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 ポルトガル語で「花」の意味を持つフローレス島は人口180万強、日本の長野県ぐらいの面積を持ち、インドネシアで10番目の大きさの島だ。オランダに先立ち16世紀に来訪したポルトガルの影響を受けており、宗教も先祖伝来のアニミズムにカトリックが融合した形らしい。この島には8つの先住民族がおり、各民族が固有の言葉を持つ。伝統村もまだいくつか残っている。今回訪ねたワエレボ村(Desa Wae Rebo)もその一つだ。

 この村を知ったのはインドネシア人の友人からのラインだった。「家族で休暇にここへ来ている」と、村の写真を送ってくれた。三角帽子の家が半円形に広がる不思議な風景で、場所はかなり高地のようだ。

周囲を山に囲まれたワエレボの集落

 調べてみると、フローレス島西部のマンガライ県の山中にある集落で、インドネシア人旅行者の間でも「ミステリアスな秘境」として有名になっていた。山中にあり、付近の空港からもかなり離れているので、ワエレボで1泊するとして、最低でも4日間が必要だ。フローレス島の西端ラブアンバジョー発のガイド付きツアーを予約した(情報は2018年当時)。

 ツアーはラブアンバジョーを早朝に出発し、ワエレボ村の山の麓まで車で約6時間、そしてトレッキングで(体力にもよるが)2〜3時間かかって、ようやく村にたどり着く。

ティモール島クパンからエンデに到着。これでラブアンバジョーまで行くはずだったのだが……

 初日はジャカルタからラブアンバジョーへの移動日だった。ラブアンバジョー直行便がまだ少なく、バリ経由が一般的だったが、連休にバリが絡むと料金が跳ね上がる。このため、バリではなくティモール島クパンまで飛んで、ラブアンバジョーに戻るルートを取った。クパンまで行くとフローレス島を通り過ぎることになるので時間はかかるが、混雑するバリ経由ではないので、遅延の可能性は少なく、さらにこの時はバリ経由よりも少し安くなったのだ。ただ今回は出だしから、このルート選択が裏目に出ることになる。

 クパンでガルーダのプロペラ機に乗り換えてラブアンバジョー行きに乗ったが、直行ではなくフローレス島中部のエンデ(Ende)経由だ。午後3時ごろエンデに到着し、その後すぐにラブアンバジョーに飛ぶはずだったのだが、なんとエンデ着陸時の衝撃でタイヤが故障してしまい、残りのラブアンバジョーまでのルートがキャンセルになってしまった。連休中ということもあり欧米人の乗客も多く、皆、ガルーダ・オフィスへクレームに殺到している。

 私の予定は、翌日の午前6時にラブアンバジョーを出発しワエレボに向かうことになっている。そこから約400キロも離れたエンデで足止めを食ってしまった。

 空港にいたタクシーにラブアンバジョーまで行けるかと聞いたら、300万ルピアで10時間かかるという。今から出れば、夜中の1時か2時にはラブアンバジョーに着く計算になる。同じようにラブアンバジョーに行きたいインドネシア人旅行者2人に声をかけて、ガルーダ・オフィスと交渉し、チケット代払い戻しの代わりにラブアンバジョーまでの車代を出してもらうことで合意を得て、すぐにエンデを車で出発した。

 高速道路はなくて一般道しかないが、フローレス島は「トゥール・ド・フローレス(Tour de Flores)」というフローレス島を横断する自転車レースが行われているほどに舗装道路が整備されている。渋滞もないので、車は着々と西に向かう。東京から名古屋まで、東名ではなく一般道で行くような距離感だろうか。

 途中で一度、夕食休憩を取って、ラブアンバジョーのホテルに着いたのは午前2時だった。3時間弱寝て、午前6時過ぎに、迎えに来た運転手兼ガイドとワエレボに向けて出発した。ワエレボへの登山道近くの村にある休憩所兼宿には、昼前に到着した。ここにワエレボ入村の注意事項が貼ってある。軽く昼食を取った後、トレッキングで持って行く以外の荷物は車に残し、ガイドとともに出発した。

 ここからワエレボまで約9キロあるが、バイクタクシーであと2キロ奥まで入れる。従ってトレッキングは7キロほどだ。バイクを降りると、1万ルピアで借りられる杖が置いてあった。借りなかったが、あったら楽だったかもしれない。

バイクタクシーをここで降りた。ここからは歩き
山道をひたすら登る

 ワエレボまでの道のりでは、中間ポイントまで1時間、村まで1時間を目標にした。トレッキングの道はむき出しの土。滑りはしないが、森の中をじぐざぐに登る道が延々と続く。1時間ほどしてようやく、辺りが開けた中間ポイントに到着した。海まで眺められるはずだったが、あいにくの霧でほとんど何も見えなかった。その後さらに1時間ほどアップダウンの道を歩き、ようやく村の入口の小屋に到着した。ここで、入村を知らせる木製の鐘を鳴らして、来客を知らせる。カランカランという木の音が鳴り響く。

村の入口。霧がかかっていた

 村には7つのとんがり帽子の家が半円形に並び、半円の中心は広場になっている。子供たちやほかの旅人たちがのんびりしている。一部、丸い演台のようになっている所は「聖なる場所なので上がらないように」と注意された。

村の全景
村の長の家(左)と聖なる場所

 まず、村の一番奥にある長の家へ入村のあいさつに行った。ガイドから紹介されて一言挨拶し、長からは「この村での注意を守るように」と念を押され、滞在中の安全を祈念された。

 この村には7つの伝統家屋がある。数は7つと決まっていて勝手に増やすことはできない。1つの家に5〜6家族が住んでいるそうだ。村の住民は計約200人。高地にある村は涼しく、村人は外ではサルンをまとっている。

 この円錐型の家はバルニアン(Mbaru Niang)と言い、5階建てになっている。1階は煮炊きする台所と家族が過ごす場所で、上層階は貯蔵庫。上の階に登る階段は、竹の棒の節を削って穴を開けた物で、垂直に上がって行く。

1階の台所

 高床式の建築で、屋根が1階を覆う位置まで、裾のように長くカバーしている。家の材料は木や竹で、釘は使っていないそうだ。

 最も古い家は立て替えて大体20年ぐらい。この村の世代は現在19代目なので、およそ1200年ぐらいの歴史があるとされているそうだ。新聞記事で読んだところ、このワエレボに住む祖先は西スマトラ州のミナンカバウ人で、航海を経てここに住み着いた、という話があるそうだ。真偽の程はよくわからない。

バドミントンを楽しむ村人たち

 住民はコーヒーを栽培し、毎日、あのトレッキング道をコーヒーを背負って降りて行き、麓の村で売却する。そして米やほかの物資を背負って、ここまで登って来ている。大人1人で50キロぐらいの物資を背負って上り下りする。 ここには学校はないため、学齢期になった子供たちは麓の村に住んで学校に通い、週末だけこの家に戻って来るそうだ。

村の子供たち

 旅行者が宿泊する家は、入ってすぐ右の家だ。1階の部屋は、真ん中にある食事と団欒用のスペースを囲む形で、丸い壁際にぐるっとゴザと毛布が並べてある。ここだけで40人ほどが泊まれるそうだ。次々と到着する旅行者でいっぱいになった。この家の脇にも観光客用の家がもう1つあり、そこもいっぱいになると、ほかの各家庭に泊まることになるという。

泊まった家。右の階段が入口、家の左側に並ぶのが共同トイレと水浴場
1人の寝床はゴザ1枚分
中央で車座になって食事する。食事の時間は大勢の宿泊客で賑わう

 そもそもこの村は観光を生業としているわけではなく、来客を泊めているうちに評判が広まって、今のように多くの観光客が訪れるようになった。最近は観光客も多くなり、これ以上増えると対応できなくなるので、入村制限をすることも議論されているらしい。

 夕食と朝食は村人が作ってくれて、部屋の真ん中のスペースで車座になって食べる。外国人もインドネシア人客も多い。その住居の裏手にトイレと水浴び場があるが、なにしろ人数が多いので、ずらっと並んでしまうことになる。

 知り合いになったインドネシア人客に誘われて、近くの川で水浴びのできる所があると聞き、行ってみることにした。山から流れて来る水を引いて1.5メートルぐらいの高さの管から流している場所があり、そこで手早く行水する。海抜約1200メートルなので、夜は結構涼しい。

ワエレボの夜明け

 朝は夜明け前に起きて、村が見下ろせる高台まで登り、日の出を迎えた。太陽の光が当たるにつれて、山々に囲まれた家が浮かび上がってくる。幻想的な情景だ。日が上ると、朝食の準備をする煮炊きの煙が、円錐の壁から立ち上る。家の前では子供の髪を洗ったりといった、日常の風景が広がっている。

ワエレボに朝日が注ぐ
朝は忙しい

 朝食をいただいた後、午前8時ごろにワエレボを出発した。また元来た道をたどって戻って行く。天気は良いが、朝露に濡れて若干ぬかるんでいる所もある。下りが多くなるが、足元に注意しながら降りて行くので、結局、行きと同じ2時間ほどかかった。

 途中で、何人かの村人が麻袋を担いで降りて行くのに抜かれた。彼らはビーチサンダルを履いて大きな荷物を担いでいるのに、まさに風のように速いのだ。あっという間に降りて行って見えなくなってしまった。パプアのワメナで、重い荷物と子供を背負って裸足で山道を歩いて行く女性たちにも驚いたが、このワエレボの村人(男女とも)の体力にも、ひ弱な都会人は驚かされてしまう。中間ポイントでは、今度は天気が良く、遠く海まで見晴らせた。

中間地点からの眺め。海が見える

 トレッキングが終わり、車を停めた場所までバイクタクシーで戻り、そこで昼食を取った。ラブアンバジョーに向けて車で出発する。また6時間ほどの道のりだ。途中、蜘蛛の巣の形をした面白い田んぼが見られる場所があるというので立ち寄ってもらった。

 ルテン(Ruteng)にある 「Lingko spider web rice field」だ。通常の田んぼの区画は正方形ないしは長方形で区切る。しかし、この一帯の水田は蜘蛛の巣が広がるような形をしている。そうした蜘蛛の巣形の水田がいくつもある。小高い丘に登ると、この水田の様子が一望できる。この地域では、田んぼを分配する際に、ピザを一切れずつ分けるように区分するらしい。巣の中心は地元の言葉でロドック(Lodok)と呼ばれ、そこで収穫にまつわる儀式が執り行われていたという。この蜘蛛の巣形は、マンガライ人の伝統家屋の屋根の形にも取り入れられているとのことだ。

区画が蜘蛛の巣のような形をしている不思議な田
田んぼを模した伝統家屋の屋根

 しばらく水田を眺めた後、再びラブアンバジョーへの帰路につき、約5時間で到着した。ラブアンバジョーで1泊する。夕食は街中のレストランでビールを飲みながら、のんびり過ごした。

ラブアンバジョーの夕焼け
ラブアンバジョーの街中にはこのようなレストランがどんどん出来ている

 泊まったのは港沿いの道に立つ中級ホテル。屋上にあるレストランで朝食を取りながら、大小のツアーボートや漁船が立ち並ぶ港の風景を眺めることができる。

今回泊まった海沿いのバジェットホテル
ホテルの最上階にあるレストランからの眺め

 この道路沿いに、どんどん新しいホテルが出来ている。どれも3〜5階建てで、このような港ビューを売りにしている。ラブアンバジョーでリーズナブルな値段のホテルを探す際にも、この港ビューについては気にかけてもいいかもしれない。

 翌日はジャカルタへの直行便に乗った。天気が良ければ、左の窓側に座ると、離陸後にコモド諸島の島々が並ぶ風景を楽しむことができる。乗る時には左の窓側がお勧めだ。

眼下に広がるコモド国立公園の海

 ワエレボでは1泊40万ルピアを寄付として払った。ガイドをつけて、入口で挨拶のための竹を鳴らし、村の長老の所に挨拶に行く、という手順を踏むのがルールになっている。しかし、麓からのルートが1本しかなくて道に迷うことはないためか、ガイドをつけているのかどうかわからない外国人旅行客も何人か見た。観光客が来れば来るほど、村人たちが麓から運ぶ米や野菜の量も増える。「好意で受け入れるにはそろそろ限界」との意見もあるらしい。

 ワイレボへのトレッキングの出発点となる宿には、インドネシア語と英語で、ワエレボに入村する際の注意点が細かく書かれていた。ワエレボ村の人々が伝統に則った生活を維持しながら、適切な量の観光客を受け入れられるように、きちんとガイドを手配して行くのが、道中の間違いがなく、かつ、受け入れ側に迷惑もかけない行き方なのだろう。

 ラブアンバジョーにはシーフード屋台街が港沿いに並ぶ。各屋台の前に鮮魚が並べられており、そこから魚を選んで焼いてもらう。素晴らしい夕日を眺めながら焼きたてのシーフードを楽しめる。ラブアンバジョーに行く機会があったら是非試してほしい。

シーフード屋台街からの眺める夕陽
賑わうシーフード屋台街
新鮮な魚から好きな物を選ぶ
直火で豪快に焼く