インドネシア全34州の旅 #31 中部スラウェシ州① 
人や動物、謎の石像遺跡群

文・写真…鍋山俊雄

 

 アルファベットの「K」に似た形をしたスラウェシ島。スラウェシ島中部、中部スラウェシ州の旅を2回に分けてご紹介する。1回目は「不思議な石像遺跡を巡る旅」。

 インドネシアでの大きな遺跡は、ジョグジャカルタのボロブドゥール遺跡を筆頭に、ジャワ島やスマトラ島にある仏教やヒンドゥー教の遺跡が中心である。ジャワとスマトラ以外の島では、オランダやポルトガルが占領時に建造した砦(benteng)が中心になる。これは、マルクやパプア地域まで広がっている。これらはいずれも、宗教や戦争のための建造物。ところが、中部スラウェシ州で見られるのは、人や動物を模した石像だ。

 中部スラウェシ州の州都パルとポソの間の南方に、「ロレリンドゥ(Lore Lindu)」という国立公園が広がっている。日本の岐阜県と同じぐらいの広さだ。ここでの注目は、インドネシアでも珍しい巨石遺跡(Megalith)だ。

 海外の考古学者も含めて調査が行われているが、いつ、誰が、何の目的で造ったのかには、諸説あるらしい。建造は紀元前3000年ごろという説から、イースター島のモアイ像と同じ14世紀ごろ、という説まであるらしい。

 石像は、男女の人型や、水牛、猿などの動物と思われるものが多い。謎めいた石像が、この広い公園地域内に500以上もあるとのことだ。石像は各地に点在しているため、短期間の旅行の場合、その中のいくつかに絞ってアクセス等を考える必要がある。

 以前、南スラウェシ州トラジャを旅行した時のガイドに連絡して、ロレリンドゥを知っているガイドを紹介してもらった。このガイドさんと、まずは打ち合わせ。ロレリンドゥには、パルから南下して行く方法と、公園の東側に当たるポソから行く方法がある。いくつかの代表的な石像を見られるように、ポソ経由のルートで行くことにした。移動に時間がかかるため、ジャカルタからは最短でも3泊4日は必要だ。

 ジャカルタからマカッサルまで飛行機で2時間。そこでウイングズ航空のプロペラ機に乗り換えて、約1時間半でポソに着陸した。そこから車で2時間ほど南下し、テンテナ(Tentena)という町に到着した。琵琶湖の半分ぐらいの大きさがある、ポソ湖のほとりにある。

ポソ湖の眺め

 テンテナの街を、ポソ湖を眺めながら散策した。この街はウナギが有名だという。街の中心の公園にあるモニュメントも、ウナギをあしらったものだ。夕飯は、ポソ湖に流れ込む川の岸辺にあるレストランで焼き魚を堪能した。

 翌朝にガイドと合流し、テンテナを車で出発した。目指す国立公園内にあるボンバ(Bomba)村までは、山道を走りながら、およそ2時間半の道程だ。道すがら、所々で珍しい物を見ながらのドライブとなった。生い茂っている森の高い木の梢では、カラフルなサイチョウ(Hornbill)を見た。

食虫植物

 山中の道は、今では舗装されているが、所々に崖崩れの跡があり、道路の状態に注意を払いながら車を進めていく。舗装される前は、同じ道ながら、倍の5時間以上がかかっていたそうだ。

ボンバへの道からの眺め

 こうした中、いきなり渋滞が発生した。前方を見ると、沿道の木が横倒しになって道路をふさいでいる。どうしたものかと思っていたら、バイクに乗ったおじさんがノコギリを持って登場。手際良く、倒木を切り始める。居合わせた車やバイクの運転手も協力して、木のツルを使って引き倒したりして、小一時間で、車が1台通れる幅の通路を確保。ようやく通り抜けることができた。

通れるようになりました

 到着したボンバは小さな農村で、大きな建物といえば、広場の前の目立つ教会のみ。辺りには水田が広がっている。民家の庭の一角に部屋を増設した宿に、昼過ぎにようやく着いた。

ボンバでの宿

 一休みした後、早速、周囲の石像巡りを開始した。最初の石像は、村はずれの田んぼの中にあった。遠くに山を望み、広々と広がる水田の間のあぜ道を15分ほど歩くと、水田の一角に突然現れる。建物も柵も、説明文もない。ただ、地面に横たわっているのは、水牛の石像「Megalitik Kerbau」だ。

水田のあぜ道を歩く

 筋の通った鼻梁に二つの目があり、石像の下部分は地中に埋まっている。この状態で数百年(または数千年?)、ここにあったのだろうか。周りが水田なので、何年経とうと周りの風景はあまり変わっていないのではないか、などなど、想像が膨らむ。

 二つ目の石像は、人型の石像「Megalitik Loga」だ。高さは私の身長とほぼ同じ。石像の周りの草は刈り込まれており、小高い丘にポツンと立っている。目前には、見渡す限りの草原と山が広がる。

 昔はここに宮殿があったという説もある。この石像の前には、いかなる文明が発達し、そして、今の草原に変わっていったのだろうか。

 初日の最後は、村はずれのカカオ畑を通り抜けた所にある、これも人型の石像「Megalitik Langke Bulawa」。恐らく女性だろう。顔つきが優しい気がする。森の中にひっそり立つ。この石像も、ずっと昔からこの地にあったのだろうが、どのような経緯でここにあるのだろうか。

 翌3日目は、昼過ぎにはテンテナに戻る予定なので、昼までの探訪になる。朝から徒歩で、まずは宿の近くのサロカランガン川にかかる吊り橋を渡り、集落を通り抜け、カカオ畑を越えて、さらに延々と草原の中を歩く。

隣の村へ橋を渡っていく

 およそ1時間半歩いたところで、初めて観光地らしく、石像の名前が記された簡単な看板が立っている、大きな石像「Megalitik Palindo」に到着した。

 高さ3.5メートルほどの巨大な男性型の石像で、正面から見ると、右に傾いている。ガイドの話では、建造後に傾いたのではなく、初めから傾けて建造したという。顔のほか、性器と思しき模様が付いている。石像の左側に立ち、石像を手で支える形で、お約束の記念写真を撮った。

 最後の5つ目の石像は、民家の裏の田んぼの中にある。休耕田の中にポツンと、小型の猿の石像「Megalitik Oba」があった。

 これらの形のはっきりした石像のほかにも、民家の裏には、井戸のような形をして割れている石像や、何かの動物像の背中のような岩がいくつか見られた。

 石像は基本的に、特に柵で囲ったりすることなどなく、草を刈り込んでいるのみだ。観光の対象として過剰に整備することなく、周囲の生活風景に溶け込んでいる。そうした中で、積み重ねてきた時間に対する想像をかきたてる、理想的な保存の仕方かもしれない。

 昼からまた来た道を引き返し、ポソ湖の街のテンテナまで戻る。今度は倒木もなく、時折、野生の猿やサイチョウを眺めながらのドライブだった。

帰路に見えてきたポソ湖

午後4時ごろにはテンテナの街に戻った。焼きウナギを食べられるレストランが休みだったのが残念だった。翌4日目に、テンテナからポソ空港まで車を走らせ、飛行機でジャカルタに戻った。

 旅行中、ガイドに「インドネシアのほかの地域に、このような石像はないのか?」と尋ねたところ、「スマトラ島南部地域で、同様の石像があるらしい」と話していた。

 後日、南スマトラ州パレンバンの博物館で、石像のコレクションを見る機会があった。博物館に集められていて、ロレリンドゥのように「元々あった場所での保存」ではないので、いまひとつ、想像力をかきたてられないのが残念だった。ロレリンドゥの石像は、引き続き、「開発し過ぎる」ことなく、今のままで維持されることを願いたい。

 

 

鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシア在住期間は計13年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。

 

 

インドネシア全34州の旅
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市
#9 バンカ・ブリトゥン州 アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島
#10 リアウ諸島州 最北端の島の1つ。石群が織りなす造形
#11 西スラウェシ州 トラベラーの中でも「まだ行ってない」率が高い
#12 パプア州 ①国境編(ジャヤプラ、メラウケ) 国境の看板の向こうは熱帯雨林
#13 パプア州 ②山編(ワメナ) 伝統の残り香のあるうちに
#14 パプア州 ③海編(ティミカ・パンタイ) 船で新しい土地へ
#15 パプア州 ④戦争編(ビアク) 息をのむ美しさの海、戦争の名残り
#16 西パプア州 ラジャアンパットを一人で弾丸旅行する方法
#17 リアウ州 仏教遺跡と王宮
#18 ジャンビ州 東南アジア地域で最大級の広さを持つ寺院遺跡群
#19 南スマトラ州 アンペラ橋の周りの見所を巡る
#20 ランプン州 草原の象、蝶の公園
#21 バリ州(ヌサペニダ島)  断崖絶壁と白砂ビーチめぐり
#22 ジャカルタ特別州  オランダ時代の「忙しい」島から見る高層ビルの街
#23 西ジャワ州 緑の中にたたずむ伝統村
#24 中部ジャワ州 週末のスマラン、鉄道の旅
#25 東ジャワ州① 絶景ブロモ山とマランの「ブルーシティー」
#26 東ジャワ州②マドゥラ島  全速力で駆け抜ける牛の勇姿、人工の石灰岩の造形 
#27 ジョグジャカルタ 映画ロケ地巡りとワイサック
#28 西スマトラ州  ブキティンギのグランドキャニオン
#29 北スマトラ州 ニアス島へのオープントリップ
#30 西ヌサトゥンガラ州 スンバワ島へ、2枚の写真の風景を見に

インドネシア映画倶楽部 第19回「草根の唄(NYANYIAN AKAR RUMPUT)」 
20年にわたる真実追求の声

文・横山裕一

 

 いまや当然の権利であるかのような「言論の自由」。しかし、わずか20年前までのスハルト独裁政権の下では、政治批判しようとする者は当時の権力に抑えつけられ、多数の悲劇が起きた。

 本作品は「ある若者」が20年前に起きた人権侵害の未解決事件「民主活動家13人行方不明事件」の解明を求め、言論の自由の大切さを訴えるドキュメンタリー映画である。2018年のインドネシア映画祭で長編ドキュメンタリー賞を受賞したほか、ポルトガル、釜山、ニューデリーなど数多くの映画祭で受賞、ノミネートした作品だ。

 スハルト政権末期の90年台後半、インドネシアでも民主化を求める声が高まった。学生や労働者、芸術家から多くの民主活動家が生まれ、デモや集会で民衆に訴えかけ始めたが、1997年からスハルト政権が倒れる98年5月にかけて、13人の民主活動家が次々と行方不明となり、いまだ安否さえ分かっていない。

 その一人が中部ジャワ州ソロ出身の詩人、ウィジ・トゥクルだ。彼は自作の詩を通じて政権批判、民主化を訴え続けたが、98年5月初旬、行方が分からなくなっている。その息子、ファジャル・メラこそが、前述した「ある若者」であり、今作品の主人公だ。

 ファジャルはインディーズ・ロックバンドのボーカリストで、バンド名は彼の名前からとった「メラ・ブルチュリタ(メラが語る)」。父親が残した詩に彼オリジナルの曲をつけ、歌を通して行方不明となった父親の事件の究明を訴え続ける。(ファジャル作詞の曲もある)

 父が行方不明となった時、ファジャルは5歳、当時すでに逃亡生活を続けていた父親の記憶はほとんどないという。しかし母(ウィジ・トゥクルの妻)と姉と共に事件解明の活動を続ける中、父親の残した詩や父についての書物を読むうちに、彼は歌で当時を知らない同世代にも訴え続けていこうと考える。

 今やインターネットの時代、父親の詩をのせた彼の歌は動画で広く同世代に共感を呼んでいく。地方でのライブでも数多くの若者たちが集まり、声を合わせてウィジ・トゥクルの詩をファジャルの曲にあわせて合唱する。

 スハルト政権が倒れて20年、民主化の代償となってしまった事件の解明は止まったままだ。折しも経済格差が拡がるだけでなく、政治エリートが宗教や民族問題を政治利用することで社会に閉塞感が広まる現代。若者たちにとって、ウィジ・トゥクルの詩、ファジャルの歌は「今を嘆く歌」として受け入れられているようだ。

 映画の中でも頻繁に唄が紹介されるので、代表的な詩(歌詞)を紹介すると、

「花と壁 (BUNGA DAN TEMBOK)」(ウィジ・トゥクル作)
花にたとえるなら 
我々は、あなたにとって育って欲しくない花だ
あなたは家を建てたり、土地を略奪する方が好きだろう

花にたとえるなら
我々は、あなたにとって存在して欲しくない花だ
あなたは大通りや鉄の塀を開発する方が好きだろう

花にたとえるなら
我々は、この世で抜け落ちてしまうような花だ
我々が咲いたとしても、あなたは壁として立ちふさがる

しかし、その壁に我々はすでに種を植えつけてある
いつか我々が一斉に育った時
確信している、あなたは崩れ去るのだ!
確信を持っていれば
どこだろうと、圧政は倒れるべきなのだ!

 

 権力者が民衆をないがしろにした時、ウィジ・トゥクルの詩は「あなた(スハルト政権)」の時代だろうと現代だろうと、いつでも輝きを見せるのかもしれない。

 「民主活動家13人行方不明事件」をめぐっては、陸軍特殊部隊の「バラ組」として組織されたグループが実行犯として誘拐などを行ったことが明らかになったが、人権侵害事件としての捜査は2007年以降行われず、主犯、命令系統など全容は解明されていない。実行犯の特殊部隊員11人が国軍内の裁判で最高で22ヶ月の禁固という処分(一部は免職も)を受けたのみである。

 その後の報道などで、陸軍特殊部隊の司令官も務めたプラボウォ氏が関与した可能性が高いとされているが、これも確定には至っていない。プラボウォ氏については、2018年公開されたアメリカの国防機密文書にも、インドネシアのアメリカ大使館からの報告として「スハルト大統領の命令を受けて、誘拐の指示を出した」と指摘されている。

 映画では2014年の大統領選挙期間も描く。2期政権に入ったジョコ・ウィドド現大統領の最初の選挙である。奇しくもファジャルと同郷(中部ジャワ州ソロ)のジョコ候補(当時)はファジャルの家族と面会し、当選した際には事件解明することを約束している。

 ジョコ政権の1期目では事件解明の動きはなかった。2期目では政権安定のため、ジョコ大統領は事件の指揮者の疑いのあるプラボウォ氏を国防大臣として入閣させた。事件解明は非常に厳しい状況になったようにもみえる。

 映画はジョコ大統領の1期目就任までの時代とファジャル家族の活動が描かれているが、「ただすべきは声をあげ続ける」ことの大切さが、彼らの姿勢を通して強く訴えかけられてくる。奇しくも、プラボウォ氏を閣僚に入れたジョコ第2期政権が始まったこの時期に、上映された意味は逆に大きいともいえるかもしれない。

 2016年にインディーズ映画として、ファジャルの父親ウィジ・トゥクルの逃亡の様子を描いた「イスティラハットラー・カタカタ(言葉に出すのはやめておこう)」(ヨセップ・アンギ・ノエン監督)が公開されている。無実の罪を着せられて指名手配されるウィジ・トゥクル。潜伏先で詩を読んだら当局に見つかってしまうので、詩(カタカタ/言葉を出すの)は、休憩だ(イスティラハットラー)という、タイトル通りの彼の心情を描いた傑作だった。

 監督も製作背景も異なるが、本作品はまさにウィジ・トゥクル2部作目として製作されたかのようで興味深い。ただ既述の歴史経緯さえ把握していただければ、本作品だけを観ても十分に理解でき、彼らの熱意、訴えを感じとってもらえると思う。

 主人公のファジャルと寝起きを共にしながら信頼関係を築き、撮影を続けたユダ・クルニアワン監督は「過去に重大な人権侵害事件があったことを忘れてはならない、これはいつの時代になっても変わらないことだ」と話す。テーマは重いが、音楽シーンが多く、詩と共に曲調からぐっと胸に迫る作品だ。

 是非ともこの機会に、インドネシアならではの、力強いドキュメンタリー映画を味わっていただきたい。映画館は限られており、ジャカルタ周辺ではプラザ・スナヤンとデポック・タウン・スクエアの映画館のみ。ドキュメンタリーのため上映期間は短いと予想できるので、興味のある方はお早めに。(英語字幕あり)

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=DQUsIojrQII

インドネシア映画倶楽部 第1回 「マルリナ〜ある殺人者の四幕〜」(MARLINA SI PEMBUNUH DALAM EMPAT BABAK)

インドネシア映画倶楽部 第2回 「アホックと呼ばれる男」(A MAN CALLED AHOK)

インドネシア映画倶楽部 第3回「トゥンコラック(ドクロ)」(TENGKORAK)

インドネシア映画倶楽部 第4回「ディラン1991」 (DILAN 1991)

インドネシア映画倶楽部 第5回 「我が素晴らしき肉体の記憶 (KUCUMBU TUBUH INDAHKU)」

インドネシア映画倶楽部 第6回 「メイの27ステップ (27 STEPS OF MAY)」

インドネシア映画倶楽部 第7回 「アンブ〜母(Ambuh)」

インドネシア映画倶楽部 第8回 「人間の大地(Bumi Manusia)」

インドネシア映画倶楽部 第9回 「追跡(Perburuan)」 日イ歴史の再認識

インドネシア映画倶楽部 第10回 「バリ ビート・オブ・パラダイス(BALI BEATS OF PARADISE)」 バリガムランとアメリカファンクのコラボレーション 

インドネシア映画倶楽部 第11回 「6.9秒 (6,9 DETIK)」 母への想いと自己との闘い

インドネシア映画倶楽部 第12回「ベバス(自由/BEBAS)」 90年代のノスタルジーと変わらぬ友情

インドネシア映画倶楽部 第13回 「愛は盲目(CINTA ITU BUTA)」 アジア融合のラブコメ

インドネシア映画倶楽部 第14回 「僕にイスラムを教えて(AJARI AKU ISLAM)」 宗教を越えた愛と現実

インドネシア映画倶楽部 第15回 「スシ・スサンティ ラブ・オール(SUSI SUSANTI LOVE ALL)」 国民的英雄の栄光と苦悩

インドネシア映画倶楽部 第16回 「ただの人として(HANYA MANUSIA)」 警察プロデュースの刑事アクション

インドネシア映画倶楽部 第17回 「ハビビ & アイヌン 3 (HABIBIE & AINUN 3)」 自立を目指す若き女性を描く

インドネシア映画倶楽部 第18回 「いつかこの物語をあなたに (NANTI KITA CERITA TENTANG HARI INI)」 家族愛ゆえの葛藤と心に残るセリフの数々

インドネシア映画倶楽部 第18回 「いつかこの物語をあなたに (NANTI KITA CERITA TENTANG HARI INI)」 
家族愛ゆえの葛藤と心に残るセリフの数々

文・横山裕一

 

 正月第1弾から、見ごたえのある、心温まる作品が公開された。年始休みの時期だったとはいえ、2020年1月2日の公開から6日間で85万人を超える観客を動員した話題作となっている。

 父母と20代の三兄妹による家族の愛がテーマの作品で、それぞれの心の動き、感情が細やかに描かれている。さらにそれぞれのセリフが劇中自然な形で、端切れの良い「詩」のように印象に残る。原作本(同名タイトル、マルシェラ FP著)が物語でありながら詩集のような形態をとっているのも影響しているかもしれない。

原作本(上段の濃紺の表紙)と同映画作品の特集本(下段の写真表紙)。Gramediaにて

 一般的にインドネシア人の家族は、日本と比べても家族の和をより大切にし、家族思いのように見える。子供が大きくなっても日曜日に家族で出かけたり、夫婦間だけでなく、親は子供に対しても「サヤン(愛しい人)」と呼びかける。

 この物語の家族も各人がお互いを大切に思っているが、20年余り共に過ごした家族の歴史の中で、それぞれがそれぞれの心の中に「痛み」を抱え、相手を想うがゆえに確執が生まれ、関係がぎこちなくなっていく。

 かつて妻の死産を経験したため子供を失う事を極度に恐れ、心配性になる父親。父親から妹達を守るよう子供の頃から期待されながら、父親の満足を満たせず忸怩たる思いを募らせる長男アンカサ。かつて有望な水泳選手だったが親の期待に応えらず挫折の過去を引きずる長女アウロラ。父親の庇護から自由になれず悩む末娘アワン。皆の気持ちが理解できるがゆえに何も言えない母親。

 喪失の記憶、失敗、挫折、失望などの呪縛に悩む彼らが、家族としてお互いを理解し、乗り越えることができるのか。各登場人物が「トラウマ」となった過去の出来事が随所に盛り込まれ、それぞれの気持ちが痛いほど分かるため、観客がより作品にのめり込んでいく作りになっている。

 この作品の魅力のひとつが、前述のように登場人物が口にする「言葉」だ。

「自分を助けることができるのは自分自身でしかない、頑張らなくてはならないのは自分自身なんだ」(末娘アワン)

「君が僕に幸せの意味を教えてくれたんだ、君がいるから僕は頑張れるんだ」(父親)

 日本語に直訳すると味気ないが、それぞれが日本の詩や漢詩、ラップのように語尾が韻を踏み、聞いていて耳に心地よい言葉になっている。

 監督は「東インドネシアの光(CAHAYA DARI TIMUR/2013年)」や「コーヒーの哲学(FILOSOFI KOPI/2015年)」、「プラハからの手紙(SURAT DARI PURAHA/2016年)」などを手がけた若手の実力派、アンガ・ドゥイマス・サソンコ監督。

 同監督は「愛情や感情を態度に出したり、口で表現するには限界があるが、映画ではそれを補って表現することができる。この作品では愛情がいかに大きなものであるかを伝えたかった」と話す通り、登場人物の感情の機微がスクリーンを通して丹念に表現されている。大きな見どころのひとつだ。

 長男役の俳優リオ・デワントは、前述の同監督作品「コーヒーの哲学」でも主役の一人を演じている。そのためか、「コーヒーの哲学」でのもう一人の主役だった人気俳優チコ・ジェリコもちょい役で出演していて、思わずにんまりとしてしまう。この他、「ザ・レイド2(THE RAID 2/2014年公開)」などのオカ・アンタラが若き父親役を演じている。

 話は逸れるが、映画「コーヒーの哲学」も「言葉」にこだわった映画だった。物語内のカフェで一杯のコーヒーを出す際、客へ告げる一言「哲学」が客に受けるという設定だ。例えば、「コーヒーというものがある限り、人は自分自身を見出すことができる」などといった内容だ。

 この映画、原作本のヒットが引き金となって、各地のカフェの持ち帰り用のカップや袋などに、同様の「気の利いた」言葉が書かれるようになり、いまだに流行となっている。インドネシア人の「詩」「気の利いた言葉」好き文化が反映されたものだろう。フェイスブックなどSNSにも、写真でなく言葉だけで自分の気持ちなどを書いた投稿が多いのもその表れかもしれない。

 さらに余談をいうと、「リトル東京」と呼ばれるブロックMのムラワイ地区に映画「コーヒーの哲学」の撮影用に作った店が、その後もカフェ(FILOSOFI KOPI)としてオープンしている。映画人気と美味しいコーヒーが飲めることもあり、連日インドネシア人の若者で賑わっている。近年、ブロックMが日本語看板を中心にインスタグラムのスポットになったのは、同店が呼び水となったとさえ思える。

 今作品に戻ると、ここでも主人公の通勤途中にMRT車内やブロックM駅高架下がロケ地として登場する。一方で、コタの中華街や屋台街なども含め、ジャカルタの新旧含めた風景も楽しめる。中でもMRTはジャカルタの都会アイテムとしていまや必須になってきているようだ。2019年公開の「ベバス(BEBAS)」で映画に初登場したMRTは今後も様々な映画の舞台になりそうで楽しみだ。

 「家族愛」という日本人としても共通のテーマだけに少しでも多くの人に観ていただきたいのだが、残念なことに同作品は英語字幕はない。これは聴覚障害者にも鑑賞できるよう、インドネシア語字幕が音の説明などとともに施されているためだ。良い配慮だ。筆者が過去に観た限りでは公開映画では初めての試みかとも思う。

 逆にインドネシア語がある程度聞き取れる方であれば、心強い字幕ともなる。是非とも新年に心の琴線に触れる、グッとくるものを感じられる数少ないこの作品を楽しんでもらいたい。筆者ももう一度観て、改めて映画内の素敵な言葉を噛み締めたいと思っている。

 

予告編

https://www.youtube.com/watch?v=TcHh986XvI4

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インドネシア映画倶楽部 第5回 「我が素晴らしき肉体の記憶 (KUCUMBU TUBUH INDAHKU)」

インドネシア映画倶楽部 第6回 「メイの27ステップ (27 STEPS OF MAY)」

インドネシア映画倶楽部 第7回 「アンブ〜母(Ambuh)」

インドネシア映画倶楽部 第8回 「人間の大地(Bumi Manusia)」

インドネシア映画倶楽部 第9回 「追跡(Perburuan)」 日イ歴史の再認識

インドネシア映画倶楽部 第10回 「バリ ビート・オブ・パラダイス(BALI BEATS OF PARADISE)」 バリガムランとアメリカファンクのコラボレーション 

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インドネシア映画倶楽部 第13回 「愛は盲目(CINTA ITU BUTA)」 アジア融合のラブコメ

インドネシア映画倶楽部 第14回 「僕にイスラムを教えて(AJARI AKU ISLAM)」 宗教を越えた愛と現実

インドネシア映画倶楽部 第15回 「スシ・スサンティ ラブ・オール(SUSI SUSANTI LOVE ALL)」 国民的英雄の栄光と苦悩

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