インドネシアのワヤンとガムランを愛し続けた、生活文化情報誌「さらさ」編集長の中野千恵子さんが2022年7月1日、急逝した。一緒にワヤンを見に行った時のこと、「さらさ」で共に働いた思い出を書いて、追悼したい。(文・池田華子)

インドネシアのワヤン(影絵人形芝居)は夜9時ごろから翌朝4時ごろまで、一晩かけて上演される。それまで、観光客向けの短い公演を見たり、徹夜ワヤンをちょっとのぞいたことはあったが、最初から最後までワヤンを見たのは、中野千恵子さんに連れて行ってもらった時が初めてだった。
舞台の前にパイプ椅子が並んでいて、どんどん人が集まり、席が埋まり始める。夜9時ごろにいよいよ上演開始。しかし、人形はスクリーンに現れるが、ほとんど動かずに静止したままだ。物語の背景の説明があったり、登場人物が互いに話し合ったり、ダラン(人形遣い)の語りが延々と続く。ジャワ語なので、もちろん一言もわからない。
「一度、ワヤンを見に家族を連れて行ったんですけど、1時間ぐらい、人形がピクリとも動かず、大ブーイングを浴びちゃったんですよ。それ以来一度も、一緒に見に来てくれたことはないです」と中野さんはニコニコして話す。
中野さんが、登場人物やシーンの解説を時々入れてくれるのを貴重な手がかりとしながら、人形の動きや、ダランやガムラン隊や観客らの動きを見続け、語りや音楽や人のざわめきを聞き続ける。会場の外の現代ジャカルタとは違う時間がこの場には流れているような、異空間にいるかのような感覚だった。
ワヤンと共に演じられるガムラン音楽は、永遠のリズムを繰り返しているようで、これまた異世界へと誘う。ガムランは楽器同士の音をわざとずらして調律してあるそうで、音が合わさった時の不協和音が「ぐわーん」という、うねりとなって響く。まるで全てを包含した音のような。中野さんはガムランの音について、「癒され過ぎて魂がどこかに持っていかれるような不思議な感覚になることさえある」と書いている(「癒しと調和の音色、伝統音楽『ジャワガムラン』の魅力」)。

夜が更けてくると、それまで見ていた人たちも席を立って帰って行ったり、椅子に横たわって寝始める。中野さんは、プラスチックのコップにコーヒー粉を入れて魔法瓶のお湯を注ぐ「コーヒー売り」から、手慣れた様子でコーヒーを買っていた。眠気覚ましの熱いコーヒーを一緒に飲んだ。
中野さんは、徹夜ワヤンは「50回以上見ている」(2008年の時点で)、と話していた。「最初のうちは自分でも何が面白いのかわからなかったけど、場の雰囲気に惹かれて通うようになった。だんだん、登場人物やストーリーがわかってくると、もっと面白くなってきた」と言う中野さんの説明を、わかったような、わからないような気持ちで聞いていた。
ジャカルタでそんなに徹夜ワヤンの公演が行われているということ自体、初めて知った。ワヤンを見るならジョグジャカルタなどへ行かないとだめだ、と思っていた。中野さんによると、ワヤンを見に行き始めると伝手やコネが出来て、「〇日に〇〇で、公演がある」という情報が自然に入って来るようになるのだと言う。中野さんは本当によく公演情報を知っていたし、「今日のダランは〇〇だ!」などと言っては、楽しそうに見に行っていた。
私が見に行ったこの日も、ワヤンをだらだらと楽しく見る方法を私に手ほどきしてくれながら、一緒に最後まで見た。ワヤンは一晩かけて延々と演じるわりには、終わり方はあっけなく、サクッとグヌンガンを台に突き刺して終了。二人で席を立ち、中野さんは「お疲れ様でしたー」と、どこか爽やかな笑顔を浮かべて去って行った。
あの時の中野さんの姿をよく思い出す。ジャワの奥深い世界を「理解する」とか「しない」とかいう次元を超えて、飄飄(ひょうひょう)として楽しんでいた。つくづく、すごい人だ、と思った。
もう一つ印象に残っていることは、スナヤンの紀伊國屋書店へ一緒に行った時、ワヤンを解説した「革の神々と木の英雄たち(Leather Gods and Wooden Heros)」という題名の英語本があった。カラー写真満載の豪華本で70万ルピア以上もして、買うのをためらう値段だったのだが、中野さんはじっと本を見て、「私、これ買います」と、ほぼ即決。本当にワヤンが好きなんだな、と感心した。
性格はジャワ人のように穏やか。笑顔を絶やさない。かつ、フットワークが非常に軽い。
私が初代編集長を務めた「さらさ」では、2005年5月号でヘアサロンの読者モデルになってもらったのが、中野さんとの付き合いの最初のようだ。その後、お土産、ゴルフなどの特集で情報提供をいただいたり、取材をお願いするようになった。どんなジャンルの取材であっても、大体いつも、「大丈夫ですよ」と二つ返事。好奇心が強く、物怖じしない。そして、中野さんの強みは、主婦の感覚と情報網を持ちつつ、ワヤンやガムラン、パサールといった、いわゆるインドネシアの「ディープ」な分野にも精通していたことだった。
取材を安心して任せられるのは本当にありがたかった。そして、数々の「無茶ぶり」を本当に申し訳ないと思っている。
「さらさ」で一緒にした取材の思い出は尽きない。面白かったエピソードの一つを挙げると、「猫に真珠」特集の時のことだ。「猫に小判」「豚に真珠」と掛けて「猫」と「真珠」の特集とし、扉写真に使う予定の「猫が真珠のネックレスを付けている写真」をお願いした。中野さんは愛猫に、日本で買った高価な真珠のネックレスを付けた。いざ撮るぞ、という時に、玄関のチャイムが鳴り、驚いた猫は真珠のネックレスを付けたまま、どこかに隠れてしまったのだと言う。高価なネックレスだし、猫は出て来ないし、「焦ったー」という話を面白おかしく話してくれた。

ジョグジャカルタ特集では、ガムラン工房を取材してもらった。中野さんは編集後記に「楽器は大切に扱うものと思っていたので、工房で完成前の楽器を職人さんが金槌でガンガン思いっきり叩いている様子にびっくり。ガムランって生まれる前から叩かれているんですね」と素直な感想をユーモアを交えて書いている。
そしてワヤン特集では、まさに本領発揮。徹夜ワヤンを一緒に見に行ったのは、この時のことだ。2号にわたってのワヤン特集で、一緒にダランのインタビューもした。
何か面白いことがあると、「池田さん、ちょっと聞いてくださいよー」と笑顔で話しに来られた姿を思い出す。
最近は、しばらく連絡していなかったのだが、昨年にチレボンのバティック作家の賀集由美子さんが亡くなってから、連絡を取り合った。2006年の「さらさ」チレボン特集は、中野さんと一緒にした取材だった。賀集さんの追悼企画をいろいろ話している中で、ご協力をお願いすると、「尊敬する池田さんとまた何かができたらとても嬉しいです」と言ってくださった。そして「お互い健康第一でコロナを乗り切りましょうね。そして再会できた暁には賀集さんやチレボンの思い出話をたくさんしたいと思います」。それが実現できなかったことが悔やまれてならない。
旅立ちはあまりにも突然だった。中野さんには、ガムランやワヤンについての本を書いてほしかった。何がそんなに魅力だったのか、論文でも体験記でも何でも良いから、書いて、本にしてほしかった。まだ中野さんのやることは残っていたのに、突然にいなくなってしまった。
宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」について、漫画家ますむらひろしは「愛しい死者を、離れたくない心が『どこまでも送っていく』物語」だと言う。
中野さんが乗った「銀河鉄道」は、ワヤンとガムランに彩られたものだったと思う。天上の音楽のように、ジャワガムランの柔らかな音が鳴り響き、暗い車窓をスクリーンのようにして、ワヤンの人形たちが様々な動作をしながら流れ去って行ったのではないだろうか。それに目を輝かせて見入っている中野さんの姿が目に浮かぶ。
