文と写真・鍋山俊雄
ジャワ島は両端にジャカルタ、スラバヤの大都市を抱えるが、その間の中部ジャワは古き良き古都の趣を残した街が点在しており、日本で言えば奈良・京都のようなものか。中でも有名なのはボロブドゥール遺跡等があるジョグジャカルタだが、ここはジョグジャカルタ特別州として独立しているので、これは別の回に譲ることにする。
中部ジャワの州都はスマラン(Semarang)。州北部に位置し、オランダ占領時代と、それ以前の古マタラム王国の香りを感じられる遺跡が点在している。
ジャカルタからは、直行便で飛べば1時間少々、ガンビル駅から特急列車で行けば約6時間の距離である。週末を使って、土曜の早朝にジャカルタを特急列車で発ち、日曜の夕方に飛行機でさっと帰って来る、という弾丸ツアーを組んでみた。
午前7時にジャカルタのガンビル駅から、特急「アルゴ・ムリア号」で出発。スマランまでの約6時間、車窓はジャワ島ではおなじみの田園風景が延々と続く。約3時間後にチレボンを通過し、午後1時ごろにスマラン・タワン駅に到着する。
実は中部ジャワ州は、インドネシア鉄道史で言うと、オランダ占領時代の1867年にスマラン—タングン(Tanggung)間に初めての鉄道路線が敷設された所で、いろいろ鉄道にまつわる見所が多い。
まず、スマランのアイコンとして有名なのが、ラワン・セウ(Lawang Sewu)という蘭領東インド・スタイルの建物だ。1907年、当時の蘭領東インド鉄道会社の本社ビルとして建築された。「Lawang Sewu」とはジャワ語で「千の扉」という意味だそうで、数多くの部屋と扉を持つことから、そう呼ばれている。街の中心部であるロータリーの一角にあり、写真映えする印象的なデザインの外観で、多くの窓が目立つ。正面広場には当時の蒸気機関車が展示されている。
歴史を感じさせる重厚な外見を眺めつつ中に入ると、天井が高く、立派なステンドグラス等もあるのだが、なんとなく雰囲気が一変する気がするのだ。そう、ここは幽霊屋敷としても有名で、第二次大戦中の日本の占領時代には日本軍に接収され、刑務所として、また、地下では処刑場として使用されていたとのことだ。そのほか、昔、ここで自殺したオランダ人女性の幽霊が出るとかいう都市伝説もあるようで、実際に、このラワン・セウを舞台にしたホラー映画(『Lawang Sewu: Dendam Kuntilanak』、2007年)も撮影されている。夜間の肝試しツアー的な催しもあるらしい。
現在は、多くの部屋の一部を使って、インドネシアの鉄道の歴史に関する説明や、当時の事務用品等が展示されている。
私の旅行の定番である大モスク見学、ここスマランでは「中部ジャワ大モスク(Mesjid Agung Jawa Tengah)」の名前の通り、かなり立派だ。中庭には、サウジアラビアの大モスクにあるような、6つの大きな傘がある。金曜日の礼拝時やイドゥル・フィトリの時などに開くらしい。私はインドネシア全土で、かなりの数の大モスクへ行ったが、このような立派な傘を持つモスクには、あまりお目にかかったことがない(2004年の津波でも倒壊せずに有名になったアチェ州のモスクでも最近のリノベーション後に、このような傘を備えた)。モスク前の広場の入口は、アーチ型の壁で囲まれて、豪華な印象だ。
街北部の旧市街地区を歩くと、18世紀半ばに建築されたプロテスタントの教会と周辺の白壁の建物に囲まれて、公園やレストラン街となっている。夕刻から夜にかけての散策にはぴったりの場所である。
この街には華人が多く、中国寺院もいくつかある。中でも「三保洞(Sam Poo Kong)」という中国寺院は、15世紀初頭に来訪した鄭和(Zheng He)にいわれがある。鄭和は中国明時代の武将(なんとムスリム)で、東南アジア、インド、果てはアフリカまで、明の大船団を率いて7度の大航海を指揮した、中国版コロンブスのような人物。この鄭和がスマラン来訪時に、お祈りのために見つけた洞窟とそこに建立した小さな寺が発祥とされている。現在、この中国寺院内には、鄭和の銅像が建てられている。ちなみにジャワ島にもスマトラ島にも、「Zheng HO」の名を冠したモスクがいくつかある。マレーシアのいにしえの商業都市マラッカにも、鄭和の記念博物館がある。
このようにスマランは、古くはヒンドゥー王朝であった古マタラム王国の一部であり、海に面していて港が発達したことから商業が栄え、さまざまな人の往来があった。多彩な宗教建築から占領時代の建物まで織り交ぜになり、街を彩っている。
スマランに1泊し、翌朝はレンタカーで一路、南に下る。目指したのはスマランから高速で約1時間半のアンバラワ(Ambarawa)にある鉄道博物館だ。ここは恐らくインドネシアで最大かつ唯一(?)の鉄道博物館で、インドネシア各地で活躍した蒸気機関車20両余りがある。大半が静態保存であるが、私が訪れた時には、まだ3両の動態保存の車両があった。整備場の中で生気みなぎる漆黒の車体を見ることができる。
もう一つのお目当ては、この博物館の中にある駅から往復約1時間のトゥンタン(Tuntang)駅までの観光列車の運行だ。もしかしたら動態保存の蒸気機関車が走るのかと期待していたのだが、実際は、蒸気機関車風のディーゼル機関車が客車を牽引して運行する。乗車運賃は5万ルピアで、3両の客車が連結されている。
博物館の係員によると、動態保存の蒸気機関車を動かす場合、チャーター車両として客車1両牽引で1000万ルピア、2両で1250万、3両で1500万ルピア。1人5万ルピアの一般運行では、1つの客車に乗客が30人でも1両150万ルピアにしかならず、蒸気機関車を走らせたらコスト割れだと言っていた。時々、鉄道愛好家がグループでチャーターして走らせるらしい。
見学に来た多くの家族連れを乗せて、観光列車はのんびり走り、車窓には中部ジャワの田園風景が広がる。人気の観光列車ツアーだ。運行は1日2回で、午前9時から並んでチケットを購入する。そのため、午前7時にスマランを出て、車を飛ばしてアンバラワまで来たのだ。
ここでは、さまざまな時代の蒸気機関車を眺められるほか、インドネシアの鉄道発展に関する説明展示もあり、鉄道好きのみならず、楽しめる。
この後はスマランへ戻り、夕方の飛行機でジャカルタに帰るのだが、スマランへの道すがら、チャンディ・グドン・ソンゴ(Candi Gedong Songo)という山の上のヒンドゥー寺院群に寄り道ができる。この一帯は8〜9世紀に建造されたと推測され、中部ジャワのディエン高原にある物と類似の寺院群なのだそうだ。
2時間ほどで山間の寺院を順番に見学するルートがあるのだが、時間に限りがあるので、最初のいくつかの寺院だけを見学した。また、この高台からは、富士山によく似た形のシンドロ(Sindoro)山とスンビン(Sumbing)山が並ぶ風景を楽しむことができる。
この旅は1泊2日ながら見所満載で、鉄道の旅も楽しめるという、個人的にもお気に入りの弾丸ツアーの1つである。また、スマランの名物は具材たっぷりの春巻き(lumpia)。スマランで一泊する際の楽しみの1つである。