アホック知事はコーランを侮辱したのか? ジャカルタ・デモの背景

アホック知事はコーランを侮辱したのか? ジャカルタ・デモの背景

2016-11-06

 アホック・ジャカルタ特別州知事が「コーランを侮辱する発言をした」として、ジャカルタで4日、大規模な抗議デモが起きた。「『コーランに惑わされているからあなたたちは私に投票できない』と知事が発言した」と報じられているが、本当にそんな発言をしたのか。それは、どのような文脈での発言だったのか。

 問題となった発言は、9月27日にジャカルタ特別州プラウスリブで行われた住民との対話集会での、アホック知事の演説(約20分)の中にある。

演説全文↓

https://www.youtube.com/watch?v=dkeOkOmd6_Y

 アホック知事は住民に対して、プラウスリブでの州政府事業について説明する。冗談を交えながらエネルギッシュに、歯に衣着せずにしゃべる、いつものスタイルだ。その中で、来年2月に控えたジャカルタ特別州知事選挙について言及している箇所がある。まず、「私よりも優秀で勤勉な人がいたら、私を選ぶべきではない。日本製のバイクと中国製のバイクが同じ値段で売っていたら、どっちを買う? 当然、(性能の良い)日本製の方でしょ? 私より優秀で勤勉な人がいて、それでも私を選んだらバカでしょ」と言って、笑いと拍手を取る。

 それから、「もし私が州知事に再選されなかったら、いま説明した事業が実現されなくなってしまうかも……と心配する必要はないです。私の任期は2017年10月までありますから。それに、私を選ぼうと選ぶまいと、これはジャカルタ州民の権利なのです」と述べ、強調点はどちらかと言うと「私を無理に選ばなくても良い」という方にある。

 そして問題となった発言は、次の通り。

  “Jadi jangan percaya sama orang. Kan bisa saja dalam hati kecil, bapak, ibu tidak bisa pilih saya. Ya kan dibohongi pake surat Al Maidah 51 macam-macam itu. Itu hak bapak, ibu.”

 話し言葉なので正確な意味が取りづらいし、一部分だけを取り出すとさらに誤解を与えやすいのだが、大体、次のような意味だ。「人(の言うこと)を信じるな。ただ、心底、(自分で決めて)私を選ばないのは、あり。アル・マーイダ51とかいろいろ引いてだまされて。それ(=私を選ばないの)は、あなた方の権利だから」。

 それから、「だまされてしまって、地獄に行きたくないと思ったり、私が大嫌いだからとかいう理由で、私を選ばなくても構わない。私が憎くて、投票用紙にある私の顔を突き刺したら、私が再選しちゃうんだけどさ(注:インドネシアでは文盲の人でも投票できるよう、自分が選んだ人の顔写真や政党ロゴに釘で穴を開ける方法で投票する)」と言って、再び笑いを取る。

 まずはここまでで、「大分、報道とはニュアンスが違うな」ということは感じていただけることと思う。

 「アル・マーイダ (Al Maidah)」とは「食卓」の意味で、「アル・マーイダ51」は「食卓」とも呼ばれるコーラン第5章の51節(Surat Al Maidah ayat 51)だ。

 これ、汝ら、信徒の者、ユダヤ人やキリスト教徒を仲間にするでないぞ。彼らはお互い同士だけが親しい仲間。汝らの中で彼らと仲よくするものがあれば、その者もやはり彼らの一味。悪いことばかりしているあの徒をアッラーが導いたりし給うものか

井筒俊彦訳「コーラン(上)」(岩波文庫)

 アホック知事の再選に反対する人の中には、この言葉を根拠として「(キリスト教徒である)アホックに投票するな」と言う人もいる。「そんな言説にはだまされるな(でも、自分で本当に決めて私に投票しないのであれば構わないけどね)」というのがアホック発言の真意だ。全体を通して聞くと、「だまされて」という部分は、演説のあちこちに鏤めてある軽口やジョークの1つのつもりだったと感じられる。

 キリスト教徒であるアホック知事がコーランの章句を引いて「だまされて(dibohongi)」といった表現をするのは、軽率だったことは事実だ。しかし、コーランすべてを否定したわけではない。演説の中でコーランの一節を引いただけだ。問題となった発言を全体の文脈から切り離して、「コーランを侮辱した」と問題視するのは、州知事選挙をにらんだ政治的な駆け引き以外の何物でもない。

 1999年の大統領選挙の時を想起させられる。民主化の旗手とされた、最有力候補のメガワティ氏に対し、イスラム中軸勢力がコーランの一節を引いて「女性は大統領になれない」とする反メガワティ・キャンペーンを行った。その一説とは、「アッラーはもともと男と(女)との間には優劣をおつけになったのだし、また(生活に必要な)金は男が出すのだから、この点で男の方が女の上に立つべきもの」(第4章=女=34節、井筒俊彦訳「コーラン(上)」)。

 アホック知事の言及した第5章51節に比べると、さらにいかなる解釈のしようもなく、「女性はリーダーにはなれない」と言っているように思われる。しかしこの時、イスラム勢力の中からも、「女性のリーダーはいくらでもいる」と即座に反論の声が起こり、大方の人にとっては「政治的なネガティブ・キャンペーン」と理解されていた。それはキャンペーンをしている側のイスラム中軸勢力の陣営にとっても同じで、政治的な道具とわかっていて、こうした言説を繰り出していたと思われる。

 今回のケースも、根強い人気で州知事選をリードするアホック知事の「失言」を利用して、アホック知事に最大限のダメージを与えることを目的にして起こされた騒ぎだ、といえる。それはジョコ・ウィドド大統領が記者会見で「この騒ぎを政治的に利用している人たちがいる」と明確に述べた通りだ。

 なので、ここで「アホック知事の発言の真意、アホック知事は本当は何を言いたかったのか?」を掘り起こしても、あまり意味はないかもしれない。しかし、こうした政治的意図とは無関係の日本のメディアまでもが、このネガティブ・キャンペーンの文脈に乗る必要はまったくないだろう。宗教対立であるかのような文脈にすりかえたり、アホック発言を不正確に要約・引用して誇張することは、誤解を生む。

 昼間のデモはおおむね平和裏に行われたが、それでも「アホックを切り刻め(殺せ)!(Cincang Ahok!)」といった過激なシュプレヒコールも聞かれた。各イスラム団体の旗に加えてパレスチナの旗、それにインドネシア国旗が掲げられ、アホック知事が「反イスラム」で「反愛国的」であるかのようなイメージ宣伝が行われた。

 数は武器であり、道路を埋め尽くすだけでも十分な示威行為になる。そして「イスラム」と「愛国」を旗印に掲げ、そこに「暴力」が加わると、「中国系」や「キリスト教徒」といった、インドネシアでの少数派は封殺されてしまいかねない。実際、夜の暴動の矛先が中国系へと向かう動きもあった。 

 このデモは数万人を動員した大規模なものではあったものの、特に夜の騒ぎに関しては「インドネシア国民のマジョリティーを代表している」とはとてもいえないだろう。実際、報道を鵜呑みにして「アホックがコーランを侮辱し、イスラムを冒涜した」と怒っている人も中にはいるが、「発言は曲解で、アホックを追い落とすために仕組まれた騒ぎ」と考える人は多い。

 今回のデモは、少数派封殺の火種という危うさをはらんではいたものの、「政治的に利用された騒ぎ」だった。それ以上でもそれ以下でもない。(池田華子)