【インドネシア全34州の旅】#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡

【インドネシア全34州の旅】#2 アチェ州 インドネシア0キロ地点と津波の跡

2021-05-23
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文と写真・鍋山俊雄

 1999年に私がインドネシアに駐在し始めたばかりのころ、独立運動の続くアチェは、外国人が立ち入るのは難しかった。2004年12月に発生したスマトラ沖地震では津波が押し寄せ、多くの犠牲者を出した。それから10年が経過した2014年、2度目のインドネシア駐在中だった私は、和平が成り、津波被害からも復興して平和になったアチェを是非、自分の目で見たいと思った。「サバンからメラウケまで」といわれるインドネシアの最西端、アチェ北西にあるウェー島(Pulau We)の「インドネシア0キロ地点」の石碑も見たいと思った。

(アチェ)ウェー島
サバンにあるインドネシア西端0km地点の石碑

 連休を利用してアチェに向かった(情報は2014年当時)。ジャカルタから直行で3時間弱、バンダアチェの空港に降り立った。空港から街へ向かう車窓はのんびりとした田園風景が続く。タクシーのおじさんとひとしきり、津波のころの話をした。一時は復興関係でかなり多くの外国人が来ており、今でも天然資源(石油、天然ガス)に恵まれた同州の資源プロジェクト関連のほか、ウェー島へのダイビング観光に来る外国人も多いとの話だ。確かに、泊まったホテルのフロントでも、しっかり英語が通じた。

(アチェ)空港
アチェ州の空港ビルはモスクのようなデザイン
(アチェ)ホテル
アチェで宿泊したホテル

 ホテルにチェックインした後、ベントール(オートバイ版のサイドカー式ベチャ)をつかまえ、まずは街の中心にあるバイトゥラフマン・モスク(Mesjid Raya Baiturrahman)に向かった。道すがら、「この辺まで水が来ていた」などと津波被害の状況を教えてもらった。道路などのインフラや家は新しい物が多く、復興の跡を感じさせる。

(アチェ)街中
ベントール(バイクタクシー)で移動
(アチェ)バンダアチェ市内
バンダアチェ市内中心部
(アチェ)大モスク
バイトゥラフマン・モスク。インドネシアにある数々のモスクの中で、デザインが最も美しいモスクの一つだと思う
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(アチェ)グランドモスク
ライトアップされたモスク内の尖塔

 ちょうど夕方に到着し、礼拝にたくさんの人が訪れる中、荘厳な光を放つモスクにはゆったりとした時間が流れていた。10年前に津波被害に遭った所とは想像がつかない。

 モスクは街の中心にあり、その周りはパサール(市場)になっている。ムスリムしかいないのかと思ったら、貴金属を扱う店は中華系インドネシア人が経営しているようだった。少数ながら、キリスト教徒も住んでいるとのことだ。

(アチェ)パサールアチェ
モスクの横の伝統市場
(アチェ)パサルアチェ
津波直後の写真(博物館の写真より)

 街中には蒸気機関車も保存されている。19世紀にオランダにより蒸気鉄道が敷かれ、シンガポールから輸入した鉄や木材の運搬のために利用されていた。その後も1974年まで、物資や一般旅客輸送に使われていたそうだ。

(アチェ)街中
かつてアチェで使われていた蒸気機関車

 夕食は外国人向けと思われる、洋食を出すレストランに行った。ステーキを注文し、メニューにはなかったが、「ビールある?」と聞いたら、奥から冷えたビンタンが出てきた(「ワインもあるよ」と言われた)。壁のコルクボードにたくさんの名刺が押してあったので、自分のも記念に押しておいた。今では、この店もアルコールは出していないかもしれない。

(アチェ)レストラン
ステーキに、禁断の(?)ビールで乾杯

 翌日は日帰りでウェー島に渡る。フェリー乗り場に行く道すがら、ベントールのおじさんに津波の跡をいくつか案内してもらった。庭先に、流された船がまだ残っている家があった。普通の家の目の前に、どーんと船舶がオブジェのように傾いて残っている。通行に影響はなさそうだが、別に見学料を取るわけでもないし、いつまでここに置いておくのだろうか。津波の後、船を避けるようにして家を建て直したようだ。

家のすぐ前に迫る、津波で打ち上げられた船
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(アチェ)津波の傷跡
ここにはもう一艘の打ち上げられた船がある

 辺りを少し回ってみると、多くの家が再建された中で、まだ津波当時のまま残された瓦礫も所々にある。まったく日常的な風景の中、10年前に、いきなり大地震、そして津波が来た情景を想像せずにはいられない。

(アチェ)津波の傷跡
大半の家が建て直されているが、時々、このような崩壊した家もまだ残っている

 ウェー島にはスピードボートで往復できる。滞在期間が短いため、ウェー島へも日帰りで行くしかない。便を調べたところ、午前11時ごろにウェー島に着き、午後3時ごろの便で戻ってくるという、かなりの強行スケジュールだ。ウェー島滞在時間は約3時間。

(アチェ)スピードボート
スピードボートでウェー島へ

 レンタカーのおじさんと、インドネシア0キロ地点まで行ってから、いくつか海岸を見て、再び船着場に戻って来るという旅程で交渉した。最初に40万ルピアと言われ、「3時間だけなのに、高いだろう」と言ったら、島の端まで行く道はかなりの山道で、ガソリン代がかかるとのことだ。結局、35万ルピアで妥結した。

 確かに、進めば進むほど、キジャンでは辛そうな、かなりのアップダウンのある道のりを延々と行く。そしてようやく「Indonesia 0km」に到着した。インド方向に開けた海は青く、西端に到達した達成感に浸る。

インドネシア西端0km地点へ
(アチェ)ウェー島
0kmポイントで記念撮影する筆者
(アチェ)ウェー島
インドネシア西端での眺め。ブレウェー(Breueh)島が見える

 サバンの街中にも行きたかったがスケジュール的に無理なため、港へ戻る道すがら、北の海岸沿いの素晴らしいビーチにいくつか立ち寄った。ダイビングに向かう船がいくつか浮かぶ以外は、地元の子供たちだけがのんびりと遊ぶコーラルブルーの海。インドネシアの地方には素晴らしい海岸がたくさんあり、ここはその1つだ。

(アチェ)ウェー島
美しい白砂が広がるイボイー(Iboih)海岸

 この島は高台が多いのと海岸の位置が幸いして、津波の時にはあまり被害はなかったそうだ。そして、ここにも日本軍が掘ったといわれる洞窟があった。特に観光向けの整備はされていないが、道路の横にある入口を運転手さんが教えてくれた。

(アチェ)ウェー島
日本軍が掘ったとされる洞窟

 バンダアチェに戻ってから、街中を再び散策した。流された船が屋根の上に乗ったままの形で保存された、有名な「Galeri Tsunami」を見学した。ここは観光用として、きちんと整備されている。普通の住宅街の中、いきなり、船が屋根の上にどーんと乗っている異様な光景に圧倒される。船が崩れ落ちないように鉄筋で支えてあり、2階には震災当時の貴重な写真が展示してある。

家の上に乗った船をそのまま支柱を立てて博物館にしている
(アチェ)津波船
津波直後の船の状態(博物館の写真より)

 街中の「津波博物館」には、津波が襲って来る様子を再現したジオラマや絵画が展示されている。その後の復興が諸外国の支援を得て、どのように実施されたか、という資料展示が多く、興味深かった。博物館の横には広場があり、復興を支援した各国の国旗が付けられたモニュメントがある。復興に多くの国が関わったことがわかる。

(アチェ)津波博物館
津波博物館
(アチェ)津波博物館
博物館入口にある被災したヘリコプター
(アチェ)津波博物館
津波発生時のジオラマ
(アチェ)津波博物館
津波前に海水が引いた浜で魚を拾っていた住民が多くいたと言われる
(アチェ)復興の広場
博物館横の広場には復興活動を援助した国の記念碑が設置されている
(アチェ)復興の広場
日本への感謝を表す記念碑

 アチェ王国の全盛期を築き、アチェ空港の名前にもなっているスルタン・イスカンダル・ムダ(Sultan Iskandar Muda)の墓は、津波博物館から歩いて行ける距離にある。その横にはアチェの伝統家屋の形をした「アチェ博物館(Museum Aceh)」 もあり、見学できる。

(アチェ)イスカンダルムダ王の墓
イスカンダル・ムダ国王の墓
(アチェ)伝統家屋
アチェの伝統家屋を模した博物館

 夕食は、街中で「ミー・アチェ(Mie Aceh)」を食べてみた。見た目よりかなり辛く、ジャカルタで食べるのとは違う味わいだった。

bullet03_mie-aceh

追記

 この旅行記の5年後(2019年)に、再びアチェとウェー島を訪れる機会があった。バンダアチェのバイトゥラフマン・モスクがサウジアラビア・メディアにあるような「電動日傘」を備えて一層豪華になり、サバンのインドネシア0Kmの記念碑の場所に大きな記念塔が出来ていたのに驚いた。印象深い写真をいくつか上げてみよう。

(アチェ)モスク
暑くなると電動で開く日傘
「電動傘」の下は涼しそう
(アチェ)インドネシア0km
5年前とは大きく変わった0kmポイント。立派!

 ほかにも5年前と比べて変わっていて驚いた所も。下の「打ち上げられた船」も、傾いていた船がまっすぐにされ、タイル張りの場所に「設置」されていた。写真の上が2014年、下が2019年。個人的には以前の方が被害の様子がリアルにわかって良いと思う。

 5年前に立ち寄れなかった有名な津波遺跡も訪れることができた。国営電力会社(PLN)の発電船だ。港に停泊していたが、津波で内陸に2.5kmも押し流され、その船が記念館になっている。

PLNの発電船
5年前に行ったイボー海岸は素晴らしいダイビングスポットでもある