新しいことは案外、何気ないことから始まる

 新型コロナウイルスのおかげで、今年2月以降、我がアートギャラリーに観光客が来なくなり、旅行にも行けず、それでもウイルスが終息するまで感染を防ぎながら過ごしているうちに何とかなるのだろうと思って、家でのらりくらりと過ごしていた。元々のらりくらりと暮らしているので生活にさほど大きな変化はなかった。5月末の断食明けを機に、今までの自主規制ムードが一気に緩み、人々の感染防止対策もどんどん緩み、感染者は徐々に増え始め、これは自分が思っていたよりも長引きそうで厄介だな、と思うようになってきた。

 ジョグジャカルタの芸術大学に通う娘は、あとは卒業制作と発表の展覧会を残すのみで、そのための作品制作をしていたところだった。卒業後の仕事も決まっていた。ところがこの新型ウイルスのおかげですべて延期となり、目標を失ってしまってすっかりやる気をなくし、毎日家でだらだらと過ごしていた。楽しみと言えば、時々作るちょっと凝った料理やお菓子だった。

 ある日、そういえば昔もらったたこ焼きの型があったな、と思い出し、戸棚の隅から引っ張り出して、焼いてみた。鉄製だったので生地が全部型にくっついて焦げてしまって、短気な私はすぐに嫌になって焼くのをやめてしまったのだが、娘が残りの生地をきれいに焼いていた。おいしいおいしいと言って食べながら、娘がぽつりと「たこ焼き売ろうかな」と言った。コロナ禍での生活が本当の意味で一変したのはこの一言からだった。

 インドネシアに住み始めてからいろいろと売ったり買ったりはしているが、常々、飲食業だけはするまいと思っていた。体力も根気もない、お金や在庫、衛生の管理が面倒、飽きっぽい、気分にムラがあり過ぎる、気が向いた時にしか働きたくない。つまり向いていない。今までのいくつかの人生の岐路において選択肢に挙がったこともなかった。料理は好きだが、自分の気が向いた時だけ好きなものを作るから楽しい。私は常に食べる側の人でいたかった。

 今まではアートギャラリーを営み、自分もアーティストの端くれとして時々海外にも出て行くという生活を楽しんでいたが、ほとんどのアート活動はいまだ白紙のままで来年もどうなるかわからない。でももうこれ以上、人や物やお金の流れを滞らせ続けているのはよくない。ウイルス終息を消極的に待っているだけでは何も動かない。そろそろ違う道も模索しようという矢先のたこ焼き屋。何か新しいことというのは、案外、偶然の一致や、取るに足りない何気ないことから始まるものだ。娘の一言で、ちょっと悩んだが、いいかも、どうせ暇だし一緒にやってみよう、と思った。たかが小さな屋台だとしても、新しいプロジェクトを始めるというのはなかなか刺激的なことだ。

石井泰美、完成したたこ焼き
完成したたこ焼き

 たこ焼きは、すでにだいぶ前からインドネシア各地で売られていて、あの「築地銀だこ」も進出している。TAKOYAKIという名前は地方でも浸透していて、インドネシア人の口に合うことは立証済み。まったく知られていない料理を一から認知してもらうよりはリスクが少ないだろう。

 ただし、ボロブドゥールという土地はなにしろ外食産業後進地で、世界遺産がある有名な観光地のわりには名物料理やグルメが喜びそうなものがほとんど何もない。観光客が訪れる繁忙期が短く、閑散期が長く、ボロブドゥールに宿泊する客がまだまだ少ないので、ビジネスとして成り立たない上に、この地域の地元民の舌はかなり保守的で、変わったものを好まないこと、経済的に余裕のない人は味よりも値段を優先すること、経済的に余裕のある人は車でジョグジャなどの町に気軽に出て行ける距離だということなどが、ここで外食産業が栄えない理由だと思っている。そんな土地柄で果たしてたこ焼きというものが売れるのだろうか、という不安があって、お客さんが来なくて閑古鳥が鳴いていたらかっこ悪いなあ、なんてことを考えたりしていた。

初めてたこ焼きを見る村の子供たち

Kacang MerahでKAME焼き

 甘いもの好きのジャワ人のために、たこ焼き以外のメニューもあった方がいいということになって、今までいろいろ作った中で特に焼くのが楽しかった今川焼きをメニューに加えることにした。甘さ控えめで油を使わないお菓子。甘さと油たっぷりおやつ大好きジャワ人への挑戦だ。

 呼び名が今川焼き、大判焼き、回転焼き、御座候など、どれもローマ字にすると長ったらしくてインドネシア人には覚えにくく、何かキャッチーな呼び名があったらいいなあと思っていたら、夫がKAMEYAKIはどうだ?と言ってきた。小豆はインドネシア語でKacang Merahなので、略してKAME、なかなかいいネーミングではないか。ということで、以降、うちでは今川焼きをKAMEYAKIと呼ぶこととなった。

石井泰美、かめ焼き
かめ焼きのラッピング。外からは何のあんか見分けがつかないので、紙の印刷で色分けした。
アートギャラリーのロゴのゾウを使用。カメだけどゾウ

 たこ焼きは娘に任せ、かめ焼きは私が担当。SNSで見せびらかしていた時にほめてくれる人がたくさんいたおかげで、調子に乗って売ろうと思ったまではいいが、売り物としてはなかなか満足いくものにならず、焼いては反省、また焼いては反省の毎日だ。うまく焼けない日は頭を抱えて落ち込み苛立ち、うまく焼けた日は気分も晴れ晴れだがまた翌日壁にぶつかるという繰り返し。気温や湿度によって生地の状態が結構変わるので微調整が必要だ。同じものを毎日焼くというのはなかなか難しい。

 こんな素人仕事ではあるが、今川焼きを知らない人に、これが日本で昔から親しまれているお菓子だよ、と言って食べてもらうからには、知らないんだからまあいいか、と妥協をせず、インドネシア人が食べても日本人が食べてもおいしいと言ってもらえるようなものを胸を張って勧めたい、という気持ちで毎日焼いている。

試作を繰り返していた時の、カスタードクリーム、小豆あん、紫芋あん
試作を繰り返していた時の、カスタードクリーム、小豆あん、紫芋あん

 小豆のあんがジャワでどのくらい好まれるか不安があり、緑豆あんも作ることにする。チョコレート、バナナ、ドリアンなどいろいろな案も出たが、それではマルタバ・マニス(Martabak Manis)になってしまうので、緑豆以上は譲らないで、日本式を貫くことにした。開店当初は緑豆が人気だったが、徐々に小豆あんのおいしさが浸透してきて、今では小豆の方が売れている。甘い物好きのジャワ人が「甘過ぎなくていい」と言っているのも面白い。

ニュー・ゴトンロヨン

 試験的にオンラインでオーダーを受けるようになって目の当たりにしたのが、若い人たちのSNSでの情報発信力、拡散力だ。まず初めに買ってくれたのは娘の幼なじみや同窓生などで、そこまではまあ想定内。開店時のご祝儀のようなものだろうとたかをくくっていたのだが、その友人たちがSNSでレビューを発信し始めると、今度は彼らのフォロワーたちが注文してくれるようになり、フォロワーのフォロワーたちが発信するころには、娘の直接の知り合い以外の知らない人の注文が増えていった。

 また同時に、同じようにいろいろな物をオンラインで売っている友人たちの商品を娘がせっせと買い、娘もその商品のレビューをSNSで発信し始めた。なるほど、これが今のゴトンロヨン(相互扶助)のカタチなのだ。若者の気軽で無邪気で高速なライブ感あふれる発信には戸惑いを覚えながらも、大いに学び助けられることになった。(つづく)

時々、どら焼きも作る
時々、どら焼きも作る

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