インドネシアの小説『彷徨 あなたが選ぶ赤い靴の冒険』(インタン・パラマディタ著、太田りべか訳)を出版した春秋社が、過去一年で最も優れた翻訳書を刊行した出版社に贈られる、2026年度「日本翻訳出版文化賞」に決まった。受賞を記念し、翻訳者の太田りべかさんにロング・インタビューした。後編は、りべかさんのバックグラウンドと「リアル分かれ道」の先にあった道、訳したいと思う作品、今のインドネシア文学について。(文・池田華子、写真は太田りべかさん提供)
<前編> シドニーでの分かれ道を真っ直ぐ行っていたら、私はインドネシアと関わることはなかった


太田りべか(おおた・りべか)
日本語←→インドネシア語翻訳者。村上春樹、川上未映子、吉本ばなな、谷崎潤一郎、森絵都の小説など日本の文芸作品のインドネシア語訳を手がける。また、インドネシアの文芸作品の日本への紹介も行っている。日本での既刊翻訳書は、エカ・クルニアワン『美は傷』、インタン・パラマディタ『彷徨 あなたが選ぶ赤い靴の冒険』(ともに春秋社「アジア文芸ライブラリー」刊)。1995年よりインドネシア在住。
簡単に不法滞在になっちゃうリアル
━━『彷徨』の物語はとても面白かったんですが、「結婚する以外にビザを取る道はないのか?」とも思いました。
私はその辺はすごくリアルに共感しましたね。「ああ、わかる、これ」って。
━━「完全に自分の力でビザを取って生きていく」という道は難しい、と。
そうですよね、現実的に言って。私も国籍を(インドネシアに)変えて実感しましたけど、インドネシア人が普通に観光に行くだけでも大変なんですよね。ヨーロッパにちょっと2週間旅行に行きたい、っていうだけでも、これぐらい分厚い書類を用意しなくちゃいけない。ホテルも全行程を予約して、保険も入って、すべてやらないと、観光ビザさえ取れないんですよね。それも非常に時間がかかるから、何カ月も前から準備を始めなきゃいけない。『彷徨』の中でもあったと思いますけど。そういうのはすごくリアル。
日本の人からすると、海外に出て行くのはわりに簡単なことなのでね。お金さえあれば、いつでも、どこでも、っていう感じだから。ちょっとその辺は日本の人にはわかってもらえないかもしれないな、とは思いましたけども。
━━それが現実、ということですね。
日本の人はね、まだ、そんなに勇気がないっていうか、違法滞在、不法滞在になる勇気のない人が多いと思うんですよね。ちゃんとリーガルにしよう、って。でも、インドネシアとか、ほかのアジアから来ている人なんかは、結構、簡単に不法滞在になっちゃう人が多いんですよ。それが一つの選択肢としてあるんですよね。
オーバーステイになったらどうするかって言ったら、やっぱり、人を頼って、仕事場を探して、そうやって生きていくんだ、っていう。そういう人がいくらでもいる。そういう現実がオーストラリアにもあったし、日本でも今あるはずだし。
就職したいと思っても、元々不法で入って来てしまっていたら、なかなか難しいという現実もあると思うんですね。学歴がすごくあるとか、何か輝かしいキャリアがあるとかだったら、どこかに伝手を見つけて、とかもあるけれども。
━━『彷徨』の主人公みたいな普通の人だったら無理、ということですね。
そうなんですよね。例えば日本人だったら、日系企業に就職すればビザを取ってもらって、ってあるかもしれない。だけど例えば、インドネシアの人がアメリカに行って、アメリカにインドネシア系の企業がどれだけあるのかっていうと、そんなにね、ないわけなんですよね。インドネシア人がやっているレストランとかはあるけれど、そういう所で就労ビザまで取ってくれるのか、っていうと、難しい。
だからやっぱり、大学なんかを出て正式な道で就職できた人と、とにかく渡っちゃった人、っていうのは大きく分かれてきて、ということなんだと思いますね。
大学院を出て、なぜかコンピュータ・プログラマーになった
━━りべかさん自身はどういうバックグラウンドなんですか?
バックグラウンドも何もないんですけれども。大学で国文学をやってたんです。甲南大学という神戸にある小さな私立の大学で、学士と修士を取って。平安後期の物語を主に研究してました。
━━大学院を卒業してからは?
なぜか、コンピュータ会社に入ったんですよ。なんでかというと、父親が朝日新聞と日経新聞を取っていまして、私、朝日はちょっとだけは読んでいたけれども、日経は開いたこともなかったんですよね。その日、たまたま日経を開いたら、求人が出てたんですよ。「オーストラリア支店開設予定」「社員20名」って。そんな小さな会社でオーストラリア支店ってどういうこと?と思って。
オーストラリアには行きたいと思ってたんですよ、学生時代の思い出があったから。大きい会社だったら女性で行かせてもらえるっていうことはまずないだろうけど、小さい会社だったら行けるチャンスがあるかもな、と。あとさき考えずに行ってみるかって。
私、コンピュータなんかほとんどいじったことなくて、大学でも「情報処理実習」っていうのを取ったんだけど、唯一落とした単位がそれだったんですよ。理系なんか全然わからないし、「絶対、採用されない」と思ったけど、とにかく行くだけ行ってみよう、と思って、面接に行ったんですよ。そしたら、社長がなんかすごく気に入ってくださって、「あ、君、うちに来なさい」って、採ってくださったんです。それでいきなりコンピュータ・プログラマーになってしまって……めちゃくちゃな、脈略のない経歴です。
それで、実は英語なんてそんなに大してできないのに、「私、英語できます」とすごいアピールしたんです。そしたら、オーストラリアに行かせてもらえることになって。その時に、リアル分かれ道で、夫に会ってしまったという。
━━「リアル分かれ道」の前にも「分かれ道」がいろいろあったんですね。日経の求人広告を見たこと、社長との出会い。
脈略のない、計画性のない……流れに流されてきただけ、みたいな。
━━人生ってそういうものですよね。
そうなんです。今でも「履歴書を書いてください」って言われると、困るんですよ! 経歴がめちゃくちゃすぎて。なんの一貫性もなくて。
━━オーストラリアにはどのぐらいいたんですか?
2年間、その仕事で行って、その間に夫になる人と会ってしまったもので、じゃあもう一度オーストラリアに戻るか、ということで、会社を辞めて、今度は語学留学で半年ほど行きました。その後、ビザも切れたし、また日本に帰って、今度は学習塾の先生になったんですね。また、めちゃくちゃですけど。国語と英語と社会と教えてました。
夫はその時、もう17年ぐらいオーストラリアに住んでたんだけど、ジュパラにいるお兄さんが機械の修理をするベンケル(修理工場)を持っていて、「やる人がいないから、おまえ、帰って来て、これやれよ」って。彼は元々、機械いじりが好きで、学校もそっちの専門学校に行っているんで、そう言われてインドネシアに帰ることにした、と。それで、私もインドネシアに来い、と。「インドネシアか……行ったことないし。でも、面白そうだから行ってみるか」。それで来てしまったんですね。
オーストラリアに戻ろうと思ってたんだけれども、夫がインドネシアに戻ったんで、私もインドネシアに行って、そこで正式に結婚しましょう、ということになったんですよ。
━━それで、初めてのインドネシアですね?
そう。初めてで、何も知らないまま、何もできないまま、来てしまった、と。
━━リアル分かれ道を真っ直ぐ行った場合には、どんな道だったでしょうか。
ひょっとしたら結婚してなかったかもしれないですよね。元々そんなに、結婚したいという気持ちは全然なかったんですよ。だから多分、独身のまま、どっかで働いて、一人でこっそりと生きていたかな、という気はします。まさか結婚するとはちょっと思ってなかった、というか。
彼はどこが良かった?ってよく聞かれるんですけど、ちょっと若気の至り。血迷ったというか。なんとも言えないですね。子供が出来たのは、ほんとに良かったと思いますし、今もそれなりに楽しく暮らしているので、良かったかな、と思ってます。

文学は、まずは読んで楽しむもの
━━りべかさんの日本語の翻訳文は素晴らしいと思いますが、国文学の素養というのも大きいのでしょうね。
訳文がいいっていうよりもね、「原作の持てる力」なんですよ。『美は傷』なんかにしてもね。原作のパワーがあるからなんですよ。そのまま訳していけば、そうなるんですよ。
━━いやいや、訳によって、まったく変わります。
原作にパワーのあるものは、訳したものが「ちょっと違った」としても、それなりのものになると私は思います。
━━『美は傷』が端緒なのかもしれないですが、インドネシア文学の日本での翻訳出版が続いています。急にインドネシア文学が脚光を浴びているように見えるんですが、どう思われますか。
そうですね。たまたま、そういう流れになった、ということだと思うんですよね。
日本で韓国文学がすごく人気があって、少しアジアに目が向き始めている、というのもある。それと、国際交流基金が「YOMUプロジェクト」「対話プロジェクト」をやっていて、インタンさんもその一人なんですが、インドネシアの作家を招聘して東京で対談をしたり。そこがきっかけで始まっているところもあるんですね。
それから、春秋社が「アジア文芸ライブラリー」を立ち上げた。私がすごくお世話になっている国際交流基金の方に『美は傷』の訳稿を渡してたんで、それを編集者の方に紹介してくださったら、すごく気に入っていただけて、「うちで出しましょう」と言ってくださった。その流れで、『彷徨』も。実はそれも国際交流基金の人に訳稿を渡してたんで、やはり紹介してくださって。もう2冊目だから無理かな、と思ったら、「出します」と言ってくださって。
『どうせ死ぬなら、最後にミーアヤム』も西野恵子さんが原作を読んで、すごく面白くて、訳して、(春秋社に)持ち込まれた作品なんですよね。『シガレットガール(Gadis Kretek)』も別の出版社ですけど、もうすぐ出るみたいですよ(邦題『時は甘いクローブの香りとともに』、彩流社)。

━━今年は本当に立て続けですね。
やっぱり、「アジア文芸ライブラリー」が出来たというのはすごく大きかったな、と。あとはそんなに、インドネシアの作品を積極的に取り上げましょう、って言ってくれる出版社はなかなかないんですよ。まだまだ狭き門ではあると思うんですね。
━━やはり春秋社の力は大きかった。
そうですね、「アジア文芸ライブラリー」は本当に救世主だったというか。そして、春秋社から出してもらえた、ということはすごくありがたかったんです。あまり「インドネシア臭が付いていない」というか。
春秋社自体は元々、仏教書とか音楽書とか楽譜とか、そういうので有名だったので、インドネシアというイメージとはまったく離れた所。そこから出た、というのは良かったな、と思ってるんですね。これまでは良い作品が出されているのに、いまいち読まれていない、っていうところがあったじゃないですか。インドネシア界隈の人しか読んでない、みたいな。もっと普通の人たちに、インドネシア文学だからっていうんじゃなくて、面白い文学として読んでほしい、というのがすごくありました。
私はインドネシアには住んでいるけれども、「インドネシア界隈の人」ではないんですよ。学者でもないし、研究者でもないし。「インドネシアニスト」と呼ばれる人たちとはちょっと違うので。
━━そういう意味では『彷徨』はいいですよね。普遍的な内容を持っています。
インドネシア的な所もすごくあるんですけど、一般的に「グローバル・サウスの女性」っていう所が強調されている。話も現代。
もちろん研究とか素晴らしいことだと思うんですけど、私は基本的に、やっぱり小説とか文学作品っていうのは、まずは読んで楽しむものだ、と。だから、そういう風に読んで、「楽しい、面白かった」っていろんな人に思ってもらいたいな、っていうのが一番ですね。
━━『彷徨』や『ミーアヤム』は一般的な読者がとっつきやすいですね。
『ミーアヤム』が出たのはその点ですごくよかったと思うんですね。読みやすいし、『彷徨』に比べたら分量もそんなに多くない。一日二日でぱっと読める。そんなに「インドネシア」ということも考えずに読める作品ですよね。現代的なテーマでね。
「これは私が訳すしかないだろう」という出会い
━━『シガレットガール』も面白いですよね。
そうなんですよ。うん。
私、Netflixのドラマは、実は途中までしか見てないんですよ。初めの方を見て、すごく暗かったから、「えっ、暗い」と思って、途中でやめたんですよ。原作はもっとあっけらかんとして、面白い、楽しいじゃないですか。もちろんドラマも映像とかきれいでいいんだけども、主人公のジェン・ヤーにしても、もっときっぷのいい、たくましい感じの女性なのに、ちょっと違うよなーと思って。そういうところで、原作(の翻訳)が出るのはすごくうれしいですね。
━━『シガレットガール』は訳そうと思わなかったんですか?
訳そうとは思わなかったかな。
━━「これは訳す」「訳さない」はどうやって決めるんですか。
なんかね、「これは私が訳さなければ」って勝手に思い込んでしまう作品があるんですよ、時々。「これは私が訳すしかないだろう」と、勝手に、何の根拠もなく。ただ私が好きだから、っていうことなんですけど。そういう作品にたまに出会うことがあって、それが『美は傷』であり『彷徨』であった、ということなんですけども。
━━「面白いけど訳さない」と「これは訳す」、その違いは何でしょう。「売れる、売れない」とかも、まったく関係ないですよね。
関係なしですね、はい。
なんかちょっと幻想的なものが入った、ごちゃごちゃっとした話がわりと好きなんじゃないか、と思いますね。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』みたいなやつですかね。そういうツボにはまる作品っていうのが、時々あるんですよ。
━━「幻想的なものが入った、ごちゃごちゃっとした話」。『美は傷』と『彷徨』、ちょっとつながりますね。
それも好きなジャンルの一つなんですが、考えてみたら、もっと根本的なポイントがあるかな。
物語を読むっていうのは、何か癒しを求めるとか、はっきりしたメッセージを探している、というんじゃなくて、物語の中を通り抜けていく体験を求めているわけですよね。その物語の中を通り抜ける体験がすごく濃密なものだったとしたら、例えばその物語が幻想的ではなくて、徹底したリアリズムで書かれていても、すごく静かなトーンで書かれた静かな物語であっても、読んでいて「血湧き肉躍る」みたいな感じになって、訳したくなる。
読むと充実感を感じるというか、濃密な世界ですごいものを見たな、という感じがするというか、そういう体験をさせてくれる物語であった場合は、どうしても訳したくなる。
そういうのは日本語の本でもあるんですけど、いろんな状況から、すぐにインドネシア語に訳し始めるというわけにはいかない。こっちの読者にどうかな、というのもあるし。例えば、松家仁之の『天使も踏むを畏れるところ』という小説。戦後に皇居を再建する話なんですが、これも読んでいると、静かな興奮に突き動かされるんですね。もしこれがインドネシアの話だったら、多分、訳していただろうな、と思いますね。
━━日本語に訳す方が自分の純粋なモチベーションが強くなるんですね。
日本語訳の方は、あんまり受け入れ先がないもので、先に(翻訳を)作って出さないと、というところがある。
━━次は何ですか? 訳したいと思っているものは?
もしチャンスをいただけるなら、インタンさんの2冊目の長編小説ですね。『千の業火の夜(Malam Seribu Jahanam)』。あれはやりたいなと思っているけど、まだ訳してないです。これの英訳版がつい最近、全米図書賞(National Book Awards)のロングリストに入ったんですよね。それで日本の出版社も注目して、声かけてくれないかな、ってちょっと期待しているんですけど。

━━『千の業火の夜』は買って、読み始めました。自爆テロ事件から始まって、なかなかヘビーですね。
2018年でしたっけね、スラバヤで実際にあった自爆テロ事件を基にしている。全然違う話には作り変えてあるけれども。
3姉妹の話なんですね、その関係性がリアルで面白い。女の女に対する嫉妬心みたいなのを、赤裸々に書く人なので。それから、トランスジェンダーの人が出てきて、大きな役割を果たすんですね。
インタンさんはフェミニズムの活動をすごく積極的にされてらっしゃるから、フェミニズムは常に大きなテーマだと思いますね。
━━訳すのにはどのぐらいの時間がかかるんですか?
ものによりますよね。日本語からインドネシア語の場合は、すごくざっくりですけど、1カ月100ページぐらい。見直しに結構時間がかかって、1カ月か2カ月。600ページあったら6カ月プラス2カ月、みたいな感じで、出版社には「8カ月ください」、そういう計算でやってます。
インドネシア語から日本語の方は、よくわからないですね。『美は傷』とか『彷徨』は勢いで訳したんで、3カ月ぐらいで最後まで行くけれども、その後の見直しに結構時間がかかるので、やっぱり半年ぐらいはかかる感じかな。
歴史の見直し、地方の文学
━━今のインドネシア文学の傾向はどうでしょう。
私はあまり広く系統的に見ている方ではなくて、面白そうだと思ったらつまみ食い、みたいにして読むので、全体的な傾向とかわからないですけど。『ミーアヤム』の原作なんかはすごく売れてて、ベストセラーになってて。そんな風に、何か癒しがあるとか、インスピレーションがかきたてられるとか、励ましがある、そういう、精神的に何か救われる要素のあるのが求められているんじゃないかな、とは思いますね。
━━日本に似たストレス社会になりかけている。
そう、インドネシアもだんだんそんな感じになってきているのかなって。若い人たちは、ですね。
あとは歴史を見直す、みたいなのも注目されていると思います。特に1965年とか(9.30事件)、98年の事件(スハルト政権崩壊前)なんかをめぐって、ですよね。
それからあとは、地方のものですね。ジャカルタ中心、ジャワ中心でなくて。例えばスラウェシに伝わっている「ラ・ガリゴ(La Galigo)」っていうのがありますね。オランダ植民地時代にその叙事詩の断片を採集していく歴史小説、そういうのを書いている人がいて、それもすごく面白かったですね。
━━確かに、インドネシアは地方にも豊かな文学の世界を持っていますね。
そうですね、各地にそれぞれの歴史があって。だから、これから、地方のことをテーマにした文学なんかももっと読んでいきたいなと思ってますね。

