お薦めされなかったら読まなかっただろう、という本がある。

 ウォーレスの『The Malay Archipelago(マレー諸島)』は、そんな1冊だ。共同通信ジャカルタ支局長だったKさんが薦めてくれた。

 確か、何かの会合が終わって別れる間際の立ち話で、「絶対に読んだ方がいい、めちゃくちゃ面白い」と力説された。ゆっくりお薦め理由を聞いたわけではなく、ほとんど話しながら別れたような感じだったが、尊敬するKさんの強い推薦は心に刻まれ、これは絶対に読もうと思った。

 ちょうど日本に一時帰国する用事があったので、ジャカルタの空港で本屋に立ち寄り、英語の原書を見つけて、即、購入した。ちょっとひるむほどの分厚さがあったが、ページをめくり、この世界に没入し始めると、面白くて止まらない。この本に出会わせてくれたKさんに深く感謝している。

 私が惹かれたのは、動物、鳥、虫、人に対するウォーレスの透徹した観察眼。特に驚いたのは、植民地時代の当時にあって、人に対する差別や偏見や先入観が見られないことだ。ウォーレスは特に遠慮しているわけではなく、好き勝手に書いているのだが、インドネシアの各民族の特徴を丁寧にあぶり出している。

 特にウォーレスの評価が高いのは、カリマンタンのダヤック人。人の物は絶対に盗まない。犯罪はほぼ皆無。新聞紙の切れ端、曲がったピンといった、ウォーレスが捨てた物でさえも、勝手に持って行ったりせず、非常に丁寧に「もらってもいいか?」と許可を求める。

 私が最も印象に残ったエピソードは、パプア人との取引を描いた話だ。ウォーレスは、自分の持つナイフなどの持ち物と極楽鳥を交換する約束をする。それぞれが「○羽の極楽鳥を捕まえてくる」と約束し、それに値する物を先にもらって、森へ入って行った。6羽という大きな約束をした人はやや苦戦しており、ウォーレスが船でこの地を離れる2日前に5羽目を渡しに来て、すぐにまた森へと戻って行った。船がまさに出航しようとした時に、最後の6羽目の鳥を手に走って来た! ウォーレスに鳥を渡し、「これであなたに対する借りがなくなった」と満足げだったと言う。

 もらう物だけもらって、あとは適当にすることもできるのに、ちゃんと約束を守ろうとするパプアの人の正直さには胸を突かれるものがあった。ウォーレスも”remarkable and quite unexpected instances of honesty”とたたえている。

 人との交流だけでなく、ウォーレスの本分である動物、鳥、昆虫などの話はもちろん、たとえ生物学に興味がなくても、夢中になるほど面白い。

 ウォーレスの時代に比べると、格段に便利に、どこへでも行けるようになった。入手できる情報量だって半端ない。しかし、ウォーレスのように歩けていない。見て、聞いているが、見えていないし、聞こえていない。そういう反省を鋭く突き付けられる。

 まぁしかし、そういう話は置いておいて、とくにかくめちゃくちゃ面白いから、だまされたと思って読んでみて!と、強く強くお薦めしたい。
 
 
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 『日本占領下・インドネシア旅芸人の記録』をお薦めしてくれたのは、マニラのアジア開発銀行(ADB)にお勤めだったSさん。ジャカルタへ家族3人で遊びに来てくれたことがあり、その時に、本好きなSさんはジャカルタの紀伊國屋書店でインドネシア関連本を適当に買いあさったらしい。ジャカルタのホテルで読み始めていたようで、夕食の席で、この本の話をしながらSさんは笑いが止まらなくなり、食卓に突っ伏して大笑いしていた。Sさんは仕事一筋のまじめな方で、そんな風に大笑いする姿は見たことがなかったため、私もSさんの家族も唖然としていた。

 Sさんが大笑いするほど面白い本って何?と強い興味をそそられ、これまた、すぐに買いに行った。

 結論から言うと、題材も内容も、びっくりするほど面白い。笑いどころというのは、日本軍が占領した土地で日本文化の宣伝に当たろうとするのだが、そのやり方があまりにもばかばかしくて、笑える。ちなみに、Sさんがテーブルに突っ伏して笑いながら説明してくれた場面というのは、日本の宣伝映画で「やんごとなき関係筋が映る度に、『脱帽』の文字をスクリーンに出して、観客の脱帽を強制した」「日本ノ宣伝映画ハ一体ニ喜バレナイ。…シカモ脱帽ガ多イノデ、ターバンヲ解イタリ巻イタリ非常ニ困ルラシイノデアル」の部分だ。確かに、想像すると笑いが止まらなくなる。

 この本は、日本軍政下で開花した歌劇団(サンディワラ)とは何だったのか、をテーマにしている。バリで歌劇団「ビンタン・バリ」を創設するためにスカウトした女優が日本人将校にレイプされたり、妻が慰安婦にされたり、といった「悲劇」も綴られ、決してコメディ本ではない。しかし、なぜだろうか、ところどころでゲラゲラ笑ってしまう。中でも、日本の稚拙な宣伝工作は悲喜劇の骨頂だ。映画「東京喰種」で主演した窪田正孝が「悲劇は喜劇でもある」と語っているのを想起させられるのだ。

 個人的には、これ以上ないぐらいミクロな視点が面白い。例えば、「ブンガワン・ソロ」や「ジュンバタン・メラ」で有名なグサンの歌が、実際の舞台でどのように歌われていたのか(グサン自身が歌っていたという)。マニラから来たフィリピン人がダンスを教え、質の高い演奏を提供していたこと。

 慰安所の記述も多いのだが、慰安所(所内にピアノ・バーもあった)に来ても慰安婦の所へは絶対に行かない日本兵もいたという証言が書かれている。

 「来るなり、帰るまでピアノを独占して、狂ったようにクラシックを弾き続ける若い兵隊がいた。カウンターで静かに飲むだけという中年の兵隊もいた。少しインドネシア語が話せるんで、どうして行かないのかって聞いてみたら、私には子供が三人いる、もしそんなことをしたら、帰国して女房子供に合わせる顔がないって言ってた……兵隊といっても色々さ」

 狂ったようにピアノを弾き続けた若い人、カウンターで静かに飲んでいた中年の人、どんな人だったんだろう、ここインドネシアに来て何を考えていたのだろう、と興味が湧く。

 日本の宣伝工作はインドネシア語を広め、クロンチョンや大衆演劇を隆盛させるという結果ももたらしたが、それは本来の意図ではなかった。

 「日本は、占領地において欧米文化を追放し、代わりに日本文化を与えようとした。……アメリカの大衆文化に取って代われるだけの自前の文化を、日本は提供することができなかった」、「宣伝というものが一国の文化の根源に深く関わるものであること、文化の強弱は宣伝の強弱とパラレルであること……」という筆者の指摘は鋭く突き刺さる。(現在、日本のマンガやアニメは、日本軍政ができなかったことを実現しているといえるかもしれないが)
 
 
 この2冊のほかにも、お薦めされなかったら出会わなかった本はいろいろあり、今回、人のお薦めによる「インドネシアの本特集」をやってみたいと思った理由だ。

 集まった原稿を読むと、インドネシアに深く関わっている人たちのお薦めは、さすがにリアルさが違う、と思う。また、何の打ち合わせもしていないのに、挙げられた本がほとんどかぶらなかった、というのも驚きだった。皆さん、多様な本を読んでいるものだ。

 
 
hanako_book01Alfred Russel Wallace, “The Malay Archipelago”(Periplus Editions)

hanako_book02猪俣良樹『日本占領下・インドネシア旅芸人の記録』(めこん、1996)
 
 
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