文と写真・鍋山俊雄
スラウェシ島には6つの州があり、そのうちの5つは北、南、西、中部、南東と、方角を表す名称だ。1つだけ独自の名前を持つ州がある。ゴロンタロ州だ。
オランダ占領前からゴロンタロ人が居住し、王国があった地域だ。インドネシア独立時に北スラウェシ州に編入されたが、キリスト教徒が大半の北スラウェシ州とは、人種も文化も宗教も異なる(北スラウェシ州はミナハサ人)。東部インドネシアにおけるイスラムの中心地で、住民の大半がムスリムであったことから、2000年に、「ゴロンタロ州」として北スラウェシ州から分離した。

ゴロンタロ州にはいくつか、歴史遺跡である砦(benteng)がある。そのほかの観光スポットは探しあぐねていたのだが、オープントリップで知り合ったゴロンタロ在住のインドネシア人トラベラーに聞いたところ、ゴロンタロの街から1時間ぐらいのオレレ(Olele)という所に、地元民が行くシュノーケリングのベストスポットがある、と教えてくれた。北側にもゴロンタロ州の旅行記事で「ゴロンタロのモルジブ(?)」とうたわれる、サロンデ島という興味深い場所のあることがわかった。
ゴロンタロへは、ジャカルタから直行か、マカッサル経由になる。時間はジャカルタから1時間マイナス。このため、午前2時にジャカルタ発で、午前6時ごろにはゴロンタロに到着する。

事前に予約していたレンタカーに乗って、ホテル・チェックインまでの時間、ゴロンタロの街を一巡りしてみた。
ゴロンタロの観光場所を探していた時にひっかかったのが「ゴロンタロのエッフェル塔」という塔だ(本当の名称は「Limboto Tower」)。空港から街に向かう途中、周囲にあまり高い建物がない道を車でしばらく走っていると、突然、それは目の前に現れる。なんと、4本の足が交差点にまたがる形でそびえ立っているのだ。高さは65メートルほどで、2001年に建てられたらしい。塔を登る階段があるが、残念ながら、この時は改修工事中だった。後にロンボク島でも似たような塔が建築されていて驚いたが、最近の流行りなのだろうか?


ホテルに荷物を置いた後、街巡りに出かけた。まずは、当地の名産らしい「サテ・ツナ」を食べられる所に連れて行ってもらった。通常、サテ(sate=串焼き)と言えば、鶏やヤギだが、ここではツナ、つまりマグロの串焼きなのだ。港に近い入り江沿いのレストランで、初めて味わってみた。
直火での串焼きは、一見、ツナとはわからないが、ひとかじりしてみると、確かにまぐろの味だ。直火であぶっていて、中まで火が通っているのだが、パサパサになる手前のしっとりした食感。これを熱々の状態で食べるので、うまい。やみつきになる味だった。

食後は海の風景を楽しむべく、海岸の高台にあるモスク(Mesjid Ealima Emas)に登ってみた。眼下にはドゥランガ海岸(Dulanga Beach)が広がる。ゴロンタロの南側の海はスラウェシの内海側になる。「K」の形をしたスラウェシの内側にあるリゾートとして有名なトゲアン諸島(Togean)は、このゴロンタロからフェリーで一晩の距離だ。


次に、ゴロンタロにある一つ目の砦の「オタナハ(Otanaha)砦」に行ってみた。
インドネシアに砦は多数あるが、よく見かけるのは市街地にある軍事施設か、ポルトガルやオランダが外敵に対する海洋防御のために、海を望む高台に建造した物だ。しかしながら、このオタナハ砦は内陸側の、リンボト湖(Danau Limbotto)を望む高台にある。なぜ内陸側にあるのかというのが疑問だった。
実は、この砦の建造時期は古く、1522年。オランダ東インド会社のインドネシア到来よりも前の時代になる。そのころ、スラウェシにはポルトガルが来訪し始めていたようだが、この砦はポルトガルではなく、ゴロンタロ王国が建造した物だそうだ。ほかの部族との内戦の時に王族が匿われていた、という話も残っているようだ。だから海ではなく、内陸に向かって建造されたのだろうか。
砦はリンボト湖を一望できる小高い丘の上に1カ所、そこから一段下がった所にもう1カ所。円形型で、砲台の穴が残っている。


翌2日目は、街から車で小一時間、海岸に沿って東へと向かう。オレレ(Taman Laut Olele)でのシュノーケリングの1日ツアーだ。
海岸に着いた時はあいにくの曇り空だった。朝早くだからか観光客も少なく、貸し切りのような状態で、グラスボートで出発。2カ所のシュノーケリング・スポットに向かった。

最初のスポットに潜ってみて、サンゴと魚影の濃さにびっくりした。餌を撒くとスズメダイ(Damselfish)が寄って来て、囲まれてしまった。


2カ所目はドロップオフの近くだ。ガイドたちと一緒に数メートル素潜りして「Olele」の看板を掲げて写真撮影した。

残念ながら雨が降ってきたのでシュノーケリングは切り上げ、砂浜の民家で昼食を食べた後、ゴロンタロの街に戻った。帰路、前日にサテ・ツナを食べたレストランに再び立ち寄り、サテ・ツナを持ち帰りで購入して、ホテルに戻ってからつまんだ。
3日目は、早朝から車で出発した。広がる草原と小さな村々を抜けて北上する。カンダン(Kwandang)港まで向かい、そこからサロンデ島に渡る予定だ。道すがら見つけた小さな食堂で、お隣の北スラウェシ州の州都マナドの家庭料理の一つ、「マナド風お粥(bubur Manado)」を朝食に食べた。

その後、ゴロンタロのもう1つの砦、オレンジ砦(Benteng Orantje)に立ち寄る。こちらは、海の見える小高い丘に立つ砦で、15〜16世紀にポルトガルが建造した物らしい。このころから、スラウェシ島からマルク地域にかけては、欧米列強が香料収奪のための陣取り合戦をしており、この砦もポルトガルによって建造された後、オランダに取られている。
ここには入口の鍵を開けてくれた管理人と思しき人以外、誰もいない。周囲は、森とその先には海が広がるだけだ。静まり返った中でセレベス海を望む高台からの風景は、建造当時から、あまり変わってないのかもしれない。

サロンデ島はカンダン港から20分ほど小舟で行った所にある。周囲を白砂のビーチで囲まれた小さな島だ。10分少々でぐるっと回れるようなサイズの島に、コテージのリゾートがぽつぽつとある。海とビーチの美しさから、ゴロンタロの「隠れたモルジブ」とした紹介記事を読んだことがある。
昼前に到着した時はちょうど満潮で、遠浅の白砂ビーチに青い空と海のコントラストが素晴らしかった。ゴロンタロの街から日帰りでも来られるような距離に、このように静かで美しい島があるのは驚きだ。




満潮時の海は、膝から腰ぐらいまでの深さが海岸から沖合100メートルほど続き、浅瀬が終わると、徐々にサンゴ礁が広がっている。絶好のシュノーケリング・スポットだ。


昼過ぎにいったん潮が引くと、島の反対側では、仕掛けた網で漁師が魚を獲っているのが見られた。午後は再び潮が満ちてきて、シュノーケリングが楽しめる。


コテージの数が限られているので、昼過ぎから日帰り客が来て、多少にぎやかになるが、夕方にはまた人がまばらになる。夕陽を眺めながら、リゾートの簡素なレストランで、シーフード・バーベキューを楽しめる。



翌朝は10時ごろに島を出発し、一路、ゴロンタロの空港へ向かった。渋滞もない道中は快適で、予定通り、午後2時ごろ発の飛行機に乗り込み、ジャカルタに戻った。
あまりなじみのないゴロンタロ州だったが、このサロンデ島の美しさは特筆すべき。テレビも無い島で(陸地に近いので、携帯は通じる)、のんびりできる。
ゴロンタロ州では最近、南側に「愛の島」(Pulau Cinta)というコテージ・リゾートが出来て、インドネシアのトラベラーの間で有名になりつつある。こちらも、「ゴロンタロのモルジブ」らしい。ゴロンタロ州は横に細長く、「愛の島」は空港から遠方にあるため、料金も高めなようだ。
今後、ゴロンタロには新しい「モルジブ」が増えていくのか注目したい。
