天高くそそり立つ棒。てっぺんにはインドネシア国旗がひるがえる。その下の丸い輪には自転車が乗っかり、白物家電の入った段ボール箱などがにぎやかに吊されている。棒は、高木性のヤシであるビンロウ(インドネシア語で「pinang」)の幹。高さは7〜8メートルほどもある。そのてっぺんまで登って賞品を取るゲームだ。オランダ植民地時代の発祥とされるが、今ではインドネシア独立記念日の風物詩である。この「棒登り」(panjat pinang)に、なんと、日本人チームが参戦した。参加した3人に話を聞くと、そこには、オリンピック競技などとはまったく違った、インドネシアらしさが詰まっていた。(文・池田華子、棒登りの写真は幸裕晃さん提供)
8月17日のインドネシア独立記念日には、毎年、「町内会運動会」のようなイベントが全国各地で繰り広げられる。そうした中で、メディアに取り上げられる定番が、北ジャカルタ・アンチョールで大々的に開催される棒登り大会。
インドネシア在住3年、日系企業駐在員の幸(ゆき)裕晃さん(51)は、昨年の独立記念日に家族3人で見に行った。興味を引かれ、「面白いね」と話していたところ、妻の利恵さんに「次は出たらいいんじゃない?」と言われた。「いいね、いいね」と安請け合いしたものの、その後、すっかり忘れており、今年の独立記念日の1週間前になって「あれ? 出ないの?」と言われた。チームは4人なので、出るにはあと3人が必要だ。「じゃあ、会社の人に聞いてみようか」と、日本人社員に「誰か行く?」と連絡を流してみたが、ノー・レスポンス。
棒登りの動画を送った。それがまずかった
幸さん
「今回はちょっと急すぎたね」と、幸さんは断念しようとしたものの、利恵さんはあきらめない。「私、ちょっと聞いてみようかな」と、親しくしている廣實(ひろざね)倫明さん(44)の妻と、井上堅太郎さん(43)の妻に声をかけた。二人には、妻から「あんた、これ行かん?」という連絡が行った。
廣實さんは「幸さんには日ごろから家族ぐるみで大変お世話になっている。誘ってもらったのは良い機会だ。インドネシア人と一緒に仕事をしているんだから、インドネシアの文化を知るべきでしょう」と考え、「なにより、楽しそうだ」と思い、「あ、行く行く」と返事をした。
ただ、「それぞれの家族単位で参加する」「勝敗はともかく、家族で参加することに意義があるんだろう」と思っていた。そこで、「順番は、下から自分、妻、小6の子供、小3の子供。しかし、子供は登れるんだろうか? 落ちたらどうしよう……」などと考えつつ、帰宅してから妻に「作戦、どうする?」と聞くと、「何言うてるの。私たちはやらんよ。見に行くだけよ」と言われた。「あ、そうだよねー、登れるわけないよねー、危ないよねー」と言いつつ、「本気やったんや、勝負に……」と悟ったと言う。
井上さんが妻から連絡を受けたのは、競技の前日である金曜日。転送されて来た棒登りの写真を見て、「和気あいあい」「楽しそう」と感じ、軽い気持ちで参加を決めた。
最後の4人目は、幸さんの運転手のアンドリーさん(38)に決定した。これも前日に、幸さんが「出る?」と聞いたところ、「baik」(わかりました)との返事。断れなかったという説もあるが、「初めてだけど、いいですか?」と、ノリノリだったと言う。がっちりした体型なので土台に、というのが、幸さんの中での構想だった。
申し込み手続きなどは、幸さんが事前にアンチョールの事務所のインスタグラム・アカウントへ連絡し、やり方を聞いていた。「当日の午前9時に、全員分の身分証明書を持って来てください。来るのは1人だけで良いです」とのことだった。そこで、アンドリーさんが17日朝、全員の身分証明書を持ってアンチョールへ向かった。ところが、ギリギリの時間になって、アンドリーさんから「正午までに全員が『ヘルスチェック』をしないといけない。それに間に合わないと出場できないかも」という連絡が来た。そこで、あわてて、アンチョールへ向かう。幸さんの車で行くことになり、廣實さんと井上さんが乗り込み、運転はアンドリーさん。こうして「車内でチーム結成」となった。
「ヘルスチェック」は血圧を測っただけで終了し、無事に手続きは完了。ちなみに参加費は無料で、先着順で受け付けされているようだった。午後1時半に、会場に集合した。
柵で囲われた会場には棒50本ほどが立っている。棒によって、太かったり細かったり、節があったり、節がまったくなくてツルツルだったり、かなりのムラがある。真っ直ぐではなく、斜めに傾いている棒も1、2本あった。最初は1チームごとに棒へと誘導されていたが、そのうち、「みんな行け」となって、わらわらと棒に向かった。
棒1本につき紅白2チームが対戦する。競技のやり方は、赤チームが先に登り、2分経ったら、サイレンが鳴って、白チームに交代する。そして2分経ったら、またサイレンが鳴り、再び赤チームに交代する。先に頂上に達したチームが、吊してある賞品を全部もらえる。棒はつるつる滑るように自動車の廃油が塗ってあり、服で拭き取ったりできないように、男性は上半身裸になり、靴下さえも不可、という厳格なルール。
幸さんたちは赤チームだった。対戦する白チームは、バンドン出身の若者グループで、4人の年齢を廣實さんが聞いたところ、18、19、20、22歳! 年齢ではかなりのハンディがあるものの、幸さんはジャカルタ・マラソンに2回出場、廣實さんは海釣りが趣味、井上さんはタイ駐在時に始めたムエタイをジャカルタでも続けているという、全員が体を鍛えている赤チーム。いざ、勝負。
午後2時、競技開始。赤チームから一斉に登り始める。隣の棒では、赤チームがひょいひょいひょいと頂上まで登ってしまい、白チームは出番すらなかった。幸さんたちも、対戦チームが若いため、「『ファースト・バイト』を逃すと、相手に取られる」「一番最初の回に賭けるぞ!」という勢いで臨んだが、「まぁ、登れないですね」(幸さん)。体格で、下からアンドリーさん、井上さん、廣實さん、幸さん、という順番にしたが、「途中ぐらいで崩れ去っていく」。
アンドリーさんは1本目で腰をぐきっとやってしまい、「幸さん、ダメ。背中がぐにゃぐにゃになっちゃった。sakit ya(痛い)」と、離脱。支えに回ることになった。そこで、一番下は井上さんの役に。しゃがんだり中腰で始めてから途中で立つなど、いろいろな方法を試してみたものの、土台を作るだけで精いっぱい。最後の幸さんが登るには至らないまま、途中で崩れ去るばかり。3人は廃油で真っ黒になったが、幸さんはきれいなままだ。
棒の高さは、4人がそれぞれの上に立ったとしても、全体の半分をようやく超えるぐらいだ。てっぺんまで、あと1人分ぐらいの高さが足りない。つまり、最後の1人が自力で棒をよじ登って行かないと、てっぺんには到達しないのだ。
棒は黒い廃油が全体に塗ってあり、ギトギトだ。「思いの外、滑るんですよ。その場でとどまっていられないぐらい」。
幸さんチームが苦戦する中、若者ばかりの相手チームも思いの外にグタグタで、お互いに「まったく取れない」という予想外の事態に。
最初は「俺らが取るぞ」という思いがあった。一番上に上がって、あの旗を取って振りたかったですよ。ただ、やっている途中で、「正直、これはムリ」と悟った
最初のうちは、相手チームが登っていて2分が経つと、「はい、交代、交代!」と声をかけていたのだが、そのうち、2分の合図があっても、「もういいよ」「行け行け!」「ちょっと休んどこう」「今はムリや……」となっていった。「もう取ってくれ、終わらせてくれ」というのが幸さんらの本音だった。しかし、相手チームも、まったく取れない。
さて、どうなるか、と言うと、最初の「仁義なき戦い」がどんどん「規制緩和」され、そこからは「慈悲深い戦い」が始まるのだ。運営側の「なんとか取ってくれよー。皆さん、用意した賞品を持って帰ってください!」という心の叫びが聞こえる。
まず、2分交代のサイレンが鳴らなくなる。そのうち、対戦チームと合体して、両チームで力を合わせて取ることを目指し始める。「あれ? 4人以上いませんか?」という棒が増えていく。それでも取れないと、取り終わった棒の人たちが「助っ人」として駆け付けて来る。最終的には、タオルを棒に縛り付けて足がかりを作って登る。それでも取れない最後の方のチームは、なんと、脚立を使っていた。
最初の「仁義なき戦い」の間に賞品を取れたのはわずか2、3チームで、あとは皆、タオルを使ったりして取っていた。これを日本でやったとしたら、「ルールはルール」として、誰も取れない戦いを空しく続け、最終的には「勝者なし」「賞品は来年に持ち越し」となるだろう。状況を見て柔軟に「規制緩和」を進め、最終的には皆が力を合わせて取る、というのが非常にインドネシアらしいのだ。
幸さんたちは、紅白合同チームの3〜4人で土台を作り、その上に、井上さん、廣實さんが登り、さらに、助っ人で来た人が登り、最後はタオルを使って、賞品に到達することに成功した。約1時間の格闘がようやく終わった。賞品を縛ってある紐を外して、1個ずつ下に落とすのを、皆で疲労困憊して見ていた。
獲得した賞品は、自転車、バケツ、マットレス、扇風機、炊飯器、アイロン。アンドリーさんは幸さんに「もらっていい?」と聞いて、アイロンを取って大喜び。その他の賞品も、いつの間にか分けられていた。
「棒登り」に参加した日本人は、もしかして、史上初めてではないだろうか? それぞれの会社でも、インドネシア人社員に「棒登りをしてきたよ」と話すと、「え?え?え?」「見に行ったの? は? 登ったの?!」と驚かれたそうだ。貴重な体験をした感想を聞いた。
こんなにしんどいものがあるのか、と思った。何回かトライすれば上まで行けるんだろう、と思っていたが、まったくできない
井上さん
最初は自分たちが取りたかったし、相手チームもそう。なかなか「手伝う」ところまで割り切れなかったが、気付いたら一緒にやっていた
廣實さん
インドネシアの人たちと一つのことをやった、というのが面白かった。一体感があった
幸さん
3人とも「楽しかった」「いい経験になった」と口をそろえる。
インドネシアでの次のチャレンジは何ですか?
シラットを習いたい
井上さん
ロウニンアジ(GT)を釣ってみたい
廣實さん
妻の考えたチャレンジにこたえます
幸さん