【インドネシア全34州の旅】#47 東ヌサトゥンガラ州④ フローレス島エンデ 色の変わる三色湖

【インドネシア全34州の旅】#47 東ヌサトゥンガラ州④ フローレス島エンデ 色の変わる三色湖

2021-09-19

文と写真・鍋山俊雄

 フローレス島の定番観光地として必ず名前の挙がるのがクリムトゥ山(Gunung Kelimutu、標高1639メートル)の三色湖だ。昔の5000ルピア紙幣のデザインにも使われたこの不思議な火口湖は、フローレス島のちょうど真ん中辺りにある。「行きたいとこリスト」には当然入っていたのだが、一番近いエンデの空港から大分内陸の場所にあるので、週末だけの弾丸旅行だと「土曜にクリムトゥ山の麓のモニ村まで行き、日曜早朝に湖を見て、一気にエンデまで戻り、夕方にジャカルタに帰る」という強行スケジュールになる。クリムトゥ山周辺の伝統家屋やスカルノ初代大統領の流刑地の一つだったエンデの街にも興味があるので、もう少し長い休みで行くことにした。クリスマスの4連休だと、キリスト教徒の多いフローレス島でのクリスマスの雰囲気も味わうことができる(情報は2017年当時)。

有名な観光地のクリムトゥ国立公園。左上に2つ、右下に1つ、色の違う湖がある
クリムトゥ国立公園の入口で販売(?)していた旧5000ルピア紙幣。紙幣に描かれた当時の湖の色は赤、青、緑だ

 フローレス島中部にあるエンデ空港にジャカルタから行くにはバリ経由が一般的だが、4連休なのでバリ路線は大混雑する。このため、ティモール島クパン経由で行くことにした。午前4時半にジャカルタを出発するお気に入りのボンバルディア機の便を使って約3時間のフライトでクパン入りし、昼過ぎに出発するエンデ行きのプロペラ機え約1時間のフライト。海沿いの街エンデに到着した。

フローレス島エンデに着陸する

 エンデ空港からクリムトゥ山の麓にあるモニ村まで、タクシーで約2時間かかり、50万ルピア程度(約4000円=当時)。空港にいた運転手に「翌日、モニからクリムトゥ公園へ行き、周辺の伝統家屋を巡りながら夕方までにエンデに戻るのは可能か?」と聞いたら、翌日は別の運転手を紹介してくれることになった。料金は1日チャーターで70万ルピア。

 エンデを出るとすぐ、山間の道に入る。道はきちんと舗装されており、きれいな川を時折眺めながらのドライブは快適だ。街を結ぶ乗合バス以外はあまり車も通らず、もちろん、渋滞もない。

小さな滝や川を眺めながらの道中
時々、車から降りて景色を眺める
島内を巡るミニバス。バスの上でも器用に寝る乗客

 到着したモニは小さな村だが、クリムトゥ行きのベース基地となるので、旅行者向けの小さなホームステイ(民宿)やレストランが何軒か、一本道に連なって並んでいる。街の中心には教会があり、それを囲むようにして民家が点在している。

 1泊するホームステイの庭には装飾ランプが飾られた簡素なクリスマスツリーがあった。そこから、翌日お世話になる運転手の家にも行ってみた。村の中心を通っている道を東へ向かうと、フローレス島中部の街マウメレまで3時間ほどで着くそうだ。マウメレにも伝統村があり、エンデ入りしてマウメレから帰るパターンも調べていたのだが、今回はエンデ周辺を優先することにしていた。

モニで泊まったホームステイ
村の中心にある教会
レストランではビールも飲める

 夕食は近くのレストランへ。フローレス島はクリスチャンが多数を占めるので、アルコールが普通に飲める。そのレストランでは、ビンタンビールの瓶で作ったクリスマスツリーがライトアップされていた。ビンタンビールは緑色の瓶に赤いラベルなので、そのまま積み上げるだけでクリスマスの装いで、なかなか美しい。

 翌朝4時半にモニを車で出発した。5時過ぎにクリムトゥ湖への登り口に到着した。三色湖はクリムトゥ山頂近辺に位置し、それぞれ、老人の湖(Danau Orang Tua=Tiwu Ata Mbupu=略称TAM)、若者たちの湖(Danau Muda-mudi=Tiwu Nua Moori Koohi Fah=略称TiN)、悪人の湖(Danau Orang Jahat=Tiwu Ata Polo=略称TAP)という名前が付けられている。入り口から展望台までは徒歩で30分ほどだ。

 階段の整備された道を登って行く。まずは2つ並んだTinとTAPが見えてくるので、そこで夜明け前の湖をのぞいてみる。展望用の柵が付いているが、湖の際まで行くことができる。湖面まで、かなり高さがありそうだ。

左がTiN、右がTAP。まだ暗いが色の違いはわかる

 そこから、少し先の高台にある展望台を目指す。三色湖に関する簡単な説明板が所々に設置されている。展望台が近付くとだんだん上りの階段が増えてくる。無事、日の出前に展望台に到着した。日の出を待つ観光客が結構、集まっていた。日が上る方向の眼下にはエメラルド色の湖が2つ、そして反対側には深緑の湖面の湖(TAM)が見える。

展望台まで緩やかな階段を登る。右手にはTiNが見えている
日の出前に展望台に到着
TiNとTAPの向こうから日が上る
反対側にあるTAM。色は深緑色
クリムトゥ山の周囲にも山が連なる

 この湖の特徴は、クリムトゥ山の火山活動の影響を受けて色が変わることだ。展望台にあった説明書きによると、1915年から2011年の間に、TAPが44回、TiNが25回、TAMが16回、色が変化したという。私が見に行った時点では、TiNは薄いエメラルド色、TAPは濃い目のエメラルド色、TAMは深緑色だった。

クリムトゥ三色湖の色彩の変化についての説明

 クリムトゥの眺めを楽しんだ後、午前7時半ごろ、再びモニへ戻った。周囲の道路では日曜日の朝市が開かれ、道端にゴザを敷いて農作物や魚が売られており、買い物客で賑わっている。村の教会では日曜のミサが行われていた。モニ村の景色をのんびり眺めながら朝食。

 8時半ごろ、モニからエンデ方向へ出発した。途中で2つの伝統家屋村に立ち寄ることにしていた。一つ目はウォロガイ村(Kampung Adat Wologai)。大きな屋根を持つ家が約20軒ある。屋根は竹を並べた上にアランアラン(alang-alang)と呼ばれる茅のような草を敷いており、3年に1度、葺き替える必要があるという。村の中心部には石を積み上げた丘があり、そこは儀式を執り行う特別な場所なので上がってはいけないと言われた。村にはあまり人の住んでいる気配がない。軒先で土産物を売っている人に聞いてみると、この伝統家屋村に住んでいる家族は全体で2〜3戸しかないそうだ。元々この村に住んでいた人たちは、近くにある現代的なトタン屋根の集落に住んでいる。

伝統家屋は維持されているが、ほとんどが空き家
家屋は保存されており、補修の跡も見られる

 家の梁や床の外壁の所々に彫刻がある。特に目を引いたのが、入口の横の柱にある不思議な突起。よく見ると、女性の乳房の形の彫刻が施してある。「家そのものが母性を表す存在」という意味の装飾らしい。

入口のドアの両側に乳房の彫刻が施されている。他の家にも同様の彫刻があった

 お土産として、小さな彫像のほかに、ルアック・コーヒー(ジャコウネコの糞から未消化のコーヒーの実を取り出して作ったコーヒー)も売っていた。標高が1000メートルを超えるこの村では、周辺でコーヒーを栽培している。ジャコウネコの糞の中で固まっているコーヒーの実も見せてくれた。

この家の主人が作った木彫りと、村の周囲で拾い集めて来たと言うルアック・コーヒー
ルアック・コーヒー。糞として固まり、コーヒーの実を取り出す前の状態だ

 次に立ち寄ったのはサガ村(Kampung Adat Saga)。この村も高台にあり、村落は斜面に並んで立っている。ウォロガイ村と同様に歴史は古く、13世紀ごろまで遡るそうだ。斜面には家と畑が混在する。段々になっている壁が続いているが、道がない。どうやって上るのかと思ったら、斜面の土の壁に階段状に挿した小さな岩が通り道となっており、人々は器用にさっと上って行く。

この村も何軒かに人は住んでいるが、空き家も多い
サガ村の家屋にも乳房の彫刻がある

 村は1992年のフローレス地震で大半が崩れてしまったという。その後、家々は再建したが、崖崩れの恐れがあるため、政府の指示により、大半の村の住人はもう少し下手にある集落へ移った。今では村を守るために3軒程度しか人は住んでいない。ただし毎年9月には村の伝統的な祭りがあり、移った住民も含めて多くの村民が集まるそうだ。ここも周辺ではコーヒーやカカオを栽培している。傾斜地の上の方にある家まで行ってみると、山間に村落が広がる眺めが素晴らしい。

高台からの眺め。一部の家はトタン屋根に変わっている

 サガ村を出発し、エンデの街に向かった。エンデで2泊するホテルは1階がパダン・レストランになっている。ホテルに荷物を置き、夕方までエンデの街を歩くことにした。

1階がパダン料理レストランのホテル

 最初に行ったのは、スカルノ初代大統領がオランダ植民時代の1933年から5年ほど流刑となり幽閉されていた家(Rumah Pengasingan Bung Karno)。中は博物館になっていて、当時使用されていた応接セット、寝台、スカルノが弾いたビオラなどが展示されている。

「スカルノの家まで123メートル」という細かい距離表示
スカルノが住んでいた家。美しく塗り直され、手入れされている
応接セット

 スカルノはエンデの地で異教徒の住民同士が融合して暮らしている姿に感銘を受け、インドネシアのパンチャシラ5原則(インドネシアの国是となっている建国5原則)を考え付いたとされる。だからエンデは「パンチャシラ発祥の地」とされており、街中の公園には、いすに腰掛けて沈思黙考するスハルトの銅像がある。

ベンチに座るスカルノ像

 街中から海岸へ向かうと大きな運動場があり、脇には1992年12月12日のフローレス島の大地震の追悼碑があった。サガの村でも聞いたが、この地震では甚大な被害が出たようだ。

 港近くの市場では、フローレス特産の手織りイカット(絣)を売る店が並んでいた。フローレス島以外の物もあり「このイカットはロテ島、これはサブ島」など、いろいろと広げて見せてくれた。エンデ周辺で織られた物を購入した。

イカットの店が並ぶ

 この日はクリスマスイブ。午後6時ごろ、街で最も大きな教会へ行ってみた。教会の入口脇にある大きなクリスマスツリーは、モニのレストランで見た物よりもっと大きな「ビンタンビール瓶製ツリー」。イルミネーションが施されていた。

クリスマスイブの礼拝に多くの人が集まって来た
聖堂の中のクリスマスの装飾

 エンデでの3日目は、朝から街の中を散歩した。クリスマスの街は静まり返っている。サンタクロースのミニチュアなどを飾った家を多く見かけた。小一時間ほど歩き、街の大モスク(Mesjid Agung)と県知事オフィス(Kantor Bupati)を眺める。ホテルに戻って来ると、バリでよく見かけるヒンドゥー寺院(Pura)がホテルの向かいにあるのに気付いた。

クリスマスの装飾をあちこちで見かけた
3層屋根のエンデの大モスク

 ホテル1階のパダン・レストランで昼食を取りながら、ホテルのオーナー夫人と話をした。30年余り前、スマトラ島パダンからオーナー夫妻の両親がエンデに移り住み、パダン料理のレストランを始めたと言う。2年前にレストランを併設したホテルに改造した。2015年に映画「スカルノ」の撮影がエンデで行われた時、このレストランが食事を提供したんだ、とうれしそうに教えてくれた。

 ホテル前のヒンドゥー寺院のことも聞いてみると、フローレスの軍・警察はバリ島に本部を置く管区内にあり部隊がバリから派遣されるため、ヒンドゥー教徒も一定数が住んでいるとのことだ。フローレス島では異教徒間の結婚にも寛容で、夫婦や親子で宗教が異なることも珍しくないらしい。

 エンデ周辺でのお薦めの場所を聞いたら、エンデから車で少し行った海岸沿いに緑色の石が一面に広がる「緑石の海岸」(Pantai Batu Hijau)があると教えてくれた。オジェック(バイクタクシー)を頼もうと思っていたら、たまたまホテルに来た息子さんが車を出してくれることになった。

 ホテルからは往復1時間ほどの道のりだ。着いた時はあいにくの小雨だったが、水に濡れた緑色の石が一面に広がり、不思議な風景だった。道中、道路添いに同じような緑色をした地層が見えたので、この辺の地層の石が砕けて海岸に広がっているらしい。石はフローレス以外の島にも建材として送られているそうだ。

緑色の石が一面に広がる海岸

 翌日、また息子さんが空港へ送ってくれた。山にあるフローレス大学のキャンパスに立ち寄って高台からの眺めを楽しんだ後、空港へ行って別れた。

フローレス大学(Universitas Flores)のキャンパスから海側を望む。左の稜線の麓に空港がある
エンデの空港ビルは小さい

 クリムトゥの三色湖は高地にあるので、天気が悪いと霧がかかって湖面が見えないこともあるのだそう。今回も下山時には一部、周囲で霧がかかり始めていたので、やはり天気は変わりやすいようだ。日の出時にくっきりと湖面が見られてラッキーだった。