びーと(B) インドネシアに来たのは何年ですか?
タケノコ先生(T) 1998年。当時は「よろずインドネシア」(インターネット掲示板。びーとさんはシスオペ、タケノコ先生は医療相談室を担当した)の全盛期だった。
B ライフラインでしたよね。
T クリニックを開業する時、「よろず診療室」っていう名前にしようかと思ってた。「タケノコ先生」というのも、その時のハンドルネームだし。
B 僕の人付き合いのコツは、ハードルをすごく低くする。ハードルが低い所から入れば、印象が良くなる。「意外と、いい人」って言われる。「意外と」っていうのがキーワードだね。「タケノコ先生」も、それに似たネーミング。
T 「いつかはなるぞ、大きなやぶに!」って……どんだけ謙虚なんだ、って(笑)。
B どうしてインドネシアに来たんですか?
T 「インドネシアに夢を」と言うより、日本で早くも行き詰まっていたんだよね。産婦人科だったし、どうすりゃいいんだ、これから、って。楽しくなかった。日本で10年ちょっとやっていて、あらゆる場所へ行って、幸せになれる場所を探した。なかった。医者だから食えるし、生活不安が理由じゃないわけ。面白くないのは生きるに値しない、と思った。
B 僕は家業を継いで、1993年に来た。その時はインドネシアという国を知らなかった。
T 僕も知らなかった。ハッピーだったのは、新しい世界にチャレンジさせてもらったこと。日本で開業なんて考えたことないもん。
B インドネシアに来ている人は基本的に、めちゃくちゃ成功しているよね。
T どう考えても、ここの方が自由。
B 家族がいなくて上司がいなければ怒られることはない。
T ここに来なかったら、幸せになれた自信はまったくない。頑張れば、とか言うけど、どこでも同じように生きられるわけじゃない。
B インドネシアは1つの「当たり」だった。
T 成功するかどうかは極論すればコミュニケーション力。僕は自分では「ない」と思っていたけど、実はコミュニケーションスキルがあった。
B コミュニケーション力は、インドネシア語力とは別。日本語をしゃべれない人がインドネシア語をしゃべれるわけないので。本来は聞き上手で、相手にしゃべらせ、自分は呼び水で「恥部」を少し出す。「社外秘」の話とかちらっと出すと、相手も話してくれる。
T コミュニケーション力と似ているんだけど、交渉力とは?
B 頭の瞬発力、運動神経。考えればいくらでも言えるんだけど、その場で上手に反論できるかどうか。あと、ディベート合戦をしているわけではないので、勝てばいいわけじゃない。部下も「いつも言い負かされるから、言っちゃだめだ」と思ってしまう。相手が部下でも役人でも、「きちんと自分の話を聞いてくれるな、反論のための反論をしているわけじゃないな」と思わせるのが重要。
部下で扱いづらいのは、ちょっと頭が切れて、口で勝ってきている連中。極論すれば、小学校から今までの人生、言い合いで勝ち抜いてきたわけ。部下ばかりでなく上司も言い負かしてきた。そういう人は、その場限りの言い訳を上手にする。それこそ本当に言い負かさないと、癖になる。まとめると、交渉とは、相手が何を望んでいるか的確に、まず自分でわかること。そして、それを応援するのか、否定するのか、考えていく。
T あれっ、なんか難しい話になってるね。(つづく)
びーと
本名・名取敬。1993年からインドネシア在住。「N真珠」オーナー。本誌で「かたかたインドネシア」連載中。
タケノコ先生
本名・山田晴男。1998年からインドネシア在住。「タケノコ診療所」アドバイザー。