「インドネシア居残り交換日記」を始めます。インドネシア居残り組のリアルな日常をつづっていきたいと思います。日本に帰国された方、インドネシア居残りを決めた方、事情はさまざまです。「大好きな場所でまた会いましょう」との願いを込めて。第1回はチレボンの賀集由美子さんです。
パチェ工房のあるチレボン市は、ジャカルタから220キロほど東へ行った、ジャワ海北岸沿いの港町です。日本だったら静岡市ぐらいの感じかな。日本人はあまり住んでいません。チレボン市とその周囲のチレボン県、インドラマユ県、マジャランカ県、クニンガン県でチアユマジャクニン(Ciayumajakuning)と言う、ジャカルタで言う「ジャボデタベック(Jabodetabek)」のようなエリアを形成し、その中心がチレボン市になっています。
近年、チレボン・エリアは急速に観光地化しています。お目当てはバティックなどの伝統工芸品とご当地グルメ。週末や連休、大型バティックショップや有名レストランは観光バスや観光客の車でいっぱいになっていました。ジョコ・ウィドド大統領も立ち寄ったという牛肉スープカレー「ウンパル・ゲントン(Empal Gentong)」の食堂が並ぶ道路は渋滞が起こるほどです。
コロナ禍の真っただ中の今は、大型観光バスは消え去り、人気の食堂も一時閉店。週末は観光客で賑わっていたバティック産業の中心地、トゥルスミ(Trusmi)地区も閑古鳥です。ジャカルタやスラバヤなどの大都市で開かれる予定だったバティック見本市も軒並み中止になって、バティック業者は在庫を抱えて困っています。大型ショールームは、従業員の一部を自宅待機にさせたり、下請けに出していた布や材料を回収したりして、生き残る道を探っています。
家族的な経営の工房でも、断食月に入って、工房をクローズするところも出てきました。職人は大体が日当なので、工房に出て来なければ賃金はもらえません。レバランのボーナスを職人に配布しなければいけないので、毎年、この時期は大変なのですが、コロナ禍が加わって、バティックがまったく売れない工房主はお手上げ状態です。
私が主宰するパチェ工房(Studio Pace)でも、2月以降はお客さんが来なくなりました。ジャカルタの取引先は業務停止。日本でのイベントも中止。いま現在、日本には荷物が送れない状況です。
そんな状況ですが、2月から徐々にインドネシアでもマスクが不足してきたので、縫製スタッフと一緒にマスクを作ることにしました。最初のころは、日本で購入して来た安い手ぬぐい生地などで、ワイヤーの入ったプリーツマスクを作っていました。3月に入って、ペン子が手を洗っている絵をシルクスクリーンで刷った立体マスクを作ってインスタグラムに上げてみたところ、チレボンのバティック業者が「かわいい」と訪ねてきて、オーダーをいただきました。
そこから怒涛のマスク作りが始まりました。現行のマスクは、薄手の布が2枚重ねの立体マスクです。立体マスクは2面で構成されるので、2コマ漫画のようにストーリーを付けて絵を描きました。激動するコロナ禍の社会の中で、ペン子(ジャワの庶民のメタファー)が困っていたり、がっくりきていたり、気を取り直していたり、小さな楽しみを見つけて喜んでいたり……日本人もインドネシア人も「面白い漫画マスク」と言って買ってくれます。医療用ではないので「お守り」みたいなものですが、原画を描く私にとっても一種の癒しになっています。
マスクのストーリーはいろいろです。例えば、バティック職人は通常、一つの鍋を囲んで蝋描き作業をします。蝋の温度を適温に保つには、鍋を蝋で満たして8人ぐらいで作業すると効率が良いのです。皆で丸くなって作業する際に、チャンティン(蝋描きの道具)を持った手は動かしますが、職人仲間とおしゃべりをするのが楽しみでもあります。
今回のコロナ騒動で「人と人との距離を取る」という指導が入り、座る位置を離してしまった工房も。また、蝋描きをする前に口を尖らせてチャンティンの口を吹くのですが、職人さんの「マスクを着けたら、どうやって吹けば良いの?」という疑問に大笑いしたりしています。そんなエピソードもマスク漫画にしています。
そのほかにも、カルティニ書簡集の有名なタイトル「闇を超えて光へ」からヒントを得て、ペンギンの庶民(Wong Cilik)がコロナ禍で夜になるといろいろ思い悩み、しかし朝が来ると元気に活動を始めるという絵も描きました。スタッフが夜の部分を黒い生地で、朝の部分を白い生地で作ろうというので、試してみると好評でした。
Twitterを眺めていたらインドネシア国鉄(PT.KAI)のtweetが目に留まりました。4月24日から中距離・長距離列車を全て運休することが告知されていました。「苦労してレバランの帰省のためのチケットを買ってくれたお客様、ごめんなさい。私たちは#tidakmudik(帰省しない)の政策を支援するために、今はまだ、あなた方を故郷に送っていくことができないのです」とありました。それに対して「今まで毎年、レバラン休みもなく私たち乗客を故郷に送り届けてくれてありがとう。今年はご家族で過ごしてください」とリプライをしている人もいました。
こういう一コマを切り取って、マスクのストーリーにしています。片面がお客さんに謝る駅員さん、もう片面はコロナ騒ぎが終息して、チレボン駅からアルゴ・チェリボン(Argo Cheribon)号でジャカルタに出発する親子の絵。これで2画面に。早く列車に乗ってあちこちに出掛けられる日が来ますようにと願ってやみません。
先の見えない世界、国と国をまたいだ生活や仕事が困難になってしまった状況、地方都市在住ゆえの脆弱な医療体制への不安、収入が途絶える中でスタッフをどう確保していくかの悩み、そしてバティックのような手工芸産業をコロナが終息した後、どのように展開していけば良いのか……不安は尽きませんが、マスク漫画でガス抜きしながら過ごしていこうと考えています。
賀集由美子(かしゅう・ゆみこ)
1994年からチレボンに在住し、手描きバティック工房「スタジオ・パチェ」を主宰する。ペンギン(ペン子ちゃん)モチーフのバティック小物が人気。インドラマユ・バティックとのコラボ、シルクスクリーンとバティックの組み合わせなど、実験的な取り組みを続けている。
※賀集さんのマスクは1枚2万ルピア(送料別)。インスタグラム@studiopaceで販売中です。