映画「カルティニ」(2017年、ディアン・サストロワルドヨ主演)を見た。

 カルティニの子供時代から始まり、婚前閉居(初潮後の女性は結婚するまで家を出ないというジャワ貴族の慣習)の間にオランダ語の書籍を読みふけり、閉居を解かれてオランダ人らと交流し「活躍」する姿、オランダ留学をめぐる攻防を経て、留学を断念し結婚に踏み切るまでを描く。

 映像は美しい。カルティニらが身に着けているバティックや壮麗な衣装、カルティニの住む館、馬車、ワヤン、ジュパラの木彫り、結婚の儀礼や踊りなど、「これでもか」とばかりに、ジャワ伝統芸術の結集を圧倒的な映像の力で見せつける。美しいのだが、重い。それは、古来から連綿と伝えられ築かれてきたジャワの伝統そのものを表す。カルティニを真綿のように包み込む重圧と息苦しさが、映像が美しければ美しいほど逆説的に、表現されている。

 ジャワの「合掌」や「跪拝(目上の人に対し、伏し拝んだり、立ち上がらずにすり足で近付く礼儀作法)」を現代で目にすることはないため、映像で実際に見ると衝撃的だ。部屋に閉じ込められる「婚前閉居」しかり、「一夫多妻(男性が側室を持つ)」という慣習、女性の地位の低さも、何の説明もなしでストレートに見る者に理解されるのは、映像の力にほかならない。

 婚前閉居中のカルティニに、「この世界から出たい?」と欧州留学に行く兄が渡したカギ。カギを開けて、本棚に収まっていたオランダ語の本のページをめくり、目で文字を追うカルティニの心は新しい世界に向かって大きく羽ばたく。カルティニの心象風景が映像化されているシーンは、感動的だ。

 「真上」や「上方」からのカットが多用されているのも印象的だ。「鳥の目」のアングル。この閉ざされた世界から飛び立ちたい、もっと大きな視点から世界を俯瞰したい、というカルティニの願いをカメラが代弁するかのようだ。

 「そうしたいかどうか、聞かないでください。そうすることを許してもらえるか、と聞いてください」というカルティニの言葉は、書簡にも出て来る言葉そのままだが、閉ざされた世界からの脱出が叶わないカルティニの心の叫びとして、胸を打つ。

 映像の美しさは満点と言えるが、人物描写が浅いのは残念だ。「善人」(カルティニ3姉妹、父、カルティニの結婚相手、カルティニをたたえるオランダ人など)、「悪人」(カルティニの名声を嫉む兄、正妻である義母など)の色分けもそうだが、カルティニを含めた人物の描き方が薄っぺらい。

 カルティニの生涯をあれこれ、かいつまんでなぞるだけで、「カルティニの生涯をどう解釈するか」というメッセージが伝わって来ない。結局、何が言いたかったのか?という宙ぶらりんの気持ちが残る。「昔は大変だった。カルティニはその中で、女性の地位向上のため、留学の夢破れつつ、頑張りました」ということでいいのか?

 カルティニはインドネシア人にとって、「インドネシア民族意識の誕生に貢献した国家英雄」、「女性の地位向上に尽くした、インドネシア人の母」的な存在だ(未婚時代が生涯の中心ではあるが)。ほとんど神聖視されているその実像はどうだったのか。映画はただ、ジャワの風景と物、カルティニの心象風景を美しい映像として描く。カルティニは、その美しい「風景」の一部である。

 インドネシア人にとっては「常識」であるためか割愛されている部分が、カルティニをまったく知らない人が見たら「わけがわからない」要素となるだろう。なぜカルティニ姉妹がオランダ語の書籍を読めたのか? なぜ、オランダ語をぺらぺらしゃべれるというだけで(と見える)、あんなにもオランダ人にもてはやされたのか? カルティニの功績とは、近所の女の子たちを集めて「寺小屋」を開いたことだけ? こうした「?」は、カルティニを知らない人が映画を見たら、当然、湧いてくる疑問のはずだ。

 カルティニの本当の功績とは何だったのか。映画を見て生じたモヤモヤを解消したい人には、時を経てもまったく色あせない名著、土屋健治『カルティニの風景』(めこん、1991年)をお薦めする。映画の浅さを深い考察で埋めてくれ、すっきりする。

 インドネシア民族意識の黎明期にあってナショナリズムの先駆者であった人、インドネシア人が共有する「風景」をオランダ語という新しい道具を用いて表現した人、それがカルティニだった。下記の名文を読んでいただきたい。

 「わたしどもの身体を流れ熱く息づいている血潮、ジャワ人の血潮は決して滅ぼすことはできないのです。花と香り、ガメランの調べ、椰子に吹きわたる風のそよぎ、ジャワ鳩の鳴き声、稲穂の波、米臼の音、これらに触れる時に、わたしどもはそのジャワの血を感ずるのです」(カルティニの書簡からの引用、土屋健治『カルティニの風景』より)。

 インドネシアという「国」が出来たのは、独立宣言をした1945年だが、インドネシアの民族意識はカルティニ(1879〜1904)の時代に、すでに、生まれ始めていた。カルティニという人に触れることは、インドネシアの誕生に触れることだ。「映画」で映像を楽しみ、『カルティニの風景』で補完することをお薦めしたい。

「カルティニ」予告編↓

 
 
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