「自叙伝」 ジャワの農村で展開する傑作サスペンス、心の自叙伝の意外な結末とは 【インドネシア映画倶楽部】第48回

「自叙伝」 ジャワの農村で展開する傑作サスペンス、心の自叙伝の意外な結末とは 【インドネシア映画倶楽部】第48回

2023-01-20

Autobiography

「上映を待ちに待った作品」と、筆者の横山裕一さん。国際映画祭でも数々の受賞を果たした注目作品が満を持しての登場。東ジャワの農村で、選挙に出馬する「大将殿」と、彼に仕える主人公の行動や心境の変化が描かれる。

文・横山裕一

 2022年ベネチア国際映画祭でインドネシア映画として初めて上映され、東京フィルメックスで最優秀作品賞を受賞するなど、多数の国際映画祭で評価されたサスペンススリラー作品が満を持しての上映。インドネシア映画祭でも最優秀シナリオ賞を受賞している。

 物語の舞台は東ジャワ州の田舎町。主人公の青年ラキブは刑務所に収監中の父親の跡を継いで大邸宅の空き家の守り番をしていたが、家の持ち主であるプルナが戻ってくる。プルナは周囲から「大将殿」と呼ばれる退役軍人で、県知事選挙に出馬するための帰宅だった。ラキブは主従関係の如くプルナの下に仕えるが、ある日、選挙キャンペーン用に掲げられたプルナの横断幕が切り刻まれていたのを見つけ、プルナは激怒する。ラキブは犯人を探すよう命じられるが、これを契機に穏やかだった日々が不穏な雰囲気に包まれていく……。権力とモラルの狭間で揺れる邪悪への抵抗は可能なのか、ラキブは葛藤する。

 この作品の特徴は映像を通して、冒頭から最後までピンと張り詰めた緊張感が一貫して感じられることだ。「大将殿」であるプルナの登場シーンでも、ラキブに対する威厳を持った質問の声のみでなかなか顔を映し出さない手法も緊張感と共に初対面である主人に対するラキブの不安感を巧みに増幅させている。

 見どころは作品のテーマでもある、主人公ラキブがプルナとの人間関係を通してどのように変化していくかで、二人の間に起こる出来事を通してラキブの心境や行動の変化が鮮やかに描かれている。威厳あるプルナに対する畏れ、不安から始まり、親しみを持ち始めると憧れに変わり、従属する誇りとプルナ以外に対して威厳まで示すようになる。しかし、プルナの怒りとそれに伴う行動を目の当たりにすると一転して恐怖に駆られ、恐怖の果てに反発と怒りを生み出す。そして、ラキブの心の「自叙伝」は意外な結末を迎えていく。

 登場人物の心の揺らぎを好演したのが、主役のラキブ役を演じた、ケフィン・アルディロファだ。彼は記者会見で「この作品にはインドネシア人の(典型的な)思考や行動傾向が示されている」と話しているように、威厳に対する服従、恐怖に対する反応などインドネシア人の特徴を捉えてもいるが、国を問わず人間全体にありがちな心理傾向、行動特性ともいえそうだ。

 主役を演じたケフィン以外の配役は名脇役ともいえるベテラン俳優で固められ、プルナ役のアルスウェンディ・ブニン・スワラや、ラキブの父親役のルクマン・ロサディらの印象的な演技も見ものだ。またワンシーンながら、約1年前に急逝したジョグジャカルタの名優、グナワン・マルヤントの生前の元気な姿が観られるのもファンにとっては嬉しいところである。

 監督は初の長編作品を手がけたマクブル・ムバラク監督。これまでも短編作品で実力が認められてきたが、32歳での1作目から濃厚な作品を制作した手腕は今後も期待大だ。

 本作品の撮影地は東ジャワ州ボジョヌゴロを中心とした地域で、主人公の兄がシンガポールへ出稼ぎに行っていたり、出稼ぎ者を集める業者が横行するなど、作品では現代ジャワの農村の現状を映し出してもいる。また近代化開発のために土砂採掘で丘陵地が大きく削り取られ、土砂が剥き出しになった姿も作品の1シーンとして記録されている。

 ジャワの農村を舞台に、濃密な緊張感と予期できない展開の本作品は、ジャカルタでの上映館数は多くないが、非常におすすめの1本なので、この機に是非劇場で鑑賞していただきたい。

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横山 裕一(よこやま・ゆういち)元・東海テレビ報道部記者、1998〜2001年、FNNジャカルタ支局長。現在はジャカルタで取材コーディネーター。 横山 裕一(よ…
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