「神を愛するための理性」 母の急死で信仰と人生を見つめ直す 【インドネシア映画倶楽部】第137回

「神を愛するための理性」 母の急死で信仰と人生を見つめ直す 【インドネシア映画倶楽部】第137回

Seni Merayu Tuhan

イスラム教徒だけど「礼拝はあまりまじめにしない」現代の若者が、母の急死で、初めてイスラムと向き合う。しかし、宗教色が前面に出ているわけではない。従来とは一味違うアプローチが試みられている意欲作。巧みな映像構成で見せる。

文と写真・横山裕一

 愛する母親を失い、喪失感に苛まれた若者が信仰とは何か、人生とは何か、その意味を模索し、心理的移ろいを描く、宗教ドラマ。作品ではイスラム教がメインで描かれるが、そのテーマ性はどの宗教においても共通するといえそうで、示唆に富んだ興味深い作品だ。

 タイトル内の「SENI」は一般的な意味は「芸術」だが、この場合は「(あるものを生み出すための)理性や知性」の意味が妥当かと思われる。直訳すると硬い表現だが、神に対する精神的なプローチや信仰の姿勢を表している。

 物語の主人公はソーシャルメディアなどの映像編集を仕事にする若者イルハム。一人暮らしの母親の家には度々顔を出し、ソーシャルメディアに投稿するため2人でダンスをして撮影するなど、親子愛に包まれた良好な関係だった。しかしある日、母親は急病でこの世を去ってしまう。

 母親の死後、イルハムは毎日のように母親が泣いている夢を見て、その意味について考える。生前、母親は口うるさく礼拝を怠らないよう注意してくれたのに守ってこなかった。また母親の埋葬の際も、イスラム教の決まり文句を思い出せず、親友に代わってやってもらったことなどに思いつく。

 母親に安らかに眠ってほしいため、イルハムはモスクに真面目に通い始めるとともに、知り合ったイスラム教指導者から教えを受け始める。しかしその一方で、イルハムはキリスト教徒の恋人との関係がぎくしゃくし始める……。

 本作品では、現代に生きる若者がイスラム教に初めて真剣に向き合おうとする姿を通して、正しい信仰のあり方、その意味するものは何かを問いかけている。その真実を見出す過程で、イルハムは礼拝や教えの言葉など形式や表面上のことだけなぞらえても意味のないことに気づいていく。喪失感、信仰に救いを求める心、そして信仰過程での疑念と迷い。しかし、母親の生前の生き方を思い出して真実を見出していく。

 このように主人公の信仰に向き合う考え方が移ろう様子が、親友や恋人、イスラム指導者との交流を通じて、丹念に描かれている。とは言いながら、宗教色は前面に押し出されておらず、日常の営みの中で描かれているのが特徴だ。教義の正当性を強調する傾向が強いイスラム教作品の中では異色といってもいいかもしれない。

 本作品のチェサ・デフィッド・ルクマンシャ監督は今回が初監督作品。しかし、20年以上に亘って映画編集を手がけて、インドネシア映画祭の最優秀編集賞を6回も受賞しているだけに、作品の映像構成が巧みであるとともに、前述のように従来とは一味変わった宗教へのアプローチが試みられる意欲作に仕上げられている。

 主人公演じるアリ・イルハムと恋人役のルテーシャの自然体な演技も見どころのひとつだ。是非、劇場で鑑賞していただきたい。

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横山 裕一(よこやま・ゆういち)元・東海テレビ報道部記者、1998〜2001年、FNNジャカルタ支局長。現在はジャカルタで取材コーディネーター。 横山 裕一(よ…
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