注:原作、映画のネタバレあります

 

 「目」から始まる。いわゆる「普通」の無気力な大学生、カネキの暗い目。事件の後、左目が喰種(グール)の目に変わる。左目を隠した眼帯を着けたカネキ。逆に右目を隠すマスク。最後は、眼帯もマスクも外して両目を見せた、カネキの顔の大写しで終わる。

 どう世界を見るか、という映画の主題と関連付けた、この「目」をはじめとして、グールである笛口さん夫妻の「指輪」と捜査官の真戸呉緒の手袋の中から現れた「指輪」、亜門とカネキの2人が発する同じせりふ「この世界は間違っている」など、対比をたたみかけるようにして並べながら、誰が見てもわかりやすいストーリーにまとめている。

 私の場合、窪田正孝の演技を見ることが映画を見る一番の目的なのだが、窪田君の演技は逆に、それを忘れさせる。あっという間に、ものすごい力で、作品の中へと引きずり込んで来る。

 通常は、原作と自分の想像力によって描く世界が「最高」であり、それを超えることは非常に難しい。窪田君自身もインタビューで、「絵として答えがあるじゃないですか。それを具現化しなきゃいけないっていう苦しさ」(「CUT」2017年3月号)を語っている。しかし、窪田君の演技を見て、自分の想像を凌駕したシーンがいくつもあった。

 例えば、個人的に好きなのは、グールとなり空腹を抱えて街の雑踏をさまようシーン。途中で「食べられる……におい……!」と、ぱっと顔を輝かせて、通行人を突き飛ばして夢中で駆けて行く。この一瞬の感情の変化と行動が、非常にリアルだ。

 予告編で初めて聞いた、「この世界は間違っている」というカネキのせりふも衝撃的だった。原作では、亜門の言った言葉を反芻する、という形での、静かな独白だ。それが、映画では、心の底からわき上がって来るような、押さえられない叫びとして、演じられていた。ここまでの激しさでこのせりふが語られるとは、想像していなかった。

 実は原作を読んだ時、言ってみればただの半グールというだけの存在のカネキがなぜ特別視され、多くの人たちに愛されるのか、その「特別性」が理解できなかった(最初は「半グール」が唯一の存在のように語られるが、その後、次々に半グールが出てくるので、その事実のみでの特別視はできない)。しかし、映画では、カネキが見事に肉付けされて立ち上がって来て、共感できる人物になっている。

 原作では、西尾先輩の彼女・貴未さん、美食家・月山が出て来る辺りから、ヒトとグールのさまざまな関わり方や、グールの性格や個性が明らかになってきて、物語が深まり、面白くなってくる。ヒト側、グール側と、視点がどんどん変わっていき、視点が交錯したり複雑化していくのも作品の魅力。映画は、その面白くなる手前、物語の入口で終わっている。しかし、2時間という枠内ではこれ以上、話を進めるのは無理とも言え、「そつなく、うまくまとめた」という印象だ。

 食べ物で例えると、薄味の和食。繊細で丁寧。ステーキやハンバーグといったわかりやすいメインディッシュがガッツリあるわけではないが、一品一品が美しい。一品の量は少なめ。献立は以下のような感じか。

懐石料理「東京喰種」
■「飯、汁、向付」……喫茶店「あんていく」から始まって、リゼとのデート、夜の公園でリゼに襲われるまでの導入部(簡潔にすべての要素を入れており、スピーディーな展開。リゼ役の蒼井優はさすが!)
■「椀盛」……喰種になってからの苦悩、ヒデを助けるために西尾先輩と戦う(懐石料理のハイライト。個人的には、「喰種になってからの苦悩」が、この映画のハイライトだった)
■「焼物」……笛口さん親子の物語=リョーコさんが真戸に殺害される
■「強肴」……トーカちゃんの復讐=草場を殺害
■「吸物」……カネキがマスクを作り、体を鍛え、戦いに備える
■「八寸」……カネキと亜門の戦い、トーカちゃんと真戸の戦い(海と山のもの2種類を盛り付けた料理)
■「香物」……喫茶店「あんていく」でのヒナミちゃんとの別れ(後味良し)

 全部食べておいしかったのだが、食い足りないので、お代わり! 次(続編)は、肉汁したたる特大ステーキ、または大盛りポーション攻めのイタリアンで食べたい。

 

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