「彼はだれ」 インドネシアの歴史を描く巨匠初のミュージカル 【インドネシア映画倶楽部】第95回

「彼はだれ」 インドネシアの歴史を描く巨匠初のミュージカル 【インドネシア映画倶楽部】第95回

2025-09-03

Siapa Dia

植民地時代から現代に至るまで、それぞれの時代を生きたインドネシアの人々の姿を歌と踊りの舞台劇で描く。今を生きる人々も、社会の何が正しいかを見極めて声を上げ、人生を謳歌して時代を生き抜いてほしい、という監督のメッセージが伝わってくる。

文・横山裕一

 インドネシア独立80周年にあたって、インドネシアを代表する巨匠、ガリン・ヌグロホ監督が制作したのは、自身初挑戦のミュージカル。オランダ、日本による被支配者としての時代から独立後、そして現代に至るまでを歌と踊りで描く。時代ごとのメロドラマや悲劇を通して、インドネシアの現代に至るまでの歴史が浮かび上がってくる意欲作だ。

 物語は有名な役者でもあるラヤルが、これまでにない映画を作ろうと物語の題材を探すところから始まる。実家を訪れると、ラヤルはあるトランクバッグを見つける。そこには曽祖父から祖父、父に至るまでの日記やラブレター、写真などが詰まっていた。それらを読み進めるうちにラヤルはインスピレーションが広がり、3世代にわたる各時代で繰り広げられたさまざまなドラマを見出していく……。

 本作品の魅力は主人公ラヤルの曽祖父、祖父、父親が経験した恋愛、悲劇を通して、インドネシアの歴史が浮かび上がってくることだ。オランダ植民地時代から日本軍政期、独立後の9・30事件に伴う赤狩りやスハルト政権下で起きたプトゥルス(ミステリアス発砲事件)などで、歴史を辿ってインドネシアという国の歩みを再認識できる。またそれだけでなく、植民地支配に対する反発と独立機運、さまざまな事件における悲しみや恐怖など、その時代を生きた人々の感情も描かれているところが興味深く、歴史的事象の背景はどのような時代だったかが理解できる。その一方でどの時代であれ育まれる恋愛も描かれ、時代ごとに人々が人間らしく生きてきたことも窺える。

 さらに本作品が魅力的な点は、インドネシア映画の歴史もオマージュされている。植民地時代にオランダが持ち込んだ映画から始まって、日本軍政期のプロパガンダ映画、独立後にはインドネシア映画の父と呼ばれるウスマル・イスマイル、さらにはそれ以降の作品などがシーンやセリフ、舞台背景のポスターなどに散りばめられ、ガリン・ヌグロホ監督のインドネシア、そして映画界に向けた強い思いが伝わってくる。主人公の名前、ラヤル(Layar)自体、銀幕を意味する単語が使われているのもそうだ。

 主演は「チンタに何があったのか?」(「Ada Apa dengan Cinta?」、2002年作品、日本公開時タイトルは「ビューティフル・デイズ」)などで日本人にも馴染みのあるニコラス・サプトゥラ(Nicholas Saputra)。主人公ラヤルだけでなく、ラヤルの曽祖父から祖父、父親までの役を「舞台劇」内で演じ、本人初のミュージカルをこなす奮闘ぶりを見せている。ミュージカルとしてもその時代時代の曲が歌われるが、特に1980年代の貧富の差を反映したストリートチルドレンを演じる歌手、ディラ・スガンディ(Dira Sugandi)の熱唱は圧巻で見どころの一つでもある。

 また作品舞台としてオランダ植民地時代の建物が多く残っている、中ジャワ州スマランのコタラマ(Kota Lama)地区が多く登場する。往時の雰囲気が残るスマランタワン駅構内やオランダ時代の建物を縫うように巡る石畳の小路など、見ているだけで同地を訪れたくなる。作品ではジョグジャカルタもロケ地として登場する。

 作品タイトルは「彼はだれ」と鑑賞者に問いかけるような題名だ。作品内の主人公をはじめ各時代で喜び、悲しむ人々を指してもいるが、それぞれの時代を生きてきたインドネシア人そのものを表しているようだ。ひいては現代のインドネシアで生きる人々をも含めている。ガリン・ヌグロホ監督も上映会で「“彼”とは鑑賞者みんなのことです」と話している。歴史を通して、今生きる人々にも大いに恋をし、社会の何が正しいかを見極め声を上げ、人生を謳歌して時代を生き抜いてほしい、というのが同監督のメッセージでもあるように伝わってくる。

 派手な作品ではないが、各時代シーンで歴史的要素や人々の感情、歌、背景などさまざまな要素が数多く詰め込まれているため、一度鑑賞するともう一回観直したくなる作品でもある。是非、巨匠の新作を劇場で堪能していただきたい。

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横山 裕一(よこやま・ゆういち)元・東海テレビ報道部記者、1998〜2001年、FNNジャカルタ支局長。現在はジャカルタで取材コーディネーター。 横山 裕一(よ…
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