Ayah, Ini Arahnya Kemana, ya?
何を考えているかわからない父親への不信感から亀裂が深まっていく家族。父親の行動の真相とは? インドネシアでの親子関係の親密さがわかる作品だ。
文と写真・横山裕一
父親らしさとは何か? 家族とは? 子供から見た父親に対する空虚感を通して、家族の在り方、人としての愛情のあり方を見つめ直す作品。最後に真実が明らかにされることで、涙なくしては見られない感動の物語でもある。
主人公は大学を卒業したばかりの長女、ディラ。家族は父親と、自宅でソト(スープ料理)の屋台を営む母親、それに高校生の弟ダリンの4人暮らし。父親の稼ぎは少なく、ギリギリの生活だ。ディラにとって父親は、幼少期の記憶では明るく、子どもに愛情を注ぐイメージだった。しかし、現在は終始仕事に追われて夜遅くにしか戻らず、口数少なく無気力で疲れ切っていた。卒業式にも来てくれなかった父親にディラは忙しいのだろうと理解は示すものの、目の前にする父親は実際にはいないかの如く空虚感を抱かざるを得なかった。
ある日、自宅でガス漏れによる爆発が起き、母親が入院してしまう。高額な入院費がのしかかり、これを機に父親が不明な借金を抱えていることが発覚する。父親に不信感を抱き始めた矢先、ディラは自宅の整理をしていると、母親が見知らぬ女性に毎月送金していたことを知る。
そんな中、母親が退院し、自宅で知り合いが集まって出迎えた。そこへ父親も帰ってきた。するとある子供が駆け寄り、「お父さん」と父親に抱きつく。父親が外に家族を作っていたと悟るディラ。さらには母親もどうやら事情を知っているようだった。驚き以上に失望感を抱いたディラは弟とともに家を飛び出してしまう……。
親の子供への愛情と子供から見た親に対する期待や想いの食い違いが作品テーマのひとつで、たとえ親子であろうとお互いの心のひだを感じ取ることの困難さが描かれている。主人公の父親への不信感、空虚感から、作品タイトルには、「父さんは何を考えているの?」「家族はどうなってしまうの?」という思いが込められている。
日本人とは国民性の違いもあるが、インドネシアの親子関係の親密さは子供が大きくなってからも強く、劇中、主人公姉弟が父親に「最近は抱擁さえしてくれない」と訴える場面からも窺える。本稿でも再三触れてきたが、それだけにインドネシア映画では親子愛をテーマにした作品が数多く制作されているのだろう。
物語では終盤、親として、人としての愛情深さを示す真実が明らかにされる。主人公にとっても、観客にとっても涙なしではみられない、感動の結末は是非とも劇場で味わっていただきたい。(英語字幕あり)

