ジャカルタに来て、2017年3月31日で丸18年になった。飛行機の窓から初めて見たジャカルタは、熱帯の濃い緑の中にオレンジ色の屋根が浮かんでいて、「なんて美しい街だろう」と感動した。空港からの高速道路とビル群、意外な発展ぶりに驚きながら、じゃかるた新聞のオフィスに到着。ちょうど夕刻で、テレビが番組をブツッと中断してアザーンを流すのに、カルチャーショックのようなものを受けた。ジャカルタに着いた初日のことは夢のようでいて、今も忘れられない。

 誰に新生活の手ほどきをされるか、というのは、結構、重要だと思う。私の場合、じゃかるた新聞元編集長の故・草野靖夫さんだった。

 最初に教わったのはカーコールの仕方で、その時に「運転手さんは使用人であっても、あなたより年上だから、『Pak』を付けるの」とインドネシアでの名前の呼び方を習った。このPak、Bu、Mas、といった「平等」な呼称(敬称)には、「『人類皆きょうだい、人類皆家族』みたいじゃないか!」と感動したのを覚えている。

 そして、一番忘れられないのは、仕事を中断し、社内の小部屋に入ってお祈りをするインドネシア人記者をガラス窓越しにじっと見ながらの一言。「イスラムって、1日に5度、精神集中の機会があるんだよ。すごいね」。この言葉は、あれから何百回、何千回、頭の中をこだましたかしれない。礼拝を見るたびに、草野さんのこの何気ない一言がよみがえる。これが、「お祈りは時間の無駄、仕事の生産性が落ちる」と言う人だったら、どうだっただろうか? 

 そんな草野さんも、ハラルの件で失敗をしたと話してくれた。ハジまで行ったインドネシア人記者を中華レストランへ連れて行ったところ、その記者は席につき、包丁やまな板が豚と豚以外で分けられていない店内の様子を見るなり、何も言わずにバッと出て行ってしまった、と言う。「その時になって、ようやくハッと気が付き、あわてて追いかけて行って『ごめん、ごめん、僕が悪かった』と謝った」。慣れるまでは、つい忘れてしまう。私も草野さんの経験談から学んだ。

 インドネシア人記者からもいろいろ教わった。取材の現場で待ち合わせをした記者が、約束の時間に少し遅れて来て、「Maaf(ごめん)」と謝った。フィリピンから来た私にとって、これはびっくりした出来事で、「『インドネシア人は謝らない』って言われているけど、ちゃんと謝るじゃないか!」と思った(フィリピン人は、それこそ、絶対に謝らない)。その後も、注意していると、インドネシア人はどちらかと言うと「謝りまくる」ことを知った。適当な通説にだまされてはいけない。

 もちろん、良いことだけではなく、「痛い目に遭った」系の学びもたくさんある。しかし、インドネシアを愛している草野さん、自然かつ対等に接してくれたじゃかるた新聞のインドネシア人スタッフたちに、インドネシアの最初の手ほどきを受けたことは幸運だったと思う。

 ただ1点だけ。草野さんはインドネシア語を学ぶことに関しては否定的だった。「言葉ができなくても取材はできる」が持論で、インドネシア語の学校に通うなんて論外だし、インドネシア人の先生を会社に呼んでレッスンを受けることにも良い顔をしなかった。このため、「最初にちゃんとインドネシア語の勉強をやっておけば、どんなに楽だったか……」と、その後、何度も思うことになった。

 後悔と言えば、最初は6カ月だけのつもりで来て、インドネシアに腰を据えるつもりはまったくなかった。これも、「ちゃんと最初から腰を据えるつもりでいれば、いろいろと違っていただろう」という後悔の元だ。

 そうこうするうちに18年。私が誰かを「手ほどきする」ことになったとしたら、私は一体、何を、どのように教えるだろうか。インドネシアの楽しさや素晴らしさを知ってほしいと願う(だからこそ、小誌を作り続けているのであって)。
 
 
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