11月12日

 富山といえば、薬。その歴史を訪ねて「広貫堂」へ。古い社屋の隣に資料館があり、予約をすれば、ビデオを観てから説明を受けることもできる。

 越中富山の薬の歴史は江戸時代に始まった。加賀前田家の分家に当たる前田正甫(まえだ・まさとし)に与えられたのは、河川の氾濫が激しく、田畑がしょっちゅう流されてしまう、やせた土地。何か新しい産業を興さないと、と考え、薬に着目した。「江戸城で腹痛をおこした藩主に前田正甫が薬を与えて快癒させ、越中富山の薬の名が広まった」という話があるように、自ら率先してPR活動をしていたようだ。薬の製造販売を藩による許可制としたことから、「越中富山の薬」は高い信用を得るようになった。
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 画期的だったのは、「先用後利」、すなわち「先に用をなし、後から利を得る」という考え方。世界でも例を見ないといわれる「置き薬」の方式を採った。無償で薬を置き、使った分だけ料金を払ってもらう。リースでもクレジットでもない。富山の薬売りは「懸場帳(かけばちょう)」という顧客名簿を作り、どこの家にどの薬をどれだけ置いたかだけでなく、家族の健康状態や職業まで記録していたという。年に1〜2回ほど出向いては、世間話もしながら、薬の代金を回収し、新しい薬を置いた。外部の話が聞けるので喜ばれ、親戚のような深いつきあいになり、いろいろな家の情報も熟知しているため、仲人を頼まれることもあったという。懸場帳は代々受け継がれ、店舗を一軒持つのと同じ価値があるといわれた。
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 明治時代で廃藩置県となって藩の後押しがなくなった上、生薬である漢方薬に対する政府の締め付けが厳しくなった。薬売りの商人たちは集まって売薬結社、つまり薬の製造会社を起業した。こうして伝統的な方式は保持しながら近代化を進めた。「広貫堂」もこうして出来た会社の1つだ。

 広報担当の井上仁子さんに説明を聞いていたところ、観光バス1台が到着。年配の人たちのグループ80人が席についた。井上さんが富山の薬や会社の説明を始め、巧みな話術で笑いを取って、皆、大ウケしている。それは、こんな具合。「六神丸を飲んだらずっと心臓が止まらなくて家族に迷惑をかけたらどうしよう、とご心配の方。心配は要りません。六神丸を50年、60年飲み続けても、時が来れば心臓は止まります」(どっとウケる)。「栄養ドリンクをご用意していますので、どうぞお飲みください。まだ今は午前9時55分です。これから1日、お元気にお過ごしください。夜はもう元気がなくなるので、ご心配なく。夜に元気になりたい方も、ご心配なく。もう1本買って行って、夜に飲めば元気になります」(やや下ネタ。大ウケ)。
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 話の後、薬は飛ぶように売れ、井上さんは「その症状にはこれがいいよー」とどんどん売りつける。井上さんは団体のおじさんに「一緒に来ん?」と誘われるぐらいの大人気。富山の薬売りの真髄を見た。
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 「池田屋安兵衛商店」では丸薬作りの体験ができる。体験と言っても、「薬の上に平らな木の台を載せ、ごろごろする」というだけなのだが、これがなかなか、力の加減が難しい。お手本でやって見せてくれたのは、きれいなまん丸になっているのに、われわれがやってみると、形になってない! ここにも観光バスで団体客がどんどん入って来て、実演は大注目を集めていた。
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 富山の薬は観光であり、エンターテインメントであり、産業の源であり……奥が深い!

●廣貫堂資料館 富山市梅沢町2-9-1。Tel : +81(0)76-424-2310。9:00〜17:00。
●池田屋安兵衛商店/富山市堤町通り1-3-5。Tel:+81(0)76-425-1871。9:00〜18:00。

 
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