文と写真・鍋山俊雄
北マルク州の玄関口となる空港のあるテルナテ島の真横にあり、大きさもほぼ同じ、ティドレ島。テルナテの空港に着陸する時に見える、円錐型の山を中心として麓に街が広がる様子もよく似ている。

このティドレ島はテルナテ島と隣り合い、それぞれの王国がライバル関係だった歴史を持つ。この島にもいくつかの要塞(Benteng)跡がある。
ティドレ島には空港がないので、テルナテ島からスピードボートで海を渡って行く。ティドレ島の砦巡りをすべく、週末弾丸旅行で行くことにした。
テルナテに向かう便は金曜深夜ジャカルタ発。土曜午前6時過ぎにテルナテの空港に到着した。ホテルで荷物を預け、ティドレ島に向かうボートはどの港から出るか、料金や頻度、そしてティドレ島でのオジェック(バイクタクシー)料金の相場などの情報をフロントに聞いて教えてもらった。
ティドレ島へのスピードボートはホテルからすぐ近くのバスティオン(Bastiong)港から出て、乗船時間は15分ぐらい。乗り合いで1人1万ルピア。停まっている船に乗って待ち、乗客が10人近くなったら出発する。一人でチャーターするなら10万ルピア(10人分)を払えばできるだろうとフロントで言われたが、港に行って一番手前のボートに乗ると、すぐに乗客でいっぱいになり、10分も待たずに出発した。


海は穏やかで、あまり揺れることもなく進む。乗客は、買い物品を抱えたおばさんたちで、まさに乗り合いバスと同じだ。中には、バイクを乗せられる船もある。天井にズラリとバイクの固定された船が入って来た。乗客たちは、手際良く降ろされたバイクに乗って、島に上がっていく。


外国人はまったくいない中で、オジェックをつかまえて、交渉開始。目的地は、港から島をちょうど半周した所にある。そこまで送ってもらって、またそこでオジェックを探しても良かったが、1周すれば50分ぐらいということで、「おしゃべりがてらの案内付き」で、島1周20万ルピアでチャーターした。

青空の下、バイクの後ろに座って、舗装路をするすると走っていく。ジャカルタの渋滞と排気ガスの中でオジェックに乗ったことはないが、旅先の地方であれば、オジェックが唯一の交通手段という所もあるし、時々乗るが、実に気持ちがいい。
30分弱、一本道をずっと走る。島の東側のソアシオ(Soasio)村にあるタフラ要塞(Benteng Tahula)に到着した。説明によれば、この砦はスペイン統治時代の1615年に建造された。一時は50人のスペイン軍が駐留していたが、その後、オランダとの戦いにスペインが破れたため、フィリピンへと移って行った。オランダは当時のティドレ国王に要塞の解体を命じたが、国王は王宮として使うために維持したいと希望し、この要塞は解体を免れたとのことだ。




要塞はソアシオ村の西端にあり、頂上からは、海の向こう側に、ハルマヘラ島の稜線が見える。テルナテ島もティドレ島も、ハルマヘラ島に面した島の東側が発達している。ティドレ島東部はテルナテに比べると、もう少しこぢんまりした感じだ。要塞からは村が一望でき、ティドレ王宮やティドレ王国モスクも見える。王宮は残念ながら閉まっており、中に入ることはできなかった。






王宮の裏手にもう一つ、大きなトッレ要塞(Benteng Torre)がある。1578年、当時のティドレ国王が許可し、ポルトガル軍が建てたという。
テルナテは当初、ポルトガルと同盟を組み、ティドレの脅威になっていた。しかし、テルナテがポルトガルを追放した1570年以降、ポルトガルはティドレにこの要塞を建造した。城壁しか残っていないが、先ほどのタフラ要塞よりも高台にある。




ここでしばらく休憩。オジェック運転手によると、ティドレとテルナテは昔から争ってきた歴史があり、こんなに近いのにもかかわらず、言葉も違う。テルナテ語とティドレ語という別の言葉が話されている。しかし、今はもちろん、そういった敵対関係はなく、生活の必要上、ティドレの住民もよくテルナテに出かけるし、テルナテのガマラマ山が噴火した際には、多くのテルナテ島民がティドレに避難してきたそうだ。
ティドレ島には11世紀後半から王国があり、ジャワとの交流の中で、14世紀にはイスラム化した。16〜18世紀には、テルナテ王国と争いながら、対岸のハルマヘラ島南部から西パプアの一部にまで勢力を伸ばしたとされている。
16世紀初頭からは、ポルトガルと連携したテルナテに対抗して、ティドレ王国はスペインと同盟を結んだ。オランダがマルク地域を占領した後は、19世紀ごろまで何度かオランダと交戦している。オジェック運転手に聞いたところでは、オランダがこの島に侵攻して来た時、若い娘がオランダ人に連れ去られないようにと若いうちから結婚させたため、ティドレ島の島民のほとんどは親戚関係にあるとのことだった。
街中に墓があるヌク王(Sulutan Nuku、1797〜1805)統治時代には、テルナテやアンボンに拠点のあったオランダ東インド会社の統治に、ティドレから激しく抵抗した。ヌク王は、独立後のインドネシア政府から「国家英雄(Pahlawan Nasional)」の称号を与えられている。


バイクで再び、元の港に向かって、島の外周道路を出発した。

港の手前で、最後にルム要塞(Benteng Rum)の跡地を見た。海に切り立った崖の上にその跡があるというが、森に覆われており、そこへの道もない。「あの辺がそうだ」と言われて、眺めるだけだ。この砦だけ、先に見た二つと違って、テルナテ島に面したルム海岸にある。


約3時間のティドレ島1周ツアーを終えて、再びスピードボートでテルナテ島に戻った。
テルナテ島では、オランダ統治時代の1607年に建造されたオランエ要塞(Benteng Oranje)を見学した。ここはテルナテ王宮の近くに位置しており、テルナテ国王から同国の管轄する香辛料貿易の独占を許された、オランダ東インド会社のマルク地域統括本部が置かれていた。海沿いにあるほかの防御砦と異なり、城壁を巡らし長方形をした敷地は広く、今では一部が公園、一部が軍の管理施設になっている。



実質1日半の週末旅行では、自分好みの遺跡ばかりを巡ってしまった。しかし、遺跡以外にも、シュノーケリングが楽しめる美しい海や、 オランダがテルナテ王国の財宝を不法に取得し湖底に隠したとの言い伝えがある不思議な雰囲気の緑の湖、トリレ(Tolire)湖など、訪れたいスポットはまだまだある。



島の中心にあるガマラマ山が活火山であることから、北マルク州が分離された後の11年間ほどテルナテにあった北マルク州都は2010年、ソフィフィ(Sofifi)に移された。とはいえ、このテルナテ島とティドレ島が北マルク州の玄関口。自然と歴史遺跡の豊富さは、週末旅にお薦めだ。

大航海時代の香辛料貿易は、かつてマラッカ王国があったマレーシアや、このインドネシアのマルクがキースポットとなる。小さな島ではあるが、テルナテとティドレ両島は香料諸島の旅からは外せない。さらに、この香料諸島の旅は、舞台の中心であるバンダ諸島(マルク州)に行かないと、コンプリートしない。そんな魅力のあふれるバンダ諸島は次のマルク州の中でご紹介します。

