bullet03_jp_map文・写真…鍋山俊雄

 1999年に私がインドネシアに駐在し始めたばかりのころ、独立運動の続くアチェは、外国人が立ち入れる場所ではなかった。2004年12月に発生したスマトラ沖地震では津波が押し寄せ、多くの犠牲者を出した。それから10年が経過した2014年、2度目のインドネシア駐在中だった私は、和平が成り、津波被害からも復興して平和になったアチェを是非、自分の目で見たいと思った。「サバンからメラウケまで」といわれるインドネシアの最西端、アチェ北西にあるウェー島(Pulau We)の「インドネシア0キロ地点」の石碑も見たいと思った。

 連休を利用してアチェに向かった。ジャカルタから直行で3時間弱、バンダアチェの空港に降り立った。空港から街へ向かう車窓はのんびりとした田園風景が続く。タクシーのおじさんとひとしきり、津波のころの話をした。一時は復興関係でかなり多くの外国人が来ており、今でも天然資源(石油、天然ガス)に恵まれた同州の資源プロジェクト関連のほか、ウェー島へのダイビング観光に来る外国人も多いとの話だ。確かに、泊まったホテルのフロントでも、しっかり英語が通じた。

 ホテルにチェックインした後、ベントール(オートバイ版ベチャ)をつかまえ、まずは街の中心にあるバルトゥラフマン・モスク(Mesjid Raya Balturrahman)に向かった。道すがら、「この辺まで水が来ていた」などと津波被害の状況を教えてもらった。道路などのインフラや家には新しい物が多く、復興の跡を感じさせる。
bullet03_night-masjid
 ちょうど夕方に到着し、礼拝にたくさんの人が訪れる中、荘厳な光を放つモスクにはゆったりとした時間が流れていて、10年前に津波被害に遭った所とは想像がつかない。

 モスクは街の中心にあり、その周りはパサール(市場)になっている。ムスリムしかいないのかと思ったら、貴金属を扱う店は中華系インドネシア人が経営しているようだった。少数だが、キリスト教徒も住んでいるとのことだ。

 街中には蒸気機関車も保存してある。15世紀にオランダにより蒸気鉄道が敷かれ、シンガポールから輸入した鉄や木材の運搬のために利用されていた。その後も19世紀後半まで、物資や一般旅客輸送に使われていたそうだ。

bullet03_dinner
 夕食は外国人向けと思われる、洋食を出すレストランに行った。ステーキを注文し、メニューにはなかったが、「ビールある?」と聞いたら、奥から冷えたビンタンが出てきた(「ワインもあるよ」と言われた)。壁のコルクボードにたくさんの名刺が押してあったので、自分のも記念に押しておいた。今ではイスラム法が外国人にも適用されるようになったので、この店もアルコールは出していないかもしれない。

 翌日はウェー島に渡った。

 フェリー乗り場に行く道で、ベントールのおじさんに津波の跡をいくつか案内してもらった。庭先に、流された船がまだ残っている家があった。普通の家の目の前に、どーんと船舶がオブジェのように傾いて残っている。通行に影響はなさそうだが、別に見学料を取るわけでもないし、いつまでここに置いておくのだろうか。津波の後、船を避けるようにして家を再築したようだ。
bullet03_tsunami02
bullet03_tsunami03
 辺りを少し回ってみると、多くの家が再興された中で、まだ津波当時のまま残された瓦礫も所々にある。まったく日常的な風景の中、10年前に、いきなり大地震、そして津波が来た情景を想像せずにはいられない。

 ウェー島にはフェリーで往復できる。滞在期間が短いため、ウェー島へも日帰りで行くしかない。便を調べたところ、午前11時ごろにウェー島に着き、午後3時ごろの便で戻ってくるという、かなりの強行スケジュールだ。ウェー島滞在時間は約3時間。レンタカーのおじさんと、インドネシア0キロ地点まで行ってから、いくつか海岸を見て、再び船着場に戻って来るという旅程で交渉した。最初に40万ルピアと言われ、「3時間だけなのに、高いだろう」と言って交渉したら、島の端まで行く道はかなりの山道で、ガソリン代がかかるとのこと。結局、35万ルピアで妥結した。

 確かに、進めば進むほど、キジャンでは辛そうな、かなりのアップダウンのある道のりを延々と行く。そしてようやく「Indonesia 0km」に到着した。インド方向に開けた海は青く、西端に到達した達成感に浸る。
bullet03_0km
 サバンの街中にも行きたかったがスケジュール的に無理なため、港へ戻る道すがら、北の海岸沿いの素晴らしいビーチにいくつか立ち寄った。ダイビングに向かう船がいくつか浮かぶ以外は、地元の子供たちだけがのんびりと遊ぶコーラルブルーの海。インドネシアの地方には素晴らしい海岸がたくさんあり、ここはその1つだ。

 この島は高台が多いのと海岸の位置が幸いして、津波の時にはあまり被害はなかったそうだ。そして、ここにも日本軍が掘ったといわれる洞窟があった。特に観光向けの整備はされていないが、道路の横にある入口を運転手さんが教えてくれた。

 バンダアチェに戻ってから、街中を再び散策した。流された船が屋根の上に乗ったままの形で保存された、有名な「Galeri Tsunami」を見学した。ここは観光用として、きちんと整備されている。普通の住宅街の中、いきなり、船が屋根の上にどーんと乗っている異様な光景に圧倒される。船が崩れ落ちないように鉄筋で支えてあり、2階には震災当時の貴重な写真が展示してある。
bullet03_tsunami01
 「津波博物館」には、津波が襲って来る様子を再現したジオラマや絵画が展示されている。その後の復興が諸外国の支援を得て、どのように実施されたか、という資料展示が多く、興味深かった。博物館の横には広場があり、復興を支援した各国の国旗が付けられたモニュメントがある。復興に多くの国が関わったことがわかる。
bullet03_tsunami_picture01
 アチェ王国の全盛期を築き、アチェ空港の名前にもなっているスルタン・イスカンダル・ムダ(Sultan Iskandar Muda)の墓は、津波博物館から歩いて行ける距離にある。その横にはアチェの伝統家屋の形をした「アチェ博物館(Museum Aceh)」 もあり、見学できる。

 夕食は、街中で「ミー・アチェ(Mie Aceh)」を食べてみた。見た目より辛く、ジャカルタで食べるのとは違う味わいだった。
bullet03_mie-aceh
 

鍋山俊雄(なべやま・としお)
インドネシアに在住期間は計10年になる。仕事でジャワ、カリマンタン、スマトラへの出張が多いことに加えて、「週末弾丸トラベラー」としてインドネシア各地を放浪し、全34州を訪問した。
 
 
インドネシア全34州の旅
#0 空港
#1 北スラウェシ州 インドネシアの最北端?
#3 ブンクル州 英国の砦、スカルノの足跡
#4 南カリマンタン州 川の街の水上マーケット
#5 バンテン州 バンテン王国跡へ、列車の旅
#6 西カリマンタン州 春分の日に赤道へ 影がなくなった!
#7 南東スラウェシ州(上) 波の音しか聞こえない、ぜいたくな空間
#8 南東スラウェシ州(下) インドネシア最大級、ブトン王国の城壁都市。
#9 バンカ・ブリトゥン州 アホック前知事の故郷、「ラスカル・プランギ」の島。
#10 リアウ諸島州 最北端の島の1つ。石群が織りなす造形。