ライブ・エイドでの「エーーーーーオ!」。この時、フレディの出っ歯の口の中、続いて、目がアップになる。非常に象徴的なシーンだ。数々の歌が生まれた「口」という生身の体の器官。そして、フレディの魂を映す、輝く「目」。

 ライブ・エイドのステージに向かって歩みを進めるフレディの肉体もいい。ランニングシャツに太い腕をむき出しにした、良い体つきの後ろ姿。ぴょんぴょんはねたり、腕を広げたり、シャドーボクシングのような動きをしたり。何かを具現化するためには生身の体が必要なんだ、という当たり前のことを教えてくれているかのようだ。この肉体があるが故の苦悩。しかし、ここからすべてが生まれるのだ。

 映画は、「Who am I?」という苦悩の果てにある答えを示す。マイノリティーであること(セクシュアリティー、民族、家庭の宗教など)。「I know who you are, Freddie Mercury」「パキ(パキスタン人=蔑称)」といった、他者からの決め付け。読者を盾にしたメディアの暴力性も描かれる。そこから解放されたい、自由になりたいと希求する。

 非常に実存的な問いかけであり、実存的な映画だと言える。だから、クイーンにまったく興味のない人が見ても面白いだろう。しかし、矛盾するようだが、映画の問いかけに大きな説得力を与えているのは、クイーンの音楽の素晴らしさだ。

 映画では、「クイーン」というバンドが誕生し、ヒットしていく様子を描く。農場での「ボヘミアン・ラプソディ」収録シーンでは、ふっと浮かんでくる美しい旋律の切れ端や、それが曲の一部になり、実験的な収録を繰り返す場面から、曲が生まれる瞬間のワクワク感をメンバーと一緒に体験できる。ギター・ソロの収録中、「What we’ve got to lose?」と聞くフレディに「Nothing」と笑顔で答えるブライアンの表情には、何とも言えない多幸感があふれている。

 そうした上り調子のバンドの成長を経て、メンバー間の亀裂、恋人との別れ……というと「お決まりの」と思うかもしれないが、クイーンのヒット曲をストーリーラインに見事に融合させつつ、必然性と説得力を持って、すべての物語はライブ・エイドへと流れ込んでいく。

 1985年に行われた「ライブ・エイド」という現実の映像(完成形)があって、そこに向かって作り込んでいくのは、かなり特殊なスタイルではないか。川が海に至り、狭い所を流れる制約がなくなって、どっと解放されるように、このライブ・エイド映像のカタルシスはものすごい。

 大観衆を前にステージに上がったクイーン。フレディの弾くピアノから旋律が流れ始め、観客が「うわっ」と湧く。何回見ても、この瞬間に、言葉にならない感情が押し寄せる。

 「生まれてこなきゃよかったと思うことがある」という悲惨な歌詞の曲が、ひたすら美しく歌い上げられる。この曲を作っていた時には悲痛なほどだったフレディの苦しげな叫びが、ここでは同じ絶唱なのに、まったく違って聞こえる。個人の感情を個人にとどめず、パフォーマーとして表現し、多くの人の思いを代弁するものに昇華させた時、それは苦しむ人の心を慰め、解放する。

 フレディと観客の「イェーオー」のやり取りで、最後に、フレディが笑顔で「All right!」と言って、観客が「All right!」と答える、その大きな肯定感が好きだ。「We are the champions, my friends」。なんという優しい歌なのか。「Who am I?」という苦しみを経て、たどり着いた答えが「We are the champions… and we keep on fighting ’till the end」。

 すべてを突き抜け、突き通す、光のようなフレディの歌声。この透明感と力強さは「光」だと思う。そして、それは、聞く人の心に勇気を与えてくれる。

 スタジアムの上に丸く切り取られたような青空。ライブの前に、フレディはメンバーに「I decide who I am. I am going to be what I was born to be. A performer. Touch the heavens」、そして、「punch a hole in the rooftop(スタジアムの天井に穴を開けよう)」と言う。「あのスタジアムに、天井はないけどね」と返されて「punch a hole in the sky(それじゃ、空に穴を開けよう)」と言う。

 まさに、天に届くかのような歌声。才能を与えられた人(the gifted)が、その才能(gift)を開花させた時、それは天にも触れるのだ、と思わせる。

 スクリーンからフレディを演じる役者がゆっくり退場した後のエンドロールは、本物のフレディが生き生きと歌う姿が目に焼き付く「Don’t Stop Me Now」。

I’m burning through the sky, yeah
Two hundred degrees, that’s why they call me Mister Fahrenheit
I’m traveling at the speed of light
I wanna make a supersonic man (woman) of you……
200度の温度で燃えながら空を切り裂く
だから「ミスター華氏」と呼ばれるのさ
光の速さで旅をしている
あなたを超音速の男(女)にしたいよ……

 生を発散するように歌い切った後、その声は宙空に消える。

 

 

追記:インドネシアでの上映について

<言語>
 英語の上映で、インドネシア語の字幕が付く。

<上映期間>
 2018年10月末、XXIとCGVの2系列の映画館で封切りされ、スクリーンX上映もあった。12月中旬から、上映館はXXIのうちプラザ・スナヤン1館のみとなり、2019年1月上旬まで上映が続いている。
 インドネシアでは上映スケジュールは決まっておらず、客の入りが悪いとすぐに打ち切られる。通常は1カ月程度で入れ替えとなり、客が入らないと1週間以内に終了することもある。1館だけとはいえ、インドネシアで2カ月以上も上映が続いているのはロングランといえる。
 ゴールデン・グローブ賞受賞後の1月9日、CGVのスクリーンXで再上映が開始された。

<チケット>
 上映館や曜日によって値段は変わる。XXIプラザ・スナヤンでは、5万〜7万5000ルピア。

<検閲>
 フレディとポール、フレディとジムのキスシーン2カ所がカットされている。日本とインドネシアの両方で見た人によると、ほかにも、パーティーでの男性同士のキスシーンや同性愛に関するせりふなど、数カ所がカットされているようだ。
 

 

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