glenn fredly THE MOVIE
インドネシアを代表する歌手グレン・フレッドリーの生涯を描く。自身の故郷アンボンで宗教抗争が起き、音楽を通じて和解を進めようとするグレン。ほかに、離婚したグレンが出会ったイスラム教徒の恋人との関係や、父との確執。宗教や考え方の違いで生じる壁をいかに乗り越えるか、グレンの内面の揺らぎを通して深く迫っていく。
文・横山裕一
2020年4月、44歳という若さで惜しまれて亡くなったシンガー・ソング・ライター、グレン・フレッドリーの生涯を描いた作品。グレン・フレッドリーはジャカルタ生まれながら、東インドネシア・マルク州のアンボン民族の血を引き、東インドネシアの人々特有の優れたリズム感と高音が伸びる美声の持ち主。1998年にソロ活動を始めて以降、ヒット曲を数多くリリースして、インドネシアだけでなくマレーシアのファンをも魅了した歌手だ。
この映画作品内にも彼の代表曲が数曲、劇中の俳優の演技に合わせて彼の甘く切ない歌声が披露されている。特に有名な曲「1月」(JANUARI)も作品内の1曲目として登場している。
この映画は時系列を追った他の伝記作品とは一線を画し、グレン・フレッドリーが人生をかけた活動への想いやそれを取り巻く人間関係の苦悩を横軸に、和解と家族愛をテーマにした人間味あふれるドラマが展開する。その一つが彼の故郷でもあるアンボンを発端に1999年から約3年にわたってマルク州と北マルク州で起きた、キリスト教徒とイスラム教徒との宗教抗争だ。作品冒頭でも、アンボンの教会でグレンが唄う最中に、教会がイスラム教住民に襲撃されるショッキングな事件から始まる。長期にわたった抗争の収束後もわだかまりの残る両宗教の住民たちに対し、グレンは音楽を通じて和解を進めようとコンサートを開くことを計画する。
もう一つのテーマが家族愛だ。和解コンサート後もアンボン復興のために音楽活動に奔走し続けるグレンは家を空ける時間が増え、妻から離婚を告げられてしまう。妻とはキリスト教とイスラム教の異教徒間の結婚だったが、グレンは宗教の壁を乗り越えるシンボルになることも含めて思いとどまるよう説得する。しかし、社会的な影響よりも愛情を重視するとして、妻は去っていく。そして、グレンが次に出会った恋人もイスラム教徒だった……。
さらにグレンの抱える苦悩には、父親との長年にわたる確執もあった。父親から音楽を教えられたものの、歌手の道に進むことを反対されて以来のものだった。和解コンサートに向けた準備で事務所の資金繰りも厳しくなり、公私にわたり窮地に追い込まれるグレンだが、周囲の人々との交流から自らを見つめ直し、精神的な変化、強さを見せていく……。
この作品では宗教抗争、恋愛、父子の確執といった3つの問題の背景にある、宗教や考え方の違いで生じる壁をいかに乗り越えられるかが、グレンの内面の揺らぎを通して深く迫っていく。いかにすれば相手を理解し愛することができるか? これは彼の曲作りにも大きく影響していった。3つの問題に悩むグレンに対して、ある教会の牧師が助言したキーワードをきっかけにそれぞれの問題がリンクするかのようにグレンの心中で何かが動き始める。グレンの人となり、音楽作品とともにこの作品の見どころである。
監督はベテランの実力派俳優ルクマン・サルディ。グレンとも親交が深かったことがグレンの魅力的な人間性を詳細に至るまで描けた要因の一つでもあるようだ。また作品にはグレンの母親役に、やはりインドネシアを代表する女性歌手の大御所、ルス・サハナヤも俳優として初出演している。
結果的に早過ぎた晩年期に、グレン・フレッドリーはプロデューサーや音楽監督として映画制作も手がけ、「東方からの光」(CAHAYA DARI TIMUR/2014年作品)をはじめ、「コーヒー哲学」(FILOSOFI KOPI/2015年作品)、「プラハからの手紙」(SURAT DARI PRAHA/2016年作品)などを世に送り出している。特に「東方からの光」はアンボンでの宗教抗争後の住民和解がテーマの作品でもあり、本作品内でグレンが手がけた活動の一環ともいえる。各作品とも音楽面でも話題性や評価が高く、それだけにグレンの早逝が改めて悔やまれる。
本作品の最後には、晩年、新たな家族を持ったグレン・フレッドリーが最後に作詞作曲した曲「家族」(KELUARGA)が流れる(唄は女性歌手ユラ・ユニタ)。歌詞の一部を抜粋すると、「行き過ぎや様々な欠点、それら全てを理解することが家族になるということだ」とある。作品のテーマ、内容にもマッチした曲とともに、本作品を劇場で味わっていただきたい。(英語字幕なし)