2022年8月18日、インドネシア中銀は新紙幣の発行を発表した。「あれっ、また変更するの?」と思われた方も多いだろう。最近になって、流通の始まった真新しい紙幣を目にする機会も出て来た。今回の新紙幣発行のポイントは何だろうか?(写真は全て、中銀のホームページ https://www.bi.go.id/id/rupiah/gambar-uang/Default.aspx より)
サプライズだった新紙幣発行
インドネシア独立記念日の翌日に発表された、2022年8月17日付の新紙幣発行。独立75周年に合わせた「75000ルピア」的な記念紙幣が、今年も「独立77周年記念」として発行されるのかと思いきや、10万ルピアから1000ルピアまでの全ての通常紙幣を一新。しかし、人物をがらっと変更した前回(2016年)の改定に比べると、人物の変更はなし。デザインを若干変更しただけの「マイナーチェンジ」に見える。
目に見えて最もわかりやすく変わったのは、紙幣の大きさだ。高額紙幣から少額紙幣へ行くにつれて、5ミリずつ横幅が小さくなっている(10万ルピア151ミリ、5万ルピア146ミリ、2万ルピア141ミリ、1万ルピア136ミリ、5000ルピア131ミリ、2000ルピア126ミリ、1000ルピア121ミリ)。中銀は「視覚障害者が区別しやすいようにした」と説明しており、新デザインの目玉ともなっているようだ。しかし、旧紙幣が混在する状況では、あまり大きな意味があるとも思われない。
前回の全面改定から6年しか経っていない段階でのマイナーチェンジには、どんな意味があるのだろうか。実は、今回の新紙幣発行は、金融関係機関にさえ事前通知なしの「非常に大きなサプライズ」(金融関係者)だったと言う。「77」という特別な数字が付く「インドネシア独立77周年」を盛り上げたかった、との見方もある。
最近、特にジャカルタなどの都市では電子マネー化が急速に進んでいるが、中銀は「伸びに鈍化は見られるものの、現金紙幣に対する需要はまだまだ高い」と述べ、新紙幣発行の理由を説明している。
紙幣は自然に置き換わる
新紙幣が発行された後も、旧紙幣はこれまで通りに使える。「すぐに両替しないと」と焦る必要はない。
紙幣の寿命(発行から回収まで)は約4〜5年といわれており、寿命を迎えた紙幣は市中銀行で回収される。銀行の窓口またはATMで、市中に再還流させるかどうかを選別し、「不適合」とされた紙幣は銀行から中銀に返却される。中銀は最新シリーズの新札を銀行に戻す。このようにして紙幣は流通し、論理的には、数年経てば旧札は新札に置き換わることになる(ただし、銀行が強制的に回収することはないので、ボロボロの紙幣がずっと流通し続けることもあり得る)。
そして、流通がほぼなくなった段階で、中銀は「〇年シリーズの紙幣は、〇年〇月〇日から使用停止」という通知を出す。例えば、2018年に「1998〜99年シリーズ」の紙幣が交換停止となった。しかし、その時点での一般の流通量は極小とみられている。
新紙幣発行の最も大きなポイントとは偽造防止だ。角度を変えるとキラキラ光るスパーク加工が高額紙幣に施されていたり、切り貼りしにくいように2022年シリーズの新紙幣では直線を曲線に変更したり、といった工夫がなされている。ただし、「インドネシア独自の偽造防止技術」といったものはない。日本のように自前の造幣局は持っておらず、欧州の紙幣印刷会社に発注しているためだ。
旧紙幣が混在している状況であっても、新紙幣発行に偽造防止効果がないわけではない。「新しい紙幣は偽造しづらく出来ているので、それらが流通の大半を占めることで、偽造紙幣をパッと見て偽物だとわかりやすくする分には一役買います。普通だったらキラキラしているのにそれがない、といった具合にです。ちなみに、インドネシアでは最高額紙幣も7ドル程度と非常に低く、偽造事案もそこまで多くないのが実情です」(金融関係者)。
「ルピア札の顔」をおさらい
10万ルピア札の「スカルノ・ハッタ」以外はあまりなじみがないかもしれないが、どんな人たちが紙幣の顔になっているのか、ざっと見ておこう。インドネシア独立運動に貢献するなどして、インドネシア政府から「国家の英雄」と認定された人たちが選ばれている。
10万ルピア スカルノ(左)とハッタ Dr. (H.C.) Ir. Soekarno dan Dr. (H.C.) Drs Mohammad Hatta
初代大統領と初代副大統領のコンビ。最高額紙幣の顔として定番のこの二人が変更されることは当面なさそうだ。
5万ルピア ジュアンダ・カルタウィジャヤ Ir. H. Djuanda Kartawidjaja
スカルノ政権下で筆頭大臣を務めた。在任時に、インドネシア海域もまたインドネシア国家の領域であるとする「ジュアンダ宣言」(1957年)を出し、海洋国家インドネシアの礎を築いた。スラバヤ空港建設に尽力し、同空港にはその名が冠されている。
2万ルピア サム・ラトゥランギ Dr. G.S.S.J. Ratulangi
北スラウェシ州ミナハサ出身の知識人。オランダとスイスで教育を受けた後にオランダ領東インド(現インドネシア)へ帰還し、教師、ジャーナリスト、政治家などとして多方面で活躍。インドネシア独立宣言後に初代スラウェシ州知事に就任。
1万ルピア フランス・カイシエポ Frans Kaisiepo
パプア・ビアク出身の政治家。インドネシア独立後、西イリアンがオランダとインドネシアのどちらに帰属するかという「西イリアン問題」で、インドネシアへの帰属に向けて動く。後に第4代パプア州知事を務めた。
5000ルピア イダム・ハリッド Dr. K.H. Idham Chalid
南カリマンタン出身の政治家、宗教指導者。イスラム団体「ナフダトゥール・ウラマ」(NU)、開発統一党(PPP)を長く率いた。スカルノおよびスハルト時代に、閣僚、国会議長などの要職を歴任。
2000ルピア モハンマド・フスニ・タムリン Mohammad Hoesni Thamrin
バタヴィア(現ジャカルタ)出身の政治家。名士の家に生まれるが、バタヴィアに住む庶民の生活向上やインドネシア独立に向けて尽力した。在住日本人とも親交があり、日本侵攻前の1941年にスパイ容疑でオランダ当局に逮捕され、死去。ジャカルタの目抜き通り「タムリン通り」に、その名が残る。
1000ルピア チュッ・ムティア Tjut Meutia
オランダの植民地支配に対して戦ったアチェの女性指導者。1910年に戦死。
参照
https://www.bi.go.id/id/publikasi/ruang-media/news-release/Pages/sp_2421922.aspx
https://www.bi.go.id/id/rupiah/gambar-uang/Default.aspx