【インドネシア居残り交換日記】 Day 4 成瀬潔(バリ)  2020年4月25日 嵐が過ぎるまで

【インドネシア居残り交換日記】 Day 4 成瀬潔(バリ)  2020年4月25日 嵐が過ぎるまで

2020-05-04

1

 今年2月24日付の朝日新聞の記事、これはジャカルタ支局長の野上英文さんが書かれていたものなので覚えている、というか忘れようにも忘れられない衝撃的な内容だったからよく覚えているというべきか、そこにはテラワン保健相の談話が載っていた。

 当時、インドネシアは「感染者ゼロ」を誇っていたがその理由は?と、記者に問われ、保健相はこう返答したと記事にある。

 「『神と我々の祈りのおかげだ』と繰り返し、国民に『祈り続けて、食い止めよう』と呼びかけ、21日にはジャカルタで新型肺炎の拡大防止を願う数百人規模の集団礼拝も行われた」。

 これがわずか2カ月半前の話題だ。

 この報道からひと月ほどして、東京の友人から連絡があった。

 「帰国するなら湯河原の別荘で隔離生活できるから、遠慮なく使ってね」

 ちょっと待った、いきなりどうして? と、聞き返すと、

 「海外のニュース番組で、バリのパンデミックの映像が流れて大変な状況になってると報道されてたの」

 「Parisの間違いでしょう、それ?」

 「いや、バリだった。路上で人が倒れたり、外国人が帰国しようと移民局に詰めかけている様子とかが映っていて」

 確かにそれはバリに違いない。在住のフランス人男性が、デンパサール市の路上でバイクにまたがったまま息を引き取った“事件”があった。検査の結果は、新型肺炎の陽性者だった。

 ついこの間会ったばかりの知り合いのイスラエル人が、インスタグラムに「ようやくテルアビブに着いた!」と写真をアップしていて、その素早い判断と行動力に驚いたのもこのころだった。

 しかし、この時点でバリで明らかになっていた感染者数はたった6人だ。これをパンデミックと呼ぶのだろうか?

 ともあれ友人からの誘いはうれしかった。もし日本に帰ったとしたら、隔離期間、安心して身を置く場所を提供してもらえるのだから。しかも、彼らの別荘というのは、ある著名なドイツ文学者・作家がかつて持っていた山荘で、趣味のよい瀟洒(しょうしゃ)なたたずまいが魅力らしい。

 そこに2週間も滞在できるなんて、なんと優雅な隔離体験だろう……。

2

 もっとも、この時に帰国を思い立ったところでそれはかなわなかったはずだ。1月に開始していたビザの延長手続きがまだ終わらず、手元にパスポートはなかったのだから。

 こういう状況下で、パスポートがないというのはやや不安ではあった。万が一(どういう種類の万が一なのか想像するのもためらったが)、仮に緊急事態が発生した場合に在住外国人としてはパスポートが手元にないというのは、かなりマズいだろう。

 それで移民局職員に電話すると、「忙しくて忘れてた!」

 手続きはすでに済んでいるのだが、押し寄せてくる外国人ツーリストの対応に明け暮れていたということらしい。ホントか?(笑)

 実際にパスポートを無事に手にしたのは、当方の都合もあってそれから2週間も後になった。

3

 このCovid-19の大流行がこの国でも明らかになり始めたころに考えたこと──。

 仮に集団免疫が最終的な着地点なら、誰にとっても時間の問題でいずれ感染は免れ得ないのだろう。それならば医療事情の良い環境で感染した方が好ましいのではないかと思うものの、ハイリスク・グループに属していると自覚している私の場合、どこで感染しても結果はあまり変わらないのかもしれないとも思えた。

 いや、ハイリスク・グループに属しているからこそ、よりレベルの高い医療環境の下に身を置くのが考え方としては妥当なのではないかと、同時に思ったものの、結局、日本に帰ろうという意思は抱かなかった。この土地で身を守るための最大限の努力をしようというのが結論となった。

 人にはめいめいの生活があり、その生活を維持しながら新たな局面に冷静に対応する、簡単に言えばそういうことだ。

4

 実は今年からやりたいことがあった。

 1998年以来続けてきたバナナペーパー工房は後継者に譲り、私自身はつぎのステップに入りたいと数年前から思っていた。その新しい方向性がようやくイメージとしてつかめるようになり、計画としてはこの4月から実行に移すつもりでいたのだった。

 それは、インドネシアの若きモダンクラフトの担い手たちを各地に取材し、noteにまとめていきながら公開し、そのクラフト分野に関連したささやかな事業を日本で展開すること。4月初めに70歳の誕生日を迎えたが、人生最後と思えるこのリセットの方向に一歩踏み出すつもりでいた。

 その日がいつか来るのを信じながら、とにもかくにもこの災厄の日々をつつがなく過ごせるように努めるしかないと今は思っている。

成瀬潔(なるせ・きよし)
マグロ漁の取材のために1992年、バリに初めて来る。95年バリ移住、98年よりバナナペーパーを作り始める。greenman’s Banana Paper Studio設立後、内外の建築プロジェクトにインテリア素材としてバナナペーパーを供給する。

※成瀬さんの「人生のリセット」については、こちらの記事をどうぞ。バナナペーパーを作っている動画もあります。

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