【インドネシア全34州の旅】#52 東ヌサトゥンガラ州⑨ サブ島 扇椰子と共に暮らす島

【インドネシア全34州の旅】#52 東ヌサトゥンガラ州⑨ サブ島 扇椰子と共に暮らす島

2022-02-13

スンバ島とティモール島の間の小さな島、サブ島へ。島の特産は、扇椰子の花序液を煮詰めて作る砂糖。建材や生活用品も扇椰子で、人々は扇椰子と共に暮らしています。サブ砂糖を味わい、筏流しの伝統儀式を見学しました。

文と写真・鍋山俊雄

 サブ島と言ってもピンと来る人はほとんどいないだろう。東ヌサトゥンガラ州の中で比較的大きなスンバ島(Pulau Sumba)と、州都クパンのあるティモール島(Pulau Timor)との間にある、小さな島だ。

アロール島地図

 サブ島に興味を持ったきっかけは、スンバ島の東部に行った際、スンバ島の伝統的な高いとんがり屋根とは明らかに違う、地面に這うような低い屋根の住居を見たことだ。スンバ島東部には、サブ島から移り住んで来た人々がおり、海沿いの一部では、この独特な家屋の集落がある。スンバとサブ、隣り合った島なのに、こうも形が違うものかと不思議に思った。

スンバ島東部の海岸沿いで見た、サブ島様式の屋根の低い家

 サブ島へのアクセスは、クパンからスピードボートで行けば3時間、スシ航空(Susi Air)でクパンから飛べば50分ほどだ。弾丸旅行で行くなら当然、飛行機だが、サブ行きのフライトが午前6時半にクパン発のため、ジャカルタからだとクパンでの前泊が必要になる。さらに日曜日はサブ島とクパンを結ぶフライトがないため、戻りは月曜になってしまう。従って、週末を挟んで、金曜午後ジャカルタ発、月曜ジャカルタ戻りが弾丸旅行の最短日程だ(情報は2019年当時)。

セスナ機でふわっ

 金曜午後3時過ぎにジャカルタを出発する便で、同9時半ごろにクパンに到着した。そのまま空港近くのホテルに1泊し、翌朝の午前6時半発の飛行機に乗る。

スシ航空のセスナ機

 スシ航空には前から乗ってみたかった。小型セスナ機を中心に、短・中距離を運航する航空会社だ。機内には最後尾の4人席の前に荷物スペースがあり、その前に3人掛けが3列、最前列に機長と副操縦士の2人が乗り込む。普段乗るATRのプロペラ機よりずっと小さく、離陸距離も短い。プロペラ機には何十回も乗ったが、このサイズのセスナ機は初めてだ。フワッと浮いた時の浮遊感が心地良い。機内が小さいので、左右の窓から景色がよく見える。40分ほど飛ぶとサブ島が見えてきた。着陸のために高度を下げると、島の様子がさらによく見える。風もなく、滑るように着陸した。

最後部に座ると、左右両方の窓から風景が眺められる

 友人からの紹介を受けたガイド兼運転手にあらかじめ連絡しておいたので、バイクで迎えに来てくれていた。彼は自宅でレストランをしているのだが、英語ができるからか、人伝てに紹介されて、旅行者が来るとガイドをすることが多いそうだ。彼の運転するバイクで何軒か宿を見て回り、結局、彼のレストランの斜め向かいにある新築の宿に泊まることにした。港に向かうにぎやかな通りにある。

左のカラフルな壁の建物が宿。正面奥には港が見える

 まだ出来たてだそうで、「ソフトオープン」というところ。2階にある客室には私しか宿泊客がいない。テレビもないが、清潔で、エアコンが効けば寝るには十分だ。2階のバルコニーからは、港に通じる通りの様子がよく見える。魚や野菜を担いだ人たちが前を通り過ぎていく。向かいにはモスクが見えた。

 今回は車での移動を予約していなかったので、全て、ガイドのバイクに二人乗りして島を巡ることとなった。旅先でオジェック(バイクタクシー)に乗ることは時々あるが、旅の行程が全てバイクというのは初めてだ。しかし、島内の道路で車を見ることはほとんどなく、時折バイクとすれ違うくらいだ。島内に高い建物はないので、高台に上ると、目の前に広がる風景が美しい。その中をのんびりバイクで走るのは実に気持ちが良い。

バイクの後部座席からの眺め。右奥はライジュア島

 道端に見える民家のほとんどは、サブ名産の扇椰子(Pohon Lontar)の葉を低い屋根に葺いた伝統家屋だ。バイクで1時間半ほど走り、島の南側にある最初の目的地、クラッバ・マジャ(Kelabba madja)に到着した。

不思議な地層の丘

 以前、「インドネシアのグランドキャニオン(?)」と称される西スマトラ州ブキティンギにある「Sianok Valley」を紹介したことがある(#28 西スマトラ州  ブキティンギのグランドキャニオン)。しかし、ここの風景は、それよりもはるかに素晴らしい。目の前にそそり立つ、切り立った崖。折り重なった地層の模様により、不思議な雰囲気を醸し出している。人工的に何かを掘り出した跡なのではなくて、天然の造形でこのような形になったのだそうだ。波打った地層の形や、所々に残る岩の尖塔など、見ていて飽きない。

不思議な形をした崖面
地層の侵食の歴史を表すのか、削られて残った部分が塔になって並んでいる

 崖の高さはそれほど高くなく、10〜15メートルくらいだろうか。観光客もおらず、静寂が広がっている。下から岩場を眺めた後、崖の上に回ってみた。

 それほど高くないとはいえ、柵もないので、あまり縁には近付かず、恐る恐る見ていた。すると、どこから来たのか地元の子が現れ、サンダルで実に軽やかに岩の上を跳ぶように渡り、崖の上からするすると崖下に走り降りて行ってしまった。

左の崖の上から、急斜面をするする駆け下りて、あっという間に行ってしまった
次の目的地へ向かう

 次に目指す場所は「雪の丘」(Bukit Salju)。海岸沿いの、恐らく石灰岩がむき出しになった崖だ。遠目に見ると、それほど目立って白いわけではないのだが、崖下から見上げるアングルで写真を撮ると、あたかも雪山のように見える。灼熱の南国で、なかなか面白い一枚だ。

下から仰ぐようにカメラを構えると、尖った雪山のように見える
遠くから見ると、こう。実はあまり大きくなく、岩肌の一部だ

 次に、島の南側の高台にあるエゲ要塞(Benteng Ege)跡へ行ってみた。広い岩場の周囲の所々に壁が残っているだけで、中には何もない。岩の銅鑼(Batu Gong)があるというが、見つけることはできなかった。

壁の一部しか残っていない要塞跡

 次に、伝統家屋の集まる小さな村を訪問した。高床式の家の軒先は低く、日差しを遮ることができる。屋根の下には入口となる木戸がある。外観の通り、1階建ての家だ。

庇の長い屋根は日陰を作る
軒下でおしゃべり

 縁側に腰掛けて住人に話を聞いた。扇椰子で葺いた屋根の家は風通しが良く、現代風のトタン屋根の家よりも涼しいそうだ。「観光に来た」と言ったら、近くにケポ海岸(Pantai Kepo)という美しい海岸があるので、是非行ってみるといい、と勧められた。

 ケポ海岸は、張り出した岩場に休憩所が作られていて、涼しい風が通り抜ける中、村人たちがのんびりと海を眺めていた。青い空と海が美しい。

ケポ海岸の青い海と青い空

 隣のスンバ島やロテ島のように、サブ島も手織の絣「イカット」(Tenun Ikat)を作っている。ホテルに戻る途中で、イカットを売っている民家に寄って、一枚、買い求めた。サブ島のイカットは、茶や黒地に、植物や幾何学模様を織り込んだ物が多い。

家の軒下でイカットを織っているのを見学

筏流しの儀式

 ガイドによれば、サブ島では先祖代々の儀式(Ritual Adat Hole)が年に1度、3〜4月に行われる。日程は月齢を見て2、3日前に決めるので、直前になるまでわからない。これが幸運なことに翌日にあると言う。この行事を見たい人は多いそうだが、日程が直前まで決まらないので、なかなかサブ島以外の人は見ることができないそうだ。もちろん、見に行くことにした。

 翌朝、再びガイドのバイクに乗って、約1時間半かかって、島の南西部にある海沿いのロボヘデ村(Kampung Mesara Robohede)へ着いた。儀式はいくつかの村で行われるが、ほかの村での儀式は簡略化してしまっており、このロボヘデ村の儀式が最も大規模で、他の村からも観客が集まるとのことだ。土着のアニミズムによる儀式で、村の無病息災と豊作を祈念するものという。

儀式の準備が始まる
筏を組み上げていく
組み上がった筏

 まず、海岸に村人が集まり、木の枝や草を使って筏を作り、そこに供え物を乗せ、生贄として子犬と小鳥が結ばれる。伝統的なイカットを身にまとった男性たちが馬に乗って登場し、筏の周りを練り歩き、女性たちが歌を歌う。儀式が終わると、男性たちが海に筏を流す。

筏を海に浮かべて押し出す

 この筏はサブ島の隣にあるライジュア島(Pulau Raijua)に向けて流され、そのライジュア島の脇にあるダナ島という小さな岩島に届けられるという。しかし実際には、海に数人の若者が入り、筏を支えながら20メートルくらい押したところ、50メートルも進まずに沈んでしまった。

筏はすぐに沈んでしまった

 筏流しの後は、村の大きな広場で馬のレースがあり、夜には踊りもあって、盛り上がるという。

 次に向かったのは、別の伝統村であるナマタ村だ。ここには、不思議な半円球形の岩の集まった場所があり、この岩の周りにある4つの村の信仰対象となっている。岩のそばには広場があり、定期的に儀式が行われる。

村の儀式の場
不思議な巨石群。墓ではないらしい
この村の家は、少し大きめの屋根

 家の縁側に座って屋根の作りを見ると、扇椰子の葉と幹を使っている。スンバ島やフローレス島では屋根の葺き替えのサイクルが早く、かつ、扇椰子の値段がトタンよりも高いので、徐々に屋根がトタンに変わっている。しかし、ここサブでは、扇椰子の屋根は20年以上も持ち、島にも多く自生しているので入手が容易だと言う。ただ、木に登って葉を取って来られる若者が減っているので、業者の取った葉を買うことが増えたそうだ。

丈夫な扇椰子の葉を葺いた屋根

サブ砂糖は「糖尿病にならない」?

 夕方、扇椰子を見に、海岸へ行った。あまり椰子の種類に興味を持ったことはなかったが、確かにサブ島には扇椰子が多い。ココ椰子は、幹から一つの花火が広がったような葉の付き方だが、扇椰子は線香花火が弾けたような形をしている。

扇椰子が並ぶ海岸

 扇椰子には雄株と雌株があり、見た目でもはっきりと違う。雄株には細長い花序があり、そこから液を抽出し、この島の名物でもあるサブ砂糖(Gula Sabu)を作る。雌株には実がなり、若いうちは食用、固くなると家畜の餌にするそうだ。

実がなる雌株
花序液をとる雄株

 サブ砂糖は昔から、島民の重要な栄養補給食材だそう。ガイドは「栄養価が高くて甘いが、通常の白砂糖と違って糖尿病にはならず、精力剤としての効果も高いんだ」と自慢げに語っていた。

 最近は高い椰子に登ることのできる若者が減ってきたので、政府は大学との共同研究で、扇椰子の丈を低くする品種改良を進めているという。研究がうまくいけば、丈の低い扇椰子は葉や実を取る用に、従来の丈の高い扇椰子は建材用になるとのことだ。 街中では、この扇椰子の実の殻を利用したクリスマスツリーも所々で見られた。

 ガイドの家ではレストランもしているので、夕食の時に、サブ砂糖を味わってみた。濃い茶褐色のドロっとした顆粒入りの液体で、甘さはきつくない。翌日はサブを発つ日だが、午前中にサブ砂糖を買える所と、サブ砂糖を作っている、ガイドの義理の両親の家に連れて行ってもらうことになった。

 翌朝は早起きしてホテル周辺を散歩していると、サブの旧王家の邸宅があった。軒下を掃除していた女性に声をかけられた。この女性は最後の11代目の王の孫だそうだ。壁には11代目の肖像画が飾ってある。現在のこの家は、1875年のオランダ占領時代に建造された。屋根はトタンに変えた部分もあるが、柱は建造当時のままだそうだ。

現存する王宮
広いロビー
11代目の王

 バイクで島の東側に30分くらい走り、道路沿いの民家でサブ砂糖を購入した。その後、ガイドの義理の両親の家にお邪魔した。家の周りには扇椰子が自生しており、木に登って作業するところが見られた。

 義理の父親が鎌を持ってするすると木に登り、雄株の花序をまとめて縛り始めた。1本の木でも花序はかなりの数がある。何かの歌を歌いながら手際良く作業をするのが見えた。この歌はサブ語で、このように木に登って作業をする時に歌うらしい。

花序から液を採取する準備

 家の庭には屋根付きの作業所がある。そこで、椰子の葉を折って作った籠や枕などを見せてくれた。普段はこの場所で、抽出した液からサブ砂糖を作る作業をするそうだ。この島では、イカットを織り、扇椰子と共に暮らし、砂糖を取る、という昔からの暮らしが続いているのがよくわかる。

椰子の葉で作った桶
椰子の葉の枕

 昼前にホテルに戻り、帰る準備をした。午後2時15分発なので1時過ぎに空港に行こうと思って散歩していたら、12時45分ごろ、スシ航空から携帯電話に連絡が入り、すぐにチェックインしてくれと言う。まあこんなこともあろうかとホテル近辺にいたので、すぐにガイドに送ってもらい、空港には午後1時15分に到着した。セスナ機に駆け込むと、飛行機は予定より45分も早い午後1時半に離陸してしまった。帰りの空路も天気は良く、短いセスナ機での旅を楽しんだ。

小さなサブ島の空港
サブ島を離陸

 サブ島は独自の文化をまだ色濃く残し、美しい海やユニークな自然の造形を楽しめる。丈夫な扇椰子を活かして、建材から生活必需品の砂糖まで作り出す生活は興味深かった。