文と写真・鍋山俊雄
インドネシア各地域にはさまざまな様式の伝統家屋があり、それぞれが先祖伝来の文化を表していて興味深い。ただ、近代化が進む中で、建材の安定的調達が難しくなったり天然素材は火事に弱かったりで、文化遺産として残る以外はブロック塀とトタン屋根に切り替わっている地域が年々増えているようだ。一つの島の中に多様な民族の住むフローレス島でも、その傾向はある。しかし、いくつかの地域では、まだ伝統家屋の集落を維持し、実際に人が居住している村も見ることができる(前回の「ワエレボ」参照)。
フローレス島の中西部にバジャワという街があり、そこから近いイネリエ山(Gunung Inerie、標高2245メートル)の周辺に、伝統家屋集落の点在している地域がある。バジャワには空港があり、バリかクパン経由で飛行機で行くことができるので、3連休の機会に伝統家屋巡りの旅に出た(情報は2017年当時)。
フローレス島にある空港は海岸近くに立地していることが多いが、バジャワの空港は内陸部にある。ジャカルタを早朝に出発する便で、午前8時半ごろにティモール島クパンに到着。バジャワ行きのプロペラ機に乗り換えて、約1時間でフローレス島の内陸部に入り、バジャワに到着した。空港からバジャワの街まで、車で小一時間だ。
今回泊まるホテルは民家を改造した「ホームステイ」。バジャワの伝統家屋巡りは欧州の旅行者に人気なようで、ホームステイでは英国をはじめとする欧州人と一緒になった。
ホームステイには昼過ぎに到着し、初日は街歩きへ出かけた。まずは、ボボウ新市場(Pasar Baru Bobou)へ行ってみた。ホームステイの人に場所を尋ね、「歩いて何分?」と聞いてみると「15〜20分ぐらい?」という返事が返ってきた。個人的に「インドネシアあるある」だと思っているのだが、インドネシアの人は基本的に、長い距離を歩く習慣がないので、「歩いて何分?」という質問に正確な答えが返って来ることはあまりない。バイクタクシーでの時間を想定して答えていることも多く、言われた時間よりもはるかにかかることが多い。この時も、彼らよりも明らかに歩くスピードの速い自分が行けば30分はかからないだろうと思ったら、しっかり45分は歩くことになった。
「新市場」ということで、まだ新しい集合市場だ。大きなトタン屋根で壁のない吹き通しの空間に、各区画に分かれて店が出ている。これなら雨に降られることなく多数の出店が可能だ。
山間地域で海から遠いためか、売られている魚介類は鮮魚より保存用の干物が多かった。ほかに、フローレス島の市場でよく見かけるイカット(絣織物)。バジャワの物だけでなく、フローレス各地のイカットが売られていた。
バジャワは海抜1100メートルにあるため、涼しい。年間の平均気温が20℃を下回る月もあり、夜は15℃以下まで下がることもある。住民はイカットを腰に巻いたり、イカットですっぽり体を包んで寒さをしのぐ。市場の洋服屋で売っている服も長袖が多かった。
フローレスはクリスチャンの多い地域だ。市場からバイクタクシーを拾い、「この街で一番大きな教会と、大モスクがあるなら、そこへ行ってくれ」と頼んだ。着いた所には、大モスクと教会が道を挟んで向かい合って立っていた。街に教会とモスクがあるのは珍しくないが、このような小さな街で、この規模の大きな教会とモスクが道を挟んで向かい合っているのはあまり見たことがない。
翌日は朝から車でイネリエ山の伝統集落巡りに向かった。最初の村はベナ村(Kampung Bena)。山間の開けた一角にある村で、中心には石垣で囲まれた広場や小さな祠のような物があり、その周囲を大きな屋根の伝統家屋がぐるっと取り囲んでいる。
インドネシアの地元紙「コンパス」によれば、この村はおよそ1200年の歴史を持つ。45棟の家が集まっている。家の軒先には生贄にされた水牛の角がいくつも連なり、何軒かの軒先では女性が座ってイカットを織っていた。
最も建物の新しい家でイカットを織っていた女性に話を聞くと、家は大体、30〜50年に1度、建て替えるとのこと。イカットについては、この村の女性は小学校を終えたぐらいから皆が習い始め、日中の空き時間に織っていると言う。最近は鮮やかな色を出す合成染料が増えており、手間のかかる天然染料の物は以前より減っているようだ。
家の前の広場に、小さな祠と日除け傘のようなオブジェがある。祠は女性の先祖を祀ったバガ(Bhaga)、日除け傘は男性先祖を祀ったンガドゥ(Ngadhu)という。岩造りの先祖の墓とともに、あちこちに見られた。家の屋根の棟の上には、小さな人形だったり、小さな小屋が乗っている。これは各家の役割や長の位を表している。
村の中を通り抜けて奥の突き当たりまで行くと、そこには高台がある。そこの岩の中に小さなマリア像があり、その後ろにはンガドゥのような傘がある。そこからは周囲に広がる山々の風景が見える。
到着時にかかっていた霧が晴れ始め、幻想的な雰囲気の漂う中、次のトロレラ村(Kampung Tololela)へ移動する。山中のトレッキングルートを50分ほど歩いた。
トロレラ村も、中心部が舞台のように一段、高くなり、そこにンガドゥや石墓が並んでいる。その周囲に半円を描くように家が並んでいる。村の中はのんびりした雰囲気で、子供たちが遊び、女性は軒下で機織りをしている。一軒だけ村の中にあった売店には、意外にも小瓶のビンタンビールを売っていた。
家の中をのぞくと、テレビのある家もあった。家の裏には小さなパラボラ・アンテナがあり、伝統家屋とのコントラストが面白かった。軒先には水牛の角や顎とおぼしき骨が吊るしてある。太鼓のような物もあり、村の伝統儀式の際に使うそうだ。
3番目のグルシナ村(Kampung Gurusina)へは、そこから再び歩いて30分ほどだ。ここは前の二つより大きな集落だ。ちょうど、村人が集まり、一軒の家を建て替えのために解体し、廃材を焼却する作業をしていた。晴れていれば、村の後ろにイネリエ山の美しい姿が広がるはずなのだが、あいにくの霧で見えずに残念だった。
車でグルシナ村を後にした。途中、温泉水が流れている川を通った。イネリエ山は、最後の噴火が1970年代の活火山。なので、このような温泉も湧くのだろう。
夕方にホテルへ戻り、近所を散歩してみた。この辺りの家は伝統家屋ではないが、トタン製の屋根が二段になった帽子のような形をしている家が目に付いた。広場では人々が集まってバレーボールをしていた。ここからも、先ほど巡って来たイネリエ山の姿が遠くに見える。
夕食は近所のレストランでナシゴレンを食べた。それは、これまでにジャカルタやほかの地域で食べていたナシゴレンとは一味違った。なぜか? それは、インドネシアで初めて食べた「ポーク・ナシゴレン」だったからだ。
ジャカルタでも中華料理店に行けば豚肉炒飯はあるが、ナシゴレンとしては豚肉は一般的ではない。クリスチャンが大半のこの地で、ビンタンビールを飲みながら食べたポーク・ナシゴレンは忘れがたい美味だった。
3日目は、飛行機が午後2時ごろの出発だったので、朝からもう一カ所、ウォゴ村(Kampung Wogo)に行ってみた。しかし残念ながら、前日にもまして濃霧となった。視界は限られたが、霧の中に一列に並ぶ、たくさんのバガとンガドゥが印象的だった。
その近辺でも、建物は近代建築に変わっているものの、家の前にはまだバガとンガドゥがある風景を時折見かけた。先祖を敬う慣習はしっかりと根付いているのだろう。
空港に向かう途中で、屋外市場に立ち寄ってみた。目に付いたのは、取引される豚の数の多さだ。フローレス同様にクリスチャンの多いパプア州ワメナの屋外市場でも、豚の取引が目に付いたのを思い出した。インドネシアのムスリムの多い地域では見ることのない風景だ。
帰りもクパン経由でジャカルタに向かった。午後4時半にクパンを発つジャカルタ行きのガルーダ便。これは、天気が良ければ、眼下にスンバ島の眺めを楽しんだ後、機上でジャワの夕焼けを楽しめる、お気に入りのフライトだ。東ヌサトゥンガラ州を巡る時の定番ルートだった。