【インドネシア全34州の旅】#26  東ジャワ州②マドゥラ島   全速力で駆け抜ける牛の勇姿、人工の石灰岩の造形

【インドネシア全34州の旅】#26  東ジャワ州②マドゥラ島  全速力で駆け抜ける牛の勇姿、人工の石灰岩の造形

2019-07-13

文と写真・鍋山俊雄

 ジャカルタからバリに向かう飛行機で左側の窓際席に座っていると、ジャカルタから1時間ほど過ぎたあたりで、眼下に大きな島が広がる。ジャワ島に隣接し、2009年にスラマドゥ(スラバヤーマドゥラ)橋が完成してからは車で往来できるようになったが、ジャワとは民族も文化も違う、マドゥラ島である。人口は400万人足らず。マドゥラ語を話すマドゥラ人が大半を占める。

スラマドゥ橋
スラマドゥ橋からスラバヤを望む

 マドゥラ人は過去に、政府の移民政策により、各地に移住している。マドゥラ人は気性が激しいとされており、中でも、1930年代からカリマンタン島に移住したマドゥラ人と地元のダヤック人との間での住民紛争では何度かの死者を出す衝突を繰り返し、2001年には500人以上の犠牲者を出す大規模の抗争のあったことが知られている。

 マドゥラ島は石灰岩層も多く、土壌が肥沃でないことから、農作向きではない。タバコや丁子の生産のほか、牛、塩などが主要産業だ。飛行機の窓からマドゥラ島を見ると、大きな山がなくてわりと平坦だが、東西に長く広がっており、東の方の海岸沿いには白く光る塩田が見える。

マドゥラ島の上空から塩田を眺める

 この島は、バリ島の東西の幅よりもわずかに大きい。週末の弾丸旅行で島内を回るには、ちょっと無理がある。そこで、これまで2度にわたって、西部のバンカライ、そして東部のスメナップから入って中部のパメカサンを訪れた。

 初めてのマドゥラ島訪問では、ジャカルタから午後9時半発のスラバヤ行き深夜特急「Argo Anggrek」号に乗った。飛行機で飛べばスラバヤまですぐだが、一度、ジャカルタースラバヤを列車で行ってみたかったのだ。冷房がよく効いた車内で、リクライニングは飛行機のエコノミークラス程度にしかできない。翌朝6時ごろ、スラバヤのTuri駅に到着した。そこから、あらかじめ手配しておいたレンタカーで、マドゥラ島へ向かった。

毛布付きのエグゼクティブ

 今回の目的地は、以前にじゃかるた新聞で紹介記事を読んだ、西部のバンカラン(Bangkalan)にある「Bukit Kapur Arosbaya(Arosbaya Limestone Hill)」という場所だ。石灰岩を建材として切り出す露天掘りの石切場で、最近、インスタ・スポットとして知られつつある。

 長さ5.4キロのスラマドゥ橋を渡り、そこから1時間半余り、車を走らせる。いくつもの村を通り抜け、ようやく、そこへ到着した。場所の表示はあるものの、飲み物を売る屋台が入口近辺にあるほかは、観光地としての施設はない。

 入口から、きれいに縞模様がついた石灰岩の切り立った崖が目の前に広がる。インドネシアのほかの地域で、このような岩場や山肌が観光地になる場合は、長い年月をかけて形作られた地層だったり、岩の自然の造形だったりするが、ここは、趣が異なる。建材を切り出す積年の作業によって独特の文様が人工的に作られ、あたかも彫刻作品のようにそびえ立つ。そしてそれは常に、切り出しの進捗によって形を変えていくのである。

 中を歩き回ってみると、所々で切り出しが手作業で行われており、作業音が聞こえる。崖の表面も、中の空洞部分も、石の切り出しによって削られた規則正しい模様がついており、階段も所々にある。静けさの中で異世界の雰囲気だ。暑い日だったが、洞窟の中に入れば暑さは和らぐ。しばらく異形の世界の散策を楽しんだ。

 スラバヤに向かう途中で、別の石灰岩の切り出し場所にも立ち寄った。そこはさらに大規模な露天掘りサイトで、白色の石灰岩が規則正しく切り出されている。露天掘りで切り出した跡地に、かなり大きな市民プールが出来ている。石灰岩の壁に囲まれた風変わりな風景の中で、人々が水遊びを楽しんでいる。

 マドゥラ島は、ジャワ島のソロ、ジョグジャカルタ、プカロンガン、チレボンなどの産地と並び、手描きバティックの産地でも知られている。手ごろなバティックを数枚買って、スラバヤ経由で、同日夜にはジャカルタに帰った。

 マドゥラ島の有名な行事に「Karapan Sapi(牛車レース)」がある。二頭立ての牛に人間(通常は体重の軽い子供)が乗る騎乗台を繋げ、100メートル余りの距離を走らせてスピードを競うものだ。元々は、畑を耕すために二頭立てで使う牛を鍛えるうちに、競争させるようになったのが発祥らしい。

 毎年8月ごろから10月にかけて、マドゥラ島の各地でレースが行われ、10月にマドゥラ中部のパメカサン(Pamekasan)で決勝が開催される(注:2019年は初めてバンカライで開催されることが決まった)。

 決勝の行われる前日の土曜日、マドゥラ島東部のスメナップ(Sumenap)に、スラバヤからウィングス・エアで入った。決勝の行われるパメカサンは、スメナップから車で約1時間の距離だ。

 スメナップには13世紀ごろから王国があり、王宮が博物館となっている「Sumenap Palace Museum」がある。そこと、黄色を基調とした大モスクを見学した後に、車でパメカサンに向かった。

スメナップの大モスク

 塩田で取れた塩が野積みになっている地域(上写真)を通り抜け、パメカサンに到着した。いつものように一人旅で、ガイドもいないため、ホテルの従業員に翌日の決勝のスケジュールや何時ごろに行った方が良いかを確認した。翌朝は早めに、午前6時半ごろにパメカサンの競技場に到着した。

 実際にレースが始まるのは午前9時。あらかじめ、昨年の決勝の様子をYou Tubeでチェックし、競技場のどの辺で見ると良いかをイメージしておいた。しかし、相当の見物客が集まるようだったので、まずは早めに行って会場内を歩き回ってみた。

昔懐かし? カラーひよこ売り

 午前9時に始まり、1組のレースが終わってから次のレースが始まるまで、相当の時間があるらしい。同日夕のスラバヤ発の便でジャカルタに帰るので、レースを最後まで見るつもりは元からない。混んでいるとスラバヤまで4時間ぐらいかかるかもと言われ、正午までにパメカサンを出発するつもりだった。

決勝の組み合わせ

 まずは各参加チームが順番に整列して会場のフィールド内を練り歩く。前方に集中すべく外側の目に眼帯を付けた牛を先頭に、チームメンバーがお揃いのチームウェアで、楽器を奏でながら誇らしげに行進する。

 その後、順番に練習ランを行う。競技場の両側の壁に沿って、2組のチームが走る。練習走行中は自由にフィールドに入って撮影を行うことができ、本番さながらに砂埃を上げて走る牛たちを、いろいろな角度で撮影することができた。

 ゴールラインを越えた牛は、チームメンバーが寄ってたかって牛を減速させた後、体の汗を拭き取り、マッサージをしている。あたかもボクシングのセコンドのようだ。この日のために、生卵や蜂蜜など、特別なメニューで体力を蓄えているらしい。

 ひととおり練習ランが終わったところで、ようやく開会式が始まる。学生と思しき若い男女の団体舞踊などもあり、なかなか華やかだ。

 その後は決勝レースが始まる。辺りは鈴なりの見物客で、競技場の壁の上も、周囲の木の上にも人が群がっている。

 さすがに決勝中はフィールドに入ることができず、しばらくスタート地点の脇で見ていたのだが、スタートと同時に、興奮したチームメンバーやら見物客やらが牛の後を追うため、レースの様子がよく見えない。かと言って、ゴールの地点も人が鈴なりである。

 会場内では何度もインドネシア人から「スリに注意しなさい」と警告されたので、ポケットには何も入れず、リュックを前掛けにして、競技場内の人混みをかきわけて何レースか見て、競技場を後にした。

 決勝の本レースはあまり見られなかったが、その前の練習で全速力で駆け抜ける牛の勇姿を迫力満点で十分に堪能することができた週末旅行だった。