【賀集さんへの手紙】 pace & a もっさん

【賀集さんへの手紙】 pace & a もっさん

2021-08-10

 私が賀集さんと出会ったのは2018年から参加したペンギンマーケットだった。うちは自家焙煎してるスマトラ・マンデリン珈琲を販売していて賀集さんは珈琲が好きだったからよく買ってくださった。ある時チレボンの市場で買った珈琲豆柄のバティックを何故かプレゼントしてもらった。こういう小物を作りたい、って話から、いつか一緒に作れたらいいねって話していた。その時はお互いに話してるだけだった。ペンギンのみんなにすごくよくしてもらってたけど、賀集さんとはその時はまだお互いにバティック作ってる人、珈琲作ってる人の奥さん、てくらいの認識だったと思う。

 そのうち家庭の事情で私は日本へ。コロナが始まりインドネシアと海外の行き来が難しくなりペンギンマーケットも開催出来なくなってしまった。そうこうしてるうちに一年が過ぎた。私はその時はもうインドネシアへ戻ってきてて、うちの旦那と珈琲の商売をどうしようかと話してた時に、違う場所でのバザーの話がやってきて活動再開になった。そんな時に賀集さんから連絡があった。コロナの影響でチレボンのバティック業界は非常に厳しいからジャカルタで可能なら一緒に販売してくれないか、という依頼だった。お力になれるなら喜んでと即OKした。

 それが決まった日から急に賀集さんとのラインでのやりとりが増えた。商品のやりとりの他に、話せば話すほど賀集さんの知識の広さに驚きっぱなしだった。それはいろんな味のお塩のことだったり着物とか浴衣のことだったり絶品スイーツのことだったり、もう色んなことだった。多趣味だけどどれも奥が深かった。ラインやツイッターでそういう仕事ではないやりとりするのもめちゃくちゃ楽しかった。何よりも私が色んな賀集さんを知ってどんどん好きになっていった。めちゃくちゃ魅力的だった。

 バザーは毎月一回あった。物作りされてるとわかると思うが、新作を毎月毎月作るのは非常にタイトなスケジュールだ。でも毎月送られてくる製品はどれもこれも素敵な商品だった。印象に残ってるのは一番最初に送ってもらった赤い丑のイラストが描かれたマスクカバーがたまらないマスク。これはインスタに載せた途端に問い合わせの連絡が入り、店頭に並べる前に売り切れた。その時賀集さんのすごさを改めて実感した。ジャカルタに残ってる日本人の方たちに賀集さんが描くペン子ちゃんのコミカルな小物たち、手描きバティックのマスクは入荷する度に待ってましたとばかりどんどん売れた。

賀集さんの小物たち。カラフルで眺めてたら元気が出た
販売してたミニトートとこれから販売していこうとしてたサコッシュ

 うちのブランドの小物類もいとも簡単に形にしてくれた。魔法の手を持ってる賀集さん。こんな風に作って欲しいと説明不足でも、イメージしてたその形で出来上がってきた。そしてうちのロゴ(a)を見れば見るほどカッコいいねと褒めてくれた。これは私達家族の自慢だ。

 行動力というか実現させる力というかスピード感というか、強烈にアーティストとしての賀集さんを感じられた。すごいな。本当にすごい。こんなすごい人なのに偉そうにするわけでもなく上から目線でもなく、話してたら淡々としてるけど、いつも温かくてホッとした。

 浴衣用の縞模様のバティックを作ってもらったり、還暦祝いのカバンを例の丑さんイラストを使って作ってもらったりもした。それはいくら探しても世界に三つしかない。

チャームもあらよと簡単に作ってくださったので取り付けは私が。分業制です
ある日、賀集さんからの荷物の中に入ってたペンギンさん。ももちゃん(猫)用にって作ってくれた

 賀集さんから直接受け取った最後の商品のプラナカン柄のあずまバッグは色味がめちゃくちゃロマンチックで可愛いくて、洋服にも和服にも合わせられるバッグだった。賀集さんがすごく力を注いでいたバティックの柄だ。すぐに売れてしまって、インスタに載せてたからその後の反響もすごくて、私も一つ大きいサイズのが欲しかった。賀集さんが作るそのバティックの色遣いはたまらなく素敵だ。

本当に本当に素敵な、あずまバッグ

 その事を早く言いたくて6月20日のバザーの後、興奮覚めやらぬままラインを送った。2、3回ラリーがあったけどその時はそれで終わった。21日に送ったラインにはスタンプだけで返信がきた。26日に送ったラインは今も既読にならない。そんなだったのになんですぐ連絡しなかったんだろう。考えては後悔し後悔してはまた考える。 

 前後するが、亡くなられた当日なにか胸騒ぎがして賀集さんに電話をした。今考えたら当たり前だけど取ってもらうことはなかった。その数時間後に入ってきた連絡。頭が割れたみたいに痛くてもう泣きたくないのに涙が止まらなかった。信じられなくてまたラインがくるような気がした。涙が止まらないのに賀集さんが嘘でしたって出てくるような気がして一人で可笑しかった。

 まだまだ続くとばかり思っていた。突然来たお別れを受け止められなくてこの一カ月あまり笑うこともせずどんよりしたまま過ごした。気持ちがなかなか浮上せずいた。だけどこの前の7月24日の賀集さんのお誕生日の時に、スタジオ・パチェを再開する準備をしていこうと考えてる話を聞いて、あれから初めて悲しくない嬉しいことで泣いた。

 賀集さんのいくつかの商品に付いてたタグのP&A。本当の意味は違うけど(本当は「Pace & Aat」。Aatは賀集さんとコラボしていたインドラマユの職人さんの名前)、もっさんとやる時はpace & aでもいいねって言って笑ってた懐の広い賀集さん。

 賀集さん、今度会う時は教えてくれたココアのケーキと色んな塩を作って持ってくから食べて欲しい。