Semesta
環境問題に取り組むインドネシアの7つの物語。「宗教や文化、職業、住む場所にかかわらず、危機を迎えている自然環境に対して、われわれは必ず『何か』をできるはずだ」と、プロデューサーを務めた俳優のニコラス・サプトラ。インドネシアの素晴らしい自然映像とさまざまな民族の映像を通して、それぞれがやるべき「何か」を見つけるきっかけになるかもしれない。
文・横山裕一
環境破壊に伴う気候変動。この影響は赤道の約8分の1を占める範囲に国土・領海を占めるインドネシアでも深刻で、この作品では各地の民族、部族がいかに自らの伝統風習、文化、信仰のもと対応しているかを興味深い7つのエピソードとしてオムニバスで紹介している。
バリヒンドゥー信仰で生きる人々と、熱帯雨林で生活するダヤック族による伝統的な自然との向き合い方。異常気象による豪雨の影響を受けたフローレス島の人々や、森林の減少でゾウが村の畑を荒らして悩むアチェの人々。西パプアの海女に代々引き継がれた自然保護の風習など。
これらはすべて、ゴミ問題、熱帯雨林の減少、温暖化によるサンゴの破壊や海面上昇など、自然破壊がもとで現在インドネシア各地で直面している環境問題で、漁獲や収穫量など生活と直結するだけに地方の各民族にとって深刻な現実となっている。
アチェのモスクでは、ゾウに畑を荒らされた農民が集まり、キアイ(イスラム説教師)を中心に対応策が話し合われる。
キアイ「何かいい解決策はありますか」
農民の一人「毒殺か、銃で撃つか……」
キアイ「そんな訳にはいかないでしょう」
ゾウも自然環境のひとつ。対応に悩む人々の深刻さが実感としてうかがわれる。
フローレス島の山岳部では異常豪雨による洪水でダムのタービンなどが破壊され、停電が続く。教会で神父が住民たちに報告する。
「試算したところ、修理費は約300万円、一軒あたり約4万円の負担になる。皆さん、払えますか」
ざわつく会場。貧しい村のため1カ月の収入以上の額だろう、当然支払えない。
神父が微笑んで言う。「では皆さん、我々自らで直しましょう!」
作品内の7つの物語全てに共通していることは、直面した環境問題に対して、自分たちでできることは何かを考え、自らが行動を起こしていることだ。人間が生きていく以上必須である自然との共生、環境保護に、全ての人間が関わる必要性がメッセージとして強く込められている。
またこの作品で興味深いのは、どこの地域のどの民族も、宗教や伝統信仰が地域コミュニティのベースとして色濃く取り上げられている点だ。地域問題はモスクや教会で行われ、宗教指導者を中心に話し合われる。
近年、選挙などで宗教の政治利用により偏った宗教活動がクローズアップされたが、住民が信頼する宗教指導者のもと、身の回りの問題に対処していく、「インドネシアらしい」宗教コミュニティの本来のあり方をうかがわせている。
このドキュメンタリー映画のもう一つの魅力は、各民族の生活習俗、それを取り巻く素晴らしい自然環境・風景が盛り込まれていることだ。まさに「多様性国家インドネシア」の姿が簡潔に凝縮されている。
青森県のねぶた祭りを思わせるバリのオゴオゴの祭、ダヤック族の100メートルはあろうかという木造高床の豪壮な伝統家屋(ルマー・ブタン)、西パプア州ラジャアンパット近くにある海面が鏡のように景色を反射する美しい海、カリマンタン島の鬱蒼とした熱帯雨林、スマトラゾウの貴重な生息風景など。
圧倒的に美しい自然や各民族の伝統習俗の映像は、作品を通して環境保護の大切さを強く訴え、我々は何をすべきかを訴えかけてくる。その答え全てではないが、物語最後の第6、第7のエピソードで、ジョグジャカルタの田舎と大都市ジャカルタでの新たな取り組みが紹介されている。
本作品から話はずれるが、日本生活も長い日本人とのハーフのインドネシア人男性が2012年、日本人有志とともにジャカルタのスナヤン競技場で「ポイ捨て」されたゴミを自主的に集める「お掃除クラブ」を発足した。ゴミ拾いをする日本人の姿を見て、ほどなく多くのインドネシア人も同クラブに参加するようになる。さらに新聞・テレビなど各メディアに取り上げられ、スラバヤやメダンなどにも地域クラブができ、活動は全国的な広がりをみせた。現在も多くの地方で活動は続いているようだ。
こうした活動もまさに本作品の最後のエピソードに匹敵するものともいえ、作品テーマの答えに通じるものだろう。特別なことでなく一人一人ができることから始める。最近で言えば、プラスチックゴミ減少のためエコバックを買い物で使用することなどだ。
さらに余談で言えば、エコバック推奨はバリがジャカルタよりも進んでいる。ジャカルタでは未だに買い物時のビニール袋は有料とはいえわずか300ルピア(約2.5円)だが、バリのコンビニエンスストアでは10倍の3000ルピア(約25円)だ。紙製で若干しっかりした袋である。筆者でもさすがに毎回袋を買うことには抵抗感が生じた。
国際的な観光地でできていることが、首都ジャカルタでできていないことこそが、環境の変化を実感せず経済を優先させている現実なのかもしれない。近年、ジャカルタの大気汚染は世界最悪になり、ゴミの「ポイ捨て」が原因で洪水が未だに頻発している。
その意味で、今作品の投げかけるメッセージの意味は非常に重く、田舎だけでなく、都会からこそ動くべきではないかと言わんばかりのエピソードの構成配置となっている。
本作品のプロデューサーは、映画「チンタに何があったのか」(ADA APA DENGAN CINTA)で主人公の恋人役を演じた、ニコラス・サプトラ。地元取材に対して、「宗教や文化、職業、居住地などが何であろうと、今まさに危機を迎えている自然環境に対して、我々は必ず『何か』ができるはずだ」と話している。
インドネシアの素晴らしい自然映像と様々な民族、風習の映像を通して、それぞれがやるべき「何か」を見つけるきっかけになるかもしれない。(英語字幕なし)