文と写真・岡本みどり
筆者より読者の皆様へ
こんにちは。皆さん、お元気ですか。長らく「ぼくせん」の更新が滞っておりましたが、再開の運びとなりました。実は、2024年6月に4年間に及ぶ教員生活に終止符を打ちました。今後「ぼくせん」では、生徒たちとの思い出や体験を、押し花のように鮮やかにみずみずしく書き綴っていければと思っています。楽しく読んでいただけたらうれしいです。
※文中の名前はすべて仮名です。
<前回のおはなし>
ここは北ロンボク県、観光専門高校。私は日本語教師、ぼくせん(ロンボク先生)。学年末の進級会議での大混乱もなんとか収まり、生徒たちに最後の審判を下した成績配布から数日後。新入生を迎えて、教員2年目の始まりです。さあ、いかに?
教員2年目も初年度と変わらず、1年生3クラスの日本語の授業を担当することになりました。1年目はコロナでオンライン授業からスタートしましたが、今年は初めから顔を見て授業ができます。うれしいな♪
初めの数週間はオリエンテーションが続きます。その間に新入生は専門高校に触れ、良くも悪くも品定めをします。ここで日本と違うのは、「自分とは合わない」「思っていたのと違った」と感じたら、さっさと別の高校に転校する生徒が一定数いることです。出席をとると、名簿に名前のない生徒がいたり、名前のある生徒がいなくなったりしていました。
しばらく出入りがあるものの、1カ月ほどすると大体固まってきます。この時期になってもまだ欠席が続いている生徒がいたら、生徒や保護者に担任から連絡をして、それでも来ない、または、連絡がつかないと、家庭訪問をします。
ある日、旅行業科の担任のアニ先生に誘われて、私は男子生徒のジャヤの家を訪れることになりました。
ジャヤは年度末の会議で留年が決定した生徒でした。留年理由は遅刻・欠席の過多。もう一度、1年生として学び直すはずが、新学期になってから一度も学校に来ていません。なので、彼の事情や意志を聞くことが今回の家庭訪問の目的です。
* * * * * * *
ジャヤの家は、わが家と同じ路地にあります。そのためアニ先生は私を誘ったのですが、実際のところ、私はジャヤの家の場所は、大体しか知りませんでした。前日に夫に尋ねると、意外や意外、ジャヤは私がかつてお世話になった村の産婆、ユリアさんの家に住んでいるとのこと。
「ジャヤはユリアさんの孫だよ」
「ユリアさんの孫……?」
私はけげんに思いました。ユリアさんから孫の話を何度も聞いていたけれど、たしか、とても頭のいい女の子だったはずです。コーランの暗誦大会で賞をもらったとか……? でも、ジャヤは男子です。記憶違いかな。
アニ先生と私は、学校からジャヤの家へ向かいました。簡素で小さな家がごちゃごちゃと連なる一角にある、一番東の家です。
「こんにちは」とあいさつすると、ユリアさんが出て来るじゃあないですか。どうやら本当に、ジャヤはユリアさんの孫だったようです。
「あれ、みどりじゃないの、どうしたの?」
「今日はジャヤに用があって、高校から来たのよ。こちら、担任のアニ先生」
ユリアさんは大きな声でジャヤを呼びました。
ジャヤより先に、ジャヤの父親が白いTシャツ姿で出て来ました。平日の昼間に家にいるのか……仕事をしていないのかもしれないな。
ジャヤも出て来て、アニ先生と私、そしてジャヤ、ジャヤの父親、ユリアさんの5人で、縁側に腰を掛けて話をしました。目の端でハイビスカスが風に揺れていました。
* * * * * * *
小一時間ほどの話を終えて、アニ先生と私は学校へ戻りました。アニ先生は硬く、渋い顔をしています。
「みどり先生、どうでした?」
私は「うーん」と歯切れの悪い返事をしました。
私の返事に満足しなかったのか、アニ先生は腹の中に溜めていたものを吐き出すように、強い口調で話し出しました。
「ジャヤのお父さん、おかしくありませんか?」
「ええ、あれはちょっと……ジャヤがかわいそうでしたよね」
「ですよね!」
今回の家庭訪問では、ジャヤの意志を確認することが最重要事項でした。そのため、対談中もジャヤに向けて質問をしていました。保護者の意見もうかがうつもりでしたが、メインはジャヤです。
ところが、対談中、ジャヤはほとんど何も話しませんでした。この先どうするのかをまだ決めあぐねている様子でしたが、それ以上に、父親がずっと横から自分の意見をぶっこんでくるのです。
父親の主張は次の通りです。
・俺は小卒のバカだ(※インドネシアの義務教育が小中学校になったのは2008年〜)
・バカだから定職に就いていない
・子供にはこうなってほしくない=高校に行ってほしい
自虐続きでなんと返事したらよいのやら。口ごもるしかありませんでしたが、高校に行ってほしいという親心はわかりました。さらに父親は、ジャヤについて、一際大きな声で同じ言葉を繰り返しました。
「でもね、先生、こいつ、バカなんですよ」
「ね、先生、こいつ、バカでしょ?」
「妹は賢いのに、こいつはバカでねぇ、困ってるんですよ」
「あ、やっぱり妹がいるんだ」。妹の存在が確認できたと同時に、ユリアさんの会話からも、父親の発言からも、ジャヤは妹ほど愛情を注がれていないことが伝わってきました。
なにより、父親が「バカ」と言った数! わが子の面前で、一体何度その単語を発したことでしょう。アニ先生は父親が「バカ」と言うたびに、その発言を制止・修正しようとしました。そりゃそうです。これでは、ジャヤの心が歪んでしまいます。
担任ではないので黙っていた私も、さすがにこればかりは反論しました。
「お父さん、ジャヤはバカじゃないです、賢いですよ」
私は教室でのジャヤのエピソードを紹介しました。ある日、ジャヤが遅刻して来た日のこと。すでに30分ほど進めていた授業を手短かにジャヤに説明して、皆で一緒の課題に取り組みました。すると、ジャヤは、その少しの説明だけで理解し、課題をやってのけたのです。
「ほかの授業はわかりませんが、語学のセンスはあると思います」
父親は「へぇ、そうなのか!」とうれしそうにするのではなく、「ふぅん」と下を向きました。なんだかジャヤにバカであってほしいと思っているかのようでした。なんでだようぅ。
* * * * * * *
アニ先生は「あれはないですよね!」と、まだ父親の言葉に怒っていました。
「ほんとですよ」
二人でひとしきりジャヤの父親に対する怒りをぶちまけてから、私たちはジャヤの今後を思案しました。
「どうします?」
「本人がまだ迷ってるからねぇ」
「こういう場合は、学校はどうするんですか?」
「うーん。様子を見ながら連絡を取り続けるしかないかな。とにかく学校へ来てくれたらいいんだけど」
私たちは、ジャヤからのアクション待ちということで、うなずき合いました。
ところが、その日の夕方。帰宅して一休みし、夕食を作っていたら、ユリアさんが「みどりぃぃ」と声を裏返させてやって来ました。
「どうしました?」
「大変、ジャヤが父親に殴られて……」
「え!」
ユリアさんの話によると、ジャヤはすでに家を出て、どこかへ行ってしまったそう。私はユリアさんに連れられて、再びジャヤの家へ行くことになりました。(つづく)
岡本みどり(おかもと・みどり)
2010年から2年間、青年海外協力隊の栄養士隊員としてロンボク島の西ロンボク県へ派遣される。2012年、任期満了後に結婚。北ロンボク県へ移住し、現在に至る。2018年のロンボク地震被災後は、家族のストレスケアのため、家族中心生活へ移行。2020年7月から2024年6月まで、地元の観光専門高校で日本語教師。
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