西宮奈央さんのMASAK KIRA-KIRA
#10 ナツメヤシのトリュフ

 スーパーマーケットで断食月の時期になると一斉に前面に並べられる物、それが乾燥ナツメヤシ(デーツ、インドネシア語はクルマ)です。季節物のこのデーツに、ナッツとココアを足して作る、簡単トリュフをご紹介します。

 さまざまなミネラルと食物繊維が豊富で「スーパーフード」ともいわれるデーツ、良質な脂質を含むナッツ、そして抗酸化作用があるといわれるカカオを組み合わせたヘルシーなおやつです。砂糖は基本的には使わず、デーツの甘さを味わいます。甘さが足りない場合は、はちみつやパームシュガーを使って調整してください。

 ナッツはアーモンドやピーナッツなど、お好きなものを何でも。仕上げにまぶすのも、ココナッツのほか、砕いたナッツ、あれば、きな粉などでも、おいしくなります。

 ご紹介するのはプレーンなレシピですが、ここからいろいろなアレンジを楽しめます。削ったレモンの皮を足すとさわやかな香りが加わり、シナモンやカルダモンなどのスパイスとドライ・ジンジャーを足すと、エキゾチックな風味になります。 また、アプリコットやオレンジピールなどのドライフルーツを細かく刻んで使っても、良いアクセントになります。

 火を使わないので、お子様と一緒に作るのにもちょうど良いおやつです。
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材料
お好みのナッツ(無塩) kacang sesuai selera (tanpa garam) 100g
デーツ(種を取り除く) buah kurma (buang bijinya) 50g
ドライココナッツ kelapa parut yang dikeringkan 大さじ2+適量(まぶす用)
ココア(無糖) bubuk kakao (tanpa gula)  大さじ3
塩 garam 1つまみ
はちみつ、またはパームシュガー madu atau gula merah お好みで適量

準備
ナッツ類をフライパンでからいり、またはオーブンでローストしておく。

作り方
1.フードプロセッサーにナッツを入れ、粒感を残して粉砕する。そこにデーツを加えて均一になるまで攪拌し、ココナッツ大さじ2とココア、塩を加えて、再び、均一になるまで攪拌する。少量を手に取り、指で押してみて、まとまるかどうかを見る。もろもろとしてまとまらない場合は、水(分量外)を小さじ1杯ずつ、様子を見ながら足す。味を見て、甘さが足りないようなら、はちみつやパームシュガーを足す。
2.スプーンなどで1口分を取り、ぎゅっとまとめながら丸め、残りのココナッツを全体にまぶしたら、出来上がり。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA西宮奈央(にしみや・なお)
イギリス出身の写真家の夫とバンドン在住。ご飯は食べるのも作るのも大好き。インドネシアで簡単に作れる料理をご紹介します。

 
 
 

西宮奈央さんのMASAK KIRA-KIRA バックナンバー
#1 イチゴとクマンギのシャーベット
#2 ココナッツ・レモン・チキン
#3 ソムタム2種
#4 パン粉のスープ
#5 花椒風味の中華風チキン
#6 キャロット・ジンジャー・ケーキ
#7 タンドリー風の焼き魚
#8 桜色のビーツのペスト
#9 チェコ風ジャガ芋のパンケーキ

インドネシア全34州の旅 #9 
バンカ・ブリトゥン州 
アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島。

bullet09_map文・写真…鍋山俊雄

 最近、報道を賑わしているバスキ・チャハヤ・プルナマ(通称アホック)・ジャカルタ特別州前知事の出身地として知られるのが、ブリトゥン島。元々はパレンバンのある南スマトラ州の一部だったが、2000年に分離し、バンカ・ブリトゥン州として独立した。バンカ島とブリトゥン島の2つの大きな島が同州の中心だ。

 バンカ島、ブリトゥン島のそれぞれに、錫(tin、インドネシア語ではtimah)や、カオリン(kaolin=磁器などの材料)の鉱床があり、発掘サイトには水が溜まり、幻想的な青い湖になっている場所がいくつかある。

 私は両方の島に行ったことがあるが、どちらも、ジャカルタから飛行機で約1時間という手軽な距離にある。

 インドネシアの映画『ラスカル・プランギ』の舞台となったのも、ブリトゥン島だ。同島の小さな小学校の子供たちを描いた映画で、撮影場所として使われた海岸が島の北部にある。ブリトゥン島の中心地タンジュン・パンダン(Tanjung Pandan)から車で1時間半ほど北に上った、北端のタンジュン・ティンギ(Tanjung Tinggi)という海岸である。子供たちがこの海岸で遊んでいて虹に見とれるシーンで、先生が子供たちに「ラスカル・プランギ(虹軍団)ー」と呼びかけている。大きな石のごろごろした海岸が、景勝地の1つとして人気がある。
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 海岸から一番近い所に宿を取った。場所柄、中心の街から外れているため、辺りには公共交通機関はまったくない。海岸へ行くには車チャーターか徒歩しかない。地図で見ると大した距離ではなさそうなので、歩いて行くことにした。

 試しに、ホテルのスタッフに、「歩いてどれぐらいかかるか」と聞いたら、しばらく考えてから「10分ぐらいか」との答え。大したことはないと歩き始めたが、行けども行けども着かず、たっぷり30分以上は歩いた。余談だが、ここだけではなく、インドネシア人は基本的に歩かず、オジェックやベチャなりを使うことが多いので、「歩いて何分かかる?」との質問に対して正確な答えが返ってきたことはあまりない。

 タンジュン・ティンギにはお土産物屋も出ていて、インドネシア人観光客で賑わっていた。海岸には、切り立った大きな岩がごろごろしている。しかしながら、表面にはごつごつした所がなく、丸みを帯びた岩石群が、何か大きな生物の群のように、砂浜に、そして沖の波間に見え隠れしている。バンカ島にも同様の海岸があるので、この地域の特徴なのだろう。
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 ちなみに、ここから北上した所、インドネシア領海の北端にある大ナトゥナ島(リアウ諸島州)にも、似たような大きな岩群がある。ここについては、また、同州編でお話したい。

 バンカ・ブリトゥン州にはマレー系が半分以上のほか、中華系が3割近くと多いことから、街に出ると、中華系の建物やレストランが目に付く。運転手に連れて行ってもらった夕食、翌日の昼食、いずれも中華系のレストランだった。
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 カオリンを採掘するサイトにも足を伸ばしてみた。真っ白な岩々に囲まれた窪みに水が溜まり、鮮やかな水色をしている。あいにくの曇り空にもかかわらず、水の色が不自然なほどに青々しているのが印象的だ。近くには、採掘したカオリンを加工する工場、掘り出したカオリン鉱石の貯蔵地があり、白い石山がいくつも出来ていた。

 運転手によれば、この島では昔、雷が鳴ると、人々は外を出歩くのを控え、家にこもったそうだ。地面に落雷すると金属成分が多いため、稲妻が地面を走って危険だったらしい。

 一方のバンカ島はブリトゥン島の西に位置し、南スラウェシ州の海岸に面している。昔はスマトラ島と一体だったのかと思えるような形をしている。

 バンカ島に行った際も、カオリンの発掘サイトが湖になった「Danau Kaolin Air Bara」という島南部にある場所へ、これまたあいにくの雨模様の中、空港のあるパンカル・ピナン(Pangkal Pinang)から約2時間かけて見に行った。2つの湖のうち、1つは鮮やかな水色、もう1つは、やや緑がかった黄緑色だった。
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 運転手の話では、2015年ごろに旅行ブームになり、当時は多数の国内観光客が訪れたとのこと。当時ほどではないが、今でも観光客は多いそうで、実際、雨天にもかかわらず、私以外にも1家族が見に来ていた。

 パンカル・ピナンから北上した東側の海岸の多くの岬(tanjung)が観光開発されていて、ホテル・リゾートがいくつか出来ている。売りはやはり、石のごろごろした海岸で、それを景勝ポイントとしている。いくつかの岬を見て回ったが、個人的にはタンジュン・ペソナ(Tanjung Pesona)が最も石の見栄えが良く、印象に残った。

 街中には、この島の産出資源である、錫の採掘加工会社、その名も「PT. Timah (Persero)Tbk」があり、その本社近くには錫博物館(Timah Museum)もあった。見学を楽しみにしていたのだが、行ったのが祝日で、昼前に立ち寄ったところ、カギが掛かっていて、館内には入れない。閉館は午後4時と書いてあったので、午後3時過ぎに戻ってみたら、門はぴったり閉まっていた。結局、見逃してしまったことが心残りである。
 
 
インドネシア全34州の旅バックナンバー
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市。
 
 
鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシアに在住期間は計10年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。

『ジャカルタ時刻表』最新版発行。 
読者10名様にプレゼント!

 『ジャカルタ時刻表』の最新版、『2017.6』が発行されました。有明営業所の小嶋真人さん制作です。『+62』読者10名様にプレゼントします。

 ジャカルタ首都圏鉄道は2017年4月1日にダイヤ改正し、スルポン線がランカス・ビトゥンまで延伸されました。時刻表は、この後の3回のダイヤ修正を反映した最新版です。

 「下り」「上り」「中央線」「東線」といった表記から各駅の出発時刻まで、見慣れた日本の「時刻表」の形になっており、非常に見やすく、わかりやすいです。巻末には「日本の中古電車図鑑」も付いています。

 ジャカルタ首都圏鉄道の進化は目覚ましく、ほぼダイヤ通りの運行がされるようになっています。ジャカルタの電車に乗ってみるのに、この「時刻表」があると便利です!

 ご応募は①お名前②ご連絡先③ご住所④電車について一言、または小嶋さんへ一言——を明記の上、Email : sales@nankyokusei.comまで。2017年6月20日締め切りです。応募者多数の場合、抽選で当選者を決定します。フェイスブックで当選者のイニシャル発表を行うほか、賞品の発送をもって当選発表に替えさせていただきます。

+62 Facebook
https://www.facebook.com/plus62Jakarta/?rc=p

※ご応募は締め切りました。どうもありがとうございました。

歩くヨロコビ。 
「歩く会」が14周年。

文…池田華子、動画…プトリ・スシロ、江原早紀
Text by Ikeda Hanako, movie by Putri Soesilo & Ehara Saki

 「歩く会」。そのシンプルなネーミングの通り、ジャカルタ郊外を「歩く」会。2003年に吉田稔さん、梶原章平さん、冨谷時義さんが発起人となって始まった。現在もジャカルタに在住する吉田さんと梶原さんは、西欧人が中心の会「ハッシュ・ハウス・ハリアーズ」(「猟犬」となったランナーが「ウサギ」役の人を追いかけるゲームが元。走る会)に所属してジャカルタを走ってきた。その面白さを日本人の間でも分かち合いたい、と「歩く会」を発足させた。「お手軽に」という理由で、走るのではなく歩く会にした。ジャカルタで生活していると、なかなか「歩けない」ことから、人気を集め、参加者が増えていった。

 2017年6月11日にプンチャックで開催された「14周年記念ウォーク」は第139回の開催。ショート、ミドル、ロングの3コース(約3〜5時間)が用意され、133人が参加した。

 ショートは午前9時過ぎに65人で出発した。道は真っ直ぐに茶畑の中へと入り、1時間余りもだらだらした上りが続く。標高の高いプンチャックに車で着いてすぐは「涼しい」と感じたが、歩き出すとすぐに暑くなり、汗が後から後から噴き出す。「歩く」んでしょ?と、なめた格好で来ると後悔する。なかなかハードなコースなのだ。

 時には草をかき分けて「道なき道」を行ったり、小さな水の流れを越えたり、ちょっとした「冒険」付き。茶畑の中をジグザグに登ったり、見晴らしの良い場所に出たり、急斜面を一気に下ったり、道は変化に富む。会はボランティアで運営されており、コース担当は4、5回の下見をして、コースを作る。

 歩いていると聞こえる、セミの声、鳥の声。ひらひらと飛ぶ蝶。茶畑では笠をかぶった女性が「ジャキジャキ」と、大きなはさみを動かしている。刈りたての茶葉が網袋の中にぎゅうぎゅうに詰め込まれて道に置かれているのも珍しい光景だ。茶畑の向こうには薄紫色をした山並みが見え、ビルばかりのジャカルタとは違うのどかな景色にほっとする。

 後半の下りになってからは、急に足が軽くなった。子供たちもスピードを上げて駆け下りていく。

 終わってしまえば、約3時間の歩きは「ちょうどいい運動」と思える。土を踏みしめ、でこぼこした地面を歩くのは、ジムのランニングマシーンを歩くのとはまったく違う感覚だ。歩くことに喜びがある。

 「月1回の歩く会を、家族3人の中で子供(小学4年)が一番楽しみにしている」、「日本でちょうど山にはまりかけていた時に、インドネシア赴任が決まってしまって。グデ登山が目標です」。子供から大人まで、日本人もインドネシア人も、背景はさまざまながら、歩くことを楽しむことにかけては1つ。

 2017年7月15日は「グデ登山」挑戦の日。通常は山中に1泊するグデ山を日帰りで登って下りるという強行軍。歩く会の伝統行事となっている。

●歩く会/毎月1回(原則は第2土曜)開催。これ以外に年1回の特別なイベントとして、歩く会発足記念ウォーク、グデ登山、ジョグジャカルタ世界遺産ウォークがある/参加自由/問い合わせは事務局まで。Email : jwcarukukai@yahoo.co.jp、携帯0811-167780(信夫=しのぶ=さん)、歩く会ブログ:http://d.hatena.ne.jp/jwcaruku/(翌月の予定などを掲載)。

かたかたインドネシア #57

 日本はこれから梅雨の季節ですが、インドネシアではめっきり雨も少なくなり、過ごしやすい気候になってきました。ゴルフ好きの人は、いよいよシーズン到来ですね。断食月でもあり、いろいろ気を使いますが、その後には楽しいレバラン休暇が待っていますので、頑張っていきましょう。

 先月のアクア・シリーズはなかなか好評だったようですね。ウェブで「#AdaAQUA」でイメージ検索してもらうと、たくさん見ることができます。今月も、その中から、いくつかご紹介したいと思います。

geje【グジェ】

 アクア・シリーズで取り上げられる前から紹介しようと思っていた表現で、すでに広く、一般的に使われています。アクアに先を越されちゃって、ちょっと悔しかったりもします(笑)。gak jelas = tidak jelas で、「はっきりしない」という意味の短縮形です。
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 ”Kamu kenapa sih kalau di grup sering ngeshare artikel geje?”「いつもグループチャットで何言ってるかわからない投稿をするのはなぜ?」。”Kalo ngetik pelan-pelan ya, typo melulu, jadi geje lu ngomong apaan.”「タイプする時はゆっくりとね。タイプミスばっかり。だからあんた、何言ってるのかわからないのよ」。typoは次項で説明しますね。

 最後に、アクアのボトルに書いてある例文です。”Minuman dingin kok ditiup?”「冷たいドリンクなのに、なぜフーフーしてるの?」。なんとなく、アクアの冷えたボトルをフーフーしている様子が目に浮かびます。しかし、ボトルの飲み口に虫でもいたわけじゃあるまいし、この例文を選んだ理由こそ、まさにはっきりしませんよね。

● ngeshare シェアする、投稿する
● ngetik タイプする
● melulu もっぱら、だけ
● lu あなた
● tiup 息を吹きかける

 
typo【ティポ】

 先ほどの「geje」の例文に出てきたtypoはタイプミス(最近だとフリックミスでしょうか)を表し、英語ですが、2000年ごろにチャットがはやった時に、インドネシアでも使われるようになりました。当時はあくまでもチャット愛好者だけが使っていたのですが、最近ではチャット以外にも広がってきたようです。

 ”Ini orang niat gak sih ngelamar kerja? Masa lamarannya banyak banget typonya?”「この人、本気で仕事探してるのかな? 応募書類がミスタイプだらけってマジ?」というのが、よく使われるパターンですね。

 ”Gimana sih katanya janjian jam 3 kok udah jam 3 lewat dia belum sampai ya?”「3時の約束と言って、もう3時過ぎてるのに、なぜ彼女はまだ着かないの?」”Jangan-jangan dia typo, maunya jam 4 tapi typo jadi jam 3. Dia ‘kan ratu typo, coba telepon.”「4時のつもりが、打ち間違って3時になっちゃったのかも。彼女はミスタイプの女王なんだから、電話してみなよ」なんて例文を考えてくれた人がいますが、残念! 単なる遅刻ですから(笑)。

 ところで僕はずっと、「typ”e”をtyp”o”と打ち間違えた」が、typoの語源だとばかり思っていました。そこのあなたも同じなんじゃないですか?(笑)。ところがなんと、違っていたんですね。「typographical error」の略で、「印字ミス・誤植」といった印刷用語から、一般用語に転化したものだそうです。なんだかつまらない結論で残念でした。皆さんも、「びーと説」の方が面白いと思いませんか?

● niat 決意、覚悟
● lamar 仕事に応募する、志願する
● masa まさか
● lamaran 応募、出願 
● ratu 女王

 
landak【ランダック】

 こちらは、まだそれほどはやっているわけではなく、今だとlandakと聞いても、動物(ヤマアラシ系)をイメージしちゃうインドネシア人の方が多いかもしれません。アクアに選ばれたのをきっかけに、これからどんどん一般的に使われていくんじゃないでしょうか。以前にご紹介した、「虹」という意味の”pelangi”をPlaza Semanggiの短縮形として使う例など、実在の単語に短縮語としての別の意味を付けるという、インドネシアの言葉遊びによくあるパターンですね。ちょっとした先物買いですが、紹介してみたいと思います。

 アクアの説明によると「lambat bertindak」で、「行動が遅れる」時に使えるみたいです。ボトルの例文は”Dia sudah jadian, kamu baru nembak, kamu landak.”「彼女、もうつきあい始めちゃったのに、今さら『ハント』なんて、あんた手遅れだね」。nembakはいろいろ面白い使い方があるんですが、この例では「ガールハント」の用法です。
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 何人かのインドネシア人にlandakの例文作成をお願いしてみたところ、上と同様、「jadian」を使った例文が多かったですね。”Landak sih lu, keburu jadian sama orang lain ‘kan dia.”「おまえ、手遅れだよ。彼女、別の人とつきあい始めちゃったばかりだよ」みたいな例文ばかり。「手遅れ」って言われて真っ先に思い浮かぶのって、カレシ・カノジョのことなんですね。インドネシア人も苦い青春時代を送ってきたみたいです(笑)。

 個人的には、こんな例文かな。”Mau pakai ‘geje’ untuk “Kata-Kata Indonesia”, tapi keduluan Aqua.”「『GEJE』を『かたかたインドネシア』に使おうと思ってたのに、アクアに先を越されちゃったよお」。”Yah, Beat-san landak sih.”「うん、びーとさんったら遅いのよ」。これが、先を越されて悔しい今の気持ちでした。

● bertindak 行動する
● jadian 異性と交際する
● nembak 狙う、射撃する
● keburu 以前に、先に

 
 

びーと(名取敬)
「N真珠」オーナー。1993年からインドネシア在住。1998〜99年、よろずインドネシアに「かたかたインドネシア」を掲載する。2010年から『南極星』、2016年に『+62』に場を移し、好評連載中。
 
 

バックナンバー
かたかたインドネシア #52
かたかたインドネシア #53
かたかたインドネシア #54
かたかたインドネシア #55
かたかたインドネシア #56
 
 
びーとxタケノコ先生のライフハック!
#1 コミュニケーション力とは。
#2 人工知能と経営。
#3 女性の能力。

はやってます! 
日本風の焼き鳥?! 
サテたいちゃん、増殖中。

 「値段の安さ」に加え、「流行に飛び付く」ジャカルタっ子の心をつかみ、昨年半ばごろからスナヤン競技場周辺に大増殖した屋台(カキリマ)、「サテたいちゃん」。深夜近くにアジア・アフリカ通りを車で走ると、道の両側に屋台が隙間なく並んで、サテを焼く白い煙がもうもうと高く上がっている。「Sate Taichan」と記した色とりどりのネオンサインを屋台に付けているのが特徴だ。「カキリマとネオンサイン」というアンバランスさがおかしいが、目立つという意味では良いアイデア。「ちょっとモダンになったカキリマ」といった風情か。
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 警察の手入れで一斉に姿を消すことはあっても、いつの間にかまた戻って来る、イタチごっこ。スナヤンだけでなく、ブロックM、クラパガディン、ボゴールなど、ジャカルタ内やジャカルタ周辺に広がり中だ。サテたいちゃんとはサテ・アヤム(鶏の串焼き)のことなのだが、クラパガディンには変則バージョンの「豚のサテたいちゃん」の店まである。

 「サテたいちゃん」とは一体、何なのか? 「たいちゃん」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、ジャカルタの老舗の居酒屋・ラーメン店「タイちゃん」。日本食レストランとしては、インドネシア人の間で非常に名前の知られた存在だ。「日本風の焼き鳥」というイメージを打ち出すために、インドネシア人の間で名の知れた「タイちゃん」の名前を借用したのではないか?と思われる。

 屋台の1軒で調査したところ、「サテを食べに、『タイちゃん』という名前の日本人が通って来るようになり、『たれを付けないで塩だけで焼いてくれ』という特別な注文をしていた。それが、ほかのインドネシア人客にも広がり、ブームとなったのが『サテたいちゃん』」。まるで都市伝説のようだ。

 日本の焼き鳥風に「たれを付けないで塩だけで焼いてくれ」とは、日本人なら言いそうではある(筆者の友達のNさんも、サテ・カンビン店で同様の注文をし、ご飯の上に載せて持参のしょうゆをかけ、『ヤギ丼〜』と言って食べていた)。しかし、その日本人が自分の名前を「タイちゃん」と名乗るのは、あり得ないだろう。

 ほかの屋台でも聞いてみたところ、おおむね一致する「サテたいちゃん」の定義とは、「白い焼き鳥」で、日本人だか外国人だかが始めた、と認識されているようだ。

 通常のインドネシアのサテ・アヤムは、たれをたっぷり付けて焼いて、ピーナッツソースをかけ、色は真っ黒(=サテ)&茶色(=ソース)。こってりした甘辛味となる。サテたいちゃんの場合、基本は塩味で、ジュルック・ニピス(スダチ)を搾る。さっぱり、あっさり、なのだ。

 それだけ聞くと、なかなかおいしそうなのだが、残念ながら、塩味だけでは物足りないのか、化学調味料入りのスープストックで味を付けるのが主流。さらに、インドネシア人にはサンバルが欠かせない。このサンバルが屋台ごとの腕の見せ所で、味の違いを競っているそうだ。サンバルは激辛で、このため、「サテたいちゃんとは激辛サテ」というイメージが広がった。つまり、「黒くて甘い」従来のサテ・アヤムに対し、「白くて辛い」のがサテたいちゃん。
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 サテたいちゃんがスナヤンで生まれたのは偶然ではない。そもそもスナヤンとは流行の発信地で、ちょっと小金のある若者がたむろする場所だ。クラブに行ったり夜の街に繰り出す若者たちが腹ごなしに立ち寄り、朝までダベっていたりする。実は、サテたいちゃんの前の流行は「ナシゴレン・ギラ(麺入りのナシゴレン)」だった。2014年ごろからサテたいちゃんが売られ始め、今ではサテたいちゃん一色になった。

 どの屋台で食べても味はそう変わらないが、「客が多く、はやっている屋台」を選ぶのがポイントか。

 夜のスナヤンで、ちょっと、流行の風に吹かれてみよう。
 
 
サテたいちゃんとは何か?
その1 屋台にネオンサイン
「Sate Taichan」と自分の店の屋号を入れたネオンサインを掲げる。コタでネオンを買って来て、手作りするとのことだ。
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その2 白い焼き鳥
通常のインドネシアの焼き鳥の概念を覆す、白い焼き鳥。塩とスダチが味の基本。
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その3 スナヤン競技場付近で夜に営業
スナヤン競技場付近に集まる屋台(カキリマ)で、深夜近くがにぎわいのピーク。明け方まで営業している。
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その4 値段が安い
10本2万ルピアが標準。ロントン、ナシゴレンなど、サテ以外のメニューを出している所もある。
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サテたいちゃんの店
スナヤン競技場のカキリマ Panahan Sate Taichan 
ボゴールの学生が始めた店 Sateatery

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サテたいちゃんの店

「サテたいちゃん」の店2軒を取材した。1軒はスナヤン競技場の「元祖サテたいちゃん」屋台、もう1軒はボゴールの大学生が始めた店。

①「元祖」スナヤン競技場のカキリマ
Panahan Sate Taichan
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 ブンカルノ競技場の裏門、弓矢をつがえるラーマ像の真ん前で、煙を上げている屋台。

 オーナーはジョッキーさん(30)、スタッフは5人。屋台は同じ場所で1995年に始め、これまではナシゴレンを売っていたが、2016年1月からサテたいちゃんに変えた。

 作り方は、鶏肉を串に刺し、5分ほど焼いて焼き色を付けてから、油とトウガラシ、チキンストックを混ぜた汁に漬ける。サンバルをまぶしたら出来上がり(辛いのが嫌なら「サンバルは別にして」と言うと良い)。鶏肉と皮が交互に刺してある。チキンストックの味さえなければおいしいのではないか、と思える。

 1日の客数は約300人。通常は1人20本ぐらいだが、「男性客3人で、200本食べたのが最高記録」とのこと。近くにあるホテル・ムリアの客や、日本人、韓国人、中国人、オーストラリア人といった外国人客も来るそうだ。

 約50軒の屋台は「ライバルではなく友達」だが、共通の敵は警察。「警察が来たら、屋台を押して、全力で走る! 逃げる! いつ来るかわからないからヒヤヒヤさ」。
●Panahan Sate Taichan/ブンカルノ競技場の裏門の正面/20:00ごろ〜4:00ごろ/サテたいちゃん10本2万ルピア。
 
 
②「進化形」ボゴールの学生が始めた店
Sateatery
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 ボゴール農科大学(IPB)4年生のプリマ君(23)らが4人で、今年4月に始めた店。

 「大学在学中に小規模なビジネスを始めたい、それも、自分が楽しめるビジネスを」と考えていたところ、「サテたいちゃんがはやっているから、何か自分たちでできないか?」と考え付いた。

 出資はプリマ君と、すでに働いているエリス君が折半で800万ルピアずつ。レシピはプリマ君が考えたオリジナルで、味付けは、ニンニク、塩、スダチ。下味を付けた鶏肉を串に刺し、焼くと黒くなってしまうので、油で揚げるのがポイントだ。「サテたいちゃんは白いのが特徴だから、白くないと!」とプリマ君。

 食べてみると、「ちょっと薄いかな?」と思う味の中に、ほんのり塩味と、スッキリしたスダチの味がする。しょうゆをかけたくなる味だ。オリジナル・サンバルは、ここも、結構、辛めだ。

 サテたいちゃんだけでなく、牛肉のサテも炭火で焼いて売っている。濃いめの味付けで、実は、サテたいちゃんよりもこっちが人気だったりする。

 プリマ君は1歳から7歳まで、千葉県松戸市に住んでいた。「自分のルーツの一部は日本」と言い、今でも日本が大好きで、「いつか日本で仕事をしてみたい」。夢は「サテたいちゃんのビジネスを広げること。次はジャカルタかな? いつか、日本でも開きたい」。

●Sateatery/Jl. Babakan Raya, Darmaga, Bogor/15:00〜22:00/インスタグラム:https://www.instagram.com/sateatery/?hl=ja/サテたいちゃん(鶏肉/皮)10本2万ルピア、牛肉のサテ10本2万ルピア。

はやってます! 
日本風の焼き鳥?! 
サテたいちゃん、増殖中。

【特集】イスティクラル・モスクへ行ってみよう!

インドネシア国内最大、東南アジアでも最大のモスク、イスティクラル・モスク。
トルコのブルーモスクのような装飾はないし、世界的な観光地というわけでもない。
しかし、訪ねてみると、いかにも「インドネシアらしい」モスクだった。
熱帯の気候に合わせた開放的で美しい建築に、和み要素と緩さもある。
観光客受け入れ態勢も整っており、「モスク入門」には最適かもしれない。

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 長くジャカルタに暮らし、その白くて丸いドームはしょっちゅう目にし、その横は数え切れないほど通って来たのに、一度もイスティクラル・モスクの中に入ろうと思わなかったのは、どうしたわけか。「ムスリムの礼拝する場所である」という、遠慮というか、ちょっと腰の引けた気持ち。そして、それを上回るほどの「観光地としての魅力」も持ち合わせていないように思っていた。時々目にするジャカルタの街中のモスクは、非常にシンプルな造りだったからだ。

 ビデオグラファーの城田道義さん、インドネシア人記者とともに、初めてのイスティクラル・モスク探検へ。
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 イスティクラル・モスクへは、普通のビルに入るのと同じように、駐車券を取って中に入る。知らなかったのだが、敷地内には川が流れている。ジャカルタの動脈であったチリウン川だそう。そびえるモスクと川に、日本の城と水堀を連想した。別に「攻める」も「守る」もないのだが。
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 目の前にどーんとそびえ立つモスクは、近くで見ると、圧倒される大きさだ。巨大な体育館のようだ。建物の構造はタテ、ヨコの直線が目に付く。壁は格子状になっていて、「階」と言えるのかわからないが、縦に積まれた格子の数を数えてみると11階建て。まさに「ビル」といった外観だ。
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 いくつかある入口には守衛がいて、そこから先が「聖域(Batas Suci)」になる。聖域に入る前に、靴を脱いで上がる。小さいモスクだと靴を脱いだらすぐに礼拝所だったりするのだが、イスティクラル・モスクはさすがに広い。建物内の全部が聖域(お寺に参拝する時に靴を脱ぐのと同じ、と思えば良いかも)。靴は脱ぐが、靴下は脱いでも脱がなくてもどちらでも良いそうだ。靴下が汚れるのを嫌って、一緒に脱ぐ人も多い。しかし、土足厳禁だし、掃除も行き届いているように見えた。
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 さて、脱いだ靴を手に、聖域へと足を踏み入れ、直進した所に「スーパーの荷物預かり所」「銭湯の下足番」的な、「靴の無料預かり所」がある。そこへ真っ直ぐ進んで靴を預けようとしたのだが、「隣へ行け」と言われた。
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 「隣」には、観光客専用の受付所があった。長いテーブルの後ろには「Selamat datang di Masjid Istiqlal」「Welcome to the Istiqlal Mosque」(イスティクラル・モスクへようこそ)とインドネシア語と英語で書かれ、観光客受け入れの態勢が整っていること、歓迎ムードが強いことに、まず、びっくり。

 客用の椅子の上では猫2匹が爆睡しており、和み要素も満載だ。思わず取材チーム全員が「岩合光昭さん」と化し、猫の写真を撮りまくっていると、「持ってく?」と言われた。イスティクラル・モスク生まれの猫って御利益がありそう、と、良からぬことを考えてしまう。そして、そんなことを言ってくれるほど、係の人はフレンドリーだ。
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 言われるままに、ゲストブック(普通のビルの入館で使う物とほとんど同じ)に、時間、日付、名前、職業、国籍、宗教を記載する。「宗教……日本人は『ブッダ(仏教)』か?」と慣れたもの。
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 ここで受付をすると、インドネシア人の一般参拝客とは違う、ちょっと特別扱いの「観光客コース」となる。ムスリムではない外国人は、自動的に、こちらのコースとなる。靴を預けたりガウンを借りたりといった、ちょっとした便宜を図ってもらえるほか、ガイド(モスクのスタッフ)が付く。最後にチップをいくらか渡すと良い。

 モスク内では肌の露出した服装はNGだ。私は下が長ズボン、上は七分丈ぐらいで、袖口から先が露出していたのだが、「大丈夫、問題ない」と言われた。女性が髪を覆ったりする必要はない。城田さんはTシャツに短パン姿だったのでNG。この場合、バリの寺やタイの寺でもやっているように、「正装用衣装」を貸し出される。

 導かれるまま、「ゲストルーム」へ。エアコンがあり、ドアにカギもかかるロッカールームだ。ここで、全員の靴も預かってくれる。城田さんが貸し出されたガウンは、日本のキモノ・スタイルで足元までをすっぽり覆う、てらてらした光沢のある茶色っぽい上衣。サウナやスパで着るガウンのよう。「暑い!」と城田さん。外国人観光客はこのガウン姿が多く、サウナ・ガウン姿でモスク内をうろうろしているのは、ちょっとおかしい。
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 それにしても、こんな貸衣装まであるし、観光客慣れしているし、対応の良さにはかなり驚いた。「中東のモスクだったら、こんなに歓迎してくれないのでは?」と城田さん。行ったことはないのでわからないが、ここなら誰でも入りやすい雰囲気であるのは確かだ。

 こうして身支度を調え、モスク探検へ出発。

 礼拝所へは、大理石の階段を上がる。昔の建築らしく、分厚い大理石がぜいたくに使われている。暖かい茶色がマーブル模様で混じった白い大理石が、本当に美しい。足触りも良く、冷たくなくてほのかに温かい。総大理石とは、ぜいたくではないか。
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 「資材はすべて、大理石とステンレス。木はすぐに腐るので使いません。大理石は東ジャワ産です」と、案内してくれた、広報課長のアブ・フライラ・アブドゥル・サラムさん。

 非常に開放的な造りであることも、目を引く。すべてがオープンエアで、エアコンがある部屋は一部しかない。しかし、風が通り抜け、涼しい。「インドネシアは熱帯の国なので、その気候を活かし、戸や窓はありません。自然に大気が循環する仕組みです」とのこと。このモスクを設計した建築家フレデリック・シラバン氏がクリスチャンであるのは、有名な話だ。
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 階段を上がってまず目に付くのは、「Exit」ならぬ、「Kiblat」(メッカの方角、すなわち礼拝の方角)の赤い標識。これは、ムスリムにとって非常に重要な物だ。そして、ジャカルタでのお祈りの時間を記した電光掲示板。毎日変わる1日5回の礼拝時間が掲示されている。まるで電車の時刻を表す電光掲示板のよう。時刻の下に「ニュース速報」のようにして流れる文字は、「お祈りの時は詰めましょう」といった、礼拝での注意点など。えらく近代化されていることに、びっくり。ただし、自動的に礼拝時間が掲示されるわけではなく、イスラム暦を見て、時間を手入力しておくそうだ。
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 いよいよ礼拝所(Lantai Utama)へ。1階の赤いカーペットが敷かれている部分は礼拝する人以外立ち入り禁止ということで、上から見学する。その壮大さには息を呑んだ。吹き抜けになった、広々とした空間。その天井には、宇宙へつながる空を想起させるような丸いドーム。ドームの周りを太い円柱が取り巻く。特に何の装飾もないのに、美しかった。円柱を走る縦の線、ドーム内側の細かい菱形模様、ドームを取り巻くアラビア文字、周囲の回廊と柱で構成される格子模様など、ほとんど「線」だけの美しさ。何の模様もなく、線だけで、こんなに美しい空間を作れるとは。大理石の温かい「白」が全体を包む。回廊からは自然の光が差し込んで来る。スズメも入ってきて、ドームの辺りで「チュンチュン」言っていた。
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 地球儀のようにも見える、中央から吊された球体は、実はあちこちに向けられたスピーカーだ。スピーカーは、安くて性能が良いと評判の、日本のTOA製。「インドネシアのモスクでは、アチェからパプアまで、TOAのスピーカーを使っていますよ」とアブ・フライラさん。ここは大理石なので、特に反響が良いと言う。

 この礼拝所の中には、実は、めったにない「お宝」がある。中央の時計の上に恭しく飾られている四角い布が、3月にインドネシアを訪問したサルマン・サウジアラビア国王の贈り物。メッカのカーバ神殿を覆う布「キスワ」の一部だ。キスワは毎年、新調され、これは取り替えられた布の一部だ。黒布に金糸で刺繍がなされ、重さは15キロ。純金! これを聞いた時、なぜか、われわれの頭の中には「ミッション・インポッシブル」のテーマ曲が流れたのだった。「取材で警備態勢を聞くのを忘れたね!」(冗談です)。
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 昼の礼拝の時間が近付き、人々が集まって来た。カーペットの横線は模様ではなく、礼拝で並ぶ時の線。緑色の服を着た誘導係が、スピーカーで「前へ詰めてくださいー。寝ている人は起きてくださいー」と叫んでいる。子供たちがバラバラと走って来る。
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 「カバンや物の持ち込み禁止」と注意書きにあるが、リュックサックなどを持って来て、隅に置いている人もいる。なぜか前へは詰めず、後ろの方で一人、礼拝している人もいる。女性の場所は左の端。女性は白い礼拝着ですっぽり頭から体まで覆う。この礼拝着は貸し出してくれ、更衣室もある。

 時刻になり、アザーン(礼拝への呼びかけ)が流れ始めた。「アッラーフ アクバル(アッラーは偉大なり)」で始まるアザーンは、何に例えればいいのだろうか。アラビア語の短調の歌? 憂いを帯びたような少し物悲しい音調に、アラビア語の深い響きが乗り、朗々と響く。イスティクラル・モスクのアザーンはさすがの美声だ。広い礼拝所がアザーンで満たされ、祈りと信仰の空気が充満する。
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 アザーンが始まると、人々はさっきよりも急いで入って来て、前列に進んで詰めて場所を占める。めいめいが礼拝をしてから、集団礼拝を待つ。それから、イマームの主導により、集団礼拝。立つ、上体を曲げる、座って額づく。その繰り返しで、意外にシンプル。何か特殊なことをしているわけではない。そして、終わり方も意外にあっさりしており、礼拝が終わったら、イマームの説教は続いているのだが、さっさと礼拝所を後にしていく人が多い。

 この時は普通の日だったので、8列ほどが埋まっただけだったが、金曜礼拝の時はいっぱいになる。入りきらない場合、礼拝所を取り囲む5層の回廊を使う。回廊にも一部、赤いカーペットが敷いてあり、踏むとふかふかだった。カーペットがなければ、持参のカーペットを敷いても、新聞紙でも、頭の所にハンカチを置いても、何でも良い。

 回廊も埋まったら、外のテラスを使う。赤レンガが敷き詰められたテラスにも、線が引かれている。これは礼拝の時の1人分のスペース(60センチx100センチ)を示す物。ただのだだっ広い広場に見えるのだが、すべて、礼拝のための場所なのだ。モスクとは礼拝所なので当然だが、非常に機能的に、「礼拝する」ための機能を備えていることを改めて感じる。
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 1日5回の礼拝は義務だが、それ以外の好きな時間に礼拝するのは自由だそう。イスティクラル・モスクは、朝の礼拝が始まる1時間前から夜9時半まで開放している。 

 続いて、アブ・フライラさんが案内してくれたのは、巨大な太鼓。アザーンの前に、太鼓を鳴らしたりするし、インドネシアで太鼓はイスラムの象徴のような存在だ。しかし、これは、インドネシア固有の文化なのだと言う。インドネシアで昔から踊りや歌の伴奏に使われていた太鼓を、イスラムの礼拝に取り入れたものだと言う。
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 「イスラムはインドネシアへ、武力で入って来たのではありません。武力によってイスラム化されたスペインのような国は、すぐにイスラムではなくなりました。しかし、インドネシアへは、インドネシアの伝統や文化を尊重し、融合する形で入ってきたのです」。その象徴がこの太鼓だ、とアブ・フライラさんは誇らしげに語る。
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 アブ・フライラさんが去った後、自分たちだけで回廊をぶらぶらした。壁越しに独立記念塔(モナス)が見える。回廊の絨毯の上に寝そべって、くつろいでいる人たちもいた。とても気持ちの良い空間なのだ。
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 回廊に、イマーム用の説教台があった。見ていると、インドネシア人記者のE(ムスリマ)が説教台に上って行き、台上から片手を挙げて、説教をするまねをする。「怒られるぞ」とひやひやした。
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 もちろん礼拝の作法や礼儀は守らないといけないが、意外な緩さもある。そうガチガチに硬く考えなくていいのかもしれない。

 土産物店には人がいなかったが、コーランが山積みにされていたほか、香油やお祈りの道具が売られていた。
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 「食堂はないか?」と聞くと、外にあったが、ごく普通のカンティーンだった。

 お土産物商売や門前町的な商売もほとんどされていない様子。観光スポットとしては少し物足りないのだが、そんな不信心なことを言っていてはいけないだろう。モスクの体験としては、大満足だった。
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●イスティクラル・モスク
収容人数20万人、東南アジア最大のモスク。1978年2月22日、スハルト元大統領により開設された。「イスティクラル」とは「独立」という意味。インドネシア政府が運営しており、宗派的には中立。朝のお祈りの1時間前〜21:30に一般開放。

インコ侍 8 インコネシア

 2017年、インコネシア・鳥ジャカルタ。

 今日も道はたくさんの車で埋まり、歩道には鳥ジャカルタ名物の移動屋台が店を出し、活気にあふれていた。

「ドカーン!」

 いきなり、その移動屋台の1台の引き出しが開き、オカメインコとコザクラインコ、雷鳥、カピバラが飛び出して来た。

「いててて、オカメもん、もう少し、静かに到着できないのか?」と小太郎。
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「Aduh~!!」

「Ada apa??」

「Dari mana anda sekalian??」

「えっ? 何? ここはどこだ?」

 一同が辺りを見回すと、見たことのない種族の鳥たちが、聞いたことのない言葉で叫びながら、どんどん集まって来る。

「と、とにかく、静かな所へ逃げなくては!」

「あっ、あっちに森があるぞ」

 小太郎たちは渋滞している車の上を跳びながら道を渡り、緑のある方、白い大きな塔のある広場へ向かった。
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「なんだ、この鉄のいのししは? 中に乗れるのか?」

「並んだまま、ほとんど動いていないぞ」

「すごいにおいのけむりを出すな」

 車の上を跳び歩く一同に、クラクションが鳴り響いた。

「うわあっ、すごい声だな!」

「早く静かな所へ行こう!」

 どうにか道を渡り、広場の森の中に一同は転がり込んだ。

 オカメもんが口を開いた。

「皆様、落ち着いて聞いてください。ここは日本ではありません。日本よりずっと南の暖かい所、インコネシアという国の都で、鳥ジャカルタという所です」

「インコネシア……」

「あなたたちの時代の言葉で言うと、『鳥南蛮』と呼ばれる地域かと思います」

 噛虎(かみとら)がうなずいた。

「おお、そう言えば、商人が一度、鳥南蛮渡りの更紗(さらさ)という美しい布を持って来たわ」

「この時代は2017年。噛虎様たちの時代からは約390年、小太郎さんの時代からは250年ほど先の、未来です」

「われらはなぜ、こんな所に来たのだ?」

「あわてていたので、時間や場所をはっきり決めないまま、出発してしまいました。何か頭の中に残っていたものにゆかりのある場所なのだと思います」

 オカメもんは申し訳なさそうに言った。

「うむ……まあ、しかし、あの場から逃げないと、われわれはどうなっていたかわからないのだから、礼を言わねばなるまい」

 風雷坊はそう言ったものの、途方にくれた。

「しかし、どうやって元の世に戻ればいいのだ?」

「あの屋台の引き出しから戻ればいいのですが、今はものすごい数の野次馬がいますから、無理です。誰もいなくなるまで、少し待ちましょう」

 オカメもんはほっぺたの丸い部分を片方、パカッと外し、何かを取り出した。
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「これをとりあえず食べてください」

「なんだ、これは? 食べ物なのか?」

「これは、翻訳コンニャクゼリー。未来の旅行用品です。これを食べると、異国の言葉がわかるようになります」

「おお、そうか。便利なものじゃな。……ん? 小太郎うじ、口の中に何を入れているのじゃ?」

「○△×……」

 頬をいっぱいにふくらませて苦しげな小太郎。

 すると、辺りが急に騒がしくなり、先ほどの屋台の主人が野次馬と一緒にどなりながら追いかけて来た。

「こらーっ! おまえたち、オンデオンデ(団子)の金払えーー!」

 ピンときた風雷坊は、羽扇で小太郎の頬をしばいた。

「おぬしじゃな!」

 小太郎はたまらず、口の中いっぱいの団子をブーッと吐き出した。
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「申し訳ござらぬ。つい反射的に口の中に入れてしまい、飲み込むわけにもいかず、どうしてよいものか困ってござった」

「何を言っておるのじゃ。口の中に入れた物を返されても困るじゃろうが! このままでは泥棒になってしまうぞ。お金を払わなくては」

 噛虎がすっと屋台の店主の前に行き、財布から銀を取り出して渡した。
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「そなた、余の従者がまことに失礼な振る舞いをした。申し訳ない。その団子の値はいかほどか。これで足りるか?」

「なんだこれは。どこの国の通貨だ?こんな物どうすればいいのだ。おまえたち、ルピアは持っていないのか? ドルでもいいぞ」

「ルピア? ドル? それは何だ?」

「なんだとはなんだ。おまえたちは外国人のようだが、金もないなんて不法滞在じゃないのか? あやしい奴らだな! 警察に突き出すか?」

 野次馬がどんどん集まって来て、辺りは大騒ぎになった。(つづく)
 
 
インコ侍 0 時間旅行へ出発!
インコ侍 1 戦国時代
インコ侍 2 忍者と勝負
インコ侍 3 秘密作戦
インコ侍 4 出城に潜入
インコ侍 5 寺の井戸
インコ侍 6 必殺技
インコ侍 7 捕らわれの姫

こまつか苗(こまつか・なえ)
ペンギン・インコ陶作家。京都の清水焼の工房で陶絵付け職人として10年働いた後、大阪の自宅に開窯し、ペンギンとインコをモチーフにした陶作品(時々、カピバラ)を制作している。本職とは違うものの、イラストと文章による「らくがきドラマ」、「ラグビーポジション・インコ解説」などを発表し、好評を博す。