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城田道義(しろた・みちよし)
フリーの映像作家。愛称ミッチー。メダン、スラバヤ、デンパサールの総領事を歴任した城田実さんの二男。小学2年から中学2年までジャカルタで暮らす。映像とインターネットに興味を持ち、大学時代から映像制作を始め、USEN、Yahoo!Japanで働いた後、2012年からフリー。37歳。問い合わせのウェブサイトはhttp://onihachi.strikingly.com

 長髪に、少し眠たげに見えるやさしい笑顔、ラフな格好。普通なら、ビデオカメラとマイクを手に持っていると、相手を緊張させたり警戒させたりしてしまうものだが、城田道義さんは、自分もカメラの存在もほとんど感じさせない。これは実は、すごいことだ。

 5月にブロックMで開かれた「縁日祭」。城田さんは人混みの中を、すすすーっと縫うように歩く。なぜか城田さんの前には道が出来る。ちょっと立ち止まってはカメラを回し、また、すすすーっと歩き、また立ち止まってはカメラを回す。

 ジャカルタで本格的に活動を始めたのは、昨年の縁日祭からだ。その後、紅葉祭り、チカランさくら祭り、今年の縁日祭と、日本からその都度、訪れては、ビデオをボランティアで制作している。

 1986〜93年の7年間、ジャカルタに暮らし、小学2年から中学2年までジャカルタ日本人学校(JJS)に通っていた。しかし、日本へ帰国してからは、2014年にたまたま仕事でジョグジャカルタを訪れるまで、一度もインドネシアに来たことはなく、インドネシアで仕事をしたいとも思わなかった。それが「2014年に、えぐられちゃったんですね」。

 21年ぶりのインドネシア。ジョグジャカルタのホテルで日没時のアザーンを聞いた時、「ここで育ったんだなぁと、ここの空気を強烈に感じて、脳髄がえぐられるような気がした。夕方のスコールがやんで、雨のにおいがする中、道に屋台が出て、ワラワラと人が集まって来る。こうして、『ちゃんと』『正しく』夜が来る。子供のころにすり込まれていたのは、こいう風な時間の進み方で、それをずっと忘れていたことに気が付いた。日本で生活しながら、何か物足りないものがあった。日本にいた自分は仮の姿で、『来ない夜をずっと待っていた』のかも」。

dscf7535 「インドネシアで仕事がしたい」と思い始め、「どうしたらインドネシアに来られるか?」と考えた結果、「インドネシアの仕事は、無料で請け負おう」という大胆な考えを思い付いた。渡航費と宿泊費を出してくれたら、制作費はタダで請け負う。「赤字にならなければいい。インドネシアに来るきっかけになれば。日本で得た収入をインドネシアに還元するつもりで、生活ができている限りは続けるつもり」と語る。

 やりたいことは、日本でのインドネシア情報の発信。「インドネシアの日本での認知度はまだまだ低い。インドネシアで日本はよく知られているのに、対等ではない、アンバランスな関係」と感じている。インドネシアに来て撮った映像をインターネットなどで発信し、日本でインドネシアを「じわじわ、はやらせたい」「インドネシアの良さを映像でにじみ出させたい」と考えている。

 インドネシアにこだわる理由は、日本の生きづらさだ。「完璧さを求めて、お互いににらみ合っている感じ。日本人は自分に厳しく、他人からどうこうと言うより、自分で背負っている十字架の方が大きい。『絶対にこれをやらないといけない』とか。その呪縛を外してあげたい。インドネシアにも問題は多いけど、インドネシアの良さは『渋滞で割り込んでいるように見えて実は譲り合っている』『15分遅れたけど、何とかした』という所。日本とインドネシアの中間ぐらいの場所はないかな?と考えている」と城田さん。「日本をインドネシア寄りに! 『日本インドネシア化計画』。これで救われる命があるはず。自殺する中高生とか、中高年の人とか」と熱く語る。

 「日本はこの先、進んでも、救いはない。ちょっと戻るしかない。今の豊かさに満足しよう。食えればいいじゃない?