文と写真・鍋山俊雄
カリマンタン島の最後は北カリマンタン州。ここは2012年10月に東カリマンタン州から分かれて34番目の州となった、インドネシアで最も新しい州。
カリマンタン島は、またの名をボルネオ島というが、これは、カリマンタン島北部にあるブルネイ・ダルサラーム王国のブルネイから来ているとの説がある。北カリマンタン州の北側はマレーシアとの国境線になっており、そのブルネイとも近い。
この州を新設した背景には、マレーシアとの過去の領有権紛争がある。国境付近にあるシダパン島とリギタン島の領有権に関して両国は争っており、「広大な東カリマンタン州を南北に分割して、国境管理を強化する」というインドネシア政府の意図があったらしい。
私が北カリマンタン州に初めて行ったのは、州都タンジュンセロール近郊にあるアブラヤシのプランテーションを仕事で訪問した時だ。パーム油は日本ではあまりなじみがないかもしれないが、アブラヤシの果実から採れる食用油のほか、マーガリンや石けんの原料、また、発電燃料にも使われている。インドネシアはマレーシアと並び、パーム油の世界的な産出国なのである。
北カリマンタンの玄関口となるハブ空港はタラカン島にある。タラカン島は、オランダ占領時代から石油採掘地として発達し、太平洋戦争時には日本軍の重要標的となり、連合軍との間で激しい戦闘が行われた。州都のタンジュンセロールは、タラカンからスピードボートで大体2時間弱。海を渡って、河口からカリマンタン島の内陸に入った所にある。
資源の豊富なカリマンタン島は、飛行機から眺めるとよくわかるのだが、熱帯雨林に覆われた大地の所々に地表が露出して谷が出来ているのが、石炭の露天掘炭鉱。そして、大きな水田のように、区画に区切られているのが、アブラヤシのプランテーションだ。
仕事が終わり、タラカンの空港からジャカルタに帰る際、北カリマンタン州の観光情報を探していたところ、タラカン・シティーツアーの案内を見つけた。タラカン島内の文化、歴史、自然スポットを1日で回るツアーだ。早朝にジャカルタを出るタラカン直行便(飛行時間約2時間半)に乗れば、日帰りで参加できそうだ。日を改めて、このツアーに参加してみた。
当日は、ガイド兼運転手が午前8時半に空港まで迎えに来てくれていた。早速、空港を出発した。まず向かったのは、空港近くのマングローブ林の保全地域だ。野生のテングザルが見られるそうだ。マングローブ林を巡る公園は、下が湿地なのと、マングローブの根を踏まないように、高床で通路が作られている。その通路を散策しながら、赤や青の鮮やかなカニが泥を盛り上げて作った巣穴を見学し、テングザルのえさ場で一休みした。置かれたバナナを食べながら、のんびりくつろいでいるテングザルを刺激しないように、静かに眺めた。
次に向かったのは、北カリマンタン土着のティドゥン人(Suku Tidung)の伝統家屋、ルマ・バロイ(Rumah Baloy)を展示した博物館だ。ティドゥン人はダヤクとは違う種族で、イスラムを信仰していたティドゥン王国の末裔だ。ダヤク人とは友好関係を保っていたらしい。
家の形は、ダヤクのロングハウスとは異なるが、高床式のデザインはダヤクの影響を受けているとのことだ。伝統家屋の天井には、龍をあしらった民族のシンボル画が掲げてあり、中国の影響を受けているようにも見える。
インドネシア独立75周年を記念して今年発行された7万5000ルピア札の裏面には民族衣装を着た子供9人が描かれている。その中の一人(右から5番目)の民族衣装は、このティドゥン人の伝統衣装だそうだ。
昼食は、街中にある、ジョコ・ウィドド大統領も訪れたというシーフードレストラン「ワルン・テラス(Warung Teras)」で、おいしいシーフードをいただいた。
次に、タラカンの街中にある「丸い家の博物館(Rumah Bundar Museum)」を訪問した。かまぼこ型の建物は、20世紀初めのオランダ占領時代にオランダによって建てられた。当時はオランダ人の役人の宿舎だったが、戦後、一部は博物館、そのほかは普通の住宅として使われている。
その後、元々のツアーコースには入っていないのだが、私が日本人ということで、街中にある日本人共同墓碑に連れて行ってくれた。普通の民家が連なる街中の小高い丘になった場所、階段を登った一角に、日本人共同墓碑があった。文化遺跡として保存されているという。
説明書きによると、1936年当時、タラカンには33人の日本人が住んでいた。軍人のほか、漁師や大工もいたという。亡くなった人々が、この共同墓地に埋葬されている。軍人以外にも、遠く祖国を離れて当地に溶け込んでいた日本人がいたことに思いを馳せ、照りつける南国の日差しの下、手を合わせた。
その後は、島の東部のビナラトゥン(Binalatung)海岸へと向かった。干潮のビーチに、人は多くなかった。セレベス湾に面した海岸から見る、海の向こうはフィリピンだ。
ジャカルタに住んでいると、インドネシアの地図の中心をジャカルタに置いて見がちだ。しかし、このようにジャカルタより遠方に来れば、地図上の眺めは随分と変わってくる。ここからだと、フィリピンのミンダナオ島の方が、ジャカルタよりもはるかに近いのだ。
次は、この地を石油採掘のために占領していたオランダが、石油積み出し港および周囲の防衛のために建設した倉庫、海上偵察用の塹壕(ざんごう)、そして、3台の砲撃台が残っているプニンキ・ラマ(Peningki Lama)を見学した。
きれいに草が刈り込まれた斜面に砲撃台が残っている。坂を少し登って丘の上に行くと、コンクリートの屋根と地面の間から、眼下に広がる南方向の海路と港を見渡せる塹壕がある。2カ所しか見つけられなかったが、全部で4カ所の塹壕があるとのことだ。丘のふもとには、倉庫に使われていたコンクリート造りの建物が残っていた。
タラカン島の道路を走っていると、ほかの島ではあまり見ない光景に出くわす。島のあちこちで、まるで道路工事をしているかのように、何かを掘っているのだ。石油掘削設備らしい。20世紀に入る直前、オランダの石油会社(ロイヤル・ダッチ・シェルの前身)が、タラカン島で石油を発見し、採掘作業のために多くの労働者がジャワ島から連れて来られたという。マレーシアの国境にも近いこのタラカン島は、石油採掘を経て、こうして早くから発達している。
なぜ、早くから発達して空港や港も整備されたこのタラカンが州都にならず、内陸のタンジュンセロールが州都になったのか? いくつかの新聞記事によれば、タラカンを州都にすると、北カリマンタン州の全ての開発事業がタラカン島に集中してしまうため、一極集中を避け、他地域の開発を促すために、タラカンを州都にしなかったようだ。
ガイドにも聞いたのだが、北カリマンタンで、タラカン以外の観光開発は、アクセスも含めてまだあまり進んでいないという。彼らの旅行会社の主要ツアーの一つは、タラカンからスピードボートで3時間ほど南に下ったところにある、東カリマンタン州との境にあるデラワン諸島へのツアーだ。
このタラカン島からさらに北上すると、文字通りマレーシア国境に面したヌヌカン島という島があり、タラカンからプロペラ便が出ている。「国境の島」ということで、「端っこ好き」の私としては興味が湧く。またの機会としておこう。