をつけ、歌を通して行方不明となった父親の事件の究明を訴え続ける。(ファジャル作詞の曲もある)

 父が行方不明となった時、ファジャルは5歳、当時すでに逃亡生活を続けていた父親の記憶はほとんどないという。しかし母(ウィジ・トゥクルの妻)と姉と共に事件解明の活動を続ける中、父親の残した詩や父についての書物を読むうちに、彼は歌で当時を知らない同世代にも訴え続けていこうと考える。

 今やインターネットの時代、父親の詩をのせた彼の歌は動画で広く同世代に共感を呼んでいく。地方でのライブでも数多くの若者たちが集まり、声を合わせてウィジ・トゥクルの詩をファジャルの曲にあわせて合唱する。

 スハルト政権が倒れて20年、民主化の代償となってしまった事件の解明は止まったままだ。折しも経済格差が拡がるだけでなく、政治エリートが宗教や民族問題を政治利用することで社会に閉塞感が広まる現代。若者たちにとって、ウィジ・トゥクルの詩、ファジャルの歌は「今を嘆く歌」として受け入れられているようだ。

 映画の中でも頻繁に唄が紹介されるので、代表的な詩(歌詞)を紹介すると、

「花と壁 (BUNGA DAN TEMBOK)」(ウィジ・トゥクル作)
花にたとえるなら 
我々は、あなたにとって育って欲しくない花だ
あなたは家を建てたり、土地を略奪する方が好きだろう

花にたとえるなら
我々は、あなたにとって存在して欲しくない花だ
あなたは大通りや鉄の塀を開発する方が好きだろう

花にたとえるなら
我々は、この世で抜け落ちてしまうような花だ
我々が咲いたとしても、あなたは壁として立ちふさがる

しかし、その壁に我々はすでに種を植えつけてある
いつか我々が一斉に育った時
確信している、あなたは崩れ去るのだ!
確信を持っていれば
どこだろうと、圧政は倒れるべきなのだ!

 

 権力者が民衆をないがしろにした時、ウィジ・トゥクルの詩は「あなた(スハルト政権)」の時代だろうと現代だろうと、いつでも輝きを見せるのかもしれない。

 「民主活動家13人行方不明事件」をめぐっては、陸軍特殊部隊の「バラ組」として組織されたグループが実行犯として誘拐などを行ったことが明らかになったが、人権侵害事件としての捜査は2007年以降行われず、主犯、命令系統など全容は解明されていない。実行犯の特殊部隊員11人が国軍内の裁判で最高で22ヶ月の禁固という処分(一部は免職も)を受けたのみである。

 その後の報道などで、陸軍特殊部隊の司令官も務めたプラボウォ氏が関与した可能性が高いとされているが、これも確定には至っていない。プラボウォ氏については、2018年公開されたアメリカの国防機密文書にも、インドネシアのアメリカ大使館からの報告として「スハルト大統領の命令を受けて、誘拐の指示を出した」と指摘されている。

 映画では2014年の大統領選挙期間も描く。2期政権に入ったジョコ・ウィドド現大統領の最初の選挙である。奇しくもファジャルと同郷(中部ジャワ州ソロ)のジョコ候補(当時)はファジャルの家族と面会し、当選した際には事件解明することを約束している。

 ジョコ政権の1期目では事件解明の動きはなかった。2期目では政権安定のため、ジョコ大統領は事件の指揮者の疑いのあるプラボウォ氏を国防大臣として入閣させた。事件解明は非常に厳しい状況になったようにもみえる。

 映画はジョコ大統領の1期目就任までの時代とファジャル家族の活動が描かれているが、「ただすべきは声をあげ続ける」ことの大切さが、彼らの姿勢を通して強く訴えかけられてくる。奇しくも、プラボウォ氏を閣僚に入れたジョコ第2期政権が始まったこの時期に、上映された意味は逆に大きいともいえるかもしれない。

 2016年にインディーズ映画として、ファジャルの父親ウィジ・トゥクルの逃亡の様子を描いた「イスティラハットラー・カタカタ(言葉に出すのはやめておこう)」(ヨセップ・アンギ・ノエン監督)が公開されている。無実の罪を着せられて指名手配されるウィジ・トゥクル。潜伏先で詩を読んだら当局に見つかってしまうので、詩(カタカタ/言葉を出すの)は、休憩だ(イスティラハットラー)という、タイトル通りの彼の心情を描いた傑作だった。

 監督も製作背景も異なるが、本作品はまさにウィジ・トゥクル2部作目として製作されたかのようで興味深い。ただ既述の歴史経緯さえ把握していただければ、本作品だけを観ても十分に理解でき、彼らの熱意、訴えを感じとってもらえると思う。

 主人公のファジャルと寝起きを共にしながら信頼関係を築き、撮影を続けたユダ・クルニアワン監督は「過去に重大な人権侵害事件があったことを忘れてはならない、これはいつの時代になっても変わらないことだ」と話す。テーマは重いが、音楽シーンが多く、詩と共に曲調からぐっと胸に迫る作品だ。

 是非ともこの機会に、インドネシアならではの、力強いドキュメンタリー映画を味わっていただきたい。映画館は限られており、ジャカルタ周辺ではプラザ・スナヤンとデポック・タウン・スクエアの映画館のみ。ドキュメンタリーのため上映期間は短いと予想できるので、興味のある方はお早めに。

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=DQUsIojrQII

インドネシア映画倶楽部 第1回 「マルリナ〜ある殺人者の四幕〜」(MARLINA SI PEMBUNUH DALAM EMPAT BABAK)

インドネシア映画倶楽部 第2回 「アホックと呼ばれる男」(A MAN CALLED AHOK)

インドネシア映画倶楽部 第3回「トゥンコラック(ドクロ)」(TENGKORAK)

インドネシア映画倶楽部 第4回「ディラン1991」 (DILAN 1991)

インドネシア映画倶楽部 第5回 「我が素晴らしき肉体の記憶 (KUCUMBU TUBUH INDAHKU)」

インドネシア映画倶楽部 第6回 「メイの27ステップ (27 STEPS OF MAY)」

インドネシア映画倶楽部 第7回 「アンブ〜母(Ambuh)」

インドネシア映画倶楽部 第8回 「人間の大地(Bumi Manusia)」

インドネシア映画倶楽部 第9回 「追跡(Perburuan)」 日イ歴史の再認識

インドネシア映画倶楽部 第10回 「バリ ビート・オブ・パラダイス(BALI BEATS OF PARADISE)」 バリガムランとアメリカファンクのコラボレーション 

インドネシア映画倶楽部 第11回 「6.9秒 (6,9 DETIK)」 母への想いと自己との闘い

インドネシア映画倶楽部 第12回「ベバス(自由/BEBAS)」 90年代のノスタルジーと変わらぬ友情

インドネシア映画倶楽部 第13回 「愛は盲目(CINTA ITU BUTA)」 アジア融合のラブコメ

インドネシア映画倶楽部 第14回 「僕にイスラムを教えて(AJARI AKU ISLAM)」 宗教を越えた愛と現実

インドネシア映画倶楽部 第15回 「スシ・スサンティ ラブ・オール(SUSI SUSANTI LOVE ALL)」 国民的英雄の栄光と苦悩

インドネシア映画倶楽部 第16回 「ただの人として(HANYA MANUSIA)」 警察プロデュースの刑事アクション

インドネシア映画倶楽部 第17回 「ハビビ & アイヌン 3 (HABIBIE & AINUN 3)」 自立を目指す若き女性を描く

インドネシア映画倶楽部 第18回 「いつかこの物語をあなたに (NANTI KITA CERITA TENTANG HARI INI)」 家族愛ゆえの葛藤と心に残るセリフの数々

インドネシア映画倶楽部 第18回 「いつかこの物語をあなたに (NANTI KITA CERITA TENTANG HARI INI)」 
家族愛ゆえの葛藤と心に残るセリフの数々

文・横山裕一

 

 正月第1弾から、見ごたえのある、心温まる作品が公開された。年始休みの時期だったとはいえ、2020年1月2日の公開から6日間で85万人を超える観客を動員した話題作となっている。

 父母と20代の三兄妹による家族の愛がテーマの作品で、それぞれの心の動き、感情が細やかに描かれている。さらにそれぞれのセリフが劇中自然な形で、端切れの良い「詩」のように印象に残る。原作本(同名タイトル、マルシェラ FP著)が物語でありながら詩集のような形態をとっているのも影響しているかもしれない。

原作本(上段の濃紺の表紙)と同映画作品の特集本(下段の写真表紙)。Gramediaにて

 一般的にインドネシア人の家族は、日本と比べても家族の和をより大切にし、家族思いのように見える。子供が大きくなっても日曜日に家族で出かけたり、夫婦間だけでなく、親は子供に対しても「サヤン(愛しい人)」と呼びかける。

 この物語の家族も各人がお互いを大切に思っているが、20年余り共に過ごした家族の歴史の中で、それぞれがそれぞれの心の中に「痛み」を抱え、相手を想うがゆえに確執が生まれ、関係がぎこちなくなっていく。

 かつて妻の死産を経験したため子供を失う事を極度に恐れ、心配性になる父親。父親から妹達を守るよう子供の頃から期待されながら、父親の満足を満たせず忸怩たる思いを募らせる長男アンカサ。かつて有望な水泳選手だったが親の期待に応えらず挫折の過去を引きずる長女アウロラ。父親の庇護から自由になれず悩む末娘アワン。皆の気持ちが理解できるがゆえに何も言えない母親。

 喪失の記憶、失敗、挫折、失望などの呪縛に悩む彼らが、家族としてお互いを理解し、乗り越えることができるのか。各登場人物が「トラウマ」となった過去の出来事が随所に盛り込まれ、それぞれの気持ちが痛いほど分かるため、観客がより作品にのめり込んでいく作りになっている。

 この作品の魅力のひとつが、前述のように登場人物が口にする「言葉」だ。

「自分を助けることができるのは自分自身でしかない、頑張らなくてはならないのは自分自身なんだ」(末娘アワン)

「君が僕に幸せの意味を教えてくれたんだ、君がいるから僕は頑張れるんだ」(父親)

 日本語に直訳すると味気ないが、それぞれが日本の詩や漢詩、ラップのように語尾が韻を踏み、聞いていて耳に心地よい言葉になっている。

 監督は「東インドネシアの光(CAHAYA DARI TIMUR/2013年)」や「コーヒーの哲学(FILOSOFI KOPI/2015年)」、「プラハからの手紙(SURAT DARI PURAHA/2016年)」などを手がけた若手の実力派、アンガ・ドゥイマス・サソンコ監督。

 同監督は「愛情や感情を態度に出したり、口で表現するには限界があるが、映画ではそれを補って表現することができる。この作品では愛情がいかに大きなものであるかを伝えたかった」と話す通り、登場人物の感情の機微がスクリーンを通して丹念に表現されている。大きな見どころのひとつだ。

 長男役の俳優リオ・デワントは、前述の同監督作品「コーヒーの哲学」でも主役の一人を演じている。そのためか、「コーヒーの哲学」でのもう一人の主役だった人気俳優チコ・ジェリコもちょい役で出演していて、思わずにんまりとしてしまう。この他、「ザ・レイド2(THE RAID 2/2014年公開)」などのオカ・アンタラが若き父親役を演じている。

 話は逸れるが、映画「コーヒーの哲学」も「言葉」にこだわった映画だった。物語内のカフェで一杯のコーヒーを出す際、客へ告げる一言「哲学」が客に受けるという設定だ。例えば、「コーヒーというものがある限り、人は自分自身を見出すことができる」などといった内容だ。

 この映画、原作本のヒットが引き金となって、各地のカフェの持ち帰り用のカップや袋などに、同様の「気の利いた」言葉が書かれるようになり、いまだに流行となっている。インドネシア人の「詩」「気の利いた言葉」好き文化が反映されたものだろう。フェイスブックなどSNSにも、写真でなく言葉だけで自分の気持ちなどを書いた投稿が多いのもその表れかもしれない。

 さらに余談をいうと、「リトル東京」と呼ばれるブロックMのムラワイ地区に映画「コーヒーの哲学」の撮影用に作った店が、その後もカフェ(FILOSOFI KOPI)としてオープンしている。映画人気と美味しいコーヒーが飲めることもあり、連日インドネシア人の若者で賑わっている。近年、ブロックMが日本語看板を中心にインスタグラムのスポットになったのは、同店が呼び水となったとさえ思える。

 今作品に戻ると、ここでも主人公の通勤途中にMRT車内やブロックM駅高架下がロケ地として登場する。一方で、コタの中華街や屋台街なども含め、ジャカルタの新旧含めた風景も楽しめる。中でもMRTはジャカルタの都会アイテムとしていまや必須になってきているようだ。2019年公開の「ベバス(BEBAS)」で映画に初登場したMRTは今後も様々な映画の舞台になりそうで楽しみだ。

 「家族愛」という日本人としても共通のテーマだけに少しでも多くの人に観ていただきたいのだが、残念なことに同作品は英語字幕はない。これは聴覚障害者にも鑑賞できるよう、インドネシア語字幕が音の説明などとともに施されているためだ。良い配慮だ。筆者が過去に観た限りでは公開映画では初めての試みかとも思う。

 逆にインドネシア語がある程度聞き取れる方であれば、心強い字幕ともなる。是非とも新年に心の琴線に触れる、グッとくるものを感じられる数少ないこの作品を楽しんでもらいたい。筆者ももう一度観て、改めて映画内の素敵な言葉を噛み締めたいと思っている。

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=TcHh986XvI4

インドネシア映画倶楽部 第1回 「マルリナ〜ある殺人者の四幕〜」(MARLINA SI PEMBUNUH DALAM EMPAT BABAK)

インドネシア映画倶楽部 第2回 「アホックと呼ばれる男」(A MAN CALLED AHOK)

インドネシア映画倶楽部 第3回「トゥンコラック(ドクロ)」(TENGKORAK)

インドネシア映画倶楽部 第4回「ディラン1991」 (DILAN 1991)

インドネシア映画倶楽部 第5回 「我が素晴らしき肉体の記憶 (KUCUMBU TUBUH INDAHKU)」

インドネシア映画倶楽部 第6回 「メイの27ステップ (27 STEPS OF MAY)」

インドネシア映画倶楽部 第7回 「アンブ〜母(Ambuh)」

インドネシア映画倶楽部 第8回 「人間の大地(Bumi Manusia)」

インドネシア映画倶楽部 第9回 「追跡(Perburuan)」 日イ歴史の再認識

インドネシア映画倶楽部 第10回 「バリ ビート・オブ・パラダイス(BALI BEATS OF PARADISE)」 バリガムランとアメリカファンクのコラボレーション 

インドネシア映画倶楽部 第11回 「6.9秒 (6,9 DETIK)」 母への想いと自己との闘い

インドネシア映画倶楽部 第12回「ベバス(自由/BEBAS)」 90年代のノスタルジーと変わらぬ友情

インドネシア映画倶楽部 第13回 「愛は盲目(CINTA ITU BUTA)」 アジア融合のラブコメ

インドネシア映画倶楽部 第14回 「僕にイスラムを教えて(AJARI AKU ISLAM)」 宗教を越えた愛と現実

インドネシア映画倶楽部 第15回 「スシ・スサンティ ラブ・オール(SUSI SUSANTI LOVE ALL)」 国民的英雄の栄光と苦悩

インドネシア映画倶楽部 第16回 「ただの人として(HANYA MANUSIA)」 警察プロデュースの刑事アクション

インドネシア映画倶楽部 第17回 「ハビビ & アイヌン 3 (HABIBIE & AINUN 3)」 自立を目指す若き女性を描く

インドネシア全34州の旅 #30 西ヌサトゥンガラ州 
スンバワ島へ、2枚の写真の風景を見に

文・写真…鍋山俊雄

 

 西ヌサトゥンガラ州と言っても、ピンと来る人はあまり多くないかもしれない。州都マタラムがあるのはバリ島東隣の、2018年の地震の影響を乗り越え賑わいを取り戻しつつあるロンボク島だ。今回の旅先となるスンバワ島は、そのさらに東隣。西はロンボク島、東はコモド諸島に挟まれ、観光地としてはあまり注目されていない。

 東部のビマ族に西部のスンバワ族と、言語も文化も異なる民族で構成されている。空港も西部のスンバワ・ブサール、東部のビマの両方にある。

 西部は一時期、バリ人の王朝の統治していた時期がある。現在でも、バリ、ロンボクから移り住んだヒンドウー教徒が見られる。一方、スラウェシ島南部のゴワ王族とも交流があり、同地域から移住したムスリムが、スラウェシ島に見られるような高床式建築の住居を建てている。

 島の東部には、タンボラ山という有名な山がある。1815年の大噴火は当時の世界の気候に大きな影響を与えたほどで、9万人以上の犠牲者が出たとされる。その噴火により、4000メートル級だったタンボラ山は大きく形を変えて、現在の2850メートルの高さになっている。

 島西部の南側には有名なサーフィン・スポットが点在し、島の北側に位置しタンボラ山を望むモヨ島(Mojo Island)には隠れ家的なリゾートがある。

 スンバワ島に行こうと思い立ったのは、2枚の写真がきっかけだ。1枚は青空の下に草原が広がり、その先に小高い丘のある写真。これはスンバワ西部にあるクナワ島(Pulau Kenawa)という小さな島で、そこからはロンボク島のリンジャニ山が眺められる。

 もう1枚は「世界で最も混雑した島(Pulau Terpadat di Dunia)」との題名が付けられた写真。これも小さな島だが、地面が見えないほどに漁師の住宅が密集し、島というより、海の中にポツンと住宅街が浮かんているようだ。こちらもスンバワ西部にあり、ブンギン島(Pulau Bungin)という名前の島だった。

 これらの島を自分の眼で確かめに行こう!と、スンバワ島に3日間の弾丸旅行で行くことにした。

 スンバワ島へのフライトはロンボク経由になる。ロンボク島でウイングズ航空のプロペラ機に乗り換えて30分ほどだ。

ロンボクから30分のフライト

 機内で隣に座ったスンバワ在住の夫婦は外国人が珍しいらしく「スンバワには何をしに行くのか?」と聞いてきた。「観光だよ」と答えたら夫婦で顔を見合わせて、「スンバワに観光地なんてあったっけ?」と言うので、二つの島の写真を見せて、「ここに行くんだ」と言ったら、お二人とも知らないようだった。

スンバワ・ブサールへ着陸

 宿は、空港近くのホームステイを予約。レンタカーも地元のサイトを見て、西部の町スンバワ・ブサールで手配することができた。ホームステイはまだ築後新しく、シンプルな部屋だがこぎれいで、朝食、エアコン付きで2泊51万ルピアと手ごろだ。

 初日はホテル近くの海岸で、真っ赤な夕日を見ながら、海岸の屋台で焼き魚を楽しむ。

 翌朝、レンタカーの運転手さんと打ち合わせをした。「クナワ島とブンギン島に行き、最後にスンバワ・ブサールの街中にある王宮を見たい」とリクエストした。

 運転手さんからは、スンバワ・ブサールの近くの村で豊作祈願の水牛レースがあるとの情報を教えてもらった。昼前に始まって夕方までやっているとのことだったので、遠方の二つの島へ先に行って、その後に水牛レースを見に行くことにした。

 スンバワ・ブサールの街から、島の北側の道をひたすら西に向かう。街中で目に付くのが、あまりインドネシアの他の地域では見かけない馬車だ。ジャカルタでもモナス(独立記念塔)の周りで観光客向けの馬車を見ることができるが、ここでは、客席を馬に引かせた馬車がバイクタクシーの代わりに、短距離の交通機関として現役のようだ。

 2時間ほど走った後、クナワ島へ渡るボートが出ているポト・タノ(PotoTano)港に到着した。往復20万ルピアでボートをチャーターする。クナワ島までは20分ほどだ。この港にはロンボクに向かうフェリーも発着していて、渡し船の他に、時折、フェリーが入港してくる。

 クナワ島に着くと、桟橋の周りに美しいホワイトサンド・ビーチが広がっている。桟橋近辺に少し屋台がある以外、何も施設はない。写真で見たままの風景が広がっている。

クナワ島のビーチ

丘の上へ

 小高い丘に向かって草原を歩き始め、頂上までは10分余りで到着。360度、素晴らしいパノラマが広がる。あいにくリンジャニ山には雲がかかってしまったが、眼下に広がる草原と美しい海、青い空とのコントラストに魅せられた。

丘の頂上からの眺め

クナワ島の丘の上からリンジャニ山を望む

飛行機から見るクナワ島

 次はブンギン島だ。街に戻る方向へ車を走らせ、途中から分岐して、島に向かう。ブンギン島は、以前は陸地と離れていたが、今は海を渡る道路が作られ、陸路で島に入ることができる。コンパス紙によれば、8.5ヘクタールの広さに3400人が暮らしているそうだ。

ブンギン島を望む

ブンギン島への入口

ブンギン島では皆、船を保有

 島に向かう途中から徐々に目立ってきたのが、スラウェシ島南部でよく見られる高床式住居。島の中の住居もすべて高床式だった。高床式の縁台下の1階部分は倉庫になっていたり、ベンチを置いて日陰でのんびりする人々がいたり、売店にしている家もある。

高床の下は憩いの場

 島の一角にある桟橋には、スシ海洋担当相(当時)の写真に「ITU YANG BUANG SAMPAH KE LAUT Tenggelamkan!(そこの海にゴミを捨てている奴、沈めてやる!)」と、違法操業の外国漁船を拿捕しては爆破して沈めてきた同相のコメントをもじった、海へのゴミ投棄に対する警告が貼ってあった。

 そこから一路、スンバワ・ブサールの街を通り抜けて、少し東に入り、水牛レースを行っている村に到着した。休耕の水田の周りに多くの人と水牛が集まっていた。

 2チームずつ順番に、およそ80メートルぐらいの距離を、泥を跳ね飛ばして2頭立ての水牛を操り、ゴールをめがけて疾走する。水がかなり残った水田ではバランスが取りにくく、中にはゴーグルを着けて操縦する乗り手もいる。時には振り落とされる。

 他の村でも休耕の時期に順番にやっているそうだ。毎年決まった日というわけではなく、直前になって開催に関する情報が分かるそうだ。

 優勝者を決めるべく、昼前から延々とレースをやっていたらしい。参加の水牛も思ったより多く、スタート地点とゴール地点には多くの水牛が待機している。

 泥だらけのレースをしばらく堪能した後、暗くなる前に街に戻り、王宮(Istana Dalam Loka)を見学した。

 高床式のかなり大きな建物だ。王族の子孫は別の場所に住んでいるそうだ。内部にはあまり展示物はないが、丈夫なチークを建材としており、梁や柱の装飾を見ることができる。

 スンバワ最後の夜は何を食べようかと思っていたら、仲良くなった運転手さんが実は国営企業の社員で、家では奥様がピザ・レストランをやっていると聞いた。馬車がまだ郊外を走る島で、車のガレージとリビングルームを改造して作ったピザ・ハウスは意外にハイカラだった。ビンタンビールを飲みながら食べたピザはおいしかった。

 次回は、東部のビマ側も訪れてみたくなった。

 

 

鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシア在住期間は計13年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。

 

 

インドネシア全34州の旅
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市
#9 バンカ・ブリトゥン州 アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島
#10 リアウ諸島州 最北端の島の1つ。石群が織りなす造形

#11 西スラウェシ州 トラベラーの中でも「まだ行ってない」率が高い

#12 パプア州 ①国境編(ジャヤプラ、メラウケ) 国境の看板の向こうは熱帯雨林

#13 パプア州 ②山編(ワメナ) 伝統の残り香のあるうちに

#14 パプア州 ③海編(ティミカ・パンタイ) 船で新しい土地へ

#15 パプア州 ④戦争編(ビアク) 息をのむ美しさの海、戦争の名残り

#16 西パプア州 ラジャアンパットを一人で弾丸旅行する方法

#17 リアウ州 仏教遺跡と王宮

#18 ジャンビ州 東南アジア地域で最大級の広さを持つ寺院遺跡群

#19 南スマトラ州 アンペラ橋の周りの見所を巡る

#20 ランプン州 草原の象、蝶の公園

#21 バリ州(ヌサペニダ島)  断崖絶壁と白砂ビーチめぐり

#22 ジャカルタ特別州  オランダ時代の「忙しい」島から見る高層ビルの街

#23 西ジャワ州 緑の中にたたずむ伝統村

#24 中部ジャワ州 週末のスマラン、鉄道の旅
#25 東ジャワ州① 絶景ブロモ山とマランの「ブルーシティー」
#26 東ジャワ州②マドゥラ島  全速力で駆け抜ける牛の勇姿、人工の石灰岩の造形 
#27 ジョグジャカルタ 映画ロケ地巡りとワイサック
#28 西スマトラ州  ブキティンギのグランドキャニオン

#29 北スマトラ州 ニアス島へのオープントリップ