文・横山裕一

 

 「我々が忘れてはいけない事がある。誰から生まれて来たかを…」
 この映画は独自の風習を持ち続ける少数民族バドゥイ族の村を舞台に、母と娘の確執、絆の深さを描いたインドネシアならではの作品である。タイトル「アンブ(AMBU)」とはバドゥイ族が使用するスンダ語で「母親」を意味する。

 金と女にだらしなく暴力を振るう夫と別れ、料理のケータリング業を営んでいたファトマはある日、自営業を辞め、自宅を売却、一人娘の高校生ノナを連れて故郷、外バドゥイ族の村を目指した。突然の事にふて腐れながらついてくるノナ。クラブ通いでわがままな現代っ子の娘に対し、ファトマは従来からどう接すれば良いか扱いかねてもいた。ファトマの帰郷は16年前、村の戒律を破って故郷を捨て、ジャカルタの若者と駆け落ちして以来。たった一人残した母親に会うためだった…。

 バドゥイ族の村はジャカルタの西、バンテン州の街、ランカスビトゥンからさらに40キロ山間に入った所にある。自然崇拝、祖先信仰を続ける少数民族で、自然との共生を守るため頑に現代文明を拒絶した生活習慣を守リ続けている。人口は約1万2000人、内バドゥイと外バドゥイに別れていて、内バドゥイは約1200人。

 内バドゥイは外界の者とはほとんど接する事がなく、白い布の民族衣装を着ているため白バドゥイとも呼ばれている。内バドゥイを取り囲むように外バドゥイの集落が山間に点在し、外バドゥイの人々は濃紺の民族衣装を身に付けていることから黒バドゥイと呼ばれる事もある。外バドゥイは一部で電化製品やプラスティック製品、コップなども使用している。いわば戒律の最も厳しい白バドゥイと外界との緩衝地帯的な存在で、一部観光客なども受け入れているが、基本的に伝統的な生活習慣のもと暮らしている。 

 20年前、筆者も取材で外バドゥイを訪れたことがある。バドゥイの地から最も近い「外界」の村から徒歩で上り下りの細い山道を1時間余り、ようやく外バゥイの村の入口に到着する。村は石畳の細い道で各家が結ばれ、老若男女とも濃紺の民族衣装に頭には濃紺の布を巻き、裸足で過ごしている。おそらく外界からの来客用の家なのだろう、我々が寝食用に用意された伝統家屋には電気ランプがひとつあったが、夕食が終わると消灯。まだ夜8時だが寝付くまでは真っ暗な中で過ごさざるを得なかった。街灯もないため月明かりにぼんやりと浮かぶ家々。満天の星空のもと静寂な村は、まさに外界から閉ざされた神聖さと、自然とともに生きるバドゥイの人々の強い意志が感じられた。

 16年ぶりの母娘の再会はつらいものだった。戒律を破り外界の者と共に故郷を捨てた娘に対し、母親ミスナは厳しい表情を崩さない。ファトマが娘ノナを紹介する。
「ほら、16年前に産まれた時に写真を送ったでしょう、その娘よ」
母親が表情を変えずに応える。
「その後16年間何の音沙汰もなかったという事は、お前は16年前から私の子供ではなくなったということだ」

 母親の家で寝泊まりする事は許されたが、ファトマと母親の溝は埋まらない。一方でファトマの娘ノナも突然のバドゥイの生活に馴染めず、母親ファトマに不満を募らせる。携帯電話の電波も圏外、ランプの灯し方もわからない、音楽を聞くには、充電のため村の端までいかなければならない。ジャカルタでの便利な生活が恋しい。

 娘ファトマに対し頑な態度を変えない母親ミスナだったが、日が経つうちにふとファトマの様子がおかしい事に気づく。ファトマがバドゥイに戻ってきた訳は、別れた後も度々金をせびりにきては暴力を振るう元夫から逃れるためだけでなく、実はガンを患い、余命幾ばくもないことを医者から宣告されていたからだった。床に伏せがちになるファトマ。ある時、病のためもうろうと母親の部屋に間違えて入ると、そこには16年前に送った、産まれたばかりのノナを抱いたファトマの写真が大事そうに飾られていた。母親ミスナの本当の気持ちを察するファトマ。彼女たちの心のわだかまりは振り払われるのか…。

 母と娘の確執をテーマにした物語の舞台を少数民族バドゥイ族の村にした理由について、ファリッド・デルマワン監督は「三人の女性のキャラクターや感情を際立たせ、イメージしやすくするためには、自然の中での美しくも素朴な生活環境であるバドゥイの村が最適だった」と述べている。厳しい戒律と純朴に生きる人々。余計な雑音もなく、どことなく凛と張りつめた雰囲気漂う環境の中で、終盤に向けて三人の女性、ミスナ、フォトマ、ノナが紡ぎだす感情の機微、高まりは見応えありだ。

 長編映画でバドゥイ族の村を撮影したのは本作が初めてだという。撮影期間は32日間。当初、族長との交渉の末撮影の許可は出たが、カメラ以外の電化製品の使用は一切禁じられたという。このためライトも使えず撮影は日中に限られ、夜のシーンは後日セットで撮影。またカメラのバッテリーを充電するため、スタッフは毎日日没後に片道1時間以上かけて「外」の村まで往復していたとのこと。

 また本作「アンブ」は、インドネシア人ならば誰でも知っている大人気女優、ラウディア・シンティア・ベラ(31歳)がマレーシア人と結婚後1年半ぶりに主演で復帰したことでも話題となっている。そのためか公開初日、ジャカルタのある映画館では平日にも関わらず、初回段階で夕方の三回目上映分まで、前列を除いて予約で満席となるほどの人気ぶりだった。余談ながら筆者の観賞後、偶然にもノナ役を演じた女優ルテシャに会った。劇中ではわがままな役だったが、本人はとても可憐な笑顔の素敵な女性だった。

 因みに外バドゥイ族の人たちは、村で織った布やハチミツなどを売り歩く姿をジャカルタでも時々見かけることができる。濃紺の民族衣装に濃紺の布を頭に巻き、靴は履かずに裸足。「現代文明」の乗り物には乗らず、バドゥイの村からはるばる徒歩で来ているとのこと。バドゥイの村を訪問すると返礼として訪ねる風習もあり、20年前の筆者の取材後に事務所までバドゥイの人が訪ねて来てくれたこともある。その際買った厚手ながらも肌触りの良い布でできたサルン(腰巻き)はいまだに愛用している。

 外界拒絶という厳しい規律を持ちながらも純朴で温かい人々の住むバドゥイ。今後街角で見かけた時には、そういったイメージにあわせて映画「アンブ」に登場した三人の女性の顔が思い出されそうである。

 

予告編

https://www.21cineplex.com/video/trailer-hd/ambu,5163.htm

 

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