バカじゃないんだ ㊦ ジャヤの選んだ道 【ぼくせん〜ロンボク先生日記】#15

バカじゃないんだ ㊦ ジャヤの選んだ道 【ぼくせん〜ロンボク先生日記】#15

前回のおはなし>
ここは北ロンボク県、観光専門高校。私は日本語教師、ぼくせん(ロンボク先生)。男子生徒のジャヤが、父親から殴られ家出をしたと聞き、その話を夫にしたところ、若者のたまり場を教えてもらいました。しかし、そこではドラッグを使っているとの噂があって……。

※本文中の名前はすべて仮名です

 ジャヤの家出の次の日、学校で担任のアニ先生に、ジャヤが家出をしたことを報告しました。授業が終わって昼ごろに帰宅してから、ジャヤの居場所候補であるガランさんの家へ行くことにしました。

 ガランさんの家で若者たちが薬物を使っているかもしれない、と夫に注意を促され、少しドキドキしたものの、昼間は理髪店なので安全です。

 ジャヤがいたら、ちょっと話があると我が家まで来てもらおう。ガランさんの前では話したくないだろうし、家にも戻りたくないだろうし。

 「こんにちはー」

 ガランさんの家を覗くと、戸口から大人が二人座っているのが見えました。

 「みどりだけど、ジャヤいるかな?」

 大人二人の横で、ピョコピョコと二つの頭が動き、私と目が合いました。近所の若者二人です。

 「ジャヤがどうかした?」

 若者のうち一人は、我が校を卒業したばかりの青年です。ラッキー、話が早いぜ。軽く状況を説明し、ジャヤに会ったら我が家に来るように伝えてほしいと頼みました。

 数日後、ガランさんの家で会った若者二人とともにジャヤが我が家へ来ました。

 「みどりさーん、連れてきたよ」

 彼らはジャヤの背中を軽く押しながら、ご褒美待ちの子どものような笑顔を向けてきました。私の前に押し出されたジャヤは、「ちょ、何すんだよ」と笑っています。

 まぁ座って、とブルガ(あずまや)の席をすすめました。

 ジャヤはもう家には戻っていることを聞き、まずは一安心。

 「それで、学校どうするの?」
 「転校しようかと思ってます」
 「そうなの? そしたら、親に学校に来てもらうことになるけど……」

 「そんなぁ」という顔のジャヤ。ジャヤの両親は離婚しているため、転校するには、あの父親が学校で手続きをしなくてはなりません。大揉め必至でしょう。私では判断できないので、担任にジャヤの意向を伝えて、指示を仰ぐことになりました。

*  *  *  *  *  *  *

 「ところで」

 私はジャヤの方を向きました。

 「ジャヤは何が好きなの? 学校の教科でもいいし、趣味でもいいんだけど」

 ジャヤは少し驚き、そして間を空けてから答えました。

 「アートですかね。絵が好きです」
 「絵? 描くの?」
 「はい。家でも描いてます」

 ジャヤが絵を描くなんて知らなかったなぁ。いよいよ転校するという段になってやっと授業以外の生徒の顔を知るなんて、私は何を見ていたんだろう。

 隣の二人は、あずまやに腰掛けたまま足をブラブラさせています。退屈なのではなく、むしろ関心を寄せているからソワソワするのでしょう。好奇の目は向けず余計な口も挟まずに、静かに横に座っていました。ジャヤ、いい友達もってんじゃん。

 ひととおり絵のことや、将来どうしたいと思っているのかなどを聞きましたが、ジャヤは終始うつむき加減で寂しそうに微笑むばかり。

 親に罵倒され暴力を受け、妹と圧倒的な扱いの違いを受けて育ったジャヤは、自分のことを「俺なんか(ダメなやつなんだ、何もできないんだ)」と思っているようです。

 ジャヤに必要なのは、勉強を教えてくれる先生ではなく、親が我が子を愛おしく見守るような、大人からのサポートだよ……。

 「ジャヤさ、あなたのお父さんにも言ったけど、私はあなたのこと頭のいい子だと思ってるよ。いい子だとも思ってる。ほんとだよ」

 「それでね、これからどうやって生きていくかはね、あなたが自分で決めることができるんだよ。親が決めるんじゃなくて、あなたが決められるんだ」

 「もしあなたが絵で食べていきたいと思ったら、たくさん勉強して練習して、そこへ近づくこともできるんだよ。そのうえ絵を練習するための画材もない、あれもこれもないと困ったとしても、あなたはほんとは力がある子なんだから、仕事だってできるんだよ」

 「自分のことを信じなさい。あなたは本当に力のある子だから!」

 私は一生懸命に伝えました。

 どうかジャヤ、お願いだから、自分の可能性を閉じてしまわないで。私の授業で見せたあの輝きは、紛れもなくあなたから発されているんだ。

 ジャヤはスッと顔を上げました。私の方は見なかったけど、まっすぐに前を向いていました。

*  *  *  *  *  *  *

 翌日、担任は「父親じゃなくておばあちゃんとでも手続きできるから、学校においで」とジャヤに連絡しました。その後も何度か連絡したそうですが、ついにジャヤは一度も学校に来ることはないまま、数カ月後に退学しました。

 それから、さらに半年後

 「ジャヤ、どうしてるんだろう?」

 私は、再びガランさんの家へ行きました。

 またまたジャヤはガランさんの家にはいませんでしたが、その場にいたほかの若者たちが、ジャヤは今、ギリのホテルでトレーニングを受けていると教えてくれました。

 「わ、そうなんだ!」

 パッと心が明るくなりました。すごいぞ、ジャヤ。

 その2カ月後、ジャヤの祖母ユリアさんに道端で腕を掴まれました。

 「ジャヤが本採用になったのよ」

 やったーーー!

 でも、ユリアさんの続きの言葉に私は息を呑みました。

 「あの子、学校をやめた後、自分で自分のことを殴ってたのよ。『バカ、バカ。俺はなんてことをしたんだ』って」

 なんでジャヤが一人でこの辛い思いを引き受けなきゃいけなかったんだろう。どうすれば教員や周りの人がもっと早くに気づけたんだろう。そうすれば、辛さが半分に軽減されたかもしれないのに。

 ジャヤに仕事が決まったのは本当に嬉しかったし、ほらね、やっぱり力のある子だよ、と思いましたが、教員としてはまだまだ考えや力が及ばないなと悔しくも感じた出来事でした。

岡本みどり(おかもと・みどり)
2010年から2年間、青年海外協力隊の栄養士隊員としてロンボク島の西ロンボク県へ派遣される。2012年、任期満了後に結婚。北ロンボク県へ移住し、現在に至る。2018年のロンボク地震被災後は、家族のストレスケアのため、家族中心生活へ移行。2020年7月から2024年6月まで、地元の観光専門高校で日本語教師。

インドネシアの学校ってどんなの? 「ぼくせん〜ロンボク先生日記」バックナンバー
ここは北ロンボク県、観光専門高校。私は日本語教師、ぼくせん(ロンボク先生)。生徒たちとの思い出や体験を、押し花のように鮮やかにみずみずしく書き綴っていければと思…
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