ジャカルタで趣味でバティックを作っていた私には賀集さんは先生でもあり、よい友人でした。
バティックの事もたくさん教えていただいたし、配偶者が同じ中国系インドネシア人という共通点もあって家の話をしたり、実際にお会いするのは年に数回でしたがLINEでよく連絡をとっていました。
いつも工房で制作したバティックの写真や動画を送ってくれたので、私も自作したバティックや、ジャカルタで開催されるパメラン(展示会)の写真を送っていました。
パメランでは秀逸なバティックや変わったバティック、賀集さんの興味がありそうな物、それとペン子ちゃんを探しました。
パメラン会場にあったペン子ちゃんから、賀集さんのチャップバティックを作っているインドラマユのエディさんや賀集さんの義理の姪御さんとも会えました。
また数年前にプアン・マハラニさん(メガワティ元大統領の長女、現・国会議長)が「これ日本人が作っているバティック。知ってる?」と同行者とペン子ちゃんを沢山買っているところを見かけたので、ペン子ちゃんの小物をご愛用されているのかもしれません。
ある時、いつものようにJCCのパメランでバティックを見ていると、明らかに賀集さんの絵ではないペンギンがバティック制作している柄、ペン子ちゃんのバティック工程柄に似たモチーフのバティックを見つけました(下写真)。
その日帰ってから賀集さんに写真を送ると、欲しいと。
翌日まだ残っている事を願いながら朝一でJCCに向かい、目的のバティックを探しました。
実はこのバティックを売っていたのは、賀集さんのバティックの師匠でもあるカトゥラさんのお嬢さんのスシさん。当然、賀集さんの作品そっくりのデザインだとわかって売っているのです。
後日そのバティックを送ると凄く喜ばれて、作者に会ってみたいと賀集さん。多分みんな賀集さんが怒ると思っているので作者を聞けないと言ってました。賀集さんより周りの人の方が「酷い」と反応していたようです。
当の賀集さんは、偽ペン子のバティックを見て「いいバティック」と褒めていました。
そして別な作者のペンギンのバティックもあると写真(下)を送ってくれて、ペン子もどきのコレクションが増えたと嬉しそうでした。
せっかく考えたモチーフを真似されて嫌じゃないですかと聞くと、賀集さんはテキスタイルはほぼ模倣なんですよと。
そう答えられたのがとても印象に残っています。
その時に、バティックを作るペンギン柄が何年か後にチレボンのバティックの定番モチーフになったら面白いねって賀集さんと笑いました。
今、SNSを通じて賀集さんの描いた沢山のペン子ちゃん達を見る事が出来ます。
懐かしい物に出会えて賀集さんも喜んでいると思います。
画像から複製やコピーが出ても賀集さんは「しょうがないなぁ」と笑っていると思います。
これからもインドネシアにいないペンギンがモチーフのバティックが沢山出てきて欲しいです。
そしてそれが賀集由美子さんという日本人が始めたモチーフだと伝わって欲しいです。
ペン子ちゃんが永遠にチレボンに残っていきますように。
2021年7月29日 竹田有希