【インドネシア全34州の旅】#48 東ヌサトゥンガラ州⑤ ルンバタ島ラマレラ 生きるための伝統捕鯨の村

【インドネシア全34州の旅】#48 東ヌサトゥンガラ州⑤ ルンバタ島ラマレラ 生きるための伝統捕鯨の村

2021-10-12

インドネシアにある全34州を訪れた鍋山俊雄さんの連載旅行記。フローレス島はいったんお休みして、この地を舞台にした映画「くじらびと」が日本で公開されたルンバタ島ラマレラへ。アクセスは? 捕鯨の舟に乗る場合の値段はいくらぐらいなのか? 一般の旅行者が訪れることの少ないラマレラを2017年に訪れた貴重な記録です。

文と写真・鍋山俊雄

 その写真を初めて見た時は衝撃だった。大海原で、銛を持った若者が小舟から鯨に向かって跳躍している。東ヌサトゥンガラ州都であるティモール島クパン(Kupang)で、東ヌサトゥンガラ州の伝統文化を紹介する博物館に行った時に、壁いっぱいに展示されていた写真だ。

 その時に、このルンバタ島のラマレラという小さな村で、現代においても伝統的な鯨漁が行われていると初めて知った。そして、この村に行く方法を探し始めた。

東ヌサトゥンガラ州立博物館で見たラマレラ村の写真

鯨漁は5月から10月

 自然が相手なので、時間とお金をかけて現地に行ったとしても、鯨が現れるかどうかはわからない。それに、大きいとは言えないボートで鯨に接近するのだ。そもそも漁に付いていくことはできるのか、死者も出るような捕鯨の舟に乗るリスクが自分に取れるのか、などを、つらつら考えながら、ラマレラまで行った物好き(?)な旅行者の情報を探してみたが、ここに関しては、情報が極めて少ない。

ラマレラ村

 インドネシア人旅行者のブログなどで断片的な情報を集めてみると、フライトは、クパンからルンバタ島レオレバ(Lewoleba)まで、スシ航空かトランスヌサ航空のいずれか。あるいは、フローレス島東端のララントゥカからスピードボートで1時間かけて行く方法や、18時間かかってしまうがクパンからフェリーで行く方法もあるらしい。

 スシ航空は小型セスナ機を使うので天候の影響を受けやすく、キャンセルが多い。もう少し大きいプロペラ機を飛ばしているトランスヌサ航空を軸に、チケットが買えるかどうか探してみた(情報は2017年当時)。

ルンバタ島に到着

 ラマレラ村の鯨漁は年中行われているわけではなく、5月1日に漁解禁のミサが行われ、それから10月ごろまで続くらしいとわかった。ちょうど6月末にレバランの長期休暇があったので、それに合わせて行くことにした。

 普段、愛用している国内線のチケットサイトでは、どこを見ても、このフライトは出て来ない。トランスヌサ航空のウェブサイトを探し出し、会社に直接電話をして、ようやく予約が取れた。

 ルンバタ島の地図を見ると、空港のあるレオレバは島の北側でラマレラ村は南側だ。乗合バスが出ているようだが、その乗り場は空港から少し離れた所にある。スケジュール通りだと午後1時過ぎにレオレバに着く。そのままラマレラに向かう手段が確保できるのか、レオレバに1泊することになるのかわからないので、現地に着いてから空港で情報を集めることにした。

レオレバの真新しい空港ビル

国内旅行で最悪、想像以上の悪路

 6月末のレバラン休暇始まりの日、ジャカルタを早朝便で出発した。クパン経由でルンバタ島レオレバの空港に着いたのは同日昼過ぎだった。ラマレラに向かう乗り合いバスは1日1便しかなく、昼前には出発していた。そこで、空港にいた車の運転手と交渉して、ラマレラ村までチャーターすることにした。料金は80万ルピア(6000円ぐらい)だった。半日料金としては、他島に比べてかなり高い。交通手段が限られており、車が少なく、かつ、道の悪い離島にしても高いが、他に車がいないので仕方ない。

 最近では離島に行っても、テレコムセルの3Gがカバーしている。グーグルマップスがここでも使えるのはありがたかった。それほどの距離には見えないので「1時間少々あったら着くか?」と運転手に聞くと、3時間はかかると言う(ほどなく、その理由がわかった)。

 また、運転手が言うには、ラマレラまでの道中、店はない。ラマレラも小さな村で店はほとんどないので、必要な物はレオレバで買って持参した方がいい、とのことだった。とりあえず、水とビスケットを調達してラマレラに向かった。

 レオレバを出て山中に入ると、すぐに舗装が剥がれた山道の走行となった。結局、道の9割以上の舗装がかなり壊れていた。このため、普通に舗装された道路なら1時間少々で着く距離であっても、たっぷり3時間以上かかってしまうのである。

剥がれた舗装が一部残っているので、かえって走りにくい

 日本ならこんなに舗装が壊れたままで放置されていることはないだろう。インドネシアでは、地方、特に離島の道路状態は、場所によって随分と差がある。これまでの経験上、それなりの観光地のある島では、たとえかなり離島であっても、舗装された道路が整備され、メンテもされている。このルンバタ島のラマレラまでの道のりは、私が今まで経験した国内旅行の中でも最もひどい道路状態だった。

 バイクは、破損して所々に残った舗装を避けながら走る。車は舗装の破片を避けたり乗り越えたりするので、かえって時間がかかる。時々、屋根まで鈴なりに荷物を積んだトラックや乗り合いバスとすれ違った。やはり車体はかなり揺れて、スピードも遅い。ようやく島の南側に抜けて、海が見えてきた時にはほっとした。

世にも珍しいオブジェの出迎え

 ラマレラの村が近付くと、道の両端には、見慣れない、世にも珍しいオブジェが並び始める。よく見ると、これらはすべて鯨の骨だ。ラマレラは鯨が獲れると村人が総出で海岸に行き、1日かけて完全に解体するという。残った骨は村のいろいろな所でオブジェになっているのだろう。こんな所が世界にどれだけあるだろうか。道端に並ぶオブジェを眺めながら、果たして滞在中に鯨が見ることができるだろうか?と、ワクワクしていた。

村の入口には大きな鯨の骨のオブジェ!

 村で泊まる所は簡素な「ホームステイ」(民宿)しかない。乗合バスの終着場所が「Abel Bedding」というホームステイになっており、そのままそこに泊まることにした。

ホームステイのロビー。右側は海岸。奥に、村での数少ない売店の一つがある

 道路に面しているロビーのすぐ隣の部屋にチェックインした。ベッドとマンディ(水浴び場所)があるだけの部屋で、1泊15万ルピア(約1000円)だ。この村では電気も水道も供給される時間が限られているので、特に水はマンディ場の水桶に十分溜めておかないと、水浴びやトイレに困ることになる。

 宿の中にはかなり人が集まっていて、どうも雰囲気がおかしい。宿の若主人と話すと、主人のアベル氏が重病で親戚が集まって来ていると言う。とは言っても、他の宿の場所もわからないし、若主人も「気にせず泊まってくれ」とのことだったので、そこに泊まることにした。

 早速、目の前の海岸に出てみた。銛を打つ人が立てるように舳先が広く長くなった独特の形状の鯨漁の舟20艘ぐらいが屋根の下に並んでいる。周囲には鯨肉の一部が干してある。海岸では子供たちが遊んでいるほか、漁師の男性たち数人が座ってじっと海を眺めている。

子供たちが遊ぶ夕暮れの海岸
干した鯨肉
砂浜に立つ小さな教会

 漁師の1人に話を聞くと、5月1日の解禁日以降、5月には5頭を捕獲したものの、6月はまだゼロ。今週も2日前、昨日と鯨を追いかけたが、結局、穫れなかった。年間でゼロだったこともあるし、数十頭が獲れることもある。シーズンは10月までだが、それ以降でも鯨が出ることはある。2月は海が荒れる(東部の旅ではこれは共通だ)ので漁には出ない。日曜日は原則として休息日(安息日)なので、たとえ鯨が見えても漁には出ない。ただし、過去に鯨がずっと獲れずに村が困っていた時、日曜日に鯨が見えて、教会の神父の許しを得て例外的に漁に出たことはある、とのことだ。

 このルンバタ島の南側のサブ海が、鯨の回遊する通り道になっている。この砂浜に座ってじっと海面を見ていると、鯨の潮吹きが見える。その吹いた潮の形で種類もわかるそうだ。

 鯨を見付けたら大声で「バレオー、バレオー、バレオー(Baleoは「鯨」という意味)と叫び、それを聞いた他の村人も同様に「バレオー」と叫び、これが村中に伝達されていく。漁師たちは舟を出航させ、最初は船外機を使って、鯨が見えた方へと向かって行く。空振りになることもあるし、見つけても捕まえられないことも多い。漁は出発してから戻るまで8〜9時間はかかる。長い時だと、朝に出て行って、戻りが翌朝になったこともあったそうだ。

 ここにはほとんど観光客は来ないが、伝統捕鯨を撮影しようというBBCやCNN、日本や韓国などのメディアや、個人で定期的に来ているフリーランスの写真家も多い。毎年のように来て、ラマレラ語も覚えて村人の家に長期滞在するドイツ人カメラマンもいるそうだ。私が自己紹介したところ、「日本人なら、この村で有名なのはMr.Bonだが、知ってるか?」と聞かれた。Mr.Bon(2021年9月に日本で公開された映画「くじらびと」を撮影した石川梵監督)のことを私が知ったのは、この旅からジャカルタに戻った後のことだった。

 この日は結局、鯨は見えず、夕方に宿に戻った。ジャカルタを早朝に出発して長旅をしてきた疲れで、ビスケットを食べてすぐに寝てしまった。

減少している鯨穫りの舟

 翌朝(滞在2日目、土曜日)は、レオレバ行きの乗り合いバスが出発する音で起きた。レオレバ行きのバスは1日1便しかなくて、ラマレラ発は午前4時45分だ。

ラマレラとレオレバを結ぶ乗り合いバス
簡単な朝食

 朝食はご飯とおかず1品のごく簡単な物だった。午前7時前に、砂浜に出てみた。再び7、8人の漁師たちが砂浜に腰掛けて海を眺めている。すると、一艘の舟が鯨ではなくて通常の漁に出ることにしたのか、その前に丸太を並べ始めた。舟から波打ち際まで丸太を並べた後、居合わせた人々が力を合わせて舟を押す。こうして、数人の乗った舟が沖に向かって行った。

鯨を探し、じっと沖を見つめる漁師たち
丸太の上を転がして漁に出る舟

 その後、村の中を少し歩き回った。海岸の西側は、丘を越えると民家の並ぶ集落が広がり、大きなカトリック教会が見える。教会までの道は、朝食の準備で煙の立ち上る民家が並んでおり、レストランも売店も、屋台のような物さえも見当たらない。

眼下に広がる民家。中央奥に教会が見える

 今度は宿から東側に向かい、切り立った海岸沿いを歩いてみた。民家がポツポツ並んでおり、その中に、鯨の骨をアレンジしたオブジェがたくさん飾ってある家があった。いろいろな部位の骨が飾ってあり、さながら鯨骨の博物館のようだ。家の裏に回るとご主人がいらっしゃったので、写真を撮影した後、少し話を聞かせてもらえることになった。ご主人はアロイシウスさん(Mr. Aloysius、63歳)。クパンに住む娘さんが連れて来た孫を抱きながら、鯨漁の話をいろいろ聞かせてくれた。

鯨の骨のオブジェに囲まれた家

 
 アロイシウスさんは20歳のころから鯨漁に出ており、役割は、舳先から銛を打ち込む銛打ち(ラマファ)。今も漁に出ることはあるが、若い世代のコーチ役だそう。昔は岸からオールを漕いで鯨を追っていたが、今は「ジョンソン」(以前、米国のJohnson Outboards社製の船外機を使っていたので、船外機がこう呼ばれている)で、漁をする場所まで行けるので、楽になったそうだ。

 1頭を仕留めるまで、早くて1時間、長いと3時間ぐらいはかかる。仕留めた後、1艘の舟で最大2頭まで、村まで引っ張って来られるとのことだ。

 昔は30艘ほどの集団で漁をしていたが、最近は15艘ぐらいに減っている。1艘には15〜20人ほどが乗船する。1艘が鯨を捕らえた場合、周囲の舟も集まってサポートする。鯨の方でも仲間が捕まると助けに集まる習性がある。鯨の尻尾の反撃で舟が沈むこともあり、漁の最中での死者も出ている。鯨との戦いはいつも危険と隣り合わせなのだ。

 ここの家は、海岸からは結構距離がある。どうやって鯨が出たことがわかるのか、「バレオ〜」の声はここまでは聞こえないのでは、と聞いたら、「バレオ〜」の掛け声は口伝てにこだまのように広がるので、すぐにこの辺にまで伝わる。漁師はすぐに砂浜の舟の元に駆け付けることになっている。獲れた鯨はほぼ1日がかりで村人総出で解体し、その役割に応じて決められた方法で村人に配分されるのだそうだ。

 この島には山の民と海の民がいる。毎週金曜の朝に開かれる市で、山の民との間の物々交換が今でも行われている。ラマレラ村民は鯨の肉や魚を野菜やバナナなどと交換する。お金は村でも使えるが、市場ではほとんどが物々交換とのことだ。

 世界的な反捕鯨の動きをどのように考えているのかと聞いたところ、「捕鯨が世界で禁止されていることは知っているが、この地では、インドネシアが成立するより前のはるか昔から、伝統として鯨漁をしている。伝統なので禁止できないと思っている」との回答だった。

 彼は1枚の写真を持って来て、見せてくれた。舟から跳躍して鯨に銛を打ち込んでいる写真。以前に漁に同行した外国人のカメラマンが撮ってくれたと言う(後でわかったのだが、この写真を撮影したのは石川梵監督だった)。

 アロイシウスさんは話の中で、捕鯨に「tikam 」(突き刺す)という言葉を使う。魚を穫る場合は「tangkap」(捕える)、「mancing」(釣る)という言葉しか聞いたことがなかった私には、新鮮だった。

アロイシウスさんが見せてくれた写真
さながら博物館のようだ

 この後で、アロイシウスさんに聞いた、物々交換が行われるという市場に向かってみた。朝市が開かれる場所に着いたが、がらんとしたサッカー場で誰もいなかった。せっかく金曜日だったのに、午前中に開催されており見ることができず残念だった。

市場が開かれるグラウンド

ついに「バレオー」コール!

その後、再び海岸に戻り、鯨を待つことにした。海岸からふと右の崖上を見ると、小さな舞台のようになった展望台があるのを発見した。早速そこに行ってみると、沖の様子も見ながら、浜辺の方も観察できる絶好の場所だ。屋根もあるので日陰になる。その板張りの床に座り、じっと沖を眺めることにした。子供たちや村人たちも入れ替わりで休憩に立ち寄るので、話し相手にも困らず、なかなか良い場所だ。

鯨が見えないか沖を眺める

 それから1時間、ずっと海を眺めていた。すると、すぐ下の崖下の岩場で泳いでいた子供たちが、いきなり「バレオー、バレオー、バレオー」と大声で岸に向かって叫び始めた。それに呼応して、海岸にいた子供たちが大声で叫び始め、大人たちも集まり始めた。2艘の舟の前の砂浜には丸太が並べられ、舟を出そうとしているようだ。

「バレオー」の掛け声と共に、舟を出すための丸太を並べる

 後ろを振り返ると、道路際にも人が集まり始めていた。海の方を見たが、自分の目には鯨は見えない。展望台から坂を下りて海岸に急いで向かう途中で、「バレオー」の掛け声が止まった。舟も結局、動いていない。海岸で漁師に「さっき『バレオー』って言ってたけどどうなったの」と聞いたら、「誤報」、見間違えだったとのことだ。残念。

「バレオー」コールに人が集まって来て、沖合を眺めている

 元の展望台へ戻り、再び海を眺め続けた。誤報だったとはいえ、「バレオ・コール」が聞けて少しワクワクした。なんとか、再びバレオ・コールが広がり、海には鯨が見え、それに向かって多くの舟が出発するところを見られないものか。  

 夕方になり、朝方に漁に出かけていた舟が帰って来た。後ろに、何か大きめの魚を引っ張っているのが見えた。なんと、イルカだ。ラマレラの人々にとっては鯨が最大のターゲットだが、他にもマンタやイルカも獲る。

漁から帰って来た舟はイルカ3頭を仕留めていた

 展望台で横にいた若いお兄さんは「イルカは人間に友好的で、船が難破した時にも助けてくれるそうだ。しかし、ラマレラの前の海だけはだめ。彼らはラマレラの漁師のことを知っているから助けてくれないんだ」と笑いながら話してくれた。

 海岸まで下りて行って、獲ってきたイルカの解体作業を見学した。近くの家から子供や女性たちも集まり、男性が解体していくイルカの肉片を海で洗い、波打ち際が赤く染まる。洗った肉片をバケツに入れて、テキパキと運んで行く。30分少々で、3頭いたイルカは跡形も無くなってしまった。

 鯨の解体では約1日がかりで解体すると聞いたが、あのように大きな鯨がこの海岸で解体されるところは壮観なのだろう。しかし、後ろを振り返るとずらりと舟が並び、ほとんどの船は出漁していない。明日は出漁しない日曜だし、どうやら今回の滞在で鯨の解体は見ることはなさそうだ。

瞬く間に解体されたイルカ
イルカの肉片を海水で洗う女の子

捕鯨の舟に乗るなら?

 滞在3日目(日曜)の未明、女性たちの泣き声で目が覚めた。時計を見ると、まだ午前3時だった。療養中のアベル氏が亡くなったと言う。

 この日は日曜なので、漁のない日だ。宿にいても落ち着かないので、村で一番大きいカトリック教会に再び行ってみた。赤系の服で着飾った村人たちがミサのために集まって来ていた。

 教会内部には、この島にカトリックの布教に来た時の様子を表した壁画が描かれている。パプアやマルクの島々を巡ると、このような絵画が時折見られ、当時の時代を鮮やかに描いている作品が多く、とても興味深い。多くの他の離島に見られるように、この島にもこうやって布教に来たのだろうか。教会の外には、捕鯨舟の舳先に立った神父像がある。

教会の壁画にはラマレラへの布教の様子が描かれている

 砂浜で子供たちが遊んでいるのを眺めながら、ぼーっとして過ごした。砂浜に並んでいる捕鯨舟は一艘ずつ、それぞれ独立した茅葺の屋根の下に、舳先を海に向けて収められている。出漁の時は、丸太を砂浜に並べて押し出すのだ。10-15人乗りなので大きめではあるが、舟の中には銛を積み込むため、あまりスペースはない。漁の最中に鯨の体当たりや尾びれの反撃を受けることもあるというので、丈夫な造りになっているのだろう。

 どの舟も舳先は大きくせり出している。銛打ちがここに立ち、獲物に向かって跳躍するのだ。舳先越しの眼前に広がる海を眺めながら、捕鯨の風景を想像してみた。

長い舳先が特徴の舟
中央の長い竹にやじりを付けて銛として使う

 砂浜に腰掛けて、手製の紙巻たばこをゆっくりとくゆらせ、遠くを眺めながら鯨を探す漁師たち、波打ち際で遊ぶ子供たち。ゆったりと時間が流れて行く砂浜にいたおじさんに声をかけると、今朝亡くなったアベルさんの親戚(66)だった。もう引退したが、若いころは銛打ちのラマファ。今は捕鯨の舟の建造を手がけているそうだ。

 鯨は、多い年では、年間50頭近く穫ったこともあるそうだ。潮吹きの形や潮の出る方向で鯨の種類がわかる。鯨なら何でも獲るわけではなく、獲らない種類の鯨もあるそうだ。その理由は、深く沈んでしまって、浜に引いて来るのが難しいからだ(後に、映画「くじらびと」公開後の石川監督のインタビューで、これについての情報があった。ナガスクジラは獲らない。一説には「ラマレラ村の先祖がナガスクジラの背中に乗って来たから」とも言われているそうだが、実際の所は、ナガスクジラは死ぬと沈むから、ということらしい)。

 この日は安息日なので漁には出ないが、鯨は見えたか、と聞いたら、沖に見えていたそうだ。

 捕鯨の舟の建造方法についても、材料や組み立て方に、伝統に基づくしきたりがいろいろある。後ろにずらっと並んでいる舟を見ながら、しきたりに反して、より「現代的」な材料を使った舟が、漁師間での協議の結果、出漁禁止になった例もある、と話してくれた。

 捕鯨写真の撮影のために舟に乗せてもらう方法も聞いてみた。舟に乗せることは可能で、1人なら1日15〜20万ルピア(1000〜1500円)。ただし、もし鯨の写真などが撮れたら、追加で50〜100万ルピアといったボーナス支払いが期待される、というシステム。漁の舟とは別に、船外機が付いた舟を別料金でチャーターして追いかけることもできる。

 ここまで話を聞いて、もし鯨が出たとしても、捕鯨の舟に乗せてもらう、あるいは舟をチャーターして追いかける、ということについては、すっかり消極的になっていた。

 このサイズの舟で、屋根もない中、直射日光の下で長時間、沖をさまよい、いざ見つかったら、反撃を受けるかもしれない捕鯨が始まる。捕鯨の舟に乗るのはどう考えても危険だし、大体、漁師たちの足手まといになってしまうだろう。では、エンジン付きの小舟を別にチャーターして付いて行くかと考えたが、まぁ旅行者が気安く付いて行くものではないのかなと思い、バレオ・コールからの捕鯨漁出発と、鯨解体作業の見学を目的にすることにした。

海岸で遊ぶ子供たち
お手軽な「ボディーボード」

 宿に戻るとアベル氏の葬儀が行われており、たくさんの人たちが集まっていた。家の前では食べ物を振舞っていた。戻って来た私にも食べ物を勧めてくれた。親戚の人たちとしばらく捕鯨やラマレラの話をした。太平洋戦争時、このルンバタ島にも日本軍の侵攻があり、終戦後にそのまま居残った人もいて、今でも日系インドネシア人が住んでいるということだ。大概、どんな離島に行っても、日本軍が来ていたという話は聞くが、やはりルンバタ島にも駐留していたのだ。

美しい夕焼けが広がる

見られなかった鯨

 滞在4日目(月曜日)はレオレバに戻る日だ。バスは早朝の出発だし、料金は安い(片道3万5000ルピア)とは言え、行きで見た通りに道路状況はひどい。それなら、料金は高いが車をチャーターして昼過ぎにラマレラを出る方が、あと半日でもラマレラで粘ることができる。行きで使った運転手に携帯電話番号を聞いていたので、前日に連絡を取り、月曜の昼にラマレラへ迎えに来てもらうようにお願いしていた。

 ラマレラにピックアップに来てもらい、レオレバまで戻り、市内観光と翌日朝の空港までの送迎を含め、140万ルピア(約1万1000円)で交渉成立していた。ちなみに、宿の若主人に「乗り合いバスをチャーターしたら、150万ルピア(1人3万5000ルピアの約40人分相当)ぐらいかかる」と言われていたので、まぁ妥当な金額か。

 最終日は朝からずっと、海岸に座って過ごした。昼前には、早朝に漁に出ていた2人乗りの小さな舟が戻って来るのが見えた。ヨットのように帆を張り、うまく風を利用して岸に向かっている。岸に近付くと、その小さい舟上で漁師は立ち上がり、手慣れた様子で器用にくるくると帆を巻いてたたんで、帆柱を倒し、手漕ぎで岸にたどり着いた。岸に上がると、舟に積んだ魚を手際よく分配していた。

器用に帆をたたむ漁師
本日の水揚げ

 午後1時まで海岸で粘ったが、結局、鯨は出現しなかった。迎えに来てもらった車に乗ってラマレラ村を出発した。行きと同じ、舗装の破壊された道をゆっくり戻り、午後4時半ごろにレオレバに到着した。

 予約してあったホテルに荷物を置いた後、レオレバの街を案内してもらった。観光地はほとんどないが、まずは私にとっての定番の大モスク、県知事庁舎、そして市場に行ってみる。ルンバタ島のイカット(絣織り)を見つけたので、記念に小さい物を一つ買った。

市場でイカットを探す
県庁舎の入口の柱はイカット柄の壁画。右側の柱には捕鯨の様子も

 ワイ・ジャラン海岸(Pantai Wai Jalang) と「愛の丘」(Bukit Cinta) が夕日スポットとして素晴らしいと言うので、連れて行ってもらった。高台にある「愛の丘」では、目の前にアドナラ島(Pulau Adonara)が迫り、景色は素晴らしかったが、あいにくの曇りで夕焼けは見られなかった。

ワイ・ジャラン海岸。正面にはアドナラ島が見える
いわれは何か? 「愛の丘」

 そのレオレバの夜、久しぶりに街中の屋台でナシゴレン(焼き飯)を食べた。ラマレラではレストランがなく、宿もアベル氏の危篤や葬儀などで落ち着かず、ほとんど食事ができなかった。村で1つだけ見つけた売店でビスケットと水を買ってしのいでいた。このため、ことさらに、レオレバのホテルの暖かいシャワーに感動し、屋台で食べたナシゴレンは美味かった。

レオレバで1泊したホテル

 翌朝の飛行機に乗り、クパン経由でジャカルタに帰った。5日間の旅行のうちの約2日半、ほとんど海を見ていたが、残念ながら鯨を見るという夢は叶わなかった。しかし、漁師の方たちに鯨漁の話をいろいろ聞くことができたのは興味深い思い出だ。

ルンバタ島を出発

「お手軽ホエールウォッチング」の場所ではない

 今回のこの旅行を振り返ってみると、私があちこち行ったインドネシア国内の中でも、このラマレラ村はとても特異な場所だと思う。観光地ではないのに、「銛打ち捕鯨」という世界でも稀な伝統が海外メディアをも惹きつ付ける。その一方で、一般旅行者にお勧めできる場所ではない。

 ①他の島に比べて著しく遅れた村のインフラ(使用時間の限られた電気、水)に加え、店もほとんどない。島内でのアクセスも良いとは言えない(昔はこの村へのアクセスは海路経由だったそう)。

 ②自然と生き物が相手なので、短期間で自腹で行っても、望んだ結果が得られる(=鯨が見られる)保証はまったくなく、運次第。

 ③鯨が出たら舟に乗って付いて行くかどうか決めていなかったが、小さな舟に救命胴衣もなしで、日差しの照りつける中、数時間以上もうねる海上で待ち続けるのは、相当なリスクがある、かつ、難行だろう。捕鯨舟の転覆リスクと漁の邪魔になるだろうことを考えたら、別のエンジン付き舟をチャーターして付いて行く方が得策だが、それでもかなり小さい舟だし、さすがに躊躇した。

 ④素朴な村の日常と風景は素晴らしいが、村自体は小さく、鯨が出ないと何もすることがない。

 これらを考えると「観光資源」ではなくて日々の糧を得る生業である捕鯨を、運良く望み通りに見学できる可能性は高くはない。舟に乗らないとしても、ホエールウォッチングのつもりで気軽に行ける先ではない、というのが実感だ。

 個人的には、この村に到着してしばらくして、あることに少し違和感を感じ始めた。このような離島で観光地でもない漁村では外国人が珍しいはずなのだが、村の人たちは妙に「外国人馴れ」しているのだ。国内各地の外国人がまず来ないような離島では、物珍しげな視線が集まり、私に対して、まず一発で「日本人か?」と当てられたことはない。なぜなら通常、彼らは日本人を見たことがほとんどないからだ。それが、この村では、皆が私に「日本人か?」と言ってくるのには驚いた。

 ここには海外のメディアやフリーのカメラマンたちが何年もかけて定期的に訪れているのだ。この村の伝統捕鯨は魅力的なコンテンツなのだろう。捕鯨漁の撮影のために、来訪者は必要なコストをかけてリスクも取り、徐々に漁師たちと関係を築き、撮影に挑戦し続けている。捕鯨撮影目的以外でここに来る外国人は皆無と言ってもいいのではなかろうか。

 彼らの日常の言葉はラマレラ語だが、私が会った人たちはインドネシア語もできた。じっと海を眺めている彼らの横に座って、いろいろと鯨漁の話などを聞くと、淡々といろんな話をしてくれたし、捕鯨を撮影すべく定期的に通って来る外国人の話もいろいろ教えてくれた。私に対しても、「次はいつごろ来るつもりか?」と聞かれたので、それらの定期的な来訪者候補としてカウントしてくれたのかもしれない。

 バレオ・コールで出漁するところを見たかったので、あまり海岸から離れることもできず、たった4日間とはいえ、砂浜か、坂沿いの展望台で、じっと忍耐強く海面を見続けるのはなかなかしんどかった。思えば、この村の漁師たちは、こうして、いつ現れるかわからない鯨をずっと砂浜で、海上で、数百年も探し続けているのだ。

毎日7時間ぐらい、この展望台か、海岸で座って、海を「じぃーっ」と眺め続けた

 頑なに伝統を守っており、舟の建築方法や素材にはいろいろしきたりがある一方で、漁師の成り手不足も背景にあるのか、手漕ぎと帆走のみだった漁が船外機を使うなど、伝統に微妙に変化も現れている。

伝統的な捕鯨の舟にヤマハの船外機

 短期間の滞在ではやはり鯨は見られなかったが、誤報だったとはいえバレオ・コールで人々が集まり始める様子は見られたし、恐らくここでないと見ることはないと思われるイルカの解体作業にも遭遇した。広いインドネシアの文化の多様性を改めて感じた旅だった。この長い歴史を持つ伝統捕鯨が、3Gが通じてスマホが使えるなどの文明の波が着実に届いているこの村で、今後も維持されていくのかどうか興味深いところだ。

 この旅行の後で、何度も村で名前を聞いたMr.Bonこと石川梵監督の映画「くじらびと」が、2021年9月に公開された。村で実際に見ることは叶わなかった捕鯨や大きな鯨の解体作業、そして舟建造の話など、興味深いエピソードが見られるドキュメンタリーだ。旅行後、旅友が紹介してくれた石川梵監督の著作「鯨人」を読み、撮影資金援助のクラウド・ファンディングにも参加、映画の公開を心待ちにしていた私は結局5回、この映画を大画面で堪能した。くじらびとの映画評はこちら

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