【ふしぎの島ニアス】1 闇をのぞく 

【ふしぎの島ニアス】1 闇をのぞく 

2017-05-05

グヌンシトリ Gunungsitoli

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 メダン空港の搭乗口からバスに乗り込んだ人数はそれほど多くなく、バスが停まった所に待っていたのは、久しぶりのプロペラ機だった。プロペラ機は揺れるかと思ったが、揺れたのは飛び立った最初だけで、あとは順調だ。山と雲がたっぷりと連なるスマトラ島の広大な陸地を抜けるまで、結構な時間がかかった。ようやく地平線が水平線に変わり、海に出た。ここから、海を越える。海の表面に細かいしわが寄り、映画「惑星ソラリス」を思い出す。プロペラ機はこの低さがいい。

 海の深い青の中に、サンゴ礁のグリーンがスポットとなって落ちていて、なんとも言えない美しさだ。点々と浮かぶ島の真っ白な砂浜がまぶしい。そうした小島の先に、どーんと見えてきたのがニアス島。まずはその大きさに驚いた。「えっ、こんな所に、こんな大きい島があったの?!」という驚き。誰も知らない「New World」が突然現れたような。

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 新世界の島は、飛行機の向かう先に横たわり、横一直線に延びた長い海岸に波が寄せている。海岸の先はココヤシ、ニッパヤシなどの茂る平坦な緑の大地。緑の中にキラッ、キラッ、と光るのは、家のトタン屋根だ。伝統家屋の茶色い屋根も見える。海の青、陸の緑という色の取り合わせが目にやさしい。

 ヤシの木をかすめるようにして着陸した。プロペラ機から荷物が運び出され、人力で運ばれて行き、ターンテーブルに載せられる(載せる必要もないような)。ロビーには迎えの人がいっぱいだ。その中から、頼んでおいた運転手のグルグルさんを探し出し、ミュージアム・プサカ・ニアスに向かった。ここで、ニアスに長く住み、ニアスの文化に詳しいドイツ人司祭のヨハネスさん(76)に話を聞く手配がしてある。

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 よろよろと出て来たヨハネスさんは1971年、30歳の時からニアスに住んでいる。「なぜニアスに?」と聞くと「召命を受けて宣教に来ました」とのこと。アルバムを出して見せてくれたので何かと思ったら、故郷のシュヴァルツヴァルトの写真で、ドナウ川の長さを説明し、アルバムを閉じて「以上」という感じだったので面食らう。いかつい顔で、にこりともしないのだが、口から飛び出すのは冗談ばかり。面白い人だ。

 真っ先に、ニアスの木彫りについて尋ねた。と言うのも、私がニアスに興味を持ったきっかけは木彫りだったからだ。バンドンに住む「木彫りコレクター」の坂口広之さんが、ある日、会社までわざわざ見せに来てくれたニアスの本を見て、その写真に目を奪われた。パプアの木彫りほどプリミティブではなく、ヨーロッパ風にも見えるおしゃれな彫像。バリの木彫りのように細かすぎず実写的すぎず、大胆なデフォルメがされていながら、かっちりした彫像。これまで見たことがない、不思議な彫像だった。インドネシアのほかの地域にはない独特のセンス、と感じた。

 彫像の頭に変わった飾りが突き出しているのが特徴で、デザイナーのQは、これらを「インパラの角」「カブトムシ」「クワガタ」などと命名した。前にせり出した舟形の屋根を載せたような頭もあった。どことなく「宇宙人」的だ。

 木彫りは伝統家屋の飾りに使われていて、坂口さんに聞くと、もうほとんど「本物」は残っていないと言う。2004年、2005年、2006年と相次いだ津波でも大きな被害を受けてしまった。坂口さんのコレクションは、以前に現地で買った物のほか、バンドンにあるパプアとニアスの木彫りを扱うギャラリーで買い集めた物とのことだ。「ほとんどない」とは言っても、現地へ行けばあるのではないか、運が良ければ入手できるかも、と意気込んで来た。

 そこで、まずは木彫りが今もあるかどうかを聞いたのだが、「Tidak ada lagi(もう、ない)」と断言された。旅の主目的が初っぱなから消えたわけだ。そこから、彫像のいわれ、ニアスの風習などの不思議な話を聞いた。

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 ニアスの人々はスマトラ島から渡って来たと伝承されている。伝説によると、未婚なのに妊娠したある女性が死刑に処せられることになった。憐れんだ王が、女性を舟に乗せて海へ流す流刑とした。舟は海を渡ってニアス島に着き、そこで、女性は子供を産んだ。それがニアス人の祖先になったという。

 彫像とは祖先の霊をまつるための物で、亡くなった人の代わりとなる。亡くなった人の霊魂は、彫像に移ると考えられている。従って、故人に似せた彫像には、1つとして同じ物はない。彫像は家の壁などに飾られた。入れ物を持った彫像の場合、入れ物の中には豚肉などの食べ物やシリの葉といったお供え物を入れる。こうして、祖先に恩寵と加護を願うのだ。

 彫像が、生きた人の身代わりとなることもある。病気になると、簡単に彫れるバナナの木で彫像を作り、自分の名前を付ける。そして、自分は名前の一部や全部を変えるなどして改名する。

 「その入れ替わりの儀式を4歳か5歳のころ、やった」とニアス人司祭のナタさんが話してくれた。「部屋を真っ暗にして、小さなロウソクの火だけを灯す。ドゥクン(呪術師)がロウソクの火を吹き消し、部屋が真っ暗になったところで、後ろの戸を開ける。It’s coming」。めちゃくちゃ怖い。

 昔はコレラなどの疫病で1つの村が全滅することもあり、それは悪霊のしわざと考えられた。悪霊に対抗する「神」が祖先たちの霊だ。

 ヨハネスさんが「ニアス文化を守るために」、買い集めた民芸品約6000点を展示するミュージアムにも、日本の「呪いの五寸釘人形」と同じような呪術用の人形や、頭部と片手だけの「首狩の像」などがあり、相当に怖い。

 こんな信仰の島でキリスト教を布教するのはさぞ大変だったことだろう。「『彫像は捨てなさい』と言ったら、泣かれた」とヨハネスさん。「ニアスの人々は、今では祖先の霊を信じていないのか?」と聞いたら「信仰はないけど、心の中では(in the spirit)信じている」。とは言え、木彫りが今では作られていないのは、キリスト教化が進み、彫像の本来の役割がなくなってきたのも一因と言えそうだ。

 ニアス島にイスラム教徒の少ない理由を、ヨハネスさんは「ここの人たちにとって『豚なしの人生はなし』だから。ここではスシ(鮨)は必要ない」と冗談を言う。こんなに海に囲まれているのに、と思うが、内陸部は山がちで、魚を食べるのは沿岸部だけだそう。伝統料理は豚の塩釜焼きで、これも木彫りと同様、「今は、もうない」と言う。

 「昔は村へ行くと、『(司祭が食べてもいい)卵です』と言って、豚肉を出してくれたものだ。今は、豚肉の値段が高騰し、『卵です』と言って出されるのは、本当に卵」と、また笑わせてくれるヨハネスさん。幻の「豚の塩釜焼き」、食べてみたかった。

 この日の宿は海岸に近い、コテージスタイルの「ミガ・ビーチ・ホテル」。夕方、海まで歩いて行ってみると、横に長く延びたビーチに、同じく長い波が打ち寄せていた。子供がサッカーをして遊んでいたが、夕焼けのころに、皆で一斉に海へ入って行った。子供たちにつきまとっていた犬も負けじと後を追ってざんぶと海の中へ入って行き、大波をかぶっても負けずに泳いでいる。心がほどけるような広い空に、広い海。この海の向こうから、人が渡って来たのだ。

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 その夜は、豚の塩釜焼きの代わりに、ニアス名物と聞いた「BPK」を食べに行った。どこかの省庁の名前のようだが、「Babi Panggang Karo」の略で、「カロ族の豚の炭火焼き」。ニアス名物と言いながら、「カロ」はトバ湖周辺の民族の名前だし、この料理もバタック料理とほとんど変わらない。豚三枚肉を炭火で焼き、スパイシーな豚の血のサンバル(saksang)で食べる。

 「これはバタックにはない」と言われたのが、「キドゥンキドゥン」(Kidu-kidu)と呼ばれる豚のソーセージ。豚の挽肉を豚の腸に詰め、香辛料はおなじみの「スマトラ山椒」ことアンダリマン、それにクミリ。ご飯が進む。

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 びっくりしたのは、デフォでご飯が2皿ついてきて、さらにお代わり自由なこと。テーブルはご飯だらけに。「Pakai es?」と聞かれて意味がまったくわからなかったのだが、「スープ付き」という意味で、氷を入れるわけではない。

 ところで、この店に入った時から、店の人の対応が変だった。インドネシア人記者のPが「BPK2つ」と注文すると、「半キロ?」ととんちんかんな返事をするし、Pが厨房へ行ってソーセージを追加で注文すると、Pの顔を見つめながら、ご飯をだーっとこぼしていたと言う。よほどに「よそ者」が珍しいようで、警戒心も強い。

 話を聞くのに四苦八苦していると、後ろの席に座っていたエヴァンさんが対応してくれた。この店のオーナーの親類だが、スマトラ島で学校に行っていたので、聞きやすいインドネシア語を話す。

 エヴァンさんからも「ふしぎの島、ニアス」の話をいろいろ聞いた。メダンから呪術師がやって来て、刀を腕に当てて動かしても血が出ない術を披露した。しかし、「やってはいけない場所」でそれをやったところ、術が破られ、血が噴き出した、と言う。

 ニアス島、おどろおどろしいと言うか、原始に近い、どす黒い闇が広がっているような気がした。

 閉ざされた「完結した世界」である島。外部者への強い警戒心。長い歴史の中に秘められた深い闇。日本とニアス、ちょっと似ているかもしれない。

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●ミュージアム・プサカ・ニアス
Museum Pusaka Nias
Jl. Yos Sudaro No.134A, Gunungsitoli, Nias Tel : +62(0)639-22286
火〜土8:00-11:30, 13:30-16:30、日13:00-17:00
入場料(外国人)2万ルピア

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museum-nias.org

 
●ミガ・ビーチ・ホテル
Miga Beach Hotel
Jl. Diponegoro No.507, Fodo, Gunungsitoli, Nias
Tel:0813-9764-8200
 
●BPKの店
Mama Aurel
Gunungsitoli, Nias
9:00-21:00
豚の炭火焼き(BPK)+ご飯(お代わり自由)+スープ 1万5000ルピア
豚のソーセージ(キドゥンキドゥン)1万5000ルピア
 
 

【ふしぎの島ニアス】イントロダクション(目次) 
文…池田華子、写真…プトリ・スシロ&タウファン・ファズリンText by Ikeda Hanako, photo by Putri Soesilo & Tauf…
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