インドネシア国民を長期間にわたって釘付けにした、警察高官による警官殺害事件(+62命名「Jの悲劇」)は現在、南ジャカルタ地裁へとその舞台を移し、そこで再び、様々な”ドラマ”が繰り広げられています。検察側による求刑も済み、いよいよ裁判は大詰めを迎えました。しかしながら、被告の数も公判数も多く、法廷での話は細部にわたっており、またもやわけがわからなくなっている方も多いかと思います。これまでの裁判のまとめ、「裁判ハイライト」をお届けします。
主な登場人物
被害者
ヨシュア・フタバラット(Nofriansyah Yosua Hutabarat、通称「J先行曹長」=Brigadir J)
スマトラ島ジャンビ出身。サンボの部下。2022年7月8日、南ジャカルタのサンボ公邸で殺害された。当初は「サンボの妻プトリに性的暴行を働き、みとがめたリチャードとの間で銃撃戦になり殺害された」と説明された。享年27歳。
被告
フェルディ・サンボ(Irjen Ferdy Sambo、FS)
インドネシア国家警察の職務治安局長という要職にあり、麻薬や賭博の利権を握っていたとされる(事件後、懲戒解職)。南ジャカルタの私邸でヨシュア殺害の謀議を行い、公邸でヨシュアを殺害した。殺害後、配下の警察幹部らを使って証拠隠滅を図った。
プトリ・チャンドラワティ(Putri Candrawathi)
サンボの妻。中部ジャワ・マグランにある別邸で、ヨシュアに性的暴行を受けたと主張している。ヨシュア殺害計画は事前に知っており、事件当時も現場の公邸にいた。
リチャード・エリエゼール(Richard Eliezer、通称「E二等巡査」=Bharada E)
サンボにヨシュア殺害を命じられ、ヨシュアを銃撃した。逮捕後、司法協力者として捜査に全面協力。
リッキー・リザル(Ricky Rizal、RR)
サンボの部下。曹長。サンボにヨシュア殺害を持ちかけられるが、銃撃はできないと断る。殺害計画を幇助する。
クアット・マルフ(Kuat Ma’ruf)
サンボの運転手。民間人。ヨシュア殺害計画を幇助する。
裁判長
ワフユ・イマン・サントソ(Wahyu Iman Santoso)
南ジャカルタ地裁の副裁判長。ヨシュア殺害事件の一連の公判で裁判長を務める。
裁判のファクト
ヨシュア殺害に関しては、上記5人を被告とし、2022年10月17日から南ジャカルタ地裁で審理中。証人による証言、専門家の意見陳述に続き、2023年1月17〜18日、検察による論告求刑が行われた。この後、最終弁論を経て、判決が予定されている。判決に不服の場合は、高裁、さらに最高裁まで上訴できる。証拠隠滅などの司法妨害については、別途、南ジャカルタ地裁で裁判が進行中。
<ハイライト 1> サンボ夫妻と遺族の対決
裁判長殿。被告にマスクを外すよう言ってください。私が顔を見られるように
サムエル・フタバラット(ヨシュアの父)
証人として出廷したヨシュアの父、サムエル・フタバラットがこう発言した時、法廷はどよめいた。ヨシュアの両親は、法廷で初めて、サンボとプトリに会う。両者の「対決」に注目が集まった。
サンボは途中からマスクを外していたが、プトリはマスクを着けたままだった。判事に「あなたは被告人2人を知っていますか?」と聞かれた時のサムエルの言葉がこれ。「マスクをしたままだと顔が見えないから、知っているかどうか答えられない」という文脈だったが、いかにも、「顔を見せろ」「私の息子を殺したおまえら、顔を見せてみろ」という言葉にも聞こえた。
判事はプトリに対し、マスクを外すよう指示した。プトリはマスクの紐を片側だけ外して顔を見せ、そして、すぐまたマスクを顔に戻した。明らかに最大限にムカついている表情が見えた。そして、このやり取りがなされている間、サンボは被告人席にいることを忘れたかのように、鋭い目、険しい表情で、サムエルをにらみつけていた。
この時の被告2人の内心の声は「おまえのような田舎者、下賤の者が、よくも、そんな大それた要求をできたな」ではなかったか。後になって、「ヨシュアの両親に対する謝罪文」を読み上げたが、この一幕の後では、謝罪は形式的なもので、自分たちの心証を良くするため、というのがありあり。サムエルも白けた様子で、手紙が読み上げられている間、そっぽを向いていた。
サムエルら遺族は「ジャカルタの法廷」という、普通だったら緊張してもおかしくない場に立っても、まったく臆することなく、堂々とした態度だった。時には涙を見せながら、遺体を受け取った時の状況などを詳しく語った。「マスクを外せ」の一幕を見ても、「遺族」と「サンボとプトリ」の対決は、遺族側の完勝だったように思う。
<ハイライト 2> E二等巡査、遺族に土下座
自分のやったことを深く後悔しています。しかし、私はただの警官で、高官の命令には逆らえなかったのです
リチャード・エリエゼール
上記のシーンと対照的だったのは、「E二等巡査」ことリチャード・エリエゼールとヨシュアの両親との対面だ。リチャードは公判が始まる前に、証人席についたヨシュアの両親の元へとまっすぐに進み、足元にひざまずいて頭を垂れた。日本的に言うと「土下座」。2人はリチャードの頭に手を置き、その謝罪に応えた。
リチャードはその前にも、「ヨシュアの両親への謝罪の手紙」を記者団の前で読み上げている。「自分のやったことを深く後悔しています。しかし、私はただの警官で、将軍(=高官)の命令には逆らえなかったのです」と直筆で書かれていた。
サンボは最初、リッキー・リザルに「ヨシュアを撃てるか」と聞き、「できません」と断られたため、リチャードに話を持ちかけている。「リッキーは断ることができたのに、なぜリチャードは断れなかったのか」というのも、よく取り上げられるポイントだ。TVでの専門家の解説によると、「リッキーは階級が上(曹長)で、サンボとの付き合いも長かった。さらに、総務畑で、銃の扱いには実際、慣れていない。リチャードは一番下の階級で、上官が命令すれば『イエス、サー』と言うしかなかった。警察は軍と同じだ」。
リチャードは、ほかの被告4人とは違う立場にある。殺害の実行犯ではあるが、逮捕後に「司法協力者」となり、捜査に全面協力。裁判でも、サンボらの主張を真っ向から否定する証言を繰り出している。
ヨシュア殺害に関し、サンボの主張はこうだ。「ヨシュアがプトリに性的暴行を働いたと聞いて、かっとなり、ヨシュアを懲らしめようと思った。リチャードには『懲らしめろ』と指示し、『撃て』とは言っていない。しかし、リチャードが誤解して、やり過ぎた。私はリチャードが発砲した後、反射的に、ヨシュアの腰にあった銃を抜いて、銃撃戦を偽装しようとして壁に向けて撃った。ヨシュアに向けては撃っていない」。
それに対し、リチャードの主張はこうだ。「南ジャカルタの私邸でサンボに呼び出され、『ヨシュアを撃てるか?』と聞かれた。サンボは上官であり、『はい』と言うしかなかった。(殺害現場の)公邸へ行ってから、サンボに呼ばれて『(拳銃に)弾は入ってるか?』と確認された。そして、ヨシュアを家の中へ呼んで来させてから、私に『撃て、撃て、早く撃たんか』と言った。私は4、5発、発砲して、弾はヨシュアに当たり、ヨシュアは倒れた。しかし、ヨシュアはまだ生きており、苦悶の声を上げ、動いていた。サンボは自分の持っていた拳銃でヨシュアの後頭部を撃ち、息の根を止めた」。
このように、両者の言い分は真っ向から食い違う。サンボの証言は、「ヨシュアの拳銃を腰から抜いた」という一点を例に取っても、リチャード以外の証人の証言とも食い違ってしまっている。リチャードの証言は、非常に細かく、臨場感がある。
「犯した過ちを深く悔い、事実を正直に語っている」と見えるリチャードに世間の同情は集まり、「頑張れ」という応援のほかに、「リチャード人気」も盛り上がっている。論告求刑の公判には、「エリエゼールズ・エンジェル」を自称する女性ファンが詰めかけた。リチャードは若くてハンサムなので、「裁判が全て終わってから、モデルとして再出発できるのでは?」という声もあるぐらいだ。
しかし、遺族はリチャードの謝罪は受け入れたものの、「『上官の命令だったので、仕方ありませんでした』で済めば、何をしても許されることになってしまう。やはり、ちゃんと罪を償ってほしい」と語っている。
<ハイライト 3> 性的暴行はあったのか?
われわれをバカだと思ってんの?
ワフユ・イマン・サントソ裁判長
ヨシュアはなぜ殺されたのか。これについて、サンボ側は一貫して「ヨシュアのプトリへの性的暴行」が理由だとしている。サンボの描いたシナリオが次々に崩れ去る中で、この一点だけは絶対に譲ろうとしない。サンボにとっては、「妻が暴行されたので許せなかった」というのは、男として、警官として、矜恃を守るための唯一の手段なのかもしれない。同時にまた、「本当の理由は死んでも言えない」ということなのだろう。
しかし、ヨシュアによる暴行の証拠はない。ワフユ裁判長に「なぜ暴行の証拠となるテストを受けなかったのか」と尋ねられたサンボは「動転していたから」、プトリは「恥ずかしかったから」と答えている。しかし、プトリは暴行があったとされた後、ヨシュアと同じ車でマグランからジャカルタまで帰っている。性的被害に遭った者の行動としては不自然すぎる。
暴行があったとの証言をしているのは、メードのスシだ。マグランにある家の2階のバスルームで、プトリが倒れているところを発見したと言う。「『誰か呼んで来ましょうか』と聞いたら、イブ(プトリ)は『ヨシュアは呼ばないで』と言いました。私は動転して、泣いてしまいました」と語った。しかし、「プトリは何を着ていたのか」「座っていたのか、寝ていたのか」などの細かい質問が判事から繰り出されると、ぼろぼろに。「わかりません」「覚えていません」を繰り返した。
ワフユ裁判長は「あなたの証言が正しいかどうか、ほかの証人を召喚して確かめますよ」、別の判事は「偽証罪は、最高で禁固7年の刑ですよ。わかってます?」と苦々しい表情で釘を刺す。歯に衣着せぬワフユ裁判長は「われわれをバカだと思ってんの? 事前に設定された(口裏合わせ)ということは明らか」と切って捨てた。
検察側は論告で、「ヨシュアによる性的暴行はなかった」と結論付けた。しかし、「プトリはヨシュアと浮気していた」「2人は不倫関係にあった」と述べた。唐突に出て来た「不倫」というワードに、遺族側も被告側も猛反発している。検察はなぜ「不倫」と言い出したのか。殺害の動機をあくまでも「性的暴行」や「浮気」といった事柄から逸らせたくないのではないか、と疑念を持ってしまう。
<ハイライト 4> 求刑に大ブーイング
被害者とは関係のない一市民としても、がっかりだ。遺族にしてみたら、なおさらだ
マーティン・ルカス・シマンジュンタック(遺族代理人、プトリ求刑に関し)
2023年1月17日と18日、検察は下記のように求刑した。
サンボ 終身刑
プトリ 禁固8年
リチャード 禁固12年
リッキー 禁固8年
クアット 禁固8年
世間的に予想されていたのは、サンボの死刑求刑は当然で、プトリは良くて終身刑、司法協力者であるリチャードへの求刑は他の4被告より軽いだろう、といったものだった。それが、蓋を開けてみると、こう。
特にプトリの求刑には、法廷でも驚きの声が起こり、しばらくの間、ざわつきが収まらなかった。プトリは事件の首謀者の1人として、殺害計画において積極的な役割を果たしている。それにしては軽すぎる求刑だ。ツイッターでも「cuma 8」(たった8年)、「8 tahun」(8年)がトレンド入りした。遺族の代理人は非常に強い口調で求刑を非難し、ヨシュアの母は涙ながらに「裁判長殿、正義を実現してください、お願いします」と訴えた。
一方、リチャードへの求刑は予想以上に重い。ショックを受けた様子のリチャードは涙を抑えることができず、閉廷後には弁護人と抱き合った。リチャードは上官の命令で犯行をやらされ、自分のしたことを深く悔い、法廷でも正直に話していると見える。「なぜリチャードへの求刑がプトリより重いのか?」という疑問の声が上がっている。
サンボは公判で「妻は関係ない」「私はリチャードに『懲らしめろ』と言った。その言葉の責任は取る。こうなったのは、私とおまえ(リチャード)2人の責任だからな」といった発言をしており、求刑はサンボの希望したシナリオにも見える。リチャードへの論告求刑中、論告を読み上げる検察官が言葉を詰まらせ、隣の検察官が励ますように肩に手を置き、汗か涙か、自分の目を拭いたのも注目された。「サンボの勝ちか?」「いまだにサンボの影響力があるのか?」という声も起こっているぐらいだ。
この求刑を受けて、判決はどうなるのだろうか。ワフユ裁判長は厳格な態度で公判に臨んでおり、時には問題視されるぐらいに、歯に衣着せぬ発言をしている。例えば、すぐ近くにいながら「サンボがヨシュアを撃つところは見ていません」と証言したクアットに対しては、「あなたもリッキーも、つんぼでめくらだ。何も見てない、何も聞いてない」と皮肉った。また、事件のあった公邸を自ら訪れ、実地検分をしている。
真偽は明らかではないが、「ワフユ裁判長が判決について語った」とされる動画が最近、TikTokに流出した。その中で、ワフユ裁判長とみられる人物は「信用できるのはリチャードの証言だけだ」「サンボは認めようとしないが、別に構わない」「サンボは死刑か終身刑だ」といった発言をしている。裁判官が求刑より重い(または軽い)判決を出すことは可能ではある。どのような判決が下されるのか、注目される。
追記(南ジャカルタ地裁判決、2023年2月13〜15日)
サンボ 死刑
プトリ 禁固20年
リチャード 禁固1年6月
リッキー 禁固13年
クアット 禁固15年
追記(最高裁判決、2023年8月8日)
サンボ 終身刑
プトリ 禁固10年
リッキー 禁固8年
クアット 禁固10年
参照リンク
https://nasional.tempo.co/read/1646431/7-poin-penting-dalam-dakwaan-ferdy-sambo
https://www.viva.co.id/berita/nasional/1533284-profil-wahyu-iman-santoso-pimpinan-sidang-fedy-sambo