インドネシア映画倶楽部 第24回 「メッカへ行くぞ(MEKAH I’M COMING)」 
大巡礼めぐるドタバタコメディ

文・写真 横山裕一

 

 イスラム教徒にとって重要な意味を持つメッカ大巡礼をめぐってのコメディドラマ。中部ジャワ州の片田舎とジャカルタを舞台にドタバタ喜劇が続く。

 自動車修理業を営むエディはエニと相思相愛。しかしエニの父親は反対で、娘を金持ちの男性と結婚させようとする。このためエディはエニを幸せにする誓いとして、彼女の父親に「メッカ大巡礼をしてハジになる」と宣言する。

 イスラム教徒にとってメッカ大巡礼は、信仰者に義務付けられた五行(信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)のひとつで、これを終えると信仰上の「行」を深めたとして、男性はハッジ(インドネシア語ではハジ)、女性はハッジャ(インドネシア語も同じ)と尊称をつけて呼ばれる。

 ただし、メッカは遠隔地のため経済的体力的に可能な者が行えば良いともされている。それだけに大巡礼の経験者はイスラム教徒社会の中でステータスを得ることにもなる。このため同作品の主人公も結婚の決意表明の条件に使ったといえる。

 早速エディは大巡礼を扱う旅行代理店へ行くが、応募者多数で10年待ちだと言われる。がっかりするエディに声をかけたのが悪徳業者。意気揚々と出発のためジャカルタに行くエディ。しかしここで詐欺にあったことに気づく。エディの結婚実現に赤信号が灯る…。

 奇しくも同作品の公開初日に、メッカ巡礼にまつわるニュースが飛び込んできた。新型コロナウィルス感染防止のため、サウジアラビア政府が2020年のメッカへの小巡礼を期限を設けずに当面中止すると発表したのだ。

 メッカ巡礼には大巡礼と小巡礼がある。前述のイスラム教徒に課せられた五行のひとつが大巡礼で、イスラム暦12月8日から12日までの五日間にメッカとその周辺を巡礼する。これに対し小巡礼はそれ以外の期間にメッカを巡礼するもので、経済的に余裕があり信仰心の高い人は何度も行く場合もある。

 新型コロナウィルスの感染拡大で、日本では東京オリンピックが無事開催されるのかが大きな関心事だが、イスラム教徒にとっては小巡礼の禁止期間が延びて、7月末に予定されている大巡礼まで中止になってしまわないかが最大の心配事になってしまった。

 2020年の大巡礼は西暦でいうと7月28日から8月2日。まさに東京オリンピック(7月24日開会)とほぼ同時期で、事態の収束状況いかんでは微妙な時期となる。

 メッカ大巡礼が宗教上いかに重要であり、大変なものであるか。簡単にまとめてみる。期間は前述のように五日間だが、期間中世界各地から250万人が殺到するため、前後余裕を持った長期滞在を余儀なくされる。

 大巡礼の際、巡礼者はイフラームと呼ばれる白い布2枚だけで身を包む(女性はイスラム服)。これは貧富の差なくどの信仰者も神の前では同じであるとの意味からである。

 大巡礼初日、メッカ郊外のミナという地域で礼拝を行う。ここが基本的に巡礼期間中の本拠地となり、国別に大規模なテント村ができあがる。

 第二日目、十数キロ離れたアラファト山へ移動し、礼拝で過去の過ちを省みるとともに、イスラム学者の説教を聞く。アラファト山はムハンマドが最後に説教をした場所で「神の前に立つ」という意味があり、大巡礼の中で最も重要な日となる。

 第三日目、ムズダリファを経由してミナへ戻った巡礼者は「ジャマラートの投石」の儀式を行う。これはイブラヒムの故事に基づき、悪魔とみなした壁に7つの小石を投げて、悪魔を追い払うものである。この儀式の後、一匹の動物を犠牲にして神に捧げる(この日が犠牲祭の日/IDUL ADHAにあたる)。

 このあと巡礼者は髭を剃り、女性は髪の毛を数センチ切る。これは再生の象徴で、巡礼者の罪が一掃されたことを意味する。続いて約5キロ離れたカーバ神殿のあるメッカのアル・ハラーム・モスクを訪れ、日没までにミナへ戻る。

 第四日目、前日を含めて合計3カ所の壁に石を投げ終えて、メッカに再び移動する。

 第五日目の最終日、巡礼者は別れを告げる意味も含めて、アル・ハラーム・モスクの中心にあるカーバ神殿を左回りに7周する。またモスク内にある二つの丘の間をも7往復する。これで大巡礼が完了する。

 このように大巡礼には相当な時間と体力を要する。各地への移動には近年は車や鉄道が利用されているが、かつては全てが徒歩だった。現在でも巡礼途中にお年寄りらが亡くなる例が毎年多数あるという。

 また長期滞在のため、費用も高額となる。インドネシアでは少なくとも数十万円はかかり、裕福でない人たちにとってはまさに生涯かけて資金を貯めていくことになる。

 さらに大変なのは、大巡礼を安全に行うためサウジアラビア政府が毎年各国からの大巡礼者の人数を制限していることだ。インドネシアは2020年で23万1000人に大巡礼用のビザが配給される。

 政府関係者によると2020年のインドネシア人の希望者は430万人余り。同作品内では主人公が旅行代理店に10年待ちと告げられるが、実際には単純計算で18〜19年待ちとなっている。まさに一生に一度をかけた一大行事となる。

 イスラム教徒にとって一生をかけるほどの信仰上の願望につけ込むのが、同作品でも暗躍した巡礼ツアー詐欺業者だ。実際に悪徳詐欺は毎年のように後を絶たない。

2019年もジャカルタ郊外のデポックの旅行代理店ダムツアーが200人の大巡礼、小巡礼希望者から合計40億ルピア(約3000万円)を騙し取り、警察に逮捕されている。 

 特に世間を騒がせたのが、2017年のファーストトラベル小巡礼詐欺事件で、被害者が約6万3000人、被害総額約9050億ルピア(約68億円)と大規模なものだった。騙し取った金で経営者夫妻が欧州豪遊などをしていたことも発覚した。(夫妻は禁錮20年と18年の実刑判決)。

 以上のように、イスラム教徒にとっての大巡礼は非常に重要で神聖なものであるが、それを題材にコメディ展開したところにインドネシア人のユーモアも感じられる。主人公と同じく詐欺被害者仲間になるのが、なぜかキリスト教徒が多いパプア人に設定されているのも面白く、理屈抜きで楽しめる作品だ。

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=mrHyP-txS2Y

 

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インドネシア全34州の旅 #32 ゴロンタロ州 
「隠れモルジブ」? 特筆すべき美しさの島

文・写真…鍋山俊雄

 

 スラウェシ島には6つの州があり、そのうちの5つは北、南、西、中部、南東と、方角を表す名称だ。1つだけ独自の名前を持つ州がある。ゴロンタロ州だ。

 オランダ占領前からゴロンタロ人が居住し、王国があった地域だ。インドネシア独立時に北スラウェシ州に編入されたが、キリスト教徒が大半の北スラウェシ州とは、人種も文化も宗教も異なる(北スラウェシ州はミナハサ人)。東部インドネシアにおけるイスラムの中心地で、住民の大半がムスリムであったことから、2000年に、「ゴロンタロ州」として北スラウェシ州から分離した。

空港にある、ゴロンタロの民族衣装を着た男女の像

 ゴロンタロ州にはいくつか、歴史遺跡である砦(benteng)がある。そのほかの観光スポットは探しあぐねていたのだが、オープントリップで知り合ったゴロンタロ在住のインドネシア人トラベラーに聞いたところ、ゴロンタロの街から1時間ぐらいのオレレ(Olele)という所に、地元民が行くシュノーケリングのベストスポットがある、と教えてくれた。北側にもゴロンタロ州の旅行記事で「ゴロンタロのモルジブ(?)」とうたわれる、サロンデ島という興味深い場所のあることがわかった。

 ゴロンタロへは、ジャカルタから直行か、マカッサル経由になる。時間はジャカルタから1時間マイナス。このため、午前2時にジャカルタ発で、午前6時ごろにはゴロンタロに到着する。

 事前に予約していたレンタカーに乗って、ホテル・チェックインまでの時間、ゴロンタロの街を一巡りしてみた。

 ゴロンタロの観光場所を探していた時にひっかかったのが「ゴロンタロのエッフェル塔」という塔だ(本当の名称は「Limboto Tower」)。空港から街に向かう途中、周囲にあまり高い建物がない道を車でしばらく走っていると、突然、それは目の前に現れる。なんと、4本の足が交差点にまたがる形でそびえ立っているのだ。高さは65メートルほどで、2001年に建てられたらしい。塔を登る階段があるが、残念ながら、この時は改修工事中だった。後にロンボク島でも似たような塔が建築されていて驚いたが、最近の流行りなのだろうか?

ゴロンタロ大モスク(左)とLimboto Tower

 ホテルに荷物を置いた後、街巡りに出かけた。まずは、当地の名産らしい「サテ・ツナ」を食べられる所に連れて行ってもらった。通常、サテ(sate=串焼き)と言えば、鶏やヤギだが、ここではツナ、つまりマグロの串焼きなのだ。港に近い入り江沿いのレストランで、初めて味わってみた。

 直火での串焼きは、一見、ツナとはわからないが、ひとかじりしてみると、確かにまぐろの味だ。直火であぶっていて、中まで火が通っているのだが、パサパサになる手前のしっとりした食感。これを熱々の状態で食べるので、うまい。やみつきになる味だった。

 食後は海の風景を楽しむべく、海岸の高台にあるモスク(Mesjid Ealima Emas)に登ってみた。眼下にはドゥランガ海岸(Dulanga Beach)が広がる。ゴロンタロの南側の海はスラウェシの内海側になる。「K」の形をしたスラウェシの内側にあるリゾートとして有名なトゲアン諸島(Togean)は、このゴロンタロからフェリーで一晩の距離だ。

 次に、ゴロンタロにある一つ目の砦の「オタナハ(Otanaha)砦」に行ってみた。

 インドネシアに砦は多数あるが、よく見かけるのは市街地にある軍事施設か、ポルトガルやオランダが外敵に対する海洋防御のために、海を望む高台に建造した物だ。しかしながら、このオタナハ砦は内陸側の、リンボト湖(Danau Limbotto)を望む高台にある。なぜ内陸側にあるのかというのが疑問だった。

 実は、この砦の建造時期は古く、1522年。オランダ東インド会社のインドネシア到来よりも前の時代になる。そのころ、スラウェシにはポルトガルが来訪し始めていたようだが、この砦はポルトガルではなく、ゴロンタロ王国が建造した物だそうだ。ほかの部族との内戦の時に王族が匿われていた、という話も残っているようだ。だから海ではなく、内陸に向かって建造されたのだろうか。

 砦はリンボト湖を一望できる小高い丘の上に1カ所、そこから一段下がった所にもう1カ所。円形型で、砲台の穴が残っている。

オタナハ砦の上段から下段を眺める

 翌2日目は、街から車で小一時間、海岸に沿って東へと向かう。オレレ(Taman Laut Olele)でのシュノーケリングの1日ツアーだ。

 海岸に着いた時はあいにくの曇り空だった。朝早くだからか観光客も少なく、貸し切りのような状態で、グラスボートで出発。2カ所のシュノーケリング・スポットに向かった。

シュノーケリングへ行くグラスボート

 最初のスポットに潜ってみて、サンゴと魚影の濃さにびっくりした。餌を撒くとスズメダイ(Damselfish)が寄って来て、囲まれてしまった。

 2カ所目はドロップオフの近くだ。ガイドたちと一緒に数メートル素潜りして「Olele」の看板を掲げて写真撮影した。

 残念ながら雨が降ってきたのでシュノーケリングは切り上げ、砂浜の民家で昼食を食べた後、ゴロンタロの街に戻った。帰路、前日にサテ・ツナを食べたレストランに再び立ち寄り、サテ・ツナを持ち帰りで購入して、ホテルに戻ってからつまんだ。

 3日目は、早朝から車で出発した。広がる草原と小さな村々を抜けて北上する。カンダン(Kwandang)港まで向かい、そこからサロンデ島に渡る予定だ。道すがら見つけた小さな食堂で、お隣の北スラウェシ州の州都マナドの家庭料理の一つ、「マナド風お粥(bubur Manado)」を朝食に食べた。

 その後、ゴロンタロのもう1つの砦、オレンジ砦(Benteng Orantje)に立ち寄る。こちらは、海の見える小高い丘に立つ砦で、15〜16世紀にポルトガルが建造した物らしい。このころから、スラウェシ島からマルク地域にかけては、欧米列強が香料収奪のための陣取り合戦をしており、この砦もポルトガルによって建造された後、オランダに取られている。

 ここには入口の鍵を開けてくれた管理人と思しき人以外、誰もいない。周囲は、森とその先には海が広がるだけだ。静まり返った中でセレベス海を望む高台からの風景は、建造当時から、あまり変わってないのかもしれない。

 サロンデ島はカンダン港から20分ほど小舟で行った所にある。周囲を白砂のビーチで囲まれた小さな島だ。10分少々でぐるっと回れるようなサイズの島に、コテージのリゾートがぽつぽつとある。海とビーチの美しさから、ゴロンタロの「隠れたモルジブ」とした紹介記事を読んだことがある。

 昼前に到着した時はちょうど満潮で、遠浅の白砂ビーチに青い空と海のコントラストが素晴らしかった。ゴロンタロの街から日帰りでも来られるような距離に、このように静かで美しい島があるのは驚きだ。

サロンデ島に到着

サロンデ島の海岸

サロンデ島のリゾートのロビー

 満潮時の海は、膝から腰ぐらいまでの深さが海岸から沖合100メートルほど続き、浅瀬が終わると、徐々にサンゴ礁が広がっている。絶好のシュノーケリング・スポットだ。

 昼過ぎにいったん潮が引くと、島の反対側では、仕掛けた網で漁師が魚を獲っているのが見られた。午後は再び潮が満ちてきて、シュノーケリングが楽しめる。

サロンデ島干潮時に魚を捕る

サロンデ島の干潮時

 コテージの数が限られているので、昼過ぎから日帰り客が来て、多少にぎやかになるが、夕方にはまた人がまばらになる。夕陽を眺めながら、リゾートの簡素なレストランで、シーフード・バーベキューを楽しめる。

サロンデ島のコテージ

サロンデ島の朝

 翌朝は10時ごろに島を出発し、一路、ゴロンタロの空港へ向かった。渋滞もない道中は快適で、予定通り、午後2時ごろ発の飛行機に乗り込み、ジャカルタに戻った。

 あまりなじみのないゴロンタロ州だったが、このサロンデ島の美しさは特筆すべき。テレビも無い島で(陸地に近いので、携帯は通じる)、のんびりできる。

 ゴロンタロ州では最近、南側に「愛の島」(Pulau Cinta)というコテージ・リゾートが出来て、インドネシアのトラベラーの間で有名になりつつある。こちらも、「ゴロンタロのモルジブ」らしい。ゴロンタロ州は横に細長く、「愛の島」は空港から遠方にあるため、料金も高めなようだ。

 今後、ゴロンタロには新しい「モルジブ」が増えていくのか注目したい。

 

 

鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシア在住期間は計13年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。

 

 

インドネシア全34州の旅
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市
#9 バンカ・ブリトゥン州 アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島
#10 リアウ諸島州 最北端の島の1つ。石群が織りなす造形
#11 西スラウェシ州 トラベラーの中でも「まだ行ってない」率が高い
#12 パプア州 ①国境編(ジャヤプラ、メラウケ) 国境の看板の向こうは熱帯雨林
#13 パプア州 ②山編(ワメナ) 伝統の残り香のあるうちに
#14 パプア州 ③海編(ティミカ・パンタイ) 船で新しい土地へ
#15 パプア州 ④戦争編(ビアク) 息をのむ美しさの海、戦争の名残り
#16 西パプア州 ラジャアンパットを一人で弾丸旅行する方法
#17 リアウ州 仏教遺跡と王宮
#18 ジャンビ州 東南アジア地域で最大級の広さを持つ寺院遺跡群
#19 南スマトラ州 アンペラ橋の周りの見所を巡る
#20 ランプン州 草原の象、蝶の公園
#21 バリ州(ヌサペニダ島)  断崖絶壁と白砂ビーチめぐり
#22 ジャカルタ特別州  オランダ時代の「忙しい」島から見る高層ビルの街
#23 西ジャワ州 緑の中にたたずむ伝統村
#24 中部ジャワ州 週末のスマラン、鉄道の旅
#25 東ジャワ州① 絶景ブロモ山とマランの「ブルーシティー」
#26 東ジャワ州②マドゥラ島  全速力で駆け抜ける牛の勇姿、人工の石灰岩の造形 
#27 ジョグジャカルタ 映画ロケ地巡りとワイサック
#28 西スマトラ州  ブキティンギのグランドキャニオン
#29 北スマトラ州 ニアス島へのオープントリップ
#30 西ヌサトゥンガラ州 スンバワ島へ、2枚の写真の風景を見に
#31 中部スラウェシ州① 人や動物、謎の石像遺跡群
#32 中部スラウェシ州② スラウェシの「ミニ・ラジャアンパット」

インドネシア映画倶楽部 第23回 「野生のサイ、リキ(RIKI RHINO)」 
絶滅危惧の動物たちの冒険アニメ

文・横山裕一

 

 数年前、西パプアのジャングルを取材していて、今更ながらふと気づいたことがあった。「そうか、子どもの頃世界の珍しい動物や秘境探検のテレビ番組、本を見て、憧れていた大自然のある国、インドネシアに今いるんだ」

 日本では動物園でしか見ることのできない動物がまさに野生で生息している国。そんなインドネシアならではのアニメ映画が本作で、人間によって絶滅の危機に瀕している動物たちの厳しい現実が強いメッサージとして発信されている。

 物語は、密猟者に襲われ大切なツノを奪われたスマトラサイのリキがツノを取り戻すため、親友である野生アヒルのベニとともに旅に出る冒険活劇。道中、スマトラトラやスマトラゾウなどが密猟者に襲われるのを助けながら、リキは仲間や勇気の大切さを育んでいく。

 登場する動物たちはいずれも、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで絶滅危惧種に指定されているものばかり。スマトラサイ、スマトラトラ、スマトラゾウ、オランウータン、テングザル、ジャワクマタカ、ウミガメなど。

 2018年時点でインドネシアに生息する500種余りの哺乳類のうち、実に3分の1以上の191種が絶滅危惧種となっている。特に主人公のスマトラサイは確認された生息数が百頭を下回り、「近絶滅」の危機に瀕した動物に指定されている。スマトラトラとオランウータンも同じレベル指定である。

 同作品では、各動物が実際にどこの国立公園の保護区で生息しているかも紹介している。冒険の出発点であるスマトラサイの生息地、アチェ州のグヌン・ルスル国立公園から始まり、スマトラトラの親子を助ける北スマトラ州のバタン・ガディス国立公園、さらにスマトラゾウと出会うリアウ州のテッソ・ニロ国立公園など。

 この背景には、熱帯雨林激減のため保護区でしか動物たちがすでに生息できないという深刻な現実がある。原因は開発やパーム油採取のためのヤシ林への転換、違法な森林火災などである。

 自然保護団体のインドネシア自然保護協会ワルシ(KKI WARSI)によると、衛星写真などによる調査の結果、2017年現在でスマトラ島の熱帯雨林は過去25年間で2000万ヘクタールから1100万ヘクタールとほぼ半減したことを明らかにしている。

 さらに希少生物たちが苦境に陥れられているのが、同作品でも暗躍する悪質な密猟者たちだ。インドネシア全体で過去1年を振り返っただけでも、バリ州でオランウータン密輸摘発、コモドドラゴン密輸摘発(いずれも2019年3月)、リアウ州でオランウータン密輸摘発(同年6月)、リアウ州で密猟によるゾウの死骸発見(同年11月)など後を絶たない。摘発事例は氷山の一角とみられる。

 熱帯雨林の減少に伴い、エサを求める動物たちの行動パターンが変化し、人里に出て起きる不幸も多発する。南スマトラ州では人がトラに襲撃される事故が相次いだ(2019年11月、12月)。またアチェ州では農園に侵入したオランウータンから空気銃の銃弾74発が見つかる痛ましい事件も起きている(2019年3月)。同州では猟師が仕掛けた罠にゾウがかかり保護されてもいる(2020年2月)。

 こうした絶滅危惧に瀕した動物たちに対する、さらなる保護活動や環境意識の高揚が求められる一方で、環境保護に逆行するかのような、気になる動きが出てきている。

 2020年1月、環境森林省のシティ・ヌルバヤ大臣は世界自然保護基金(WWF)インドネシアとの協力関係を打ち切る大臣令を発令した。30年余り続いた協力関係の打ち切りは一方的なもので、理由は明らかにされていない。WWFインドネシアは引き続き活動を続けるとはしているが、従来よりもスムーズに進められなくなることも危惧されている。

 さらに現在、政府が投資活動改善のため法整備を検討している「オムニバス法案」では、開発事業で事前に義務付けられている環境影響評価の実施を限定的にする可能性が出ている。経済優先で環境がないがしろにされかねないとの懸念の声も出ている。

 映画「野生のサイ、リキ」では、動物たちが密猟者とひたむきに闘う姿を通して、自然保護、環境保護の必要性を訴えている。残念ながら彼らにとっての最大の敵は、密猟者だけでなく現代文明を必要とする我々人間である。開発と自然保護のバランスは永遠のテーマである。

 上映中、サイやゾウ、トラたちが活躍するたびに観客の子供達が大きな歓声をあげていた。この記憶を大人になるまで持ち続けて欲しいというのが製作者の想いだろう。

 ただし、この映画は子供だけのものではない。インドネシア大学人文学部の「外国人のためのインドネシア語講座」(BIPA)は、インドネシア語の聞き取り学習の教材として良いだけでなく、インドネシアの希少動物の現状も知ることができるとして、ソーシャルメディアを通して受講者達に鑑賞を勧めている。

 さらにこの作品の見どころは、全編を通して映し出されるスマトラ島、カリマンタン島の熱帯雨林などの風景だ。写実的でアニメーションとはいえインドネシアの自然の素晴らしさを満喫でき、その大切さを再認識できる作品である。

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=BG5NPjW7r4U

 

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