ジャカルタに見所はいっぱいだ! ガイド付きツアーで街歩き

ジャカルタに見所はいっぱいだ! ガイド付きツアーで街歩き

2023-08-30

よく言われるのが、「ジャカルタに見る所は何もない」。ところが、「観光」と「街歩き」という、ジャカルタに非常に似つかわしくなく思える「ジャカルタ・ウォーキング・ツアー」が今、インドネシア人に人気だ。ジャカルタの歴史的な場所の数々を、ガイドの解説を聞きながら巡り、街歩きを楽しむ。いくつか主催団体がある中で、「ジャカルタ・グッド・ガイド」(Jakarta Good Guide=JGG)のツアーに参加してみた。(文と写真・池田華子)

美術・陶芸ミュージアム
コタ・ファタヒラ広場にある、美術・陶器ミュージアム。集まっているのはJGGツアー参加者とガイド

少人数で和気藹々のツアー

 日曜午前9時、コタのファタヒラ広場。広場の一角にある「美術・陶器ミュージアム」(Museum Seni Rupa dan Keramik)前に、人が集まって来た。事前にオンライン登録した約30人。JGGのガイドは4人。参加者は数人ごとのグループに分かれ、それぞれにガイド1人が付く。参加者はほぼ全員、インドネシア人だ。ガイドもインドネシア語。

 まずは一人ずつ、簡単に自己紹介。名前、何回目の参加か、これまでで一番好きなコースを話す。10回、20回を超えて参加、という人もざら。少人数で和気藹々、だんだん知り合いも増えてアットホームに、というのがJGGツアーの特徴であり強みだ。「地方からジャカルタに来たばかりなので、友達を作りたい」という理由で参加する人もいる。
 
 自己紹介の後、ツアー開始。ガイドの解説が始まった。流れるようで、わかりやすい。まずは、大きな白い柱が前面にそびえる、ミュージアムの建物の説明からだ。「裁判所みたいじゃないですか? そう、元は裁判所だったんです!」。オランダ植民時代に建てられ、上へ行くにつれて細くなる柱は、「法の施行は『上』へ行くほど厳しくあらねばならない、という象徴。『下』へ厳しく、ではなくて、ね」と、チクッと皮肉。

 インドネシア独立後に市役所として使われた後、1976年にミュージアムに生まれ変わった。収蔵品のほとんどはアダム・マリク元副大統領の寄贈によるものだが、展示品の全てが本物ではなく、展示用に制作された複製品も多いと言う。ただし、どれが本物で、どれが複製、という表示はない。

 中に入ると、様々な絵画が雑然と展示されている。作者やタイトルなどが簡単に記されているのみで、自分一人で見て回っていたら、「インドネシアにも、意外にいろいろな絵があるんだなぁ」ぐらいで終わるところだろう。だが、ガイド付きだと違う。インドネシアの絵画のジャンル、有名な画家、その画家や作品にまつわるエピソードなどを要領良く紹介してくれる。

パイプをくわえたアファンディの「Potret Diri(自画像)」(Affandi、1975年)。これは本物という。ガラスもなく、無造作に展示されている
パイプをくわえたアファンディの「Potret Diri(自画像)」(Affandi、1975年)。これは本物という。ガラスもなく、無造作に展示されている
Henk Ngantungのスケッチ画のコーナー。人物、建物など
ヘンク・ガントゥンのスケッチ画のコーナー。歴史的な人物、建物などが描かれている。珍しく、ガラス入り

 例えば、ヘンク・ガントゥン(Henk Ngantung)のスケッチ作品のコーナー。ヘンクはスカルノ初代大統領と親しく、ホテル・インドネシア前ロータリーにある「歓迎の塔」は、ヘンクのスケッチを基に作られた。「スケッチから像が出来た、というので、ヘンクが驚いたと伝えられている。スケッチ画の紙が黄色っぽいのは、ヘンクの作品の特徴。黄ばんでいるわけではありません」と、ガイドの説明。

 インドネシアの有名な画家の一人、ヘンドラ・グナワン(Hendra Gunawan)は、どこかで見た記憶があるような……。「ヘンドラ・グナワンの最大のコレクターは、チプトラ財閥です。クニンガンの『チプトラ・ワールド』に展示がありますよ」に、「あー、そう言えば、見たことがある!」という声が参加者の中から上がる。

ヘンドラ・グナワンの絵の説明
ヘンドラ・グナワンの絵の説明

 「麗しの(東)インド」(Mooi Indie)というジャンルの絵を紹介するコーナーでは、「オランダ植民時代にSNSはない。蘭領東インドの紹介や観光の呼び込みに、こうした絵が描かれました」という説明があり、「誰に向けて描かれたのか?」といった質問が出た。

 ツアーは約2時間と、ちょうど良い長さ。ガイド代は「Pay as You Wish」、すなわち「好きなだけ(=気持ち)」。ツアーが終わってから、思い思いの金額を電子マネーで支払う。5〜10万ルピア程度の人が多いようだ。

 ツアーに参加し、あまり知る機会のないインドネシアの美術史をかいつまんで知ることができ、「日曜の朝を有意義に過ごせた」という気分になった。「ジャカルタに見所がない」というのは、自分に見えていないだけだ、ということに気付く。

「これは何?」
「これは何?」

「宝探し」の面白さ

 在インドネシア日本大使館広報文化部長の若林孝広さんは、JGGツアーに十数回参加している常連だ。「仕事と離れたことをやりたい、友達を作りたい」という理由で参加し始め、毎週のように参加するようになった。「一回参加すると、自分でも説明できるようになる。新規赴任者に、車窓からジャカルタを案内しながら小ネタを言うと、喜ばれる」。ジャカルタの魅力は「宝探しのよう。ジャカルタはあまり注目されていないから、『実は、こういうのがあったんだね』という面白さがある」と語る。

 中央ジャカルタ・パサールバルのコースでは、路地を行くと、ビルの谷間に埋もれたような中国寺院と中華街があった。コタが手狭になって華人はコタの外へ移住させられ、この地域には農業を生業にしていた華人が移り住んだという。当時は果樹園が作られていた。このパサールバル・ツアーでは、揚げパンの「チャクウェ」も食べられる。このほかに、チキニでは「スカルノ元大統領の愛したアイスクリーム」、メンテンではコーヒーなど、ちょっと食べたり飲んだりできるコースが人気だ。

 若林さんのお薦めのコースは、食べ歩きできる中華街のグロドック、そして、歩道が整備されており歩きやすいチキニ、タムリン、スディルマン辺りのコース。「『自分は客』ではなく、『皆と街歩きを通じて友達になろう』というマインドの方がハッピーになれます」とアドバイスする。JGGは「面白い取り組みのビジネスモデル。日本でも似たようなものがあったらいい」と語る。

別の団体もツアー中。こちらは大人数
別の団体もミュージアム・ツアー中。現在、いろんな団体が「ジャカルタ・ツアー」を開催している

ジャカルタ市民にジャカルタを紹介

 JGGは2014年9月、「ジャカルタ・ウォーキング・ツアー」の名称で始まった。創設者の1人が英国在住中に知った、ロンドンの「ガイド付き観光ツアー」がモデルだ。2016年に「ジャカルタ・グッド・ガイド」と改称し、今では、ジョグジャカルタ、バンドン、パレンバン、メダンにも「グッド・ガイド」のネットワークがある。

 元々のターゲットは外国人観光客だったが、SNSでツアーを知ったインドネシア人が参加するようになり、今ではほとんどの参加者がインドネシア人だ。当初は、チャイナタウン、シティーセンター、オールドタウンという「スタンダード」な3コースのみだったが、インドネシア人から「この場所をやってほしい」というリクエストを受けているうちに、今ではジャカルタ全域にわたる約50コースにまで増えた。最新ルートは「ブカシ」と、ジャカルタ郊外へ足を伸ばす。

 「そこに住んでいる人は、『ここには何もないよ』って言うんです。だけど、例えばブカシなら、オランダ時代にはバタヴィアとの境だったので、歴史的価値がある。駅舎、スタジアムなど、興味深いスポットをハイライトしていくのは面白い」と、2015年からJGGガイドをしているフアンス・ショレハン(通称ハンス)さん。ブカシ・ツアーのために作った資料は19ページに上り、それを、JGGガイド20人全員が読み、理解した上で暗記して、ストーリーとして話せるようにする。

 ハンスさんの考える街歩きツアーとは、「歴史、レジャー、ホリデーが一体となったアトラクション」。インドネシア人に人気の理由は、「本を読まずとも、歩きながら知識を得られるし、自身のSNSもアップデートできる。インドネシア人に合っているんじゃないですかね」。参加者は、モールに行くのにも飽きた、何か新しいことをしたい、と言う働き盛りの年齢層の人が多く、一度参加するとリピーターになるケースが多いと言う。

 JGGのツアーは毎日開催し、朝、夕、夜の街歩きで、ジャカルタの様々な顔を紹介する。「JGGの目的は、ジャカルタ市民にジャカルタを知ってもらうこと。知らないでいるのはもったいない」。中部ジャワ出身で「ジャカルタが好き」と言うハンスさんにジャカルタの魅力を聞くと、「マルチカルチャー、アップ・トゥー・デイト、ダイナミックな所」という答えが返ってきた。在住者であっても意外に知らないジャカルタ、ツアーでは、その面白さを発見できるかもしれない。

 JGGツアーのスケジュールや申し込みは、下記インスタグラムから。プライベートツアーや英語ガイドも可能だ。

www.instagram.com
「Cakrawala / Horizon(地平線)」(Srihadi Soedarsono、1968年)
「Cakrawala / Horizon(地平線)」(Srihadi Soedarsono、1968年)