Kucumbu Tubuh Indahku
巨匠ガリン・ヌグロホ監督が、果敢にもLGBT問題を真っ正面から取り上げた。LGBTハインドネシア社会では非常にセンシティブな問題。主人公は数々の悲劇に苦悩しながら、その時々の感情ト記憶を「素晴らしかった」と述懐する。
文・横山裕一
ガリン・ヌグロホ監督といえば、ストリートチルドレンの儚い運命を描いた作品「枕の上の葉(DAUN DI ATAS BANTAL/1998年)」で有名な名監督である。常にインドネシアの社会・歴史で重要な問題をテーマに作品を作り続けているが、19作目の今回は果敢にもLGBT(レズ、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)問題を真っ向からとりあげている。奇しくも4月17日に実施された大統領選挙では、LGBT問題も相手陣営への誹謗中傷の中でとりあげられるなど、インドネシア社会でも非常にセンシティブな問題である。同作品は選挙翌日から公開されているが、関係者はタイミングについて特に意図はないとしている。
物語は実在するインドネシア人の伝統舞踊家リアント氏(劇中名はジュノ)の幼少期からの体験を現在の本人が述懐する形式で進む。次々と彼の周りで起きる悲劇と数奇な体験が美しい映像と郷愁を感じさせるその時代の音楽で綴られていく。
ジュノの小学生時代から物語は始まる。ある日父親が「いつ戻るかわからないが我慢しろよ」と家を後にしてしまう。一人になったジュノはレンゲル舞踊を習っていた。レンゲル舞踊は中部ジャワ州バニュマスで始まったとされる伝統舞踊で、男性が化粧、女装をして竹のガムランに合わせて踊るのが特徴である(女性の踊り子もいる)。ある日ジュノは師匠の世話をする若い女性が弟子の若者を誘惑する現場を覗いてしまう。さらに、これを知った師匠が嫉妬に駆られ弟子を殺してしまうところを目の当たりにする。この事件を機に彼は叔母に引き取られるが、その村で新たな踊りの女性師匠から一線を越えた愛情をうけたことが発覚し、村の騒動となる。
その後ジュノは別の村の叔父の元へ行き、仕立ての修行を積むことになる。ある日、青年になったジュノの前に現れたのが衣装を作るため訪れた賭博拳闘士だった。精悍な面持ちに筋骨逞しい身体。いつしか二人は禁断の恋愛関係に落ちる。
追憶の合間に登場する現在のジュノは過去を振り返って苦悩し、自らを嘆く。
「どうしていつも俺は災いのもとなんだ!」
最初の師匠は殺人犯に、二番目の女性師匠も村を追いやられる。禁断の恋をした拳闘士も借金を返すための試合に敗れた上、借金の胴元に肩代わりとして自らの臓器を売ることになる。その後知り合ったレンゲル舞踊旅一座の座長とも三角関係となり……。
しかし、一方で正直な気持ちも吐露する。
「でも自分の肉体に歯止めをかけることはできないんだ、この体に染み付いた記憶は全て素晴らしいものだった!」
今回、LGBTをテーマにした理由として、ガリン・ヌグロホ監督は「この問題は文化の多様性の精神からも、国として議論すべきテーマである」と語っている。「全ての人間の肉体は人生の中で、社会、政治、文化、宗教に影響を受けながらトラウマを抱えている。肉体とは人生の物語なのである」とも話している。
2012年の保健省の推計では、インドネシアにゲイは約110万人いると発表されている。2011年の国連推計ではインドネシアのLGBTは300万人とされている。年々増加傾向にあると言われ、決して少なくない数字である。ジャカルタでもオープンカフェの店先に歌を唄って客からお小遣いをもらうゲイなど日常的に目にする。現在は州の規制でなくなったが、20年前には中央ジャカルタの大通り脇に夜になるとゲイが約100メートルにわたって並んでいたりもしていた(ちなみに日本は、民間機関の調べによるとLGBTは全人口の8%ともいわれている)。
インドネシアの9割近くを占めるイスラム教徒からみると、教義上「LGBTはあってはならないもの」であり、唯一イスラム法が施行されるアチェ州ではゲイに対して見せしめのムチ打ち刑を行うニュースもたまに目にする。しかし、現実問題としてLGBTの中の多くはイスラム教徒も含まれているはずで、どこかで解決策を見いだす必要がある。自らのたどった数々の悲劇に苦悩しながらも、その時々の感情、記憶を「素晴らしかった」と述懐するジュノ。監督はここにLGBTの人間としてのアイデンティティを見出し、この作品を将来の議論のテーマとして提供している。
重くなりがちなテーマで劇中も悲劇が続くが、一貫して平常心で見ることができるのは、ジャワの田舎の風景など美しい映像と、郷愁を誘う音楽がうまくかみ合っていたからかもしれない。巨匠のなせる技だろう。また、ジュノの父親がいなくなった理由が、コニュニスト(共産主義者)だったからだと途中で明かされている。インドネシア最大の事件といわれる、クーデター事件を契機に起きた共産主義者の大量虐殺事件(1965年)。いまだ謎が多く解明すべき事件を、さりげなく時代に合わせて入れ込んでいるのもガリン・ヌグロホ監督ならではである。
余談ながら、本作品の元となった伝統舞踊家リアント氏は日本人の女流舞踊家と結婚し、現在は東京に在住。ダンスカンパニーを立ち上げジャワダンスや文化を教える傍ら、オーストラリアやドイツで公演するなど世界を股にかけた活躍を続けている。報道によると彼自身も今作品のできは満足しており、「ひとつの体に男性的、女性的な両方を抱えたジェンダー問題を代弁している」とコメントしている。
村を転々とするジュノ。その度に彼は小さなカバンとともに、彼の名前の由来となったワヤン(ジャワの伝統影絵芝居)の登場人物(アルジュナ)の人形と古いカセットテープレコーダーを抱えていく。これらが彼のアイデンティティであるかのようにも見えてくる。ラストシーンで彼がトラックの荷台でカセットテープをレコーダーにかけてスイッチをいれて幕は閉じる。あなたはレコーダーから流れる音楽が悲しく聞こえるだろうか、それとも希望に満ちて聞こえるだろうか。