東京在住の編集者、渡辺尚子さんが編集発行した「イし本(「インドネシアの推しを語りつくす本)」誕生秘話の続きです。渡辺さんのインドネシア旅行後に「イし本」のアイデアが生まれ、編集チームが出来、いよいよ「イし本」作りが始まります。

文と写真・渡辺尚子
推しに序列はないから、掲載は「原稿が届いた順」
執筆者に声をかけて、いざ編集作業。掲載は、原稿が届いた順にしました。
何かを熱烈に好きになる「推し心」に、序列はありません。中学生の「推し心」と、年配者の「推し心」のどちらが尊いというものでもないし、肩書のある人のほうが推しへの思いが強いということもありません。在住何年目から推しを語れるということでもないでしょう。
推しは横一列、ひとならび。だったらもう、届いた順に掲載するほうがいいだろう、と考えました。
そうはいいつつ、これがなかなかにハラハラさせられる試みでした。本をあけて最初に目に飛び込んでくる文章は、本全体の印象を左右します。どうか良い原稿が届きますようにと願わずにはいられず、ドキドキしながらメールボックスを覗く日が続きました。
こうして、西村昭さんの「路上の芸能」が最初に届いたときは、胸が熱くなりました。
これは、路上芸能者を描写しながら、その奥にある助け合いの精神について語っている、素晴らしい文章です。読んでいたら、この本の進むべき方向をも示してくれているような気がしました。「イし本」の小舟に、ようやく帆が上がったのです。さあ、風を受けて進んでいこう、そんな心持ちになりました。
「イし本」の制作作業の最中、この助け合い精神が、執筆者の方々にも息づいていることを知りました。
アパレルの仕事をしている横堀良男さんは、無償で執筆者全員にオリジナルTシャツをつくってくれました。ガムラン奏者の佐々木宏実さんは、取り扱い店のリストをウェブにまとめてくれました。南ジャカルタにある憧れの書店「ポストブックショップ」に「イし本」をおいてもらえないか頼みに行ったときは、西宮さんがついてきて通訳してくれました。「勝手にはじめたことだから、ひとりで背負い込まないといけない」と思っていたわたしは、誰かに手を差し伸べられるたびに驚き、そうして心があたたかくなるのを感じました。

それから42篇が揃うまで、宝物のような日々が続きました。
今日はどんなお話が届くのだろうと心躍らせながらメールを開き、届いたばかりの原稿を読みながら、思わずふきだしたり、ハッとしたり、しみじみしたり。
予想外の推しが次々とでてきました。音楽専門家がタンクトップについて推していたり、アーティストが大工について熱く語っていたり。生業と推しは、必ずしも一致しないのです。
文章の内容が重なることはありませんでした。多様な文化的背景が集まるこの国では、推しも十人十色なのでしょうか。
昭和の初めまでスマランに住んでいた大叔父
ほとんどの文章が、文字数制限をとうに超えた長文でした。どんなに寡黙な人も、推しについては語らずにいられないのです。事実確認だけは原典をあたるなどして念を入れ、それ以外はなるべく手を入れず、ほぼそのまま掲載することにしました。こうして、ホチキス止めの予定だった冊子は大幅なページ増となり、結果的に5ミリ厚の背がつきました。
印刷代は予定の3倍、4倍とふくらんでいってヒヤヒヤしましたが、途中から「いっそ、どこまで増えるか試してみようか」と面白くなってしまいました。完成形は未知です。ひとつぶの種から自然と芽が出てツルが伸びていくように、なにが育つのかワクワクしながら見守りました。

表紙絵は、当時ジャカルタに暮らしていた多誤さんが描いてくれました。その土地に暮らしているからこそわかる色や空気が、すみずみに感じられます。
レーベル名の「バレオ!」は、江上幹幸さんと小島曠太郎さんがつけてくれました。鯨がきたことを知らせるラマレラ村の言葉。村では、この言葉を合図に、仲間が次々と集まってきて船を出すのだそうです。
執筆者ともたくさんのやりとりを重ね、まだ会ったこともないのに、古くからの仲間のような親しさを覚えるようになりました。返信をしていると、ずっと忘れていた思い出が蘇ってくることもありました。たとえば祖母と暮らしていた家で、大人たちの目を盗んでは壁にかけてあったワヤンをこっそり外して遊んだときの、持ち手の感触とか。
子どもの頃、インドネシアはわたしの近くにありました。といっても暮らしたことはありません。明治生まれの大叔父が、大航海に憧れて海をわたり、昭和のはじめまでスマランに暮らしていたのです。「南洋さん」と呼ばれていたその大叔父から、インドネシア語の歌や、島の様子、果物のおいしさ、海のうつくしさ、親切な人々の日常など、多くのことを教えてもらいました。洋間に飾ってあったあのワヤンも、大叔父が祖母にプレゼントしたものです。
わたし自身も二十代の頃にインドネシア語と文化を少しだけ勉強したのですが、早々にあきらめてしまいました。わたしの人生の中心にインドネシアはなかったと思っていたけれど、インドネシアはわたしをそっと支えてくれていたんだな。そんなことに気づけたのも、イし本の作業のおかげでした。(つづく)
渡辺尚子(わたなべ・なおこ)
東京生まれ。学生時代は舞台美術研究会に所属し、ライブハウスや小劇場の照明にあけくれる。卒業後、出版社勤務を経て、フリーランスの編集者、ライターとなる。現在は東京西郊の、野鳥が集まる雑木林の近くに暮らしながら、市井の人々の生活を記録している。「暮しの手帖」「なごみ」などで連載中。

