文と写真・鍋山俊雄
ブンクル州はスマトラ島の南部、ランプンからパダンにかけて、海岸沿いに細長く伸びる州である。私がブンクルに行こうと思ったのは、スマトラ島とボルネオ島を中心に咲く世界最大の花ラフレシアについて調べていた時だ。ブンクルは「ラフレシアの街」と呼ばれ、ラフレシアを見るポイントも街の郊外にあるらしいとわかった。
さらに調べると、この地域は、8世紀にはスリウィジャヤ王朝の一部だったが、近隣のパレンバンやジャンビのように地域王朝による統治が発達した地域ではない。16世紀からはポルトガルとオランダ、17世紀から19世紀まではイギリスの統治下にあり、シンガポールを創設したスタンフォード・ラッフルズも一時期、ここに居留していた。街外れにはイギリスが建造した「マルボロー砦」(Benteng Marlborough)が今も残っているという。
ブンクルの空港は「ファトマワティ・スカルノ空港」という名前である。おなじみのジャカルタ(バンテン)の空港が「スカルノ・ハッタ空港」で、初代正副大統領の名前をつなげたものであるのに対し、初代ファーストレディーであるファトマワティとスカルノの名前を冠した空港になっている。
スカルノはオランダ統治下の1938〜42年、ここで抑留され、ファトマワティと出会った。スカルノの家、ファトマワティの家と、各々が保存されている。
このように、ブンクルは、私の好きな歴史遺跡の見所が意外とたくさんある。旅の行き先に決め、いつものように「週末弾丸旅行」でブンクルへと向かった。
着陸に向けて高度が下がった飛行機の窓から眺めると、うっそうと茂る森と長い水平線が続く。ジャカルタから1時間20分程度でブンクルに到着した。
ラフレシアの開花情報は事前にインターネットで調べてみてはいたものの、よくわからなかった。着いた早々、ホテルで確認すると、この時期(11月)はラフレシアの咲く可能性はあるが、今日現在の開花情報はないとのことだった。開花している時は新聞に載るなどして、地元では情報は伝わるそうだ。ただ、山の中なので、どの辺で咲くかということも、当然ながら、毎年、違うらしい。
気を取り直して、街中の歴史旧跡巡りに出かけることにした。まずは、スカルノがデザインしたとされるジャミック・モスク(Masjid Jamik)。少なくとも築70年以上ということになるだろうか。とんがり屋根のシンプルなモスクである。
そこから、インド洋を臨むマルボロー砦に向かって歩いて行った。途中で小さな八角形の建物に出会った。英国東インド会社の統治下で、ブンクル統治官だったトーマス・パー(Thomas Parr)氏がコーヒー・プランテーション導入を推進した際、地元民の反乱により1807年に殺害された。その後、英国東インド会社が建造したとのことだ。
マルボロー砦も18世紀初頭、英国東インド会社によって建造された。18世紀半ばにはフランス軍の侵攻を受け、その後も何度か地元民との間で騒乱(戦い)が起きている。19世紀初頭、ブンクルはオランダに割譲された。インドネシア独立後、マルボロー砦は国軍管理下に置かれていたが、その後、文化遺跡として復元されて、今に至る。 砦の中には当時の資料や説明があり、歴史好きには興味深い。海に向かって砲台が置かれており、そこからインド洋を眺めながら、のんびり、ひと休みする。
マルボロー砦からインド洋を眺める
マルボロー砦の横は「カンプン・チナ(Kampung Cina)」と呼ばれる華人街になっていて、そこを通り抜けて海岸に出ると、「パンタイ・パンジャン(Pantai Panjang)」と呼ばれる長い海岸が続く。オジェックか何かを拾おうと思ったが、車通りが少なく、結局、1時間はたっぷり歩いて、次の目的地であるスカルノの住んでいた家(Rumah Kediaman Bung Karno)に到着した。
家は大きくはないが、当時の資料とともに応接室や寝室が再現されている。執務机、スカルノが乗っていた自転車などが展示されていて、面白い。
そこから20分余り歩いた所に、スカルノと結婚し最初のファーストレディー(Ibu Negara)となったファトマワティの家がある。ブンクル出身のファトマワティはこの地でスカルノに出会い、スカルノが一目惚れして結婚している。インドネシア独立宣言の際に、ファトマワティがインドネシア国旗を縫うのに使ったとされるミシンが展示されている。
翌日は、ブンクル州博物館を見学した。博物館には、ブンクルの古文書や遺跡に見られる古文字の説明といった、興味深い展示も多い。庭にはラフレシアの実物大模型があった。博物館の周囲にはブンクル州の政府機関や大モスクが集まっている。
ブンクルの街のあちこちで、ブンクルでしか見られない装飾塔をよく見かけた。これはイスラム暦の1月であるムハッラム月(Muharram)の1〜10日、ブンクルで毎年、開催されるタボット祭り(Upacara Tabot)で使われる装飾山車を模した物だ。タボット祭りは17世紀半ばの英国の侵攻とともに、英国領だったインドのマドラス・ベンガル地域から連れて来られたインド系の住民が持ち込んだ儀式とのことだ。預言者ムハンマドの孫であるフサインの死を悼み、毎年、盛大な装飾塔が通りを練り歩く。その時期に再度ブンクルに来て、是非、見てみたいものである。
(追記)
2017年9月、再びブンクルにタボット祭りを見に行った。タボット祭りは儀式の手順に沿って10日間行われ、終盤に、これらの装飾を施された山車が街を練り歩く。