屋台開店!

 こうして第1段階はまずまずの滑り出し、次は実店舗開店の準備である。インドネシア式のクラシックな屋台の方が日本の屋台らしさにマッチすると思ったので、専門の職人にカスタムオーダーすることにした。出来上がりが待ち遠しい。しかし、死に体の観光地で生き残るために飲食屋台を開こうという同じような人たちのオーダーが殺到していて、3週間も待たされることとなった。

石井泰美、軽量なアルミ製の屋台にペンキで色をつける
軽量なアルミ製の屋台にペンキで色をつける

 アルミ製の屋台が出来上がり、最近の主流であるデジタルプリントは敢えて使わずに、自分たちで仕上げのペイントと装飾をする。地元の人が読めないのをいいことに、まったく関係ない贔屓(ひいき)の力士の名前もこっそり書いてみた。提灯と暖簾(のれん)を掛けたらぐっと屋台らしくなった。いよいよ開店である。

 いざ開店すると、娘の大学の友達がジョグジャから駆け付けて屋台を手伝って盛り上げてくれた。若者が集まると活気が生まれ、そこにまた人が集まってくる相乗効果で初日はまずまず。お客さんが来ないのではないかという心配は取り越し苦労に終わった。そして徐々にオンラインとは異なる実店舗のお客さんも増え、うれしいことに、リピーターや、ジョグジャ、マゲランなど他の町からわざわざ来てくれるお客さんも多くなった。フードデリバリーアプリの注文も受けることになった。

石井泰美、たこ焼き屋台

 だらだらと楽な暮らしを長年続けていたツケで、慣れない肉体労働に体が悲鳴を上げて、最初のころは本当にきつかったが、徐々に慣れて楽しめるようになってきた。曜日なんてまったく気にしない自由な生活から、定休日を楽しみに働く新しい生活のリズムが出来てきた。

 今いるメンバーでの仕事量に限界が見えてきたので、そろそろ人を増やし、店舗を拡張して形を変えながら進めていく段階に来ている。裏庭に、使っていないガゼボ(東屋)があったので、解体して表に移動、現在工事中である。新メニューもいろいろと考えている。このめまぐるしいロールプレイングゲームのような展開はまだまだ私を飽きさせない。

たこ焼き屋流感染予防対策

 お客さんが増えてきてうれしい一方で、新型ウイルス感染予防対策をいま一度見直し、気を引き締めなければならないと思うようになった。ボロブドゥールでも感染者が後を絶たないのだが、自分が健康ならマスクは必要ないと思っている人が多く、握手を拒んだり、マスク着用を促したりすると聞き入れてもらえなかったり気を悪くする人もいて、健康プロトコルがなかなか浸透しにくい。なるべく自発的にマスクを着けて来てもらえるように、たこ焼きのキャラクターを使って、いろいろなステッカーなどを作ってみている。

石井泰美、たこ焼き屋のキャラクターで作った感染予防対策ステッカー
たこ焼き屋のキャラクターで作った感染予防対策ステッカー

 ボロブドゥールの観光産業は他の観光地同様、青息吐息なのだが、最近、うちと同様に食べ物を工夫して売る屋台が増えた。村には青空フードコートが出来たりして、みんな頑張っている。この土地に、コロナのおかげで屋台群が生まれ、にわかに活気づいているのは皮肉なものだ。

 そして、毎日かめ焼きを焼いたり接客に追われていると、コロナ以降、あんなにやる気が出なかったアートワークの方も、アイデアがするすると湧いてきて、描きたい意欲満々になってくるのも不思議なものだ。新型コロナの件に限らず、ものごとには必ず良い面と悪い面両方があるものだ。先の見えない今のこの状況でも、今できることをやっていればおのずと先が開けてくるだろう。

石井泰美、屋台から見える夕日と、夕日を浴びる屋台
屋台から見える夕日と、夕日を浴びる屋台

祖母の「へそ饅頭」

 最近よく思い出すのは、私の祖母が満州にいたころの話。終戦後、多くの日本人が引き揚げたが、中国語が話せる祖父は帰国を許されず居残り組となった。徐々に生活が困窮していった時に、祖母は手に入れた小豆を煮て、「へそ饅頭」という饅頭を作って中国人に売っていたそうだ。大人気で、売り切れてはまた作ったと言っていた。豊かだった時代から中国人と親しい関係を築いていたおかげで、終戦後の動乱の時にも中国人にいろいろと助けられて生き延びたのだと言う。戦後と今とでは状況は比べものにならないが、血筋なのか、なんとなく同じようなことをやっているなあと、亡くなった祖母に励まされる思いだ。

 去年の9月は、日本に帰省して相撲を観て、おいしいものを満喫していた。そんな自分が、「来年の今ごろはたこ焼きの屋台を開いて、かめ焼きというものを焼いているよ」と言われたとしても、とても信じられなかっただろう。そして今から1年後の私の生活がどうなっているのかもまったく想像がつかない。かねてより先が見えない生き方は自分の望んだ選択ではあったが、さすがにこれは見えないにも程がある。1年どころか1カ月先のこともわからない。この先ずっとこれを続けていくのか、状況が変わって元の生活に戻るのか、また違うことを始めるのか、そしてどこにいるのか。どうであれ、1年後、また自分の近況を笑って話せているといいな、と思う。

 
石井泰美(いしい・やすみ)
東京の美大を卒業後、メーカーや広告代理店でグラフィックデザイナーとして勤務。1995年から中部ジャワ州ボロブドゥールに定住。アートギャラリー「Limanjawi Art House」(IG@limanjawiarthouse)を経営。

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