【賀集さんへの手紙】 賀集さんはここにいたんだね 吉岡里奈

【賀集さんへの手紙】 賀集さんはここにいたんだね 吉岡里奈

2021-08-13

賀集さん

 ご主人とのんびりお茶を飲んでいらっしゃいますか? それとも何かまた作ってらっしゃるでしょうか。

 天国で暮らしている方を思い出すとその人の上に花が降ると聞きました。
 もしかして花に埋もれてしまっていませんか?

 だって出かけようとショッピングバッグを持っても、マスクをつけても、洋服を着替えようとしても、そこかしこに賀集さんがいるのです。思い出さない日はありません。そしてTwitterでも、ゆかりのある皆さんが秘蔵の賀集さんの作品をみせてくださって色んなストーリーを教えてくださいます。みんなもっともっと賀集さんの話をしたいのです。

 きっと賀集さんのところには絶え間なくお花が降って来て大変でしょうが、いつものように
「あらあら、こんなに。まぁ、どうも」
と笑顔で許してくださるとうれしいです。

 最初に賀集さんにお会いしたのはいつのことだったか……手紙を書くにあたって思い出そうとしましたが明確には出てきませんでした。それくらい賀集さんは人に壁を作らない方でした。大らかで、出会った時から昔からの知り合いのように気兼ねなく接してくださいましたね。

 その一方でいったん仕事になると、本当に緻密で妥協がなく、私はたくさんのことを学ばせて頂きました。イベントをやるごとに次のアイデアが生まれて、どんどん形が出来て、それがものすごい速さで実現して。
 そのフットワークの軽さ、頭の回転の速さはとても真似できるものではなく……
 やさしくて、大らかで、仕事がすごく出来て、常に人と人とをつなげて……そんな賀集さんが本当に大好きでした。

 賀集さんが慌ただしく旅立たれた後、私の中にはまだ実現していないたくさんの約束が取り残されてしまいました。

 柄を考えていたオリジナルチャップの製作、「もう会場も決めてあるの」と言ってらしたインドネシア料理教室、日本での各国料理の食べ歩き……。
 一緒にやろうリストに入っていたたくさんのわくわくすることは、あの日を境に「なぜすぐにやらなかったんだろう」という後悔になって私の中に残り、日々涙となって流れるばかりでした。

 けれどそんな中、チレボンにいるアリリさんに
「わかるけど、悲しいけど、泣いてはだめよ。ゆみこがatas(天)に行けなくなるから」
と言われました。
 傍で私より悲しい別れをしたであろう彼女のその言葉が何より私の心に響きました。

 「大丈夫! またすぐ描くから!」と言って送ってくださったインドネシアの地図のバティック。
 たくさんのお土産と共に日本に届いたそれは私にとって賀集さんの最期の作品になりました。
 開く勇気が出なくてなかなか飾ることが出来なかったけれど、思い切って広げてみると真っ青な海とインドネシアの上をペン子ちゃんが所狭しと自由に闊歩しています。

 ああ、賀集さんはここにいたんだね。移動の制約も、なかなか日本に帰れないジレンマもなくなって、ペン子ちゃんと一緒にきっと自由にインドネシアやら日本をあちこち飛び回ってるんだね。

 今の私に何が出来るかは解らないけれど、賀集さんがつなげてくださったご縁を大切に、これからも賀集さんの作ってこられた世界の端っこででも何かお手伝いが出来ればとぼんやりと考えています。

 いつか私がそちらに行った時、お茶を飲みながらその後のことをいっぱいおしゃべりしたいです。
 再会できるその日まで私もがんばります。

吉岡里奈